西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

ヨーデリング スリム・クラーク物語 (2)

2010年09月11日 | つれづれに
Yodeling Slim Clark 物語 (2)
イギリス盤 Jasmine Records JASMCD-3567 Yodeling Slim Clark  Cowboy & Yodel Songs

(1)When You're Blue Just Yodel (2)Big Rock Candy Mountain (3)Rocky Mountain Sweetheart (4)Rye Whiskey (5)Rambling Hobo (6)Trail Drive To Missoula (7)Saddle In The Sky (8)Alpine Love Call (9)The Rocky Mountain Yodeler (10)She Taught Me To Yodel (11)Cowboy's Lullaby (12)Remember Me (13)My Lulu Gal (14)The Last Letter (15)Swiss Lover's Lullaby (16)The Old Rugged Cross (17)The Last Yodel (18)Yodel Train (19)The Cat Came Back (20)My Happy Cowboy Life (21)My Calgary Home (22)Stampede The Outlaw (23)Yodel Demonstration (24)Mockingbird Hill (25)Old Chisholm Trail (26)Cactus Sue (27)The Trail Rider's Call (28)The Swiss Yodelers

(このCDにも詳しい解説が載っていますがスリム・クラーク自身の解説の方にこだわりました)

前回の続き・・・・・・・
「 Wilf Carter( Montana Slim )は自分が作った唄とそれを披露するやり方、歌っている内容などについて熟知していましたね。
Wilf Carter はカナダのノヴァ・スコシア州生まれでしたが、成長すると西部地方へと旅立って、その地でそれまで経験したことがないカウボーイ生活について多くのことを学んだのでした。その地で聴いた数々の唄は public domain (版権のないもの)のものでした。

牧場(range の訳は難しいです) について書かれた唄があって、誰かが実体験をもとにアイデアが浮かぶと それを歌にしたのです・・・・・とりとめもない内容だったのですけどね。幸いなことに大抵は誰かがギターやバンジョー等の楽器を持っていて 夕暮れ時になるとキャンプファイアーを囲んで演奏して楽しんだのです。誰かが何かアイデアを思いついて歌詞を1~2節書きとめると 別の誰かがまたそれに別の歌詞を付け足す・・・・・といった具合で唄ができていったのです。唄の内容にストーリー性なんか無くてもとっても面白い歌詞だったりでしたよ・・・・中には物語性に富んでいる唄があるんですが、そうした唄は大抵は悲劇的な内容のものでしたね。

唄の多くは夕暮れがせまって牛や馬の気分を落ち着かせるためだけのものでした。音楽があるとたくさんの家畜の群れは落ち着くようでしたし、牛達を静かにさせておくための演奏(歌=night herding song)でしたが 一日中馬に乗ってハードな毎日を送るカウボーイ達の休息時の楽しみでもあったのです。 そのような生活が私にはとても合っているように思われてカウボーイになる決心をしたのです。 カウボーイであるためにはなにもテキサスに生まれ育つ必要はありません、私が知っている荒馬乗り( bronco riders )の幾人かはニューイングランドの出身でした・・・・まあ大抵は西部の出身者なのは当然ですがそれはどうしてもそうなる自然ななりゆきでしょう。

皆さんは西部に行かなくても Cowboy のことについて知ることが出来ますが、私はもっと多くのことを知りたくてサスカチワン(カナダ西部の州名)とカナダの西部に行きました。エンターテナーとして旅して回ったロデオでカウボーイの真髄ともいうべきあらゆる事を体得しました。大きなロデオ大会が終わった後の夕暮れ時にトレーラーの周りやキャンプ、トラックの周辺に座ってカウボーイ達に向かって何時間も歌ったものです。彼等に一晩中 Cowboy Song を歌わされたこともありましたが、反対に私の方から歌いまくって彼等を一晩中寝かせなかったこともありました。すっかり西部の生活と唄や話に馴染んでしまったことで西部への興味が大きくなりましたし、カウボーイ歌手として生きる道を育んでくれたと思っています。

Pete Roy は song-writing の面でとても手助けしてくれて私のキャリアに大きな影響を与えてくれた人物です。私達にアイデアが湧くと彼が歌詞を書いてそれに私が曲をつけたり vice versa(?訳が不明) をしました。時々歌詞とメロディを合作しましたが、二人の間で歌詞とメロディのやり取りをしたこともありました。私の主要な曲である ”Calgary Stampede ”をはじめ、カナダで大ヒットした ”Young Mounty's Prayer ”そして ”Stampede, the Outlaw ”など2人で作った曲は Cowboy Music のスタンダード曲になった唄も沢山あります。 私は少々くたびれてしまってもう作曲に身が入らなくなっているのに Pete は相変わらず精力的に曲作りをしています。私も時々唄のアイデアが浮かびますが 座ってテープに録らないと忘れてしまうのです・・・・・何年にもわたって何百と歌を習い覚えてきているので頭の中が一種の飽和状態になってしまってそれ以上余裕がなくなっているというか、少し疲れておざなりになっているといったらいいでしょうか。

私は観光牧場( dude ranch )で歌ったり trail ride(馬に乗って一列になって山野を廻る)を率いたり、そのツアー客をもてなしたりもしたものです。大きな興業元やラジオ局等との関係ができたことで 自身のキャリア向上に繋がるかなりよい機会に恵まれました。映画出演の契約さえあったのですよ。現在のナッシュビル ( テネシー州の州都で Country Music 産業のメッカ ) のように当時はニューヨークが音楽産業の中心地でした。ニューヨークはたいしたところで、レコーディングするならそこだったのです。昔は、レコード会社が貴方(歌手)を雇って契約してレコードを作るのであって、貴方(歌手)がレコード会社のスタジオを借りてレコーディングをする-なんてことはありませんでした。私はレコードを作りましたが、会社が歌手と契約して雇ってその貢献度に対して報酬を払う・・・・そのためのレコードでした。とにかく私はニューヨークで沢山の知己を得て大変ポピュラーになったのです。当時はビッグバンドやニューサウンドや電気的なアレンジメントが今ほど発達していなかったのでカウボーイソングはうってつけだったんですね。事実、私は78回転レコードを作りましたし、エコーのかかったレコード製作や多重録音も経験しました。出来はあまり良くなかったですが ちょっとした実験的試みでしたね。

私は1946(昭和21)年にニューヨークの Continental レコード社でレコーディングをし始めて10年間続けました。50数枚の78回転レコードを出したのですが、45回転シングル盤やLPレコードの時代になると 会社はそれまでの曲をシングル盤やLPに復刻して発売したのです。 Continental レコード社は Master Seal とか Playhouse、Paris、Remington、Altone といった多くの子会社レーベル( subsidiary labels )を持っていたので そうしたところからも私の作品が出されました。また、ウェストバージニアのWheeling やカナダの Quality とか Arc といったレコード会社、フロリダの Palomino レコードにも録音しました。また私自身の Elmwood Station レーベルにも独自に録音した3~4本のカセットテープを持っています。」・・・・・・・続く

(ひと休み:訳しにくいところを直訳のままにしておいて後でじっくり推敲しようと残していたところをそのまま発表・・・なんてことが時々有ります、後で読み返してみて自分でも何のことだかさっぱり解らない・・・ということがあり、そんな時は頭がボーッとしてしまっている証拠で そんな時は Bourbon Drinkin' Time ・・・かな!)

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