ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

日本の復興は日本精神の復興から1

2011-06-19 08:35:01 | 日本精神
 5月末から今月中旬にかけて、私は、東日本大震災に関する講話を、鎌倉、都内、秋田の各地で都合4回行なった。主題は「日本の復興は日本精神の復興から~大震災による国難を乗り越えよう」。その要旨を掲載する。

●東日本大震災による国難にある日本

 東日本大震災は、死者1万5千人以上、行方不明者約8千人(平成23年6月10日現在)という多大な犠牲者をもたらした。また、政府は道路・建物等の直接的被害を16~25兆円と概算する。日本経済への影響は甚大であり、損失はその数倍に達すると見られる。まさに戦後最大の惨事であり、わが国が直面している国難である。
 国難とは、一国の危機、国全体の危機をいう。国家・民族の存亡の危機である。歴史的には、元寇、黒船来航、日露戦争、大東亜戦争等が挙げられる。昭和40年代には、共産化と第三次世界大戦の危機というわが国史上最大の国難があり、またそれは人類存亡の危機でもあった。
 わが国は東日本大震災によって新たな国難に直面している。大震災後、3ヶ月以上過ぎたが、余震はなお続いている。原発事故は収束しておらず、まだ予断を許さない状態にある。ゴールデンウィーク後の変化として、5月5日に1号機に人が入り、次いで2~3号機にも入った。それによって中の状態がわかった。東京電力は1号機は完全に「炉心溶融(メルトダウン)」しており、2~3号機も炉心溶融している可能性があると発表した。
 原子力保安院は、溶け落ちた燃料によって圧力容器が破損したのは、1号機は3月11日午後8時ごろ、2号機は14日午後10時50分ごろ、3号機は14日午後10時10分ごろと推定している。
 福島原発は、11日夜から14日夜の時点で、極めて深刻な事態になっていたのである。しかも、政府は、炉心溶融より深刻な「溶融貫通(メルトスルー)」が起こった可能性を認めている。溶融貫通まで行っていれば、もし格納容器の中に溶けた燃料が一挙に大量に落下していたら、決定的な大事故となっただろう。
 高温の燃料が格納容器に落下した瞬間に、格納容器の水から大量の水蒸気が発生すると、原子炉は爆発する。これを「水蒸気爆発」という。福島では、この「水蒸気爆発」が3月11日から14日にかけて起こっていたかもしれない。そうなっていたら、原子炉から厖大な量の放射性物質が飛散し、首都圏を含む地域に、深刻な被害をもたらしただろう。
 幸い、こうした破局的な事態は避けられていた。溶融した核燃料のほとんどは、圧力容器の底に溜まって、水中で徐々に冷却されていった。東日本の広範囲で多数の人命が失われるような、決定的な大事故にはいたらずに済んだ。私は、人々の祈りが通じて、日本はギリギリのところで、奇蹟的に守られたのではないかと思う。
 ただし、国難はなお続いている。今、厳しい状況にあるのは、電力の供給不足である。大震災で54基の原発のうち15基が壊れたり、止まったりした。電力各社は定期検査終了後、地元に配慮し、再稼働を見合わせている。6月12日時点で、54基中稼動しているのは17基のみ。夏の電力不足が懸念されるが、さらに停止する原発が続く見通しである。このまま行くと、今年中に定期点検でさらに10基停止し、年末には稼動しているのが7基のみ。9割近い47基が停止。来春には全部停止となる。原発が占めていた全供給量の約3割分を火力・水力等でどこまで補えるか。電力供給不足の長期化・深刻化は、日本の経済、国民の生活に極めて深刻な影響をもたらすおそれがある。
 日本国民は、この事態を真剣に受け止め、国難を乗り越えるために、一致協力しなければならない。そこで重要なものこそ、日本精神の復興である。

 次回に続く。

トッドの移民論と日本60

2011-06-18 08:44:36 | 国際関係
●日本・朝鮮・シナの家族型と価値観の違い

 日本の移民問題は、日本人と朝鮮人・シナ人の関係を主とする。そこで、この問題をまずトッドにならって家族型という点から見てみよう。
 日本と朝鮮は、ともに直系家族の社会である。権威と不平等を価値とし、差異主義の価値観を持つ。ただし、日本は族内婚、朝鮮は族外婚という違いがある。朝鮮はドイツと同じ族外婚の直系家族である。家族型から見ると、朝鮮人は、ドイツと同じく、極端な排外主義になりやすいと考えられる。
 日本はいとこ婚に許容的であるが、朝鮮はいとこ婚を禁止する。この点は近親相姦禁止の対象の違いなので、文化的に対立する。朝鮮人から見れば、いとこ婚に許容的な日本人は、人間ではないという風に映るようである。日本は姓氏の違いが結婚の禁忌にならないが、儒教を取り入れた後の朝鮮は、同姓不婚である。他にも、文化の異なる民族の受け入れには、習俗・習慣やそれに根ざした感覚や感情のレベルで、容易に相互理解の得られないものが伴う。
 シナは、日本・朝鮮とは違い、外婚制共同体家族の社会である。共同体家族社会では、権威のもとでの平等を求める。この点が共産主義の思想と共通している。共産主義は、外婚制共同体家族の地域で発達した。外婚制共同体家族も、共産主義も、普遍主義の価値観を持つ。
 シナは普遍主義を価値観とする。普遍主義は、人間はみな同じという考え方である。ただし、普遍主義の社会では、自分たちの人間の観念を超えた者に出会うと、「これは人間ではない」と判断する。フランス人とマグレブ人は異なる普遍主義によって、互いを間扱いして、激しく争った。トッドは、シナの普遍主義について具体的に論じていないが、私なりにトッドの理論を応用すると、シナの普遍主義は中華思想となった。シナ人は、周辺の異民族を夷狄と呼び、禽獣に等しいものとして差別した。今日、日本に対して向けられる反日愛国主義は、伝統的な中華思想的普遍主義が形を変えたものという性格を持つ。特に青年層を中心に、日本人を激しく憎悪し、残虐な殺戮や核爆弾の投下を訴える言論は、単に江沢民時代からの思想教育によるものではないだろう。そうした言動が生まれる社会的な条件があると見るべきである。
 外婚制共同体家族の社会に定着した共産主義は、人間の平等を価値とする普遍主義の思想である。普遍主義は、その特徴として、異なる型の人間に対しては、激しい憎悪と敵意を向ける。共産主義において、その対象は、ブルジョワジーやプチブルジョワジーである。権力を独占し、新たな支配集団となった共産党官僚は、思想・政策の異なる政敵を「人民の敵」と呼んで、徹底的な粛清を行う。憎悪と敵意が階級から異民族に向うと、激しい民族差別を生み出す。スターリンはチェチェン人に対して強制移住を行い、毛沢東はチベット人に対して虐殺・弾圧を行った。これらは、大きな差異を示す集団を間扱いするという普遍主義の暗い側面の表れといえるだろう。

