カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

本能に忠実になろう

2008-10-04 | 散歩

 歩いていると道端から葉っぱが細かく震えるような音が聞こえる。何だろうと見てみるとカラス蛇が尻尾を震わせて威嚇しているために、尻尾に触れている落ち葉が激しく揺れる音である。しげしげと眺めると飛びかかってくるしぐさを見せてさらに威嚇する。小さいやつなんだが、なかなかの迫力。正直言ってちょっとビビりました。
 こういう気の強い動物は偉いなあと思う。負けずに立ち向かっていくんだもんね。本能とはいえ、やっぱり勇気がいることなんじゃなかろうか。いや、あんまり考えなくてもそのような行動が取れるようになっているんだろうか。そんなことを思うのは、なんとなく弱気になっているような自分を鑑みてしまうのかもしれない。
 昨日の会議のことなども、僕の抱える難しい懸案については、正直言って押しつけられたものほど難しさが複雑で、なんとなく言葉を濁してやり過ごしてしまった。僕の中には俺の所為じゃないんだけどなあ、という気持ちも正直にあるし、もう一方の立場の正当性も理解できるため、片方に負荷をかけて解決することに躊躇があるのだ。わかりにくくて申し訳ないが、ちょっとした板挟み状態に置かれているわけだ。放置したってたいしたことにはならないことは経験上分かっているのだけれど、問題視する人は細かい人で、なおかつしつこい。この人以外には問題視しないのだから、はっきり言って迷惑なのだけれど、次も同じことを言ってくるだろう。解決すると事なかれ主義的に実行後の面白さも消えてしまう。今まで率先して動いてきた人たちにも気の毒である。しかしこのマイナスを主張する人の方が、悲しいことに権力者なのである。世の中というのはそういうものである。
 まあしかし怒られるにせよ、当日は無視して実行するよりあるまいな、とは考えている。誰が責任を取るのだと息巻いてくることは分かっているが、仕方がない。なりたくてやっている役員ではないし、すっぱり僕の首をはねればいいのである。僕は全体の成功のためにやっているわけで、殉職も致し方あるまい。
 小さいことなのかもしれないが、そういう中間の人間ががんばらないことには、結局は何にもよくはならないのだと思う。話し合いの民主的手続きを否定するつもりはないけれど、現場を分からない人が決定権を持つことの方が矛盾している。
 冷静に考えれば馬鹿な事をやっているのは僕の方かもしれない。まあ、馬鹿なんだから仕方ないんだよね、こればっかりは。
コメント
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