今回は我々の同期の代についてふれて、このテーマを終わりにします。このテーマ(その1)で同期は15名と書きましたが、残念ながら何十年も会っていない同期が二人いました。今回の秋の日帰りプランの後、その一人と久しぶりに再会することができました。その彼の自宅がBC地から近かったこともあり、また前々から誘っていたことも奏効しました。
その彼は長年の持病で、定年退職をしてからは自宅療養に専念していました。現役の頃の仕事柄、遅くまで食べて飲む機会が多かったとのことで、結局糖尿病になってしまいました。三十代の頃、彼と私互いの奥さんも一緒で会っていました。その後、精神的にも不安定だった時期があり、同期会に誘ってはいましたが顔を出さなくなってしまいました。
それでも私は諦めず、彼には連絡を入れていました。それには訳がありました。彼の前にやはり何十年も会ってない同期がいましたが、手紙を書いたりメールを送ったりした結果、二年前に同期会に出てきてくれました。その彼も過去胃癌で大手術をして、回復はしたものの、それを界に同期から遠ざかってしまっていたのです。
人間は弱っている時、そんな自分を見せたくないとの気持ちは誰しもあります。気持ちが落ち込んでる時期は、たとえ大学の四年間苦楽を共にした仲間でも、会いたくない気持ちは分かります。しかしその気後れが再会のハードルを高くしてしまうこともあります。途中で諦めない、継続は力です。食らいついたら離さない「マムシの梶」と、最近言われるようになってしまいました。
実は同期の一人が、6年前癌で亡くなっています。集まりには積極的に参加していた同期の一人です。我々の歳になれば、二人に一人は癌になるとの時代ですので、癌でいつ亡くなってもおかしくありません。しかし仲間が欠けることは、ぽっこりと穴があいてしまったようで、とてもいたたまれないものがあります。「今出来ることは先送りにしない、今やる!」。私の心境もここ数年で変わりました。
今回の日帰りプランの後、久しぶりに再会することができた彼の話しに戻します。各パーティが分散して行動し、午後二時半に集中したBCは秋川渓谷の下流の河原でした。武蔵五日市駅から徒歩10分くらいの所です。そこに約100人が集結。彼の自宅は拝島駅の近くなので、30分かければBCに来られますので誘ったところ、何十年も会っていない先輩・後輩に行き成り再会するのは敷居が高いといわれ、我々同期6人がBCが終わった後、拝島まで出向くことしました。
BC地では、各自受付を済ませ、若干の会費を払うと、缶ビールと乾き物のつまみを手渡されます。先ずはパーティで無事終了を祝って乾杯し、その後同期で集まったり会いたい先輩・後輩の所に行って話をしたりするのが恒例です。一時間半ほど歓談してから、皆の前で各リーダーがそのパーティの行動報告をして解散となります。それからは場所を替え、各代同期同士でかたまり、また分散していくのも恒例となっています。
武蔵五日市駅を出る直前に彼に連絡して、拝島駅に着く時間を知らせます。さていよいよ、拝島駅改札口で何十年ぶりの再会です。ちょっと見間違えましたが、直ぐに彼と認識します。予約してあった駅の近くの居酒屋に直行します。果たして話が弾むのか、会うまで心配でした。あにはからんや二時間半余り、過去の事や近況を、彼の独壇場で話してくれました。我々との再会を心から喜んでくれたのだと思います。
12月に錦糸町で行われる同期の忘年会に誘ったのですが、糖尿病の治療中でもあり、遠出はまだ無理とのことでした。機会があれば、是非また会いたいと思っています。今回のように彼の自宅近くに我々が出向けばチャンスはあります。実は一年前、同期二人で奥多摩の山に登った帰り、彼と会う約束をしていたのですが、前日ドタキャンとなりました。奥さんからコロナ感染の心配もあり、止められたとのことでした。ようやく長年の念願が叶いました。