 次回に続く。

救国の経済学18~丹羽春喜氏

2011-06-17 08:47:51 | 経済
●フリードマンの後、新古典派の中心はルーカスに

 丹羽氏は平成22年(2010)6月号の月刊誌『正論』に書いた「ケインズ主義の復活なくして日本の復活なし-いまこそ新古典派経済学のニヒリズムを打ち砕け-」で、次のように言う。
 「過去20年あまり、全世界の主要国の経済政策を導いてきたのは、米国の思想界から発信されて今や強固・激烈な戦闘的イデオロギーと化している新古典派経済学流の反ケインズ主義政策論であった。そして、とくに、ケインズ的有効需要拡大政策を無効であると理論的に決めつけたルーカス教授の教説の影響は衝撃的かつ甚大であった。現在では、この新古典派経済学流の反ケインズ主義、なかでもこのルーカス理論が、新自由主義の諸流派を支配し動かしている基本的情念となっているわけである」と。
 フリードマンのマネタリズムの失敗が明らかになった後、新古典派による反ケインズ主義の思想攻勢は、マネタリズムを捨て、ロバート・ルーカスの理論による有効需要政策無効論に、主として依拠して行なわれるようになった。ルーカスはミクロの経済主体の最適化行動によってマクロ経済学を基礎づける方法論を示した。この方法論は大きな影響力を振るい、ケインズ主義者に対しても影響を与えた。丹羽氏は、ルーカスの理論のうち、主に合理的期待形成仮説と総供給方程式を批判する。

●合理的期待形成仮設への批判

 丹羽氏のルーカス批判の第一は、合理的期待形成説に対してである。「合理的期待」は、rational expectationsの訳語であり、expectationsは予想と訳したほうがよいのだが、通例に従って期待と訳す。合理的期待形成説とは、経済主体が政府の政策を合理的に予測してしまえば、その政策は無効になるという理論である。それによって、政府による有効需要政策の効果を否定する。合理的期待形成説で想定されている経済主体は、完全な情報を持ち、合理的に将来を予測する個人である。これは、新古典派経済学が想定してきた個人と同じである。それゆえ、合理的期待という概念は、一般均衡理論の復活以外の何ものでもない。
 ルーカスは、ケインズ経済学においては、期待の果たす役割が無視されていることを主張する。この主張は全く根拠がない。『一般理論』で、ケインズは随所で期待の果たす役割に触れ、雇用量や国民所得の水準が人々の期待によって左右されることを繰り返し述べている。
 丹羽氏も、次のように言う。「経済学では、アダム・スミスの昔から、常に、社会の人々が合理的な予測・期待に基づいて行動するということを、基本的な大前提として、諸種の分析を行ない、理論を構築してきたからである。もちろん、ケインズ理論も、その例外ではなかった。要するに、『合理的期待(予測)形成仮説』なるものは、断じて、ルーカスたち新古典派の専売特許などではないのである」と。
 ケインズの理論における期待は、完全な情報を持って合理的に将来を予測するというルーカス的な意味での期待ではない。ケインズの期待は、主にその社会における慣習に基くものである。一つの社会で歴史的に形成されてきた社会的経験知をもって、人々は将来を予測する。それは合理的な思考であるばかりでなく、不安や希望等の感情や直感によって揺れ動く。全員が同じ答えを出すのではない。楽観的予測も悲観的予測もある。実際の経済、特に金融市場を動かしているのは、そうした人々の集団心理である。それゆえ、こうした集団心理を無視したルーカスのケインズ批判は的外れである。

 次回に続く。

衆院選予測~民主ほぼ半減で惨敗

2011-06-16 10:15:07 | 時事
 「週刊文春」は、6月16日号に「衆院300選挙区緊急予測 民主158議席VS自民232議席 被災者の怒りが民主政権を滅ぼす!」という記事を載せた。選挙情報の専門会社・政治広報センターの社長・宮川隆義氏による記事である。政治広報センターは、「週刊文春」に長年選挙結果の予測を載せ、定評がある。同社の選挙結果予測は、過去の衆参比例区政党得票、選挙区候補者得票、政党支持率動向を吟味し、マスコミ各社の世論調査などをパラメーター(変数)にして、予測するという。

 宮川氏は、昨年10月にも「週刊文春」に予測を載せている。私は10月11日の日記にその記事について書いた。その際は、民主党は97議席減らして、209議席。自公は214議席となって拮抗するという予測だった。これに対し、今回は、民主党は143議席減で政権から転落。自公は合計で265議席で政権を奪回。「過半数(241)はもちろん、絶対安定多数(269)をうかがう勢いだ」という予測である。
 記事に掲載されている予測表では、民主が現有301議席から143議席減らして、158議席。自民党が現有118議席から114議席増やして、232議席。民主が半減、自民が倍増に近い結果となる。ただし、予測には幅があり、民主は最多277議席、最少106議席。比例区は55議席で変わらず、予測の幅はすべて小選挙区での違いである。一方、自民は最多290議席、最少119議席。比例区は60議席とし、やはり小選挙区でこれだけの差がある。こうした幅の中で、現時点で最も起こりえそうな結果が、民主158議席VS自民232議席というわけである。

 大震災で特に甚大な被害を受けた東北の岩手・宮城・福島の3県は、これまで15選挙区中14選挙区を民主党が握ってきた。だが、今回の予測では「3県合計で9議席減」、当確が4人、有力が1人という「衝撃的な結果」となった。
 最も注目すべき小沢一郎氏について、宮川氏は「大苦戦が予想される。落選もありうる」とする。苦戦の理由の一つは、菅内閣の内閣不信任案に関する小沢一派の行動が不評であること。6月2~3日に共同通信が行った世論調査では、小沢一派の行動を「評価しない」が約9割に達している。しかし、宮川氏は、小沢氏苦戦の「最大の理由は資金面だ」と言う。多額の政党交付金を一手に差配できる幹事長の立場を離れ、党の資金に触れえない。小沢氏個人の資産に疑惑の目が注がれ、政治資金規正法違反をめぐる裁判が今秋にも始まる。民主党の党員資格が停止され、党からの選挙資金も、企業団体献金も受けられない。「悪評と資金枯渇で追い詰められた小沢は、誰が対抗馬となろうと、かつてない苦境に陥ることは間違いない」と言う。
 小沢氏と同じく内閣不信任案で造反した他の議員はどうか。16名いるうち、当確は田中真紀子氏のみ。有力1名のほかは、苦戦の模様。田中美絵子福田衣里子氏らの小沢ガールズは、絶滅の危機だとする。
 今回の内閣不信任案及び菅首相の退陣時期をめぐる騒動で、小沢氏と並ぶもう一人の主役は、鳩山由紀夫氏。宮川氏は「前総理ながら落選危機に陥っている」とする。
 菅首相については、「現段階では当確予測だが、無論これも相手次第だ」と言う。誰か有力な候補が出れば、苦戦になる可能性がある。
 
 各政党では、民自の激突の中で、大幅増と予測されるのが、公明党とみんなの党。公明は現有21議席から33議席に。1.5倍以上。みんなは現有5議席から25議席へ。こちらは、5倍増の躍進である。宮川氏は「この2党は、“民主党には呆れたが、自民党にも入れたくない”という有権者の受け皿になり、比例区の大幅議席増が見込まれる」と言う。
 今回も受け皿になれそうにないのが、ミニ政党。国民新党、新党日本、たちあがれ日本等は、ほとんど現状維持という予測である。

 記事の予測をもとに私見を述べると、次回衆議院選挙は、政権交代が起こりうる選挙となる。趨勢は民主の惨敗、自民の大勝である。ただし、宮川氏の予測でも、民主が1割程度議席を減らし、自民が現状維持程度となるケースも想定されているように、自民党がどの程度、有権者の支持を集められるかによって、結果は大きく異なるだろう。自民党が従来のように立党の精神を忘れた状態であれば、国民の信頼を回復することはできない。また、菅首相が辞任した後の民主党の代表が誰になるか、どういう連立政権になり、首相が誰になるかによっても、その後に行われる選挙の結果は大きく異なるだろう。そして、民主・自民のどちらが優勢を取っても、公明党ないしみんなの党が政権の帰趨に関わる。このように言えるだろう。
 いつ解散総選挙が行われるか、現時点では確とした見通しはない。そういう状況における一つの選挙予測として記しておきたい。

