シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

十三夜+3夜

2012-10-30 | 日常のできごと

日付けが変わる前に帰宅。いつもなら暗い路地が・・・明るい!
見上げると、真夏の太陽・・・のような所に月がある。“影踏み”ができそうだ。

「お月見」といえば、旧暦八月十五日の『十五夜』だが、旧暦九月十三日の『十三夜』もキレイな月を眺める(お月見)日だ。

井上陽水さんは、1972年『陽水Ⅱセンチメンタル』に収録された「神無月にかこまれて」で、
♪人恋しと泣けば十三夜
 月はおぼろ 淡い色具合
 雲は月を隠さぬ様にやさしく流れ
 丸い月には流れる雲が
 ちぎれた雲がよくにあう

と歌っていたが、昨日・今日と見るかぎりではクッキリ!気持ちの良い月だ。
まぁ10月27日の十三夜は3日前だけど・・・。

 

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誰かが落とした悲しみを

2012-10-28 | 音楽と…

かつてはNSPファンだったので、CDのベストアルバム的なモノは持っている。でも、他にも曲がたくさんあるので時折Webで検索してNSPを聞くこともある。

先日、珍しく『誰かが落とした悲しみを』という歌に行きついた。かなり久し振りに聞いた。これは1978年「八月の空へ翔べ」というLPにはいっている。収録曲は、

 ・恋は水色涙色
 ・八十八夜
 ・秋の木立ちと天気雨
 ・湖
 ・誰かが落した悲しみを
 ・八月の空へ翔べ
 ・愛の行先
 ・色あせた風景の中で
 ・そのままの君でいて
 ・週末
 ・避暑地にて

ん~懐かしい(でも、3曲ほど思い出せない)。平賀さんが歌を担当することは少ない。『誰かが落とした悲しみを』は天野滋さんの作詞・曲で歌:平賀和人さんだ。

♪誰かが落とした悲しみを 拾うことなど無いだろう~
という出だしが、大人になると様々な事に例えられ沁みますな~。


さて、行きついたWebサイトはこちらなのだが、
http://www.thesocialmusician.net/videofeed/sPFFv4P7On4

曲が終わった後に、さらにもう一回イントロが流れた。日記を書きながら聞いていて「アレッ!?」と。動画をみると男性が一人、しかも中国語で歌い始めた。「これは何だ?誰がカバーしている?」と、戻して名前を確認するが中国名の漢字がよく分からない。

カチャッて調べてみると、タイトルは『情感的禁区』になり、歌は広東語で「劉徳華」が歌っているようだ。劉徳華は「アンディ・ラウ」だった。

アンディ・ラウの名前は聞いたことがある。香港の有名な俳優・歌手のはずだ・・・が、何故NSPをカバーしているのだろう。しかもLPの中の曲を???

相当前の動画だとは思うが、香港のトップスターが何故NSPをカバーすることになったのか、その経緯を知りたいものだ。

 

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気分は下がりっぱなし

2012-10-27 | 思う事、私の事

日曜から月曜と元気がでず、仕事関係の心労によるものだな~と、お疲れだな~と、週初めなのにな~と思っていた。そんな話を妻に言ったら「風邪じゃん」と。あっそう、どうりでダルイと思った。風邪薬で何となく復活。

しかし、その後(今週)は身の周りでいろんな事があった。
会社の業務のことや人的なこと、夏の出来事の新たな展開などなど。
(たいていの事は記しているが、これらは詳しく書きにくい・・・)
時おり考え込んでしまうし、気分は下がりっぱなしだ。何かイイことはないものか。

 

昨日は、月イチの歯のメンテナンス。ここ1ヶ月位グラグラ奥歯が浮いている状況だ。深い所で菌が増えていて、もう抜かないとこれ以上の治療はできないようだ。
ただ、抜くにしても土台が下がっていて、抜いたら間近の動脈が・・・そんなおそれがあるので、先生は「私は抜くことができません。三井記念病院で抜くことになります」と。滅入るわ~。

今日、少し陽がさしてきたので、車で近くの公園に出向き樹見散歩していたら、充電していたはずのカメラのバッテリー2個が直ぐになくなった。何なんだ~。

 

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ネジバナ、ベンジャミン、カポック

2012-10-22 | 我が家~植物・生物

(備忘録として記しておこう。)

10月14日、ベランダの「ネジバナ」を一回り大きな鉢に植え替えた。
元々の株が分かれて増えていたし、さらに周りに落ちた種からも芽が出ていた(これは初めて見た)。1センチくらいの葉が1~3枚、いくつか出ている。

