風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

桂沢金山

2022-12-10 | 文化
かつて花巻には鶯沢鉱山という
明治19年から昭和37年まで硫黄を輩出した鉱山があった。
硫黄は火薬の原料なので、特に明治期〜戦前にかけて、
軍需のための生産が盛んだったのだろう。
大正5年には運搬のための馬車鉄道が敷設され、
その軌道が花巻電鉄に受け継がれた由。

ところが、あまり知られておらず資料もないに等しいが
実は明治末期、近くに金山もあった。
名称は「桂沢金山」。
いろいろ調べてみると、
明治36年から掘削が始まったようだが
大正時代半ばにはもう閉山となったようだ。
かつて岩手県営野外活動センターがあった豊沢ダム上流
沢内へ抜ける中山街道と雫石への山道の分かれから西に数百m。
(写真の地図の赤い四角のあたり)
桂沢という川から水路を引いた作業場で
選別などを行なっていたようだ。



このあたりは奥羽山脈の一部。
少し南西方面へ行くと、金売吉次で有名な湯田の金山もある。
ここに金が出るのもあながち唐突なことではない。
閉山となってしまったが、
金の生成に使うためにこの地で炭焼きも始まったとのこと。
閉山後もその木炭が豊沢の人々の現金収入につながったようだ。

昭和37年に豊沢ダムができ、
豊沢の集落はダムの下に沈んでしまったのだが、
今もそこから移り住んだ人たちが豊沢会という集まりを持っている。
ダムに沈む前の集落を記憶する人すら少なくなってきている現在、
まして桂沢金山をリアルに知る人はもういない。
せいぜい親や祖父母から聞いたことがあるぐらいだろう。
そういう古老も減ってきているので
昔のことを聞いておくのは待ったなしなんだろうな。


当時桂沢金山で働いていたらしい方々。
なぜ半纏に「出羽澤鑛山」と書いてあるのか不明。
桂沢より南の豊沢ダム西側に出羽沢という川がある。
しかしその川沿いに鉱山や金山があったという記録は
今のところ見つけることができない。
謎だ。
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2 コメント

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桂沢鉱山の事 (佐々木伸行)
2022-12-10 17:49:30
「宮沢賢治に誘われて」‐郷土史童話の森を行くー に著者、佐藤孝さんは桂澤金山の事を書いて居ます。
(その部分を、メッセージに付けて送って見ます)
豊沢の炭焼きがご祖父から教えて頂いたことを書いた高橋亀三郎氏も働いていたと書いて居ます。
 生前にお会いして、豊沢の事を色々お聞して居られたようです。また出羽沢と関係のある鉱山の事も書かれています。
返信する
>佐々木伸行さま (風屋)
2022-12-19 11:11:45
情報ありがとうございます。
返信する

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