真っ黒く塗られた板壁に白い窓枠が映える。
同じく白く塗られた入り口ドアの扉の横には
郵便受けがわりにかけられている錆び付いたアルトサックス。
いつものように、事前に寄った本屋で買った
確かカミュの「シーシュポスの神話」の文庫本を片手に持ち
カウベルを鳴らしながらドアを開けた。
店内は薄暗く、端に置かれたピアノも目立たない。
白いレースカーテンがかかる窓際の席へ。
コーヒーを注文して本を開く。
前の席にひとりで座っていた知らない20代ぐらいの女性が
「高校生?いつも来てるよね」と静かに話しかけてきた。
「はい」とだけ答えてまた本に目を落とす。
話しかけてきた女性はそれっきり窓の外へ目を向ける。
そんな日が確かにあった。
場所は花巻の裏通り、双葉町にあった喫茶ぐがーん。
たまに夜、プロのフォークシンガーや
ジャズミュージシャンなどのライブを行なっていたが
残念ながら親に止められ、行ったことはない。
訪れるのはいつも学校帰りに立ち寄る本屋のあと。
静かな店内にはどんな音楽が流れていただろう。
ちょっと記憶にないが、
学校の喧騒からも、うるさい親の目からも離れた
ひとりきりの落ち着いた時間。
今考えると貴重な時間だった。
大学受験を含めた進路のことや勉強、
部活などで青春を謳歌している同級生たちへの負い目など
モヤモヤした気持ちも忘れ、本に向かえる至福の時間。
店内に立ち込めるタバコの煙とコーヒーの匂い、
少し開けた窓からカーテンを揺らしながら微かに吹いてくる風。
高校2年から3年にかけての頃の記憶。