ネジバナの根を見たのは初めてだ。かなり太く(鉛筆位?)そして短い(10センチ無い位)。元々の株はまとまっていたので株分け(根分け)が難しそう~と思っていたのだがそうでもなかった。
(根の写真を撮っておこうと思っていたけど、土をキレイに取るわけにはいかないのでやめた・・・・・。簡単に言うと撮るのを忘れていた。)

新しい芽も、根はしっかりしていた。これなら根付いてくれるだろう。
とはいえ、春までは生長しないので少し心配ではある。
(後で写真を撮っておこう。)


10月21日、ベランダに置いた「ベンジャミン」を室内に入れた。毎年、夏の間は外に出している。そして伸びる、適当に上を詰める、の繰り返し。

店先の大きなベンジャミンは、編み込まれていたり、形よく剪定していたりするが、我が家のは“自然に任せるのが良かろう!”と・・・放っている。

ただ、上を詰めても年々徐々に高くなるし(今は2m位か)、枝もしだれたり拡がったりする。あまりにはみ出るのは切るにしても、この先どうしたものか分からないでいる。
この夏作られたトックリバチの巣もそのまま残っている。


そういえば、「カポック」も数年前から室内にあるのだが、上へ上へ伸びて自重を支えられなくなっている。それでも上へ伸びる。一度ガッツリ切った方がイイのかな?と思ったりもする。

何かで「育て方」をキチンと読んだ方が良いのは分かっているけど、そこまでは至らず、細く伸びている姿は嫌いじゃない、と思いながらこの先どうしたものか分からないでいる。
(最初「パキラ」と書いていたが、「カポック」の間違いだった。)

 

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「森林公園」というところ

2012-10-20 | 日常のできごと

昔々10代の頃、上京し東武東上線沿いで一人暮らしをしていた。当時の東上線は床は板張りで扇風機が回っていた。
電車内出入口の上に東上線の駅名案内があり、「森林公園」は最後の方に書かれていて、「森林だもんな~ずいぶん遠い所にあるのだろうな~」などと思っていたことを想い出す。

その後、もう二十数年になるが「森林公園」が車で1時間かからない所に住んでいる。
初めて「森林公園」に行ったのは2年前。子供達は幼稚園の時に遠足で行っている。

先週、4回目となる森林公園に行ってきた。初めてから2回は中央口から、3回目は南口から、そして、今回初めて西口から入った。

西口の行き方をナビの通りに進んでいくと、途中で「森林公園駅」の近くを通り、その道路案内板を見ながら前述のような思いに耽ったしだい。

カーナビの情報を更新していないので、西口に至るまでは有料通りになっている。そんなことはないだろうと進む・・・・・そんなことはなかった。

駐車場は近くの民間を利用した方が良い(かもしれない)。数十秒~数分遠くなるが料金は半額以下だ。中央口や西口は民間の駐車場が公園の駐車場の近くにあるのだが、初めての西口は入口が大通り沿いで、周りは田んぼで・・・・・まぁ然るべきところに落ち着いた。

この時期、森林公園では景観植物になっている以下の3種類が見頃だった。
 ・コキア http://ino1127.blog57.fc2.com/blog-entry-342.html
 ・コスモス http://ino1127.blog57.fc2.com/blog-entry-343.html
 ・コリウス http://ino1127.blog57.fc2.com/blog-entry-344.html

リンクのように「きれぎれの楓彩」で取り上げたが、その他の植物に関しても、もう少し続く予定。森林公園はフルネームで『国営武蔵丘陵森林公園』、やはり国営だけのことはある・・・・・と思ったネ。

 

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べったら市2012!

2012-10-19 | 四方山話…

3年連続となった日本橋の「べったら市」詣で。相変わらず人出が多いこと。(昨年と同じ出だしだな~。)
参詣の婦人にべったらだーべったらだーと呼びながら着物の袖につけ婦人たちをからかったことから、べったらの呼名になったと伝えられている。

宝田恵比寿神社から椙森神社の界隈。さして広くない路地に約500件の露店が並び立つ。そりゃ~もう大賑わいだ。様子だけ記しておこう。

今年は特に縦走する意気込みがまったくなく、椙森神社の方から入って宮内庁御用達のべったら漬けの店で、ハーフサイズ(500円)を購入して退却。

会社のオバちゃんは、“町内”のべったら漬けを毎年買うという。通常サイズで800円。他の露店では1,000円~なのでお買い得ではあるが、我が家的には大きい。

毎回長蛇の列は、『魚久』の切り落としと椙森神社の参拝。唯一冨塚のある椙森神社はべったら市のついでなのだろう。

宝田恵比寿神社は、大通り沿いの提灯で雰囲気を。

路上で宴会する方々、年々増えていると思う。昨年も書いたが、個人的には「何でこうなるの!」と思ってしまうな~。

過去2年の経験を活かし、今年はベったら漬け持ち帰り用にフリーザーバッグを用意した。これは大正解!電車の中で臭うこともなかった。

 

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日銀の装飾・人之助・魚平

2012-10-14 | 日常のできごと

(前回の続き)丸の内駅舎の後、日銀の方に向かう。旧館を眺めていると、石柱の上の方に何かの飾りがある。あれは何だろう?

