駒込の
旧古河庭園にある洋館。
こういう古い建物が大好きなので
意図して見に行ったりもするのだが、
ここの造り、殊にも玄関先のバルコニーの形状が
高校1年の時に1年間だけ通った
古い校舎に似ていて懐かしい思いすら抱いた。
昔の建物は現代建築と比べると無駄が多いかも知れないが
趣があり、思い出の中でも生きている。
こんな造りの校舎で学んだ
古の人達もみなそうだったんだろうな。
「盛岡の
中学校のバルコンの手摺りに
も一度我を寄らしめ」
石川啄木
旧古河庭園にある洋館。
こういう古い建物が大好きなので
意図して見に行ったりもするのだが、
ここの造り、殊にも玄関先のバルコニーの形状が
高校1年の時に1年間だけ通った
古い校舎に似ていて懐かしい思いすら抱いた。
昔の建物は現代建築と比べると無駄が多いかも知れないが
趣があり、思い出の中でも生きている。
こんな造りの校舎で学んだ
古の人達もみなそうだったんだろうな。
「盛岡の
中学校のバルコンの手摺りに
も一度我を寄らしめ」
石川啄木
特筆すべきことは何もしなかった1年間。
憧れの先輩のためにひと肌脱ぎ、
人数を集めて再興した声楽部も、
元々やりたかったことではなかったので
大人数で方向性が決まり軌道に乗ると同時に醒め
先輩の卒業と同時に顔を出さなくなった。
夏休みまでの前期は
前年後期に続いて生徒会執行部も務めたが
自分達が中心となるべき後期は選挙にも出なかった。
応援団幹部選挙は天邪鬼を起こし直前で出るのを止めた。
とは言え、当然ながら勉強に精を出すわけでもなく、
大学生活への憧れは持ちながらも
受験勉強に対しては斜に構えていた。
皆が部活や生徒会や応援団活動に青春を賭けていた頃
ワタシは毎日学校帰りにいつもの本屋へ寄り
200~300円だった文庫本を買っては
これまたいつものJAZZ喫茶で250円の珈琲を啜りながら
本を読み、マスターからJAZZの講義を受けていた。
あの頃一番ハマっていたのは
ちょっとクールでアンニュイな哲学ながら
どこか切ない雰囲気のアルベール・カミュだったが、
その他ドーデ、サルトルなどの仏文ものをよく読んでいた。
トマス・マンやヘッセなどのドイツものも読んだし、
日本のものでは堀辰雄や立原道造、中原中也など
詩歌に近いものが多かったが
いずれ19世紀末から20世紀前半のものが多かったと思う。
ニーチェやカントなど、あえて哲学書のページを、
わけが分からないながら繰っていたのもこの頃のこと。
JAZZ喫茶「エル・グレコ」のマスターに教わったのは
バド・パウエルやキース・ジャレット、チック・コリアなど
あの頃メジャーだったピアノものが多かったけれど
スタッフやクルセダーズ、ラリー・カールトン・・・
これまた当時流行の
クロスオーバー界をリードした人達のこともよく聞いた。
(クロスオーバー→その後フュージョンと言われた)
夜23時15分からのNHK-FM「クロスオーバー11」を
毎晩聴いては予習・復習を怠らなかった(笑)
マスターからは珈琲のこともいろいろ教わったな。
あまり友人達とつるむこともなく
夕方になると家に帰って夕飯後にはまた本を開く毎日。
夜中、FMから流れてくるクールな音楽を聴きながら
イヤホンをしていないもう片方の耳には
東京行き夜行出発を知らせる花巻駅のアナウンスが
夜気に乗って遠くかすかに聞こえ、
これからの自分の将来への期待と不安の中、
やたらセンチメンタルな気持ちを抱いていた日々だった。
特筆すべきことが何もなかった1年だけれど
様々インプットすることができ、
その後の自己形成のため必要な1年だったのかもしれないと
今になって思ったりもしている。
憧れの先輩のためにひと肌脱ぎ、
人数を集めて再興した声楽部も、
元々やりたかったことではなかったので
大人数で方向性が決まり軌道に乗ると同時に醒め
先輩の卒業と同時に顔を出さなくなった。
夏休みまでの前期は
前年後期に続いて生徒会執行部も務めたが
自分達が中心となるべき後期は選挙にも出なかった。
応援団幹部選挙は天邪鬼を起こし直前で出るのを止めた。
とは言え、当然ながら勉強に精を出すわけでもなく、
大学生活への憧れは持ちながらも
受験勉強に対しては斜に構えていた。
皆が部活や生徒会や応援団活動に青春を賭けていた頃
ワタシは毎日学校帰りにいつもの本屋へ寄り
200~300円だった文庫本を買っては
これまたいつものJAZZ喫茶で250円の珈琲を啜りながら
本を読み、マスターからJAZZの講義を受けていた。
あの頃一番ハマっていたのは
ちょっとクールでアンニュイな哲学ながら
どこか切ない雰囲気のアルベール・カミュだったが、
その他ドーデ、サルトルなどの仏文ものをよく読んでいた。
トマス・マンやヘッセなどのドイツものも読んだし、
日本のものでは堀辰雄や立原道造、中原中也など
詩歌に近いものが多かったが
いずれ19世紀末から20世紀前半のものが多かったと思う。
ニーチェやカントなど、あえて哲学書のページを、
わけが分からないながら繰っていたのもこの頃のこと。
JAZZ喫茶「エル・グレコ」のマスターに教わったのは
バド・パウエルやキース・ジャレット、チック・コリアなど
あの頃メジャーだったピアノものが多かったけれど
スタッフやクルセダーズ、ラリー・カールトン・・・
これまた当時流行の
クロスオーバー界をリードした人達のこともよく聞いた。
(クロスオーバー→その後フュージョンと言われた)
夜23時15分からのNHK-FM「クロスオーバー11」を
毎晩聴いては予習・復習を怠らなかった(笑)
マスターからは珈琲のこともいろいろ教わったな。
あまり友人達とつるむこともなく
夕方になると家に帰って夕飯後にはまた本を開く毎日。
夜中、FMから流れてくるクールな音楽を聴きながら
イヤホンをしていないもう片方の耳には
東京行き夜行出発を知らせる花巻駅のアナウンスが
夜気に乗って遠くかすかに聞こえ、
これからの自分の将来への期待と不安の中、
やたらセンチメンタルな気持ちを抱いていた日々だった。
特筆すべきことが何もなかった1年だけれど
様々インプットすることができ、
その後の自己形成のため必要な1年だったのかもしれないと
今になって思ったりもしている。
ちょっと必要があって、自宅の書棚の奥から
高校時代の生徒会誌(文集)を引っ張り出した。
その隣に見つけた大学1年次の学生名簿も。
手にすると、つい見入ってしまう。
書き手の今も知っているけれど、
署名を見て思い浮かぶのはヤツらの高校時代の姿。
約35年前の10代の生き生きした姿がそこにはあった。
同じことの繰り返しに飽き飽きし、
違う世界を求めて手当たり次第本を読んでいた頃だが
今振り返ると、なんと輝いていた日々よ。
ひとしきり生徒会誌を眺めたあとは大学の名簿。
現代では個人情報保護法の関係でこんなものはないのだろうが
クラス毎に名前と実家の住所、電話番号、出身校もある。
当時のワタシは知人や同郷者に印をつけていた。
今も付き合いのある人達ももちろんいるが、
名前だけうろ覚えの人達や
全く名前すら覚えていないのに印がついている人達もいる。
同郷者も結構いたんだな。
ひとり故郷をあとにして
知らない世界に飛び込んだ当時を思い出し
なんか無性にセンチメンタルな気持ちになった。
これらの感情が湧いてきたは紙の印刷物があったからこそ。
電子メディアじゃこうはいかない。
第一35年後も見ることのできる電子メディアなんてないだろう。
印刷メディアの大切さを改めて感じる。
ちょっと端が茶色く日に焼けたページを繰りながら
書いてある文字が映し出す鮮やかなシーンのひとつひとつを
噛み締めるように眺めた。
高校時代の生徒会誌(文集)を引っ張り出した。
その隣に見つけた大学1年次の学生名簿も。
手にすると、つい見入ってしまう。
書き手の今も知っているけれど、
署名を見て思い浮かぶのはヤツらの高校時代の姿。
約35年前の10代の生き生きした姿がそこにはあった。
同じことの繰り返しに飽き飽きし、
違う世界を求めて手当たり次第本を読んでいた頃だが
今振り返ると、なんと輝いていた日々よ。
ひとしきり生徒会誌を眺めたあとは大学の名簿。
現代では個人情報保護法の関係でこんなものはないのだろうが
クラス毎に名前と実家の住所、電話番号、出身校もある。
当時のワタシは知人や同郷者に印をつけていた。
今も付き合いのある人達ももちろんいるが、
名前だけうろ覚えの人達や
全く名前すら覚えていないのに印がついている人達もいる。
同郷者も結構いたんだな。
ひとり故郷をあとにして
知らない世界に飛び込んだ当時を思い出し
なんか無性にセンチメンタルな気持ちになった。
これらの感情が湧いてきたは紙の印刷物があったからこそ。
電子メディアじゃこうはいかない。
第一35年後も見ることのできる電子メディアなんてないだろう。
印刷メディアの大切さを改めて感じる。
ちょっと端が茶色く日に焼けたページを繰りながら
書いてある文字が映し出す鮮やかなシーンのひとつひとつを
噛み締めるように眺めた。
舞台は昭和39年。
高度経済成長が始まった頃のこと。
「豊かさだけが幸せではないと思う」というセリフは
現代にもそのまま通じる。
というより現代社会の価値観への重い投げかけ。
でも更なる上昇を指向している時にはなかなか気づけない。
「佐久間先生」の
「今みんな上を目指していますが・・・」
というセリフは多分その時には出てこない言葉だと思う。
本作は親子の絆がテーマだけど、
本当の親子も擬似親子も気持ちは変わらない。
要は親子というより人と人との絆。
シリーズ3作目
映画「ALWAYS 三丁目の夕日'64」は
今までの中で一番良かった。
高度経済成長が始まった頃のこと。
「豊かさだけが幸せではないと思う」というセリフは
現代にもそのまま通じる。
というより現代社会の価値観への重い投げかけ。
でも更なる上昇を指向している時にはなかなか気づけない。
「佐久間先生」の
「今みんな上を目指していますが・・・」
というセリフは多分その時には出てこない言葉だと思う。
本作は親子の絆がテーマだけど、
本当の親子も擬似親子も気持ちは変わらない。
要は親子というより人と人との絆。
シリーズ3作目
映画「ALWAYS 三丁目の夕日'64」は
今までの中で一番良かった。
この著者の作品は
初めて読んだ芥川賞受賞作「パークライフ」以来
「東京湾景」「初恋温泉」と読んできた。
どれもちょっとクールでちょっと切ない物語。
特に「パークライフ」と「東京湾景」は
都会的な雰囲気が全体に流れている。
最近またこの作者の本を読み始めた。
「パレード」「悪人」そしてこの「さよなら渓谷」。
これまで抱いてきたこの作者の作風の印象が変わり、
それによってドミノ倒しのように
過去読んだ本のイメージまでもがガラリと変わった。
最近読んだ3作は日常の中に潜む犯罪を描く。
人の心のキズ、寂しさ、後悔、罪悪感、
そして世間の目と押し付けられたレッテル・・・。
特にこの作品において
現在進行中の犯罪は単なる物語の引き出しであり
だんだん明らかになっていく中心人物2名の
これまでの人生の軌跡が苦しく、切なく迫ってくる。
話題となった「悪人」から2年後に書かれた本作。
まったくシチュエーションも登場人物も違うけれど
「悪人」に続く物語のように見えて仕方ない。
「さよなら渓谷」吉田修一:著 新潮文庫
初めて読んだ芥川賞受賞作「パークライフ」以来
「東京湾景」「初恋温泉」と読んできた。
どれもちょっとクールでちょっと切ない物語。
特に「パークライフ」と「東京湾景」は
都会的な雰囲気が全体に流れている。
最近またこの作者の本を読み始めた。
「パレード」「悪人」そしてこの「さよなら渓谷」。
これまで抱いてきたこの作者の作風の印象が変わり、
それによってドミノ倒しのように
過去読んだ本のイメージまでもがガラリと変わった。
最近読んだ3作は日常の中に潜む犯罪を描く。
人の心のキズ、寂しさ、後悔、罪悪感、
そして世間の目と押し付けられたレッテル・・・。
特にこの作品において
現在進行中の犯罪は単なる物語の引き出しであり
だんだん明らかになっていく中心人物2名の
これまでの人生の軌跡が苦しく、切なく迫ってくる。
話題となった「悪人」から2年後に書かれた本作。
まったくシチュエーションも登場人物も違うけれど
「悪人」に続く物語のように見えて仕方ない。
「さよなら渓谷」吉田修一:著 新潮文庫
「悪人」
2012-02-02 | 読書
誰が悪人?
どこにも本当の意味での悪人は出て来ない。
いや、本当の悪人なんてきっとどこにもいない。
それでも世間は「きっとこうだろう」と
勝手な想像の元でレッテルを貼りたがる。
ネットのニュースのほんの短い情報だけしか読まず
そのひとつひとつに対して
「こんなやつは・・・」「いらない人間」などと
簡単に切り捨て、レッテルを貼っていく人達は
この本(または映画)をどう思うのだろう。
「あんた、大切な人はおるね?
その人の幸せな様子を思うだけで、
自分までうれしくなってくるような人は。
今の世の中、大切な人もおらん人間が多すぎる。
自分には失うものがないち思い込んで、
それで強くなった気になっとう。
だけんやろ、自分が余裕のある人間て思いくさって、
失ったり、欲しがったりする人間を、
馬鹿にした目で眺めとう。
そうじゃないとよ。
それじゃ人間は駄目とよ。」
登場人物のこの言葉を読み
「自分の大切な人は?」と自問自答した。
皆さんは?
「悪人(上・下)」吉田修一:著 朝日文庫
どこにも本当の意味での悪人は出て来ない。
いや、本当の悪人なんてきっとどこにもいない。
それでも世間は「きっとこうだろう」と
勝手な想像の元でレッテルを貼りたがる。
ネットのニュースのほんの短い情報だけしか読まず
そのひとつひとつに対して
「こんなやつは・・・」「いらない人間」などと
簡単に切り捨て、レッテルを貼っていく人達は
この本(または映画)をどう思うのだろう。
「あんた、大切な人はおるね?
その人の幸せな様子を思うだけで、
自分までうれしくなってくるような人は。
今の世の中、大切な人もおらん人間が多すぎる。
自分には失うものがないち思い込んで、
それで強くなった気になっとう。
だけんやろ、自分が余裕のある人間て思いくさって、
失ったり、欲しがったりする人間を、
馬鹿にした目で眺めとう。
そうじゃないとよ。
それじゃ人間は駄目とよ。」
登場人物のこの言葉を読み
「自分の大切な人は?」と自問自答した。
皆さんは?
「悪人(上・下)」吉田修一:著 朝日文庫