中学生の頃に初めて結成したバンド名がファンクションズ(当時はつづりを間違えてfancsionsと書いたりしていた。恥ずかしい)であった。ラジオの切り替えスイッチにファンクションと書いてあることが多くて、まあ、TOTOとかAC/DCみたいなバンド名と一緒で、なじみやすいのではないかということが一つと、ファンという言葉で支持を得られるような錯覚があったことと、そして実は僕の中でその当時熱狂的に好きだったのがFUNKADELICであったことが大きいと思う。他のメンバーがこのバンド名を支持してくれたことが本当に嬉しかった。
http://jp.youtube.com/watch?v=FSihyr4TK7M
パーラメントというバンドもファンカデリックも、どちらもジョージ・クリントン(当時は何故かクイントンと読むのが一般的だった)の率いるいわゆるP-FUNKと呼ばれる音楽分野で、日本ではまったく人気がなかった。地元のレコード屋には当然この分野の音楽は売って無くて、店主に綿密に説明して入荷してもらえるように促したものである。それでも結局人気が出たとは言い難く、個人的には苦しい月日を過ごした。後に米米クラブが出てきてジェームス小野田を見た時は、とうとう日本にもまともな人たちが現れたと安心したものである。
しかし音楽はもちろんだが、黒人音楽家たちの楽器を操る能力は本当に高くて、当時のロックアルバムの中では抜きんでて音が良かった。単音がしっかりして美しいので、録音が映えるのである。実際に僕らがバンドで演奏していたのはRCだとかストーンズだとかクラッシュだったのだが、音楽を志す者としては、ファンカデリックのように上手くなりたいということが何より願望としてあった。実際はチューニングさえしょっちゅう狂ったままだったし、スリーコードをジャカジャカ鳴らすだけだったにせよ…。
結局今だに音楽家は岩ちゃんだけになってしまった。信念を貫き通すというのは本当に難しいことだなあと思うのであります。