四方に何か綱のようなものがまわされ、四隅に何か(トウモロコシのようなもの)が下がっている。あとで調べてみよう。

と思ったものの、Webではまったく分からなかった。仕方がない。また何かで・・・。



この日の夜、人形町で毎年恒例の「人形市」が催されているというので、同僚と2人で行ってきた。個人的には2年前に続いて2回目(だと思う)。

人形町通りの両側に50店以上のテントが並び、ひな人形や日本人形、西洋人形、ぬいぐるみなど、さまざまな種類の人形を売り出す。日本全国からの出店も多いようだ。

あるテントを覘いたら人形は置いてなく、「人之助グッズ販売」の張り紙とともにハンカチやTシャツなどが売られていた。

コレって?お店の方に聞いてみると、「人之助(にんのすけ)」は人形町のキャラクターだという。所謂“ご当地キャラクター”とか“ゆるキャラ”のようだが、この町でもゆるキャラがいたとは知らなかった。調べてみたら、誕生は昨年の10月10日だった。

人形市自体に関しては雰囲気だけ味わってきた。

↑ゲゲゲの鬼太郎は2年前もいたと思う。店長はゴールド招き。
↓何故かタヌキとイノシシの剥製があった。これも人形の類?



この後、立ち飲みの「加島酒店」に行くが満員に見えた。無理をすれば入れるのかもしれないけど、慣れていないので遠慮した。

それから、別の立ち飲みに行った。狭い店内だが・・・ラッキー!空いていた!しかも、早い時間から常連さんで一杯になる厨房前のカウンターだ。
ココには2~3回来たことがある。でも店名を知らないので調べてみると「立呑み 魚平」のようだ。美味しい魚料理が200円から。ホッピー(白)といただいた。

このような店は常連さんが多い。今回新参者の我々は、L字カウンターの角を挟んで4人の常連さんと歓談した。“不良おばちゃん”と童顔のオッちゃんが陽気だった。

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東京駅:丸の内駅舎

2012-10-13 | お出かけ

昨日は、大手町(千代田区)の某ビルに届け物をする用事ができた。他の方に依頼しても良かったのだが「いや、まてよ!」と。大手町ならついでに丸の内駅舎をチラッと見てこよう!と考えた。

JR東京駅の丸の内駅舎は、10月1日グランドオープンした。5年4カ月にわたる復元工事が完了し、1914年の創建当時の姿がよみがえった。総工費は500億円。45年の東京大空襲で焼失した3階部分も復活した・・・。

ニュースや情報番組でも取り上げていたし、あえて見に行くというのもどうかと思っていたけど、ついでがあればね~それはそれで。折角なので記録しておこう。

行ってみて驚いたのは、観光客というか人の多さ。10日以上経つし平日なのに何で!?以下の画ではなるべく人が途切れた時を狙って撮ったこともあり、分からないかもしれないけど、いや~ホントに多かった。

北側から南側に向かって。長い建物だ。

中央から南側だけでもこれくらいある。もっと大きく載せても良かったかな。

中央南寄りから北側に向かって。

北側の北口コンコースがある部分。よみがえったドーム屋根。

中央部の東京駅ステーションホテル。柱頭部は花崗岩。

こちらは南側の南口コンコースがある部分。

ドーム部分。屋根は天然スレート。

2階から3階建てになったが、ドーム部分の高さや中央部の屋根の高さはほとんど変わらないようだ。

様々な媒体で相当取り上げられたと思われるドーム内を見上げる。八角形の角の白い鳥はオオワシで幅2.1m。

その下の部分。2枚の画をつなげてみた。皆上向きでカチャパシャ。

じっくり見ることはできなかったけど、とりあえず満足し早々に帰社した。

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映画『ボーン・レガシー』

2012-10-11 | 映画・TV・ヒーロー

今日も『和風総本家』はヨカッた!特にカトラリーと鉋(カンナ)は、新潟の職人さんだったのでよけいに!最後はおもわず泣きそうになった。

さて、この前の日曜日は映画を観に行ったので、記録として留めておこう。
(↓公式サイトの壁紙ダウンロードを拝借。)

記憶を失ったスパイ、ジェイソン・ボーンの戦いを描いたロバート・ラドラム原作、マッド・デイモン主演のスパイアクション、ボーン3部作(「ボーン・アイデンティティー」「ボーン・スプレマシー」「ボーン・アルティメイタム」)と同じボーン!

