70年前の昨夜、東京は火の海になった。
一晩で10万人が犠牲になったと言われているが
その詳細はいまだに判っていない。
1年前まで暮らしていた墨田区はその中心。
言問橋には今も焼死した方々の脂が染み付き焦げている。
スカイツリーの足下の北十間川には死体が無数に浮いていたという。
「遺体を白日の下に晒しておくのは国民の士気に関わる」との理由で
周辺の寺院や隅田公園、錦糸公園など近くの公園に
身元不明者が多数仮埋葬されたとのことだ。
日本家屋を「効率的に」破壊するため新開発された焼夷弾は
ゼリー状のガソリンをまき散らしながら爆発し
少しでも服につくともうその炎から逃げられなかったという。
昨夜のTBS「私の街も戦場だった~千の証言~」を見た。
「戦果を確認するため」「戦闘員の働きを評価をするため」に
米軍戦闘機に取り付けられたカメラが
逃げ惑う人々の姿を記録している。機銃弾が彼らを追う。
一方で戦闘機の搭乗員による手紙の一節が胸を打つ。
「ダメだ。あの人たちを銃で撃つなんて僕にはできない。
幼い子どもたちとわが子の姿が僕には重なって見える。
ちくしょう、戦争は地獄だ。残酷で冷たくて犠牲はあまりに大きい」
アメリカが日本で、日本が中国で、イギリスがドイツで、
ドイツがスペイン、ポーランド、イギリスで、
それぞれ都市への空襲による無差別攻撃を行っている。
その弾丸の下には普通に、穏やかに、平和に暮らしていた
父や母や子や年寄り達がいたことを空中からの記録映像は残していない。
想像すること。そして無差別な暴力を憎むこと。
米兵達だって国からの命令通りに任務を果たしただけだ。
それでも今彼らはカメラに向かって
「国が間違っていた。私達は謝らなくてはならない」
と涙ながらに語る。
本来国が謝罪すべきことだろう。
そしてそれはアメリカに限らず、日本も、ドイツもイギリスも。
「日本だけがなぜ謝罪ばかりしなければならないのか」
と言う人々がいる。
もちろん日本だけじゃない。
一方で、日本も謝罪すべき立場であることに変わりはない。
謝るべきことは、誰がなんと言おうと先に謝る。
他人が謝らないからと言って、自分も謝らないとか、
自分たちだけが損をしているとか、
そんな哲学は「美しい日本」にはなかったはずだ。
「他人がしているから自分も」
日本古来の謙虚さはどこへ行ってしまったのか。
何度でも過去を振り返り、何度でも反省しよう。
経験者がだんだんいなくなりつつある今だからこそ。
日本人のみならず、私達人間の愚かしさを決して忘れてはならない。