西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

つれづれに(薩英戦争百五十年)

2013年12月03日 | つれづれに
   

維新ゆかりの地を訪ねる旅へ
薩英戦争百五十年

もう何年も仕事で博多ー鹿児島間を毎週行き来しているので小旅行は慣れっこ・・・・・でも思わぬところで ”えっ!知らなかったなぁ ” なんてことに出くわします。歴史好きの私にとって目からウロコだったのは新幹線終着駅の鹿児島中央駅内に並べてあった観光案内パンフレットのひとつ”かごしま旅情報”でした、タイトルが ”維新はここから始まった -特集-薩英戦争百五十年 ” となっているものでした・・・・・今年は薩英戦争があって150年経つんだそうですよ。

「 文久3年(1863)年7月2日の夜明け前。錦江湾に停泊中のイギリス艦隊が薩摩藩の蒸気船3隻を拿捕した。これを宣戦布告と受け取った薩摩藩は、その日の正午に砲弾による先制攻撃を開始。薩英戦争の始まりである・・・・・ことの発端は ”生麦事件 ”・・・・とあって事件の顛末と薩英戦争関連の鹿児島の史跡案内が写真入りで紹介されている-というわけです。

神奈川で薩摩藩の大名行列を馬に乗ったままやり過ごそうとしたイギリス人4人に ”無礼っ!” と一人を斬り殺し、2人に傷を負わせた事件。 その結果イギリスが ”下手人を引き渡せ、賠償金を払え ” と言ってきたのに対して ”下手人は逃げて行方不明、賠償金など払わぬ ” と突っぱねた薩摩藩に対して懲らしめのためにやって来たイギリス艦隊・・・・・そこでドンドンパチパチ始まってイギリスの火砲の威力に鹿児島城下は焼け野が原になてしまった。 でもさすがは薩摩藩 5時間の戦闘でイギリス側は艦隊の旗艦の艦長をはじめ13人が戦死、薩摩藩は人的被害は少なかったが多大な物的損害を被った・・・・・というもの。 薩摩藩は外国の威力に目覚め、その後留学生を送ったり 近代工場建設の設計を依頼したりとイギリスとかえって親密度をました・・・というわけです。 漫画にしても面白そうな展開でまあ当時の外国事情など知らないサムライなんて鼻息が荒かったんでしょうね。

パンフレットに「美味しい西瓜はいりませんか?」という面白い記事が載っていました。

曰く・・・・・「 薩英戦争にはスイカにまつわるこぼれ話がある。 錦江湾に入ったイギリス艦隊。思い通りに進まない交渉にやきもきした薩摩藩士は、イギリス軍艦に潜入して船を奪おうと計画。81名が名乗りを上げ、決死隊を編成した、まともに行っても無理な話。そこで考えたのが ”スイカ売り ”。 スイカを売るふりをして、まんまと乗船しようという作戦だ。商人に扮した藩士たちは手にスイカを持ち、イギリス乗組員に”スイカを買わないか?”と話しかけるが、イギリス水兵たちと押し問答に。スイカ売りのために小船八隻で押しかけたのだから怪しまれるのは当然のような気も。その後、ようやく藩主の親戚を名乗った使節団役の三名が乗船。しかし三人は話をはぐらかして交渉を進めようとはしない。しかもどことなく挙動不審。実はこのとき、計画実行の合図となる号砲を待っていたのだ。そこへ ” 計画中止 ” を告げる船が。 三人と小船で待機していたスイカ売りたちは慌てて退却し、計画は未遂に終わった 」とのことですよ。
歴史上で150年といえば今 百歳くらいの人の祖父の時代・・・・と考えるとそんなに昔の話ではないですね( smile )

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