関連掲示
・拙稿「衆院選予測~民主は97議席減」(平成22年10月11日)
http://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/d/20101011

救国の経済学17~丹羽春喜氏

2011-06-14 08:48:45 | 経済
●承知の上で「牽強付会の詭弁」を使う

 丹羽氏は、変動相場制には「信賞必罰」の性質が内包されていると言う。「ある国の政策当局が、国内的に総需要の確保を怠り(あるいは、それに失敗し)、不況を発生させ、デフレ・ギャップを生じさせてしまうと、その国の産業による輸出ドライブが激化し、他方では輸入が減るため、国際通貨市場においてその国の通貨の交換価値(為替レート)が高騰──日本の場合であれば円高が進行──して輸出も苦しくなり、結局、不況の永続化という『罰』を受けることになるということである」と丹羽氏は説明している。(「安倍政権の政策担当マシーン諸氏へ」)
 フリードマンも、変動相場制の「信賞必罰」の特徴を「十分に知っていたはず」であり、「当然、フロート制がうまく機能するためには「ケインズ的政策」が不可欠であるということも、彼はよく知っていたはずである」と丹羽氏は言う。「そうであるにもかかわらず、フリードマンたちが、一方でフロート制への移行を強く唱導していながら、他方で、きわめて大規模かつアグレッシブに反ケインズ主義のイデオロギー的なキャンペーンをグローバルに繰り広げてきたということは、きわめて矛盾していることであった。
 フリードマンほどの巨匠が、『うっかりミス』でそのような矛盾をおかしたなどとは、とうてい考えられない。だとすれば、彼は、有害な矛盾を承知のうえで、あえて、そのように思想攻勢的な活動を陣頭に立って繰り広げてきたのだということになる。
 すなわち、フリードマンら新古典派のスタンスからは、人類文明の現行の経済体制にあえて甚大なダメージを与えようと意図しているとしか思われないような破壊主義ニヒリズムを看取せざるをえないのである」と丹羽氏は述べている。
 そして、「実は、このような左翼思想と底流を同じくしていると思われるようなニヒリズムを、われわれは、マンデルのスタンスからも読み取らざるをえない」と丹羽氏は言う。(「安倍政権の政策担当マシーン諸氏へ」)
 マンデルについては、丹羽氏は次のように見ている。マンデルは、「とくに国際経済論の視点から、ケインズ的な財政政策の効果についてネガティブな判断を下していることで知られている。すなわち、彼の見るところでは、景気を良くするためにケインズ的な積極的財政政策が実施されても、その結果としてクラウディング・アウト現象が起こり、国内金利が高騰し、外国からの資金の純流入が増えて、国際通貨市場ではその国の通貨の対外為替レートが上昇する(日本の場合であれば円高が進行する)ので、輸出が困難になり、結局、そのようなケインズ的財政政策の景気振興の効果は失われてしまうことになるにちがいないと、されているのである。マンデルのこの議論の場合においても、あたかも、金融政策によってクラウディング・アウト現象の発現が防止されるようなことは無いものであるかのごとく、前提されてしまっているのである」と。(「新古典派は市場原理否認:新古典派「反ケインズ主義」は市場原理を尊重していない」) マンデルに対しても、丹羽氏は、フリードマンにおけると同様、理論的な問題点を指摘しているわけである。
 丹羽氏によると、「為替レートのハンディキャップ供与機能に支えられたリカード的『比較優位の原理』に基づく国際分業の利益を各国が十分に享受しうるということこそが人類文明の基礎であって、まさしく、それに基づく共存共栄の『右肩上がり』の世界経済状況を確立する効果をケインズ的な政策体系が持っている」。ところが、フリードマン、マンデル、ルーカスらの新古典派による反ケインズ主義の思想攻勢は、「そのような共存共栄の国際分業システムを破壊し去ってしまおうとする危険な意味合いを内含している」と丹羽氏は指弾してぎる。(「安倍政権の政策担当マシーン諸氏へ」)
 丹羽氏はフリードマンら新古典派の指導者たちは、彼らの理論が「いずれも、きわめて非現実的かつ妥当性を欠いた不自然なトリック的前提や仮定に基づいた牽強付会の詭弁にすぎないということを、よく知っているはずである」と言う。
 「日本経済が、(略)不況 → 円高 → 不況 の悪循環に捉えられ、為替レートという『ハンディキャップ』を大きく奪われて、産業空洞化と経済の衰退に苦しむことになるということも、かれらは、理論的に予測しえていたはずである。しかも、とりわけ日本経済の場合には、1970年代末から1980年代初頭のころに反ケインズ主義によって高度成長への復帰を急に阻止されてしまったのであるから、いわば激しいタックルを受けたのと同様な大衝撃であった。そして、このような日本経済の失速とその不況・不振の永続化は、早晩、アジア諸国の経済にとっても、大きな災厄──たとえば1997~98年のアジア金融恐慌──とならざるをえないということも不可避であった。フリードマンたち新古典派反ケインズ主義陣営は、このことも、はっきりと予見していたはずなのである」と丹羽氏は言う。
 では、どうして「きわめて非現実的かつ妥当性を欠いた不自然なトリック的前提や仮定に基づいた牽強付会の詭弁」と分かっていながら、彼ら新古典派の指導者たちは、反ケインズ主義の経済理論を展開したのか。また、日本経済やアジア経済に対する影響を予測・予見しながら、彼らは「牽強付会の詭弁」を弄したのか。そこには、政治的な目的があったと見るのが自然だろう。
 丹羽氏は、彼らに「破壊主義ニヒリズム」を見る。私はそうではなく、アメリカの世界戦略が、こうした欺瞞的な経済理論を利用したと考える。この点は、一通り新古典派への丹羽氏の所論を見てから、私見を具体的に述べたいと思う。

 次回に続く。

復興の鍵はイノヴェーション

2011-06-13 08:46:43 | 時事
 産経新聞・編集委員の田村秀男氏は、東日本大震災からの復興のため「百兆円の日本復興基金策」を提唱している。氏の提案は、復興の財源調達は、デフレ下の増税ではなく、債権国の強みを生かした復興国債によるべきであり、政府・日銀が連携して財政金融政策を行うというものである。
 私は日記で氏の発言を継続的に紹介してきた。5月12日の「デフレ下の復興増税は日本を潰す」に概要を掲載してある。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1720438081&owner_id=525191

 さて、田村氏は今月5日、「大復興の鍵握る『新結合』」という記事を書いた。先の提案を基盤として、「復興プランを貫く筋」は、シュンペーターのいう「イノベーション」だと説く。そして、ゴールは「投資のルネサンス」だという。
 田村氏は、従来の縦割り行政のもとでは、財政支出の効率が悪い。だから経済成長できない。税収も増えない、という。「縦割り行政を解消し、規制を撤廃しないと、日本再生の絶好のチャンスを逃す」。そこで、例えば電力事業では「送電、発電を分離し、新規参入を自由化すればよい」「再生可能なエネルギーの爆発的な普及を阻んでいるのが発送電一体、地域独占の現行システムである」「電力を自由化すれば、財政資金を使わなくても、民間資金主導で多種多様な電力投資が相次ぎ、さながらエネルギー版のルネサンスの様相を呈するだろう」と述べている。