何十年も会っていない同期が、あと一人(住所が不定)となりました。拝島で再会した彼が、その彼とはなんとか連絡が取れるとのことです。互いに元気なうちに、山仲間との邂逅を果たしたいと願っています。
その彼は長年の持病で、定年退職をしてからは自宅療養に専念していました。現役の頃の仕事柄、遅くまで食べて飲む機会が多かったとのことで、結局糖尿病になってしまいました。三十代の頃、彼と私互いの奥さんも一緒で会っていました。その後、精神的にも不安定だった時期があり、同期会に誘ってはいましたが顔を出さなくなってしまいました。
それでも私は諦めず、彼には連絡を入れていました。それには訳がありました。彼の前にやはり何十年も会ってない同期がいましたが、手紙を書いたりメールを送ったりした結果、二年前に同期会に出てきてくれました。その彼も過去胃癌で大手術をして、回復はしたものの、それを界に同期から遠ざかってしまっていたのです。
人間は弱っている時、そんな自分を見せたくないとの気持ちは誰しもあります。気持ちが落ち込んでる時期は、たとえ大学の四年間苦楽を共にした仲間でも、会いたくない気持ちは分かります。しかしその気後れが再会のハードルを高くしてしまうこともあります。途中で諦めない、継続は力です。食らいついたら離さない「マムシの梶」と、最近言われるようになってしまいました。
実は同期の一人が、6年前癌で亡くなっています。集まりには積極的に参加していた同期の一人です。我々の歳になれば、二人に一人は癌になるとの時代ですので、癌でいつ亡くなってもおかしくありません。しかし仲間が欠けることは、ぽっこりと穴があいてしまったようで、とてもいたたまれないものがあります。「今出来ることは先送りにしない、今やる!」。私の心境もここ数年で変わりました。
今回の日帰りプランの後、久しぶりに再会することができた彼の話しに戻します。各パーティが分散して行動し、午後二時半に集中したBCは秋川渓谷の下流の河原でした。武蔵五日市駅から徒歩10分くらいの所です。そこに約100人が集結。彼の自宅は拝島駅の近くなので、30分かければBCに来られますので誘ったところ、何十年も会っていない先輩・後輩に行き成り再会するのは敷居が高いといわれ、我々同期6人がBCが終わった後、拝島まで出向くことしました。
BC地では、各自受付を済ませ、若干の会費を払うと、缶ビールと乾き物のつまみを手渡されます。先ずはパーティで無事終了を祝って乾杯し、その後同期で集まったり会いたい先輩・後輩の所に行って話をしたりするのが恒例です。一時間半ほど歓談してから、皆の前で各リーダーがそのパーティの行動報告をして解散となります。それからは場所を替え、各代同期同士でかたまり、また分散していくのも恒例となっています。
武蔵五日市駅を出る直前に彼に連絡して、拝島駅に着く時間を知らせます。さていよいよ、拝島駅改札口で何十年ぶりの再会です。ちょっと見間違えましたが、直ぐに彼と認識します。予約してあった駅の近くの居酒屋に直行します。果たして話が弾むのか、会うまで心配でした。あにはからんや二時間半余り、過去の事や近況を、彼の独壇場で話してくれました。我々との再会を心から喜んでくれたのだと思います。
12月に錦糸町で行われる同期の忘年会に誘ったのですが、糖尿病の治療中でもあり、遠出はまだ無理とのことでした。機会があれば、是非また会いたいと思っています。今回のように彼の自宅近くに我々が出向けばチャンスはあります。実は一年前、同期二人で奥多摩の山に登った帰り、彼と会う約束をしていたのですが、前日ドタキャンとなりました。奥さんからコロナ感染の心配もあり、止められたとのことでした。ようやく長年の念願が叶いました。
何十年も会っていない同期が、あと一人(住所が不定)となりました。拝島で再会した彼が、その彼とはなんとか連絡が取れるとのことです。互いに元気なうちに、山仲間との邂逅を果たしたいと願っています。