西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

ヨーデリング スリム・クラーク物語 (1)

2010年09月10日 | つれづれに
Yodeling Slim Clark 物語 (1)
米国盤 Old Homestead Records OHCD-4015 Yodelin' Slim Clark

(1)My Little Swiss Miss (2)Big Rock Candy Mountain (3)When The Work's All Done This Fall (4)The Cat Came Back (5)Sweet Little Bluebird (6)Sittin' In The Saddle (7)The Mountie's Prayer (8)Yodel Your Trouble Away (9)I Should Have Known (10)Yodel Train (11)The Wedding Of The Little Swiss Miss (12)Yippee Ti-Yi-Yo (13)My Happy Cowboy Life (14)Yodeling Mad (15)My Calgary Home (16)Billy Venero (17)The Swiss Yodeling Cowboy (18)Yodel Demonstration(19)Just One More Yodel (20)Little Sod Shanty (21)Matilda Higgins (22)Swiss Dream (23)Rocky Mountain Yodeler (24)When You're Blue, Just Yodel


以前 「 Yodelng Slim Clark Sings Jimmie Rodgers 」 を載せた時に やがては彼についても述べたい-と書いたのですが時間がなくて後回しの運命に・・・・・それでも毎日毎日すこしづつ訳を書き溜めていって今回やっとまとめて載せることが出来るまでにこぎつけました。  ジミー・ロジャースに憧れ、ウィルフ・カーター(Montana Slim)に憧れてカントリー&カウボーイ歌手になった Slim Clark (1917~2000年) の小伝です・・・・・ヨーデルが出てくると 日本盤の解説などに ” Country Yodel といえばエルトン・ブリット、スリム・ホイットマン、ケニー・ロバーツ、スリム・クラークなど沢山いますが・・・・・ ” と書いてあるのをよく見かけました。 でも 最後のスリム・クラークだけは絶対といっていいくらいお目にかかれませんでした。 Country Yodel が好きだった私はずっと気になっていた歌手で 私が初めて手にしたのが先の Palomino Records 社の ”ジミー・ロジャースを歌う ” アルバムだったのです。 日本では Cowboy Song や Country Yodel に興味をもっている人達以外にはほとんど知られていない歌手で、レコードも弱小のマイナーレコードばかりのせいか手に入りにくいのは当然だったのかも知れません。

1999(平成11)年にアメリカのマイナーレコードの老舗である Old Homestead レコード社から出されたこのCDにスリム・クラーク自身が書いた小伝が載っていますのでそれを4回に分けて載せようと思います・・・・・・・・読んでいると、カントリー界にあって 流行におもねることなく控え目ながらも信念を貫いた彼の Cowboy Song や西部調の唄への変わらぬ純粋さが見事なほどに出ていて( 関心がある人無い人にかかわらず )是非載せておきたくて・・・・・初期のカウボーイ&カントリー歌手の苦労なども解って興味深いものです。 Yodeling Slim Clark のような歌手はマニアックというよりは日本では紹介されず知らされていなかっただけ・・・・・・といった方がいいのかも知れません。 もし関心を持たれたら 幸いなことに彼の唄も今はCDになって比較的手に入りやすくなっています・・・・・。
以下スリム自身の解説訳です(所々に補足を加えました)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「 私のショウビジネス人生に関することとその他色々なことの背景について興味を持って下さる人達があればいいな-と私はずっと思っていました。ファンタスチックなものとか偉大なもの(great)などといったものは一つも有りませんが満足はして頂けると思います。

私は1917(大正6)年12月11日マサチューセッツ州 Springfield に生まれました。生まれて2週間後にはマサチューセッツ中部の田舎に移ってそこで育ちましたが、そのことが荒野や森林、小川といった自然に親しむようになった私の性格形成に大いに関係があると思います。 ゼンマイ巻きの旧式蓄音機から流れてくる歌の内容が解かるようになった年齢の頃から私は Cowboy Music に興味をもっていました。7~8才の頃には将来 cowboy singer になろうと決めていましたが、芸術家にもなりたい-とも思っていました。将来その両方をやるんだと言い張ってはそれを信じきっていました。私は物事は成せばなる-と信じてひたすらそれに突き進んできたのです。もし人生をやり直すとしたらまた同じことをするでしょう・・・・多少は違うかも知れませんが根本的には同じ道を選ぶことでしょう。