 先に日記に書いたように、私は孫正義氏が、再生可能な自然エネルギーの推進を開始したことに注目している。孫氏の動きは、田村氏の説く電力の自由化に係る動きである。寡占状態にある電力業界に参入し、電力の自由化を実現することを図っているのだろう。わが国は、発電と送電を電力会社が一手に収め、地域独占を行っている。太陽光など自然エネルギーによる発電を営利事業として成立させるには、地域独占を崩す必要がある。孫氏と何度か会談している菅首相は「発送電分離」に言及した。孫氏は、東電の送電事業の買収を狙っているという観測がある。
 シュンペーターは、著書 「経済発展の理論」(岩波書店)で、経済発展の本質は、新結合の遂行による創造的破壊だという説を唱えた。シュンペーターは、新結合を5つの観点から定義した。すなわち、 新製品の創造、新生産方法の導入、新規の販売経路・市場の開拓、原材料と半製品の供給源の獲得、新組織の形成である。シュンペーターは、後に新結合をイノヴェーションと呼んだ。「革新、新機軸」を意味する言葉である。シュンペーターのイノヴェーションは、技術革新だけでなく、金融・流通・制度等の革新を含む。
 企業家がイノヴェーションをしようとするときには、資金が要る。シュンペーターは、ここで企業家に融資する銀行家の役割が大きいことを説いた。孫氏の場合、自己資金を豊富に持っており、独自の判断で新事業を立ち上げる起動力を持っている。自然エネルギーで電力業界に改革をもたらせるか、その動向が注目される。

 以下、関連する報道記事。

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●産経新聞 平成23年6月5日

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110605/plc11060508250007-n1.htm?utm_source=twitterfeed&utm_medium=twitter
【日曜経済講座】
編集委員・田村秀男 大復興の鍵握る「新結合」
2011.6.5 08:21

■新型投資のルネサンスを

 菅直人首相をはずす政局劇は茶番に終わった。政策論争の芯になる対立軸が欠落しているからむなしい。例えば、復興財源問題では、真っ先に増税にのめりこんだのは菅直人内閣と自民党執行部である。両者に大きな対立軸がないうえでの争いはしょせん「やめろ」「やめない」の怒鳴り合いにすぎない。今後も「菅退陣」時期や「ポスト菅」をめぐる低次元の暗闘が続くのはなんとしてでも防がなければならない。
 宰相失格の菅氏退陣は当然としても、あとはどうすべきか。最優先はだれを据えるかではなく、何をするか、であり、大復興を軌道に乗せる政策だ。超党派で大復興の太い筋を書き、実行する。
 菅直人政権だって、有識者からなる「復興構想会議」を開いているではないか、と思う読者もいよう。だが、増税がデフレを助長するのは中学生でもわかる経済の定理なのに「復興のための増税」を平気で論じる評論家集団に政策をまかせてはならない。
 復興プランを貫く筋とは何か。拙論は、旧型システムの廃棄と生産、流通、消費の「新結合」だと考える。ゴールは、「投資のルネサンス」である。
 近代経済学の泰斗、J・シュムペーターは時代を大きく動かす「イノベーション」(技術革新または新機軸)を新結合と呼んだ。

◆IT革命乗り遅れ
 現代での例は情報通信(IT)革命である。インターネットとパソコンソフト「ウィンドウズ95」の登場以来、電子で結ばれた世界は情報の垣根を解消し、モノやサービスにとどまらず金融のグローバル化を促進している。各種の新たな投資ブームが世界規模で沸き起こり、新興国の中国やインド、ブラジルなどを爆発的に成長させてきた。
 国連の調べでは、世界の直接投資受け入れ総額は2006~08年の平均で1990~92年平均の10倍以上に拡大した。その中で、日本国内の設備投資は90年代初めがピークで縮小傾向が続いている。企業と銀行の投資、融資は国内向けを減らし、海外向けを増やしている。つまり国内で使うべき国民の貯蓄は海外に流出している。日本はIT革命がもたらす投資ブームに乗り遅れ、元気をなくしてきた。

◆効率の悪い財政支出
 その最中に東日本大震災に遭遇した。復旧・復興という具体的で明確な投資案件の山ができたが、政府は何も決められない。道路、港湾など公共投資の出番だが、従来の縦割り行政のもとでは官僚が天下りを収容するためのハコモノを事業に張り付ける。電力会社は経済産業省のOBを受け入れ、発電・送電一体となった地域独占に安住する。利権を狙う政治家はそこに「口利き」の機会を見つける。納税者のカネはコストだけかさむコンクリートに置き換わり、赤字しか生まない。
 効率の悪い財政支出だから経済成長できない。従って税収は増えず、復興国債の償還のためには増税を充当すると考えるのが、旧来の利権システム保全を優先する官僚であり、それを鵜呑(うの)みにする菅直人氏のような抱きつき型、あるいは利権動機にめざとい旧型政治家である。ならば従来の体制を換えるしかない。
 電力事業を例にとると、送電、発電を分離し、新規参入を自由化すればよい。すでに民間や地域主導で、太陽光、風力など独自の再生可能エネルギーの開発や利用の試みは各地で始まっている。長野県飯田市では各住戸が毎月1万9800円を市と民間企業が運営するファンドに9年間払う見返りに太陽光発電設備をゼロ費用で設置する制度を昨年から始めた。東京都心の再開発ビルに太陽光パネルをはり付け、自家用ばかりか他に売って収益を稼ごうとだれもが考える。
 再生可能なエネルギーの爆発的な普及を阻んでいるのが発送電一体、地域独占の現行システムである。曇ったり風がやんだりすれば発電量が減り、送電も不安定になる技術的障害は、世界最高水準の日本の蓄電池や「次世代送電網(スマートグリッド)」で解決できる。なのに電力会社はオープンで多様な発送電システムに背を向ける。菅直人政権は発送電分離には同意するが、金融機関に東電向け債権を放棄させ体制温存に走る。
 電力を自由化すれば、財政資金を使わなくても、民間資金主導で多種多様な電力投資が相次ぎ、さながらエネルギー版のルネサンスの様相を呈するだろう。
 シュムペーターの言う新結合とは破壊と創造の連続である。大震災ははからずも物理的な面を破壊したが、旧来の政治、行政、規制のままではもとの木阿弥である。縦割り行政を解消し、規制を撤廃しないと、日本再生の絶好のチャンスを逃す。

●産経新聞 平成23年6月5日

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110605/biz11060518010005-n1.htm
【ドラマ・企業攻防】
孫社長「脱原発」で殴り込み 世直し?商魂?規制に挑む
2011.6.5 18:00

 ソフトバンクの孫正義社長が、「脱原発」と「自然エネルギー推進」を掲げ、電力業界に殴り込みをかけた。大風呂敷を広げてみせ、時の首相をもたきつける“商魂”たくましきバイタリティーは健在だ。規制だらけの通信業界に風穴を開けた孫社長。さらに厳しい規制と既得権益でがんじがらめの電力業界でも、“風雲児”となれるのか。(略)

