西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

小紀行 ( 唐津の街を訪ねて )

2010年09月06日 | 歴史はロマン…九州の歴史を中心に
唐津城
9月5日(日)まだまだ残暑が厳しい中 博多駅から地下鉄に乗って肥前唐津まで行った。普通電車で1時間15分くらいで着く一人旅・・・・・途中からはJR筑肥線になるので海沿いを走る電車からは玄海灘の風景を眺めることが出来る。夏の海は海面の照り返しが強くて青い海には見えない・・・・きっと秋から冬がいいのだろう。

唐津駅で電動自転車をレンタルして市内を廻り、目的だった唐津城に行った。立派な高石垣をもった平山城で天守閣(昭和41年建設)もある・・・・豊臣秀吉の家臣 寺沢広高が1602(慶長7)年から7年かけて築いたとのこと・・・・・ 別名「舞鶴城」。立派な石垣群を見ていると7年かけただけのことはあるなあという感じで、天守閣からだいぶ離れた市内のあちこちに石垣が見られるので 規模もかなり大きかったに違いない。城主の変遷が激しかったようで 寺沢氏以後は全て譜代大名で~大久保氏~松平氏~土井氏~水野氏~小笠原氏(で幕末)と書いてある、江戸時代にこれだけ城主が変われば藩風とか土地の気風とかはじっくりとは培われなかったのでは・・・・・という気がしますが(島津氏なんか同じところに700年ですから)。 市内を廻っても武家屋敷らしいところはなくて、博多と同じようにどっちかといえば商業都市として栄えたのかもしれないな-という印象・・・・そういえばたくさんの曳山がくり出す ”唐津くんち ”というお祭りが有名です・・・またいつかゆっくりと訪ねてみたい。 

司馬遼太郎さんは同じ佐賀県でも佐賀藩と唐津藩は藩風がまったく違っていたーみたいなことを書いておられたのでそうなんだろうなと思う。 記念に唐津城主の変遷を示す姓氏と家紋を染めぬいた日本タオルと唐津焼の湯のみを買った
コメント
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