カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

難しいもんだね

2007-10-31 | 雑記
 稲刈りが済んだ。しかしながら今年は仕事が重なって、一度も現場に出なかった。近年はあんまり出なくなってはいたが、一度も出なかったのは初めてのことだ。それはそれで、なんとなく寂しい。世間は農繁期にイベントや大会を開催したがるが、天候次第の農業はそういう都合に合わせられない。特に行政との折り合いが悪いような気がする。時期だから仕方がないのかもしれないけれど、今後も永遠にこの時期がイベント時期であることが続くのだろうか。
 ところで今年は天候に恵まれ、大とまでいかないまでも、豊作であった。いや、反当りの収穫は新記録であるから、やはりここは大豊作といっておこう。そういうところは素直に嬉しい。
 しかしながらである。農作物も商業の商品であるから、たくさん取れると価格が下がる。政府はいち早く備蓄米を増やすといっていたが、これだけの豊作であれば(他もかなりよさそうだし)、恐らく米は余るのだろう。僕はマクロ経済を客観的に考えると保護政策は限度があると思っているので、農業政策の行き過ぎ関与は反対の立場なのだが、自分自身のエゴを言うと、このままでは非常に苦しい。米はちっとも取れないのは確かに困るが、たくさん取れても困るということになった。難しいものだな、と思う。
 まあしかし、経済的には農業は、事実上日本ではやっていけない職業になった。かなり専門的に規模を広げるか、果樹のような付加価値の高いものか、加工で価値の上がるものを生産するより道はない。現在のように身近に戦争のない時代は、関係国との良好な状態を保ち、自由貿易を行うことは至極当然の政策であろう。それはよく理解できる。まともな考えだからである。いくら食の安全といったって、消費者は同じような味であるならば、馬鹿でない限り必ず安いものを買うのである。それが人間的な行動なのだ。それにマスコミはうるさいけれど、食い物は基本的に毒じゃないんだから、遺伝子が組み換えられていようと、農薬がかけられていようと、そう簡単に死にはしない。まったく問題はないと言えないにしろ、実際はそんなにたいした問題ではない。農業従事者には厳しいが、ほとんどの一次産業は淘汰される運命からは逃れられないのである。
 さて、それでは今年はどうなるかというと、たぶん魚沼産のコシヒカリのような特産地の米の偽装が多く出回ることになるだろう。はっきり言って、数に限りがあるものだ。ちょっとでも安いようなら、間違いなく偽装だろう。皆さん、新米なら大抵の米は旨いんだから、地場のものを買って様子を見たほうが得策だと思いますよ。
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