■したたかな計算
 なぜ孫社長は突如として、自然エネルギーに目覚めたのか。
 「孫と私が動くのはいつも『世直し』のとき。今は自然エネルギーの普及を阻む規制と戦ってみたいという気持ちが大半だ」
 元民主党衆院議員で孫社長にスカウトされた嶋聡ソフトバンク社長室長は、その心中をこう代弁する。
 孫社長も、震災後のある会見で、脱原発について問われ、「一人の人間として多くの人々に幸せになってもらいたい」と、答えている。今回の事故を契機に「原発に嫌悪感を持つようになった」(総務省幹部)のは確かなようだ。
 もっとも、「慈善事業や社会貢献だけで金を出すような甘っちょろい人物ではない」(通信業界関係者)というのも、衆目の一致するところだ。
 実際、孫社長の震災後の行動には、したたかな計算がうかがえる。
 布石は菅首相に言わせた「発送電分離」だ。海外では発電事業と送電事業を別々の会社が手がける国も多いが、日本では電力会社が一手に握り、「地域独占」で電力を供給している。
 原発に比べはるかにコストが高い太陽光など自然エネルギー発電事業をビジネスとして成立させるには、この地域独占を崩す必要があるといわれてきた。発送電分離は、東電と巨大規制産業を切り崩す突破口だ。
 ソフトバンクに詳しいアナリストは、「大義と遠大な構想を掲げ、広く世論や社会に訴え、規制緩和で自らに有利な事業環境を整える。規制で守られてきた業界ほど、ビジネスチャンスも大きいというのが、孫さんの考え」と解説する。

■狙いは送電線買収?
 さらに株式市場では、「ソフトバンクは東電の送電事業の買収を狙っている」との観測もまことしやかに語られている。
 そのメリットは大きい。すべての家庭に張り巡らされた電力線は、通信インフラとして活用できる。今後、不安定な自然エネルギー電力を普及させるため、通信機能を組み込み、需給を制御する次世代送電網「スマートグリッド」の整備が進めば、通信と電力の融合はさらに加速する。
 送電塔を携帯電話の基地局に利用すれば、「つながりにくい」との不評も解消できる。
 東電の送電網の資産価値は、原発事故の巨額賠償金を一気に捻出できる4、5兆円とされる。約1兆8千億円を投じて英ボーダフォンから携帯事業を買収し今や売上高3兆円を超える企業グループに成長させた孫社長にとって、あながち無理な金額ともいえない。
 ただ、盟友となった菅首相が「退陣表明」後に「居座り続投」を宣言し、袋だたき状態になってしまったのは大誤算だろう。“反菅”の逆風が、自らに向いかねない。果たして孫社長の野望は成就するのか…。(森川潤)
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関連掲示
・拙稿「孫正義氏が自然エネルギー財団設立を発表」
http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=034776d5945949b36511b497f6b17bca
・拙稿「孫氏の太陽光発電所計画が始動」
http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=8e4e34ca71a41b232037063caa58f54c

救国の経済学16~丹羽春喜氏

2011-06-12 08:33:23 | 経済
●共存共栄を否定する変動相場制擁護論

 フリードマンは、国際経済論ではロバート・マンデルのクラウディング・アウト論とマンデル・フレミング効果論などを取り入れている。財政政策の財源調達のために国債の市中消化が行なわれた場合、それによって民間資金が国庫に吸い上げられて金融市場が資金不足状況になり、国内金利の高騰や民間投資の減少が生じる。これを「クラウディング・アウト現象」という。クラウディング・アウト現象が生じると、国内金利の高騰が円高を生じさせ、それが輸出の減少と景気回復の挫折をもたらす。これを「マンデル=フレミング効果」と呼ぶ。マンデル・フレミング効果論は、開放経済で変動相場制の下では、金融政策は有効だが、財政政策は無効であるとする。これらは、ともにケインズ的な財政政策を否定する理論である。
 これに関連するのが、変動為替相場制の問題である。フリードマンは1950年秋ごろから変動為替相場制擁護論を唱えていた。1971年8月15日、アメリカのニクソン大統領は突然、ドルと金の交換停止を発表した。ドルの流出を防ぐためだった。その後、紆余曲折を経て1973年前後にわが国を含む先進各国は相次いで変動相場制(フロート制ともいう)に切り替えた。この変動相場制への移行は、「フリードマンなどによる『フロート制に移行すべし!』というきわめて声高な唱導に、当時の主要諸国の政策担当者たちが従うにいたったという面が多かった」と丹羽氏は言う。
 丹羽氏によると、為替レートには「ハンディキャップ供与作用」がある。「自由貿易が行なわれている世界では、国際通貨市場における市場メカニズムの働きで、各国の生産性水準の絶対的な較差に照応して各国の通貨の為替レートが決まってくる。すなわち、生産性が絶対的に低い国の通貨の対外為替レートは割安に、生産性が絶対的に高い国の通貨の対外為替レートは割高に決まるのである。したがって、生産性が絶対的に低い国の場合であっても、その国の通貨の対外為替レートが割安に決まるので、この割安な為替レートという『ハンディキャップ』が与えられている条件で換算されると、そのような生産性の低い国が産出した粗悪で実質的にはコスト高な商品であっても、世界市場では相対的に安価な商品ということになるので、それらを輸出することが可能になるわけである。すなわち、(略)為替レートという特殊な価格の働きは、いわば、ゴルフのコンペでお馴染みの『ハンディキャップ』のようなものなのである。このような為替レートの『ハンディキャップ供与作用』があるからこそ、絶対的に生産性の高い先進工業国と絶対的に生産性の低い後進発展途上国のあいだであってさえも、貿易が活発に行なわれ、国際分業が成立しうるのである。そして、まさに、このような為替レートの媒介があってこそ、リカード的な『比較優位の原理』に基づく国際分業の利益を、全世界の人類文明が共存共栄の形で享受しうるようになるのである」と丹羽氏は説いている。(「新古典派は市場原理否認:新古典派『反ケインズ主義』は市場原理を尊重していない」)
 丹羽氏によると、フリードマンの変動相場制擁護論は反ケインズ主義的であることによって、この共存共栄の可能性を否定するものとなっている。