13才の時には 旧式のビクター社製蓄音機で習い覚えたカウボーイソングを歌っていました。ロッキングチェアに座って揺らしながら Charlie Blake とか John White、 Jimmie Rodgers 、Bradley Kincaid 、Vernon Dalhart といった人達の古い歌を何時間も聴いたものです。  丁度その頃、ある友人がギターを持ってやって来て ほんのちょっとですが幾つかのコードを教えてくれたんです。私が今でも弾いている僅かばかりのコードはその時のものと同じなんですよ(難しいギターの弾き方はしていない・・・・ということを云いたいんだと思います)。 ギターの技量は大したことはありませんが、私が演っているようなタイプの唄や 粗削りで素朴なスタイルには私のようなギターの弾き方の方が全てに於いて合っていると思っているので、もっとギターが上手く弾けなきゃ・・・・といったことで悩んだことはありません。

僅かばかりのコードを学んだ私は幾つかのローカルバンドに加わって歌い始めました。1931(昭和6)年14才でプロとしてデビューしたのです。一晩に2ドル-とかなりいい額を貰いましたが、もちろんそのためには演奏場所までギターを入れたズタ袋を抱えて4~5マイルも歩かないといけなかったもんです。  Dance Time の時に私があまりギターを上手く弾けなかったもんですから ショウの合い間に Cowboy Song を数曲歌うように仕向けられました。 当時は local show とか town show とかがあって・・・・そのようなショウの中には ” Cowboy Shows ” と称するものが時々あって・・・・人々が望むとマネージャーが私を指名して夕暮れ時の余興として歌うようにいわれたものです。幾つかのバンドが来ているのに 私の受けがいいものですから私が歌わされたものでした。おかげで あるバンドに誘われて参加することになり一緒に演奏して回ったものでした。

私は ” Kerosen Circuit ” と称するショウでも演奏しました、それはローカル組織がスポンサーになってやっているイベントで 私が住んでいる町から半径30マイル以内の町や農場の納屋などで演奏するものです。 当時13才だった私は Model A Fords 車や馬車、馬やソリに乗って近所の人達や友人達と一緒に会場に連れて行かれたものです。当時を振り返ると 会場に電気設備があるところはほとんどなくて照明はケロセンランプ、暖房は木製ストーブというのがほとんどでした。大恐慌(The Great Depression)時代の最中のことで、みんな私の唄を聴きに何マイルもかけてやって来たものです。私の他に演奏グループはなく、しかもマイク無しで1人で2時間歌ったのです。みんな座って聴いているんですが素晴らしい人達でしたよ。 大恐慌の頃は多くの人が仕事が無くて働けなかったのに ショウを見るための50セントを何とか工面して聴きに来てくれたのですね。毎週そのようなショウを2~3やった結果一晩に25ドルという当時としてはかなりいい収入を得たものです。
同時期に16~17才の頃ですが、社会人ないしはセミプロの野球チームのピッチャーとしてもプレーしました。私は生まれつき身体が大きくて頑丈だったのでチームで上手くプレー出来たのです・・・・腕を痛めてからは辞めてしまったのですが。

当時私よりも1~2年先にプロとしてスタートした Wilf Carter(Montana Slim) という名の歌手がいました。 皆なが私に ” あんたは Montana Slim のようだね ” と言うので(彼は当時既にアメリカでも有名だったんですね)、”それは一体誰れだい?” と尋ねたものです。その頃はラジオを持っていなかったので私は Wilf Carter のことを知らなかったからです・・・・ラジオで Montana Slim の唄を聴いていた近所の人が私にそういったのでした。 私は Wilf Carter が出ている朝9:00~9:15の番組を見つけると、家族や生活のために木を切っていようが、干草集めの作業をやっていようが とにかく何をやっていようが作業を中断して 彼(Wilf Carter)の唄を聴いたもんです。なぜって、Montana Slim が歌っていることの全てがそっくりそのまま自分が理想とする Cowboy Singer だったからなんです。
”great” と呼べるものがあるとすれば私にとっては Wilf Carter(Montana Slim) はまさに”greatest”と呼べるものでしたね・・・・・・・・・・次回に続く
(2010=平成22年8月7日 記)
コメント
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