●日本とユダヤとの比較~内婚型直系家族の中での違い
ここで先回述べた日本人とユダヤ人に関することを補足したい。日本とユダヤはともに族内婚型の直系家族社会であり、その社会の特徴として緩やかで温かな差異主義を表す。親族制度も似ており、日本は父系を主とし母系を従とする双系制だが、ユダヤも単に父系的でなく、母系的な要素がある。ユダヤ人の定義の一つは、ユダヤ人の母親から生まれた者である。このように父性原理・男性原理だけでなく、母性原理・女性原理が陰陽的に働いていることが、日本とユダヤの差異主義を温和なものとしていると思う。
一般に直系家族においては兄弟が不平等である。しかし、トッドによれば、「いとこ同士の、つまり兄弟同士の子供か孫同士の結婚は、不平等の規則にも拘わらず、この兄弟同士の愛情の絆が永続していることを表現している。兄弟関係についてのユダヤの考え方は非対称的で、人間集団を先験的に不平等と捉える知覚を促進するが、しかし温かさを持っており、集団間の関係についての見方は穏和なものとなっている。(略)この点では日本はユダヤ的伝統の側に並ぶことになる。日本の伝統的農村社会はいとこ婚に対して大変寛大であり、その慣習は20世紀の都市化とともに消えることはなかった」と述べている。
ただし、日本民族はユダヤ民族との間にも、はっきりした違いがある。その核心にあるのは、私の見るところ、宗教の違いである。ユダヤ民族は男性の唯一神を仰ぐ一神教を信じ、また選民思想を特徴とする。ユダヤ人は神に選ばれたユダヤ民族以外をゴーレムと呼んで人間と認めず、周辺異民族への報復・虐殺を宗教的に正当化している。同じ内婚型で双系的な直系家族であっても、日本にはこういう思想はない。
わが国では、海の彼方から来る訪問者は、神話のスクイヒコナや民俗信仰のマレビトのように、恩恵をもたらす者であり、歓迎や尊崇の対象だった。これは家族型という対内関係とは別の対外関係・自然環境という側面の影響が見られる。元寇を除いて、海の彼方から攻めて来る例はほとんどなかった。大陸の諸民族が、繰り返し遊牧騎馬民族に侵攻され、略奪・支配されたのとは対照的である。ユダヤ民族の宗教観には、中東の社会的・地理的環境における歴史的な経験が深く影響し、一方、日本民族の宗教観には、海洋に囲まれた島国という環境における経験が深く影響していると考えられる。
日本人は、ユダヤ人のように周辺異民族から迫害を受けたり、国を失い、故郷を追われて流浪したりした歴史を持たない。四方の海が天然の要害となり、異民族は一気に多数攻め入ることができない。むしろ故郷を追われてたどり着いた文化と技術を持った少数者が渡来する。これに対して、日本人は受容的である。ユダヤ民族は、兄弟間の関係が温和だが、日本民族は、類似した温和さが対内関係だけでなく、対外関係にも延長される傾向があったと言えるだろう。日本人は古代から渡来人に寛容で、渡来人の文化を尊重し、共存しながら、ゆるやかに同化してきた。移民の数が少なく、わが国の共同体が堅固だったから、それが可能であった。この点は、日本と朝鮮・シナの関係に関する事柄になるので、項を改めて書く。
次回に続く。
ここで先回述べた日本人とユダヤ人に関することを補足したい。日本とユダヤはともに族内婚型の直系家族社会であり、その社会の特徴として緩やかで温かな差異主義を表す。親族制度も似ており、日本は父系を主とし母系を従とする双系制だが、ユダヤも単に父系的でなく、母系的な要素がある。ユダヤ人の定義の一つは、ユダヤ人の母親から生まれた者である。このように父性原理・男性原理だけでなく、母性原理・女性原理が陰陽的に働いていることが、日本とユダヤの差異主義を温和なものとしていると思う。
一般に直系家族においては兄弟が不平等である。しかし、トッドによれば、「いとこ同士の、つまり兄弟同士の子供か孫同士の結婚は、不平等の規則にも拘わらず、この兄弟同士の愛情の絆が永続していることを表現している。兄弟関係についてのユダヤの考え方は非対称的で、人間集団を先験的に不平等と捉える知覚を促進するが、しかし温かさを持っており、集団間の関係についての見方は穏和なものとなっている。(略)この点では日本はユダヤ的伝統の側に並ぶことになる。日本の伝統的農村社会はいとこ婚に対して大変寛大であり、その慣習は20世紀の都市化とともに消えることはなかった」と述べている。
ただし、日本民族はユダヤ民族との間にも、はっきりした違いがある。その核心にあるのは、私の見るところ、宗教の違いである。ユダヤ民族は男性の唯一神を仰ぐ一神教を信じ、また選民思想を特徴とする。ユダヤ人は神に選ばれたユダヤ民族以外をゴーレムと呼んで人間と認めず、周辺異民族への報復・虐殺を宗教的に正当化している。同じ内婚型で双系的な直系家族であっても、日本にはこういう思想はない。
わが国では、海の彼方から来る訪問者は、神話のスクイヒコナや民俗信仰のマレビトのように、恩恵をもたらす者であり、歓迎や尊崇の対象だった。これは家族型という対内関係とは別の対外関係・自然環境という側面の影響が見られる。元寇を除いて、海の彼方から攻めて来る例はほとんどなかった。大陸の諸民族が、繰り返し遊牧騎馬民族に侵攻され、略奪・支配されたのとは対照的である。ユダヤ民族の宗教観には、中東の社会的・地理的環境における歴史的な経験が深く影響し、一方、日本民族の宗教観には、海洋に囲まれた島国という環境における経験が深く影響していると考えられる。
日本人は、ユダヤ人のように周辺異民族から迫害を受けたり、国を失い、故郷を追われて流浪したりした歴史を持たない。四方の海が天然の要害となり、異民族は一気に多数攻め入ることができない。むしろ故郷を追われてたどり着いた文化と技術を持った少数者が渡来する。これに対して、日本人は受容的である。ユダヤ民族は、兄弟間の関係が温和だが、日本民族は、類似した温和さが対内関係だけでなく、対外関係にも延長される傾向があったと言えるだろう。日本人は古代から渡来人に寛容で、渡来人の文化を尊重し、共存しながら、ゆるやかに同化してきた。移民の数が少なく、わが国の共同体が堅固だったから、それが可能であった。この点は、日本と朝鮮・シナの関係に関する事柄になるので、項を改めて書く。
次回に続く。
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