銚子・角巳之・三代目

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やむを得ない.....②

2007年08月15日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_1438_2 鹿児島県の鹿屋(かのや)、知覧(ちらん)特攻基地(跡)を何度か訪れた事があります。後世の日本人に向けた強烈なメッセージの数々を見て参りました。特攻の始まった昭和19年頃、すでに敗戦は必至。民族の...、祖国の...、誇りを....、と言いながらすでに武器弾薬、燃料、食糧すらも枯渇していた。特攻の指揮官は“俺もあとで行くから”と、若者達に“死んで来い”と命令を繰り返す。あとで行くからと言った指揮官の殆どは特攻に参加することは無かったようですが....。8/15にただ一人、最後の特攻機に搭乗して洋上に散った指揮官がいたと聞きました。美談として伝えられているけれども、指揮官としての責任の取り方は他にもあったはず..という意見も。これも聞き語り、特攻を前にした搭乗員の話。命令されるままに死ぬ。それがいちばん気楽だよ(本心は全く別だと思いますが)。それじゃ死に切れない。私は出来るだけ無残に惨めに死にたい。そうすれば後世の日本人はあんなバカな事するもんじゃないと思ってくれるだろう。自分の死が後世の日本人にバカな選択をさせないとするなら、この死にも意味は有る...。すでに敗戦をすべての搭乗員が悟っていた時期。地下壕で“やむを得ない”を繰り返す指揮官達を尻目に、死して尚生きたいと願う搭乗員....。お話を聞かせて頂いた大先輩に限らず、生き残った方々が必ず口にする言葉。私は生き残って“しまった”。生き残ってしまったから、死んだつもりで懸命に働いた。戦後、奇跡の復興はこういう世代に支えられ、その繁栄を何の苦労も無く手に入れた我々世代....。続きは明日。