クロ現で名前を変える人々を取り上げていた。今日本では年に4000名を超える人が自分の名前を変える手続きをしているのだという。日本人のうちそれくらいしかいないのか、と驚くところではないようで、たくさんの人がそうしているという意味なんだろう。日本の人口に比して、ずいぶん少ないとは思うけどね。また、ちゃんと手続き上戸籍の名前を変えるということに、何か世間的な抵抗もあるという感じなんだろうか。生活上勝手に名前を変えている人なんて、それこそごまんといるだろうからな。
名前を変える人の大半は、いわゆるトランスジェンダーといわれる人らしい。性も変わるのだから、当たり前という気もする。もともと親は、生まれた時点では同一性でないことは分かりえないのだから、後に自分で変える必要はありすぎる理由だろう。また、名前には性と結びつくニュアンスが当然あるので、よりそれらしい響きの名前にするのは、生活上も必要になるということではないか。
もちろん問題がありそうな人もいて、それは家族との関係が悪くなったため改名したいというものだろう。親との関係が悪くなると、親からつけられた名前自体が、いわゆる呪縛的な呪いのようなものになる。親の支配であるとか、家族の束縛から逃れるためにも、過去の名前を変えるという気持ちになるようだ。
また犯罪歴のある人間が名前を変える必要があるということも言っていた。現在のようなネット社会だと、検索しても過去の事件が簡単に検索できる。新たな生活を始めようとしても、芋ずる式に過去の事件が洗い出され、暮らしにくくなる場合があるのだという。なんとなく、この問題だけは引っかかるものが無いではないが(性犯罪者など)、更生して社会生活をやり直す足かせであるのなら、幾分は理解できるかもしれない。
あえて最後にあげるが、いわゆるキラキラ・ネームを大人になって変えるというのもあるようだ。紹介されていた人の過去の名は「王子様」というのだそうだ。親にとっては、そういう大切な子供という意味で名付けられたようだが、大人になってまで、自分の名前で親が馬鹿だと皆に教えているようで、嫌だったという。これは、もともとたいへんに話題になった話らしく、いかにもという感じだ。一般的なキラキラネームへの嫌悪感は、まさにそのような身勝手で馬鹿な親に対するものであろう。
ただしである。現代の子供たちのほとんど大多数は、すでにキラキラネームばかりといっても過言ではない。フリガナなしに正確に名前が読めるようなケースの方がまれなことかもしれない。それくらい現代の若い親は馬鹿になったのかといえば、多少はそうかもしれないという可能性はあるものの、要するに少子化が進んで、子供を大切にするあまり、凝った名前を付ける傾向にあるだけのことであるらしい。聞くところによると、過去であっても長男などの最初の方のこどもには凝った名前が多く、実は一郎より二郎、三郎の方が数が多いのである。たくさんになると、あえて面倒になるのか、名前はいい加減になる傾向にあるらしい。
そういうわけで、親からちゃんと名前の理由を聞かされて、愛情たっぷりに育った子供は、たとえキラキラネームであったとしても、その名前を将来変えたいということには至らないらしい。いくらひどい名前でも、親子の関係が悪くならない限り、そう簡単には改名しずらい、という気分はあるのだろう。ある意味それは、幸福なのか不幸なのか分からない話ではありますね。