 次回に続く。

トッドの移民論と日本59

2011-06-11 08:39:51 | 国際関係
●日本とユダヤとの比較~内婚型直系家族の中での違い

 ここで先回述べた日本人とユダヤ人に関することを補足したい。日本とユダヤはともに族内婚型の直系家族社会であり、その社会の特徴として緩やかで温かな差異主義を表す。親族制度も似ており、日本は父系を主とし母系を従とする双系制だが、ユダヤも単に父系的でなく、母系的な要素がある。ユダヤ人の定義の一つは、ユダヤ人の母親から生まれた者である。このように父性原理・男性原理だけでなく、母性原理・女性原理が陰陽的に働いていることが、日本とユダヤの差異主義を温和なものとしていると思う。
 一般に直系家族においては兄弟が不平等である。しかし、トッドによれば、「いとこ同士の、つまり兄弟同士の子供か孫同士の結婚は、不平等の規則にも拘わらず、この兄弟同士の愛情の絆が永続していることを表現している。兄弟関係についてのユダヤの考え方は非対称的で、人間集団を先験的に不平等と捉える知覚を促進するが、しかし温かさを持っており、集団間の関係についての見方は穏和なものとなっている。(略)この点では日本はユダヤ的伝統の側に並ぶことになる。日本の伝統的農村社会はいとこ婚に対して大変寛大であり、その慣習は20世紀の都市化とともに消えることはなかった」と述べている。
 ただし、日本民族はユダヤ民族との間にも、はっきりした違いがある。その核心にあるのは、私の見るところ、宗教の違いである。ユダヤ民族は男性の唯一神を仰ぐ一神教を信じ、また選民思想を特徴とする。ユダヤ人は神に選ばれたユダヤ民族以外をゴーレムと呼んで人間と認めず、周辺異民族への報復・虐殺を宗教的に正当化している。同じ内婚型で双系的な直系家族であっても、日本にはこういう思想はない。
 わが国では、海の彼方から来る訪問者は、神話のスクイヒコナや民俗信仰のマレビトのように、恩恵をもたらす者であり、歓迎や尊崇の対象だった。これは家族型という対内関係とは別の対外関係・自然環境という側面の影響が見られる。元寇を除いて、海の彼方から攻めて来る例はほとんどなかった。大陸の諸民族が、繰り返し遊牧騎馬民族に侵攻され、略奪・支配されたのとは対照的である。ユダヤ民族の宗教観には、中東の社会的・地理的環境における歴史的な経験が深く影響し、一方、日本民族の宗教観には、海洋に囲まれた島国という環境における経験が深く影響していると考えられる。
 日本人は、ユダヤ人のように周辺異民族から迫害を受けたり、国を失い、故郷を追われて流浪したりした歴史を持たない。四方の海が天然の要害となり、異民族は一気に多数攻め入ることができない。むしろ故郷を追われてたどり着いた文化と技術を持った少数者が渡来する。これに対して、日本人は受容的である。ユダヤ民族は、兄弟間の関係が温和だが、日本民族は、類似した温和さが対内関係だけでなく、対外関係にも延長される傾向があったと言えるだろう。日本人は古代から渡来人に寛容で、渡来人の文化を尊重し、共存しながら、ゆるやかに同化してきた。移民の数が少なく、わが国の共同体が堅固だったから、それが可能であった。この点は、日本と朝鮮・シナの関係に関する事柄になるので、項を改めて書く。

 次回に続く。

原発~電力供給の危機

2011-06-10 08:55:47 | 時事
 東日本大震災で全国の54基の原発のうち15基が壊れたり、止まったりした。原発は関係法規により13ヶ月に1回定期点検を行わねばならない。それゆえ、大震災後も順次、定期点検に入っている。普通であれば、点検終了後、再稼動されるのだが、電力各社は地元の合意が得られず、検査終了後の再稼働をできていない。
 日本原子力技術協会のサイトで、ほそかわが調べたところ、6月5日時点で、54基中稼動しているのは17基のみ。68.5%に当たる37基が停止している。
http://www.gengikyo.jp/status/status1.html
 電力需要が最も多いのは、夏である。ピークは7月。来月である。電力供給不足に対応するため、企業や国民に節電が呼びかけられているが、原発は次々に定期点検に入る。そのまま地元の合意を得られずに再稼動できないものが増えるだろう。
 全国の原発立地道県でつくる「原子力発電関係団体協議会」は、政府に「原子力発電の安全確保に関する要請書」を提出した。政府の回答には説得力がなく、国の安全基準に不信感を募らせる自治体との間で、膠着状態にあると報じられる。
 原発の停止が継続すれば、夏の電力不足は、全国規模となる。西日本の電力会社5社は、供給力が11%減少し、東電や中部電への電力融通は難しい。
 このまま行くと、原発は今年中にさらに10基停止し、年末には稼動は7基のみ。87%に当たる47基が停止する。そして、来春には54基のすべてが止まる。大幅な電力不足により、経済と国民生活に極めて深刻な影響が出る。地元住民の理解を得て、原発を再稼動するのか。火力・水力等でどこまで補えるのか。政府は、早急に方針を決め、計画を具体化し、国民に提示しなければならない。その際、最大の問題は、国家指導者が国民の信頼を取り戻すことができないと、仮に説明を行っても、国民の理解・協力は得られないということである。
 電力不足への対応は、被災地の復旧・復興と一体の課題、日本の復興に係る課題である。この課題を遂行するために、まず必要なのは、菅首相の即時辞任である。そして、首班・内閣を一新しなければならない。

 次に、供給力をどう増やすかという点についてだが、私は、基本的にわが国は原発の安全性を確保しながら、原発への依存を段階的に減らし、再生可能な自然エネルギーの活用を拡大することが必要だと考える。ただし、自然エネルギーは現在、全電力供給量の9%を占めるに過ぎない。原発は、震災前には約30%を占めていた。自然エネルギーの活用を急いでも、短期間に、急激に発電量を増やすことは不可能である。技術や制度の革新を大胆に進めるとしても、最低10年は、原発による電力供給分の減少を補うエネルギー源を確保しなければならない。
 経済産業省の試算では、現時点で停止中の原発を火力発電で代替すると今年度で1・4兆円のコスト増となるという。停止する原発が増えれば、このコストはさらに増える。原油は価格が高騰する傾向にあり、また価格の変動幅が大きい。コスト負担増は、経済・生活を圧迫する。そこで、注目されているのが、液化天然ガス(LNG)である。
 LNGは、メタンを主成分とした天然ガスをマイナス162度まで冷却し、液体にしたものである。不純物をほとんど含まず、窒素酸化物の発生も極めて少ないことから、クリーンなエネルギーとして、世界的に利用が拡大している。気体に比べ体積を600分の1に圧縮出来るので、大量輸送や貯蔵ができる。
 日本経済新聞5月12日号の記事によると、電力各社や商社は、夏の電力需要ピークに向けて、LNG500万トンの調達にめどをつけたことという。原発を補うには、年間で1000万トンの輸入が必要という。その調達が急ぎ試みられている。発電用の大型タービンも三菱重工などの各社が国内外で増産を開始したという。
 わが国の日本の輸入量は昨年度、約7千万トンと世界で最も多い。調達先はマレーシアを筆頭にオーストラリアやインドネシア、カタール、ロシア、ブルネイ、UAE等、多数の国々にわたる。
 今年は1千万トンを追加し、年間で8千万トンを輸入することとなる。LNGによる火力発電は、石油より単価が低く、安定供給が見込めるという。ただし、世界的なエネルギー需要の増加の中で、わが国も需要を増やすから、価格は上昇し続けるだろう。それでも今後、少なくとも数年間は、LNGの輸入量を増やし、原発削減による電力供給量の減少を補うべきである。ガス会社による天然ガス利用の発電の拡大が期待される。東京都の石原都知事は、東京湾埋立地に天然ガス発電所の建設を検討しているという。
 原油やLNGを必要量確保できたとしても、大震災前より、企業及び国民の負担は増える。コスト・プッシュによる価格上昇や、労働賃金の低下等が予想される。国民はそれに耐え忍びながら、日本の復興を進めねばならない。
 特に注意したいのは、ここで政府が政策を誤り、デフレ下での消費増税を強行したり、アメリカに食い物にされるTPPに参加したりすれば、わが国はかつてない経済危機に突入する恐れがあることである。デフレ下での増税やTPP参加の危険性については、別に書いたので、ここでは触れないが、新政権は、大震災からの復興を的確・迅速に進めつつ、電力供給の危機に対処することができ、デフレ下の増税とTPP参加を行わない政権でなければならない。

 下記は関連する報道記事。

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●産経新聞 平成23年6月9日

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110609/trd11060900250000-n1.htm
【東日本大震災】
原発稼働不能なら…今夏の電力不足、西日本にも拡大 
2011.6.9 00:23