「ボーン・レガシー」は、これまでのボーン3部作の世界観を引き継ぎ、ジェイソン・ボーンの戦いの裏側で繰り広げられていた、もう1人のスパイの物語をジェレミー・レナー主演で描いたもの。
CIAの極秘計画「トレッドストーン作戦」によって生み出された最強のスパイ、ジェイソン・ボーンが起こした一連の事件は、同計画によって生み出されていたもう1人のスパイ、アーロン・クロスを巨大な陰謀に巻き込んでいった・・・。

以前は記憶を無くしたジェイソン、今回は薬が無くなったアーロンと根底が異なるのだが、薬がないと困る度合いがよく分からなかった。

とはいえ、このようなスパイものは面白い。大概の男子はそうでしょう。
それに、マニラでのカーチェイスではなくバイクチェイスも迫力があった。
そして、2つのボーンはまだまだ続きそう・・・。


帰宅すると、玄関脇のコナラにアカトンボ!我が家にも秋が来たのかな。

 

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西郷会館→UENO3153

2012-10-07 | 日常のできごと

9月20日に珍しく出かける用事があり、さらに夕方からだったのでそのまま直帰することになった。帰りは山手線内回りで乗り換えの上野駅に向かう。

通勤は上野駅で地下鉄に乗り換えるので、山手線(もしくは京浜東北線)は久し振り。上野駅に近づいた時、車窓の外に妙に明るいビルが見えた。アレ!?確かあそこには古いビルがあったはずだし、あの明るいビルは何だろう・・・と思ったが、深く考えもせずそのまま乗り換えて帰宅した。

しかし、その後も何となく気になっていた。新潟県人にとっては♪上野は 俺らの 心の駅だ~という『あゝ上野駅』の時代ではないが、上野駅は他の駅よりも気になるというか親しみがあるというか・・・。

昨日、休みなのだが急いでいる書類作成とたまった書類整理のため出社することにした。そこで、朝地下鉄に乗り換える前に立ち寄った。

上野駅から外に出て京成上野駅方面に向かう。・・・考えてみると、ここ数年の間でも、上野駅界隈には何度か来ているのだが、反対側のほうだったり、アメ横のほうだったりで、京成側には相当長い年数来ていない。・・・

JRのガード下から建物が見えてきた。何てこった、およそ上野らしくない洒落たビルがあった。

その昔、上階は大きなレストランで1階は土産物屋さん、店先には大判焼き・・・というような記憶がある。それが、精養軒、叙々苑という敷居の高い店の他、寿司・海鮮・ステーキ・手羽先などなど。

変わるものだな~!と、隣のビルを見ると、こちらは変わらないザ・昭和!だ。でもここはかつて映画館があったはずだが、その影もない。朽ちかけの様相。「上野松竹デパート」の文字に哀愁がただよう。

それはさておき、新しいビルになって屋上からの西郷さん辺りは(※)どうなったのだろう。気になるけど・・・そろそろ、会社に行かねば。

※この並びの建物は上野の山(上野公園)を削って建てられていて、建物の屋上と西郷さんの銅像がある公園の地面レベルがほぼ同じ。建築上の制限によるのだろう。

夕方、書類整理は後に回すことにして、結局、陽が沈む前に西郷像を見に行くことにした。(こういう時でないとなかなか足がむかないのでね。)

京成の手前の広い階段を上り(似顔絵屋さんは健在)、さらに階段を上る・・・見えてきた。

↑右下から斜め左にむかう右側が新しいビルの屋上だ。屋上も小奇麗だった。銅像はけっこうギリギリに建っているな~。
西郷さんは相変わらず見果てぬ海の向こうを眺めていた。

帰りは、ビルの屋上から階段で下りた。途中に置いてあったリーフレットをみると、この建物は『UENO3153』で「うえのさいごーさん」と覚えてネ、だって。


以前の光景があやふやなのでカチャッてみると、「上野経済新聞」というWebサイトに載っていた。ちょっと拝借。

上野駅前のランドマーク的存在だったファミリーレストラン「聚楽台」(1959年:昭和34年秋オープン)が入居していたビル「西郷会館」が老朽化のため2008年4月に閉店。その後、建て壊し、4年半越しに「UENO3153」と名前を変えてリニューアルオープンした。

そうそう聚楽台だったな~、入ったことはないけど。しかし、50年間の歴史は建て替えで閉店。3153には聚楽台は入っていない。

2008年4月:聚楽台支配人のコメント「50年間も営業を続けられたのは、応援し続けてくれたお客さんと、熟練した接客技術をもったベテランウエートレス・従業員の功績が大きい。みんながワイワイできるