風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

クリスマスに思う

2008-12-25 | 風屋日記
「ハルカ・エイティ」姫野カオルコ をようやく読了。
大正9年生まれの女性の一代記を当人の視点から描いた秀作。
直木賞の候補にもなったらしい。
自分は経験しない戦前、戦時中、戦後の生活、
その中での暮らしや(女性としての)思いや生理、恋愛、
一女性の目から見た世相など、とても興味深かった。
目からウロコという感じ。

同じ女性から見たら「そんなもんじゃない」と思うかも知れない。
戦争を体験した人から見れば「甘い」と思うかも知れない。
でもこの女性は暗く、辛く、苦しい事がらを超越し、
どんな状況でも自分らしさを失うことなく
自然体で精一杯生きて来た。
戦時中のことなどは、主人公のモデルとなった女性の
「暗ーいことなんか私が読者なら読みとないやんか。
 いくら暗い時代やっても楽しいこともようけあったで」
という言葉に当人の性格がよく現れている。

本人の好むと好まざるとに関わらず
国民を総動員しての殺し合いは事実として行われたのだな。

    ◇      ◇      ◇

昨夜はTBSの特番
あの戦争は何だったのか 日米開戦と東条英機」を見た。
かの戦争は「誰かが始めた」のではない。
「みんなが始めた」のだ。
その「みんな」とは、
自分に降り掛かる火の粉のことなんか想像すらしないまま
「開戦すべし」と大きな声を挙げた「みんな」だ。
とあるブログに以下のような書き込みがあった。
「今、日中戦争当時の関東軍の暴走を非難する人たちが多いが、
 例えば日本政府が手をこまねいている拉致問題を
 自衛隊が勝手に動いてきれいに解決してしまったとする。
 恐らく日本中が喝采を叫ぶに違いない。
 関東軍も同じようなものだ」
この考え方には自衛隊員の、日本人の、あるいは彼の国で
犠牲者が出るということを全く想像もしていない。
自分に火の粉が降り掛かることすら。
その犠牲者達は何のために大切な命を落とすことになるのか。
上記は戦後ぼろぼろに傷つきながら戦争を反省したこ当時の人たちの
血を吐くような思いなど何もわかっていない、
何ら歴史に学んでいない典型的な意見だと言える。
火の粉が自分に、あるいは周囲の人々に降り掛かるのではないかと
心配していた人たちは「始めたみんな」の中にはいない。
ハルカのように。

国の威信とか意地とかメンツとか精神力とかを声高に叫び、
自国防衛と自らの正義を言い訳にし、
その時々の状況を自分に都合良く解釈し、
それを止めるべき人たちも顔を見合わせながら抑止できず
みんな一緒くたになってずるずる引きずり込まれる状況。
戦前も、現代も、基本的に日本は変わっていない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Merry Christmas | トップ | 初恋 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

風屋日記」カテゴリの最新記事