 東京電力福島第1原発事故から、定期検査を終えた全国の原発が地元の合意が得られず再稼働できない状態が続き、関西や九州など西日本でも、今夏の深刻な電力不足の懸念が広がっている。経済産業省の試算では、停止中の原発を火力発電で代替すると今年度で1・4兆円のコスト増となる。7月の電力需要ピークまで、残された時間は少ない。
 全国の原発立地道県でつくる、原子力発電関係団体協議会の三村申吾会長(青森県知事)は8日、海江田万里経済産業相と会談し、中部電力浜岡原発以外の運転再開を認める判断根拠の開示などを求める「原子力発電の安全確保に関する要請書」を手渡した。
 海江田経産相は「(自治体には)緊急対策について国が責任を持つとお伝えしている」と応じたが、国の安全基準に不信感を募らせる自治体との間で、事態は膠(こう)着(ちゃく)している。
 原発がこのまま再開できなければ、東電・東北電力管内の問題だった今夏の電力不足は、全国規模となる。経産省によると、関西、北陸、中部、四国、九州の西日本5電力会社で、夏季の予定供給力の11%に相当する880万キロワットの供給力が減少する。この結果、東電や、浜岡原発を止めた中部電への電力融通は困難となる。
 電力需要を満たしてなお残る供給余力を示す予備率は、8%以上必要とされる。経産省の試算では定期検査中の原発が再稼働できなければ今夏の予備率は、すでにマイナスに陥っている東電、東北電力管内に加え、西日本もギリギリだ。
 とくに関西電力はマイナス6・4%。九州電力も1・6%で、西日本5社を平均すると0・4%と、余力はないに等しい。震災や節電の影響で西日本シフトを進める企業も増える中、事態は深刻だ。
 電力会社も痛手を被る。原発1基を止めると、代替エネルギーコストで1日で2億円が吹き飛ぶ。
 このまま再開できない状況が続けば、来春には全国54基の原発がすべて止まる。資源エネルギー庁幹部は「震災復興と日本経済の足かせになる」と、危機感を募らせている。

●産経新聞 平成23年6月2日

http://sankei.jp.msn.com/life/news/110602/trd11060221450017-n1.htm
【内閣不信任案】
原発停止は長期化、東電資金繰り行き詰まりも
2011.6.2 21:44

 内閣不信任案をめぐる政局の混乱で、電力危機が一段と深刻化する懸念がある。菅直人首相の要請による中部電力浜岡原発の全面停止で、各地の原発は定期検査後の再稼働に入れない状況にあるが、地元自治体が求める「安全基準」の提示は宙に浮いたまま。東京電力福島第1原発事故の賠償をめぐる政府支援の枠組みも関連法案成立のメドが立たず、東電の資金繰りが行き詰まる懸念が拭えない。行き当たりばったりの政策運営のツケは大きい。
 菅首相が法的根拠もないまま“政治判断”で浜岡原発停止を要請したが、浜岡だけを停止させる理由が曖昧で、立地自治体は「地元に説明できない」と猛反発。かえって原発不信を高めることになった。
 電力各社は、地元に配慮し、定期検査終了後の再稼働を見合わせており、全国54基のうち35基が停止する異常事態となっている。全国的に夏の電力不足が懸念されるなか、電力業界は「地元の理解を得るため、政府が先頭に立ってほしい」(電力会社首脳)と、悲痛な声を上げる。
 自治体は、再開に同意する上で、新たな安全基準を政府が示すことを求めているが、具体的な作業はほぼ手つかずの状態だ。政府内からは、「退陣する首相の独断のツケを負わされるのはたまらない」との不満も漏れる。現在運転中の原発もいずれは定期検査に入り、すべての原発が停止する事態も現実味を帯びてきた。(略)

●産経新聞 平成23年5月13日

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110513/plc11051303210005-n1.htm
【主張】
原子力発電 首相は再稼働を命じよ 電力不足は経済の活力を奪う
2011.5.13 03:20

 いま日本は、エネルギー政策の根幹が揺らぎかねない国家レベルの危機に陥っている。
 東京電力福島第1原子力発電所の事故に加え、菅直人首相の唐突すぎる要請によって中部電力浜岡原子力発電所が運転停止を余儀なくされ、原発がある地元の動揺が収まらないためだ。
 不安感を背景に、運転上の安全を確保する定期検査が終わっても再稼働への地元の同意が得られず、停止したままの原発が増える状況になりかねない。

◆何のための安全確認か
 先進国の生活水準を維持するにはエネルギーがいる。その安定供給に果たす原子力発電の位置付けと安全性について、国による国民への十分な説明が必要だ。菅政権が漫然と手をこまねいていれば、大規模停電が心配されるだけでなく、国民は慢性的な電力不足を強いられかねない。国際的な産業競争力の喪失にもつながる。
 浜岡原発の停止要請を、菅首相は「政治主導」と表現した。であるなら、定期検査を終了した原発の速やかな再稼働についても国の責任で推進することを決断し、実現させるべきだ。
 原発は13カ月運転すると、必ず部品交換や整備などのため原子炉を止め約3カ月間、定期検査を行う。検査終了後に運転を再開しなければ、来夏までに国内すべての原発が止まることになる。
 すでにその兆候は見えている。関西電力や九州電力などの一部の号機が、本来なら可能なはずの運転再開に至っていないのだ。
 福島事故を踏まえて、各電力会社は津波などへの緊急安全対策を国から求められたが、それが遅れの主因ではない。「地元の同意」が得にくいためである。
 事故などで停止した原発は、経済産業省の原子力安全・保安院が安全性の回復を検査するが、保安院のお墨付きだけでは、電力会社は運転再開に進めない。発電所が立地する地元市町村と県の同意が求められるのだ。
 だが、原子炉起動に地元の同意を必要とする法律はない。電力会社と地元の間で結ばれている「安全協定」は、一種の紳士協定なのだ。国は自民党政権時代から、この安全協定に基づく地元の関与を容認してきた。
 しかし、現在は日本のエネルギーの供給に「黄信号」がともっている。菅首相や海江田万里経済産業相は自ら各原発の地元に足を運び、原子力による電力の必要性についても説明に意を尽くさなければならない。
 何しろ、大津波によって国内54基の原発中、15基の原発が壊れたり止まったりしている。東電柏崎刈羽原発の3基も新潟県中越沖地震以来、停止している。浜岡原発の3基も止まる。
 これに加え、地元の同意が得られずに再稼働が遅れ続けるとどうなるか。菅首相らは事態を深刻に受け止めるべきだ。

◆「脱原発」に流されるな
 菅首相は10日、今後約20年間で原子力発電の割合を総電力の50%以上とすることを目標に定めた政府の「エネルギー基本計画」を白紙に戻す意向を示した。
 原子力の縮小分を、太陽光や風力などの再生可能エネルギーで補う算段のようだが、実現の可能性は低いはずだ。省エネ社会も目指すというが、思いつきで進められると国の将来を誤ることになってしまう。エネルギーが国の生命力の源泉であることを菅首相は、どこまで理解しているのか。
 世界の人口増、中国やインドをはじめとする新興諸国の台頭でエネルギー事情は、年を追って厳しくなっていく。安全に利用するかぎりにおいて原子力は中東の産油国でさえ重視する存在だ。
 わが国の原子力政策は今、岐路に立っている。ムードに流され、脱原発に進めば、アジアでの日本の地盤沈下は決定的となる。
 今月下旬の主要国首脳会議(G8)では長期的なエネルギー戦略などが焦点となり、世界の目が注がれる。原発事故の原因と経過の説明も求められよう。菅首相は、原発を進める米国やフランスなどに、日本の方針をきちんと説明すべきだ。津波被災国への同情ばかりとはかぎらない。
 また、民主党政権が世界に公約した温室効果ガスの25%削減はどうするのか。年限は2020年だ。景気を低迷させ経済を失速させれば達成できるだろうが、それは日本の「不幸」である。

●東京新聞 平成23年5月28日

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20110528/CK2011052802000037.html
知事 天然ガス発電所を検討 東京港埋め立て地に新設

 石原慎太郎知事は二十七日の定例会見で、東京港の埋め立て地に発電効率が高い天然ガス発電所を新設する計画を検討していく考えを示した。川崎市にある「川崎天然ガス発電所」を猪瀬直樹副知事らが二十三日に視察。比較的狭い土地に建設可能で、送電距離も短くて済むことから、都が目指す都市型電力の確保にもつながると判断した。
 川崎天然ガス発電所はガスタービンと蒸気タービンを組み合わせた最新のコンバインドサイクル方式により、一般の火力発電所の発電効率40%を大きく上回る59%で発電。二基で八十五万キロワットと原発一基並みの出力を誇っている。また敷地は六万平方メートルと小さく、排熱回収ボイラー内の装置で窒素酸化物(NOx)を水と窒素に分解し、環境への負荷も少ないという。
 猪瀬副知事は視察時に「分散型発電により電力の安定供給が確保でき、リスクもほとんどない」と評価。報告を受けた石原知事は「一基二百億円くらいでできるそうで、財政状況によっては防災と東京の経済の維持を考えて、実現可能なプロジェクトの一つと考える」などと述べ、経済界にも協力を要請していく考えを示した。
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救国の経済学15~丹羽春喜氏

2011-06-09 08:50:13 | 経済
●フリードマンのマネタリズムは間違っていた

 ミルトン・フリードマンは、「アグレッシブな反ケインズ主義で知られるシカゴ学派の頭領」であり、「全世界的に、一時は、きわめて大きな影響力を持った著名な経済学者」だったと丹羽氏は言う。
 丹羽氏は、ハイエクよりもフリードマンを強く批判している。その批判は、主にフリードマンのマネタリズム、恒常所得仮説、変動相場制擁護論に向けられている。そこで、これら3点を中心に、丹羽氏の所論を概観したい。
 第一に、マネタリズムへの批判である。1970年代から1980年代前半にかけて、フリードマンが提唱したマネタリズムが、新古典派経済学の中で主要な役割を演じた。新古典派は、貨幣の価値は貨幣の数量によって決まるという貨幣数量説を説く。フリードマン流のマネタリズムは、この貨幣数量説の現代版である。マネタリズムは、丹羽氏によると「ケインズ的な財政政策を排して、マクロ政策は金融政策のみにしぼり、マネー・サプライ(通貨供給量)の伸び率を一定に保てば、経済のマクロ・コントロールは全てうまくいくと強調しているもの」だった。(『政府貨幣特権を発動せよ。』)
 1970年代以降、アメリカでは、インフレが大きな問題となっていた。しかも、インフレでありながら、景気が停滞するスタグフレーションという新しい現象が生まれていた。その主な原因には、第1次石油危機後の原油の高騰があった。しかし、当時インフレはケインズ的な政策が生み出したものという見方が有力であり、インフレ解決のため、新古典派、特にマネタリズムに期待が集まった。ところが、マネタリズムの理論に立脚して行われた「マクロ経済政策的な分析や提言のほとんど全て」は「現実的な妥当性に乏しいもの」にすぎなかった、と丹羽氏は指摘する。
 イギリスのサッチャー政権や、アメリカのカーター政権で、マネタリズム政策が実際に試みられたが、ともに失敗に終わった。「いずれも、経済の停滞・不振がひどくなり、スタグフレーション状況が深刻化したのである。マネー・サプライの伸びの安定化も、はたされなかった」と丹羽氏は言う。
 サッチャーは、政権の前半期に、マネタリズムの経済政策を実施したが、「成功とは程遠いもの」だった。そこで、政権の後半期には、「事実上のマネタリズムからの離脱」が行なわれた。イギリスが、「当時の悪性の経済スランプから脱却することができたのは、サッチャー政権時代も半ばを過ぎた1980年代の後半になってからのこと」だった。(「サッチャー、レーガン伝説とフリードマンのマネタリズム」)
 カーター政権は、1977年から80年までだった。フォード政権時代を含めた1975年から1980年までの6年間に、米国の消費者物価は2倍(日本は1.53倍)、卸売物価は1.7倍(日本は1.36倍)に高騰した。しかも、経済の実質成長率が、それ以前の時期に比べて、むしろ低下した。(1975年、80年はマイナス成長) 失業率も7~8パーセントといった高い率に達した。「マネタリズムの実施によって、米国経済のスタグフレーション状況は、かえって悪化した」と丹羽氏は分析する。
 丹羽氏によると、マネタリズムによる経済政策の中核は、「マネー・サプライを安定的な伸び率に保つということ」だったが、米英両国ともマネタリズム政策の実施期間は、「マネー・サプライの変化がきわめて大幅で不規則に」なってしまった。すなわち、「ケインズ的な財政政策を封止してしまって、金融政策のみに頼っているような状況では、マクロ的に経済をコントロールすることがきわめて困難になり、マネー・サプライも上下に大きくかつ不規則にぶれざるをえなくなった」のである。「フリードマン流のマネタリズムは、間違っていた」と丹羽氏は断定する。(「サッチャー、レーガン伝説とフリードマンのマネタリズム」)

●恒常所得仮説は、ありえない前提による仮説

 次に、恒常所得仮説についてである。新古典派は、ケインズの「有効需要の原理」否定論を叫んでいる。需要面から有効需要原理を否定するのが、フリードマンの恒常所得仮説である。
 丹羽氏は、次のように言う。「フリードマンは、人々が消費支出を行なうのは、恒常所得からのみであって、変動所得部分からは消費支出がなされることは、ほとんど無いと見るべきだと主張してきた。だとすれば、たとえばケインズ的な積極的財政政策が行なわれたとしても、それによる所得増加は残業手当やボーナスや減税還付金といった変動所得の増加の形をとるであろうから、それらからの消費支出は行なわれず、乗数効果が作動しないので、結局、景気がよくなったり経済成長が加速されたりする効果は、きわめて微弱なものになってしまうはずだというわけである」と。
 残業手当やボーナスや減税還付金等は、家計にとって重要な収入であり、それも衣食住の消費に当てている家庭は多いだろう。常識で考えて、フリードマンの見方は、おかしい。素人でも、変だと分かる。丹羽氏は経済指標の分析から、わが国では「消費性向は、人々の恒常所得のみならず変動所得にも、ほとんど変わりなく妥当しており、したがって乗数効果も常にしっかりと作動している」と言う。そして「フリードマン流の恒常所得仮説なるものは、きわめて根拠が薄弱だと言わねばならないのである」と述べている。(「新古典派の『反ケインズ主義』は新左翼的ニヒリズムと同根だ」)
 フリードマンは、需要面から有効需要原理の否定を説いたが、それを供給面から説いたのが、ルーカスである。フリードマンは、そのルーカスの理論も取り入れて自説を補強している。ルーカスもフリードマンに負けず劣らずおかしな見方をしているのだが、その点は後日、項を改めて書く。

 次回に続く。