カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

どんづまっても何とかなる   デッドエンドの思い出

2019-09-26 | 読書

デッドエンドの思い出/よしもとばなな著(文春文庫)

 5つの小説を集めた短編集。表題作は映画化もされているらしい。よしもとばななは流行作家だが、初めて読んだ。父親の著作は学生時代に読んだものだが、娘にはあまり興味は無かったのかもしれない。売れているのは知っていたし、確かフラダンスをする人ではないかということくらいは知っていた。それはたぶん森博嗣の本か何かで読んだのではないか。同じく流行作家同士だから交流があったのだろうか。若者から人気があるので、引き合わせる編集者がいたのだろうか。
 という背景はあるが、ようするにこれを読んだ人が、どうぞと部屋に置いて行ったのでパラパラめくった次第である。幽霊は出てくるし、無差別殺人未遂は出てくるし、軟禁事件や結婚詐欺的な話もある。そうではあるが、読んでいて、たぶんそういうサスペンス的な、もしくはホラー的な印象が残るものではないであろう。そういうことがありながらの日常的な、何の変哲も無いようなものが描かれていく。セックス描写は即物的でありながら、しかし感情も描かれている。泣いてもいるし傷ついてもいるし、もう少し人が死んでもおかしくない状況も見られる。しかし、何かほんわかしたような文章で、それらは柔らかく包まれているような印象を持つのではないか。ストーリーもなんとなく行き当たりばったりなような感じもするし、しかし伏線が張ってあったような気もする。僕らが暮らしている日常だって、おそらくそのような予期しないまとまりのようなものがあるのではないか。そういう効果も狙って書かれているのかもしれない。
 特に感心したわけではないのだが、こういう感じが、いわゆる共感される物語や文章というものなのかな、とは思った。事件が起こる描写は、普通なら大変な騒ぎになって社会問題化してもおかしくない状況なのに、ものすごく緩やかに急に日常的に収束する。いや、それは個人を苦しめたりもしているのだが、妙にあっけらかんとしているのである。こういう人生の修羅場のようなものは、実際は案外こんなものなのかな、とも思わせられる。そうして日常は続いていくのかもしれない。これは偏見かもしれないが、こういう感覚があって、女の人の強さがあるのかなとも思う。大変であっても受け入れている許容度が大きい。そんなような印象を受ける。つらく嫌なことでも、なんだかいい思い出だったような、妙な転換がある。それは、やはり強さなのではなかろうか。
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