昨今話題の“多様性”について、その世界観を表すと(勝手に)思っているのが写真(チューリップ)
であります...。“同時に”植えたのですが、すでに枯れ始めているもの。咲いているもの、まだ咲いて
いないもの(恐らく地中で腐ってしまっているかも)...。多種多様であります。
“同時に”植えましたが、各々の球根が持っていた遺伝子情報は千差万別だと思いますし、環境との
相性もあったことと思います。ある種残酷なのですが、それでも目に見えるこの写真のみが真実...。
咲けば枯れる..。みな枯れる運命ならせめて、花を咲かせてやりたかった...。咲かずに腐るを見て...。
多様性...。このことに付いては異論ありません。自然界になぞらえて多様性ある組織は強い。これも
そうだと思います。ただし多様性がありさえすれば何でも良いのかと言えば、ちょっと違う(と思う)
多様性を論じるについても、何か一本中心に太い線が必要と思う今日この頃であります...。
成長度合いは全て違っていたのに、同じプランター、土、肥料(いわゆる環境...)。そこで個別に
対処せず、咲かずに腐って=可哀そうと言ってる自分は何なのか?そこに想いが及びます...。このこと
も多様性を考える一つの切り口かと思うに至ります...。(続きは次回に)