ここのところなんだか腹の調子が悪い。なんというかグウグウ言ってどよめいている感覚がある。平たく言うとガスがたまっているのが分かる。どうしてなんだろう、と一人で疑問に思っていたら、豆乳を飲んでいるから当たり前だ、とつれあいに言われる。なるほど、当たり前のことだったのなら気にする必要はない。ゴロゴロ言ってもけっこうである。
トイレに行っても内容は乏しくて、そのグウグウゴロゴロの原因が放出されるだけである。内容がないのは内容が体内に吸収されたからだろうと考えられるが、その段階でガスだけがつくられていくというがなんとなく歯がゆい。もう少し実のあるものを出すことができないものだろうか。せっかくトイレに行ったのに、そういう結果に終わるのが残念なのである。
体の抵抗というのはなかなか厄介である。固形物を口にするのは夜だけの日が多くなっているのだが、実際に体重が落ちるというのはそう簡単にいかなくなった。一所懸命効率よくなっていく自分の体の優秀な構造が、なんとも恨めしい限りである。
とはいえ、なんとなくそういうものもだんだんと受け入れられるようになっていることも確かだ。もともと体重を落とすだけでなく脂肪分を減らすことが大切なので、せっかちにことが進められるわけではないのだろう。だんだんと徐々に燃焼されていく自分の脂肪のことを想像すると、無理をしない限り減らないことは理解できる。ただでさえ日常的に努力して増やしてきた脂肪である。そう簡単に減らされては困るとでも思っているのかもしれない。誰がって、僕の体が。僕がその方面で努力して来た人ならば、たぶん自然にそう考えるに違いない。ましてやそれは僕の体である。そう考えるのは至極当然である。憎らしいが彼の事情も理解できた。もう少しゆとりを持って無理を続けていこう。
まあ、無理はしているにせよ、だんだんつらくなくなっていることも確かである。一日一食で暮らしている人も多いと聞く。健康のためにどうこうということは僕にはまったく興味がないが、確かに一食でも暮らしていけるということはそうなのだろう。何で三食という方が疑問も多い。人間の歴史を考えたら、ごく近代になって三食が増えたと考えるほうが自然だろう。ということは、不自然な習慣なのかもしれないではないか。
突然だが、宗教というのは突き詰めると習慣だと思う。特定の神様を信じているのが宗教だと多くの日本人は思っている気がするが、僕はそう思っていない。説明すると長くなるので各自で考えて欲しいのだが、例えば歯を磨くことは宗教である。それが僕の結論。歯を大事にする心掛けがしあわせにつながるから人々はせっせと歯を磨く。宗教というのはそういうものではないか。
一日三食しっかり食べなければいけないという意見は、そういうわけでそういう宗派の布教活動に過ぎないと思う。他人の健康を本当に分かりもしないで、一方的に布教しているのである。本人は信者なのでそのエゴに気付かない。
さて、そういうわけで、僕を邪魔しないでください、ということが言いたいわけである。僕は宗教戦争を戦っているのだろうか。