風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

メッセージ

2004-10-26 | 風屋日記
世の中には色々な考え方がある。
ひとりひとり少しずつでも考え方が違うといっても過言ではない。
私は各々の人達の考え方について、良い悪いを決めつけるつもりもないし、
私と違う考え方をもつ人達を非難するつもりもない。
平和を求める人も、対話の道を模索する人も、力に訴える人もそれなりの理由があり、
バックグラウンドがあり、ポリシーがあるのだと思う。
相手を尊重し、自分と相手との違いを認めることこそ、
争いを無くすためにもっとも必要な考え方だと思うからだ。

ただし全く関係ない人達(それは往々にして老人や女性、子ども等の弱者が多い)の命を奪ったり、
身体を傷つけたり、悲しい思いをさせたりすることは間違っていると思う。
彼らにも自分の考えに沿って幸せな生活を営む権利がある。
そしてそれは国家だとか、民族だとかを超えた、もっと根源的なものだと思う。
国家や民族のために自分や家族や自分の知人達が犠牲になってしまうというのは
本末転倒ではないかと思う。
自ら国家や民族のために生きるという考え方は否定しない。
それもひとつの考え方であると思う。
しかし、そうは思わない他の人間を巻き込むことは、
同じ星に住むものとして許されることではないと思う。

私は純粋に、子供達の笑顔が見たい。
自分なりの大きな夢をもって欲しい。
違う生活環境や価値観や文化をもつ人達を知り、尊重し、認めあって欲しい。
そして自分達の生活や、自分達がもつ文化を大切にして欲しい。
そのためにはその親や家族や知人達に、
生命の危険を感じるような不安を与えてはいけないと思う。
ささやかでも日常の生活に幸福を、全ての人達が感じることのできる世界を、私は強く願う。

もう一度くり返すが、様々な考え方の違いを私は否定しない。
反論はあるが、それはあくまで相手との違いを認めているからであって、
相手を全面的に否定するつもりは全くない。
できることなら世界中の人達が(考え方や価値観の違いはあっても)、
自分と相手との違いを認めるという考え方をもって欲しいと願う。
アメリカの人達も、ロシアの人達も、イスラエルの人達も、パレスチナの人達も、
アフガニスタンの人達も、ソマリアの人達も、コロンビアの人達も、チェチェンの人達も、
そして、日本の人達も。

(1993.12.21に開催された自衛隊のイラク派遣に反対する平和集会にて読んでもらった私のメッセージ)
コメント (2)
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