ひとはあんがい見た目だけで、その人がどんな人なのか判断しているという。田舎に行くと、素朴で親切な人が多いと言われるが、実際はそんなことは無い。だがそのように感じている人は多いらしくて、まことに不思議である。家庭菜園などをしていると、なんだかいい人に違いないと思われたりする。そういうのを代表制ヒューリステックという。偏った判断をして、間違いを引き起こすことが多い。危険な場合もあると思うが、そのように判断してしまう人間の習性のようなものがあるのかもしれない。
逆に言うと、見た目で悪く判断されがちな人というのもいるはずで、そういうのはそれなりに人生において損があるのではないか。それでいいという開き直りもあるのかもしれないが、ちょっと問題がありそうだ。
知人に今どきでもパンチパーマにしている人がいて、その上に彼は特にこわもての人でもなく、どちらかと言えば優し気な人なのだが、どうしてそのヘアースタイルにしているのか聞いてみたことがある。答えは、周りが親切に接してくれるからなんだという。ちょっと意外に聞こえたが、実際に役場などの手続きだとか、食事に行くレストランのようなところで、非常に手厚く接してくれる人が多くて、生活が快適になるのだという。確かにパンチにスーツ姿なんかだと、ある意味でその筋の人のような感じも無いではない。僕には田舎のおっさんにしか見えないが、怖いと人と受け止めてくれるというのは、それなりにいるのかもしれない。
そうすると、いわゆるヤクザのような人というのは、やはり一般の社会の中では、快適に暮らせているというのだろうか。今の日本はヤクザには厳しいものになっていると風のうわさにも聞くし、近所に住んでいるその筋の人がいるのだが、定期的にパトカーが巡回したり、家の前に待機していたりするのだが(要するに治安維持で税金が投下されてはいる訳だ)、そういうのって、不便なのではないかとばかり考えていた。抗争のようなものだってありそうだし、職業として食べていく困難もありそうだけれど、そんなに簡単にやめられるものでもないのかもしれない。たまにいかにもという黒い車が周りを睨みつけながら通ることもあるが、ということは子分がいるのかもしれなくて、暴力関係で働きがあるのかもしれない。もしくは堅気の仕事だってやっているのかもしれない。分からないが、見た目は確かにわかりやすくて、そういう意味では接触が避けられるので、ある意味助かるかもしれない。