昨日花巻市民、いや岩手県民に激震が走った。
箸で食べる30cm10段ソフトクリームの大食堂で有名な
マルカンデパートが6月で閉店するというニュース。
シャッター街化しつつある商店街の核店舗が無くなるということ、
全国的にも有名になった観光資源の消滅であることなど
90人もの従業員がほとんど解雇になりそうということ、
ほぼ地元調達と思われる仕入れ先にとってもショックであることなど
激震の理由は数あれど
個人的にはやはり小さい頃からの思い出の場所が無くなるという
心情的ショックが一番大きい。
なにせこの40年以上もの間、花巻の商店街の顔だったから。
現店舗のはす向かいにあった旧店舗にも食堂はあった。
小学生の頃はおめかしの服を着せられ、
祖父母に連れられて、滅多にない外食をする場所だった。
オーダーメニューが運ばれてくるまでの間
祖母がバッグから出してくるみかんを食べながら待ったものだ。
近くのテーブルではおにぎりまで持参してくる人たちもいた。
店としては黙認だったんじゃないかな。
中学生になる頃、現店舗ができた。
新しい、洒落た建物で、地下にはスーパーがあり
食堂の上の階にはゲームセンターなどもあった。
真新しい学生服を買ったのもマルカンだった。
家族で買い物に出かけた時、
初めてジーンズを買ってもらったりもしたが、
基本的にデパートに興味無かったワタシは
ひとりで外へ出、マルカン裏の喫茶ぐがーん隣にあった
中古雑貨屋「金曜日」を冷やかしに行ったりしていた。
高校時代、土曜午後になると
隣の女子高の子たちが行っているらしいと聞き
友人たちと繰り出したりもしたものだった。
祭の時は展望食堂の窓際をGETするのに血道をあげていた。
眼下に祭がよく見えたから。
今と違い、たいして洒落た飲食店も無かったころは
とにかくここの食堂が一番ポピュラーな外食場所であり
大学時代、帰省した際にもよく通ったものだ。
綿入れ半纏やズロース(笑)なども置いてある
時代に取り残された売り場というイメージも無くはないが
意外に掘り出し物を見つけたりもした。
当時流行ったラコステのポロシャツやLeeのジーンズ、
スキーの板や靴も1年落ちモデルが安く手に入ったので
なかなか捨てたもんじゃ無かった。
ここ20年ぐらいは大食堂が売り物。
ズームイン朝やフライデーなどにも取り上げられて
全国的に有名になっていった。
本ブログへのマルカン初出は2006年。
子どもたちが小学校の頃から高校まで
激励会も、祝勝会も、ご苦労さん会もここだった。
(野球のスポ少のころは「世界の料理」を食べに連れてった。
ラーメンもステーキもカレーも寿司もあったからね 笑)
こんなことも、こんなことも、こんなこともあった。
名物ナポリカツやソフトクリーム、
ちらし寿司やチャーシュー麺も安かった。
たくさんの思い出がここにはある。
閉店まであと3ヶ月。
最後の思い出を作りに行きたいけど
閉店を聞いた人たちでこれから激混みだろうなぁ。
現状見れば、たとえ市が耐震補強工事を支援したとしてもそれに見合った売り上げは厳しいな
というのが容易に想像されます。
昨日のローカルニュースを見ていたら、食堂を移転しての営業や別会社へのメニューの引継ぎは
考えていないそうで、この点はどうして?と疑問です。
大食堂という全国区のオリジナル商品を自ら捨てるようなものなので。
ふと考えたのが、大食堂ファンが出資して「はなまき大食堂」という名の会社を立ち上げ、
食堂従業員を採用してあの大食堂を復活させること。
場所は人の集まりやすいところ・・・ヨーカドーのテナントとして入ってもいいかな。
(出来たら「昭和の学校」もここに移したい)
社長らが文句を言って来たら「会社譲ってもいいよ」と(笑)。
花巻だけでなく岩手の観光資源の1つでもあるのであの食堂だけは何らかの形で
存続させないと勿体ないと思っています。
全く興味がない様子ですね。
スーパーもマイヤにしちゃったし。
ハード面が今回の理由になってますが、
高齢社員のリストラも陰の理由みたいです。
誰もがもったいないとは思ってますが
さりとて代わりが務まる人も会社も無し。
花デパ跡地利用しそうにもない◯カコーラも
恐らく誠山房ビル持ってるであろう金融機関も
街の活性化など歯牙にもかけてないでしょう。
一番危惧されるのは
閉店後のあの建物です。
壊すにも巨額のお金がかかるきょうび
壊しもしないで廃墟と化すことが心配です。
更地にして新たに誰かが商売するのであれば
まだ救われるのですが、
梅津や誠山房の建物みたいになったら
もう上町は廃墟に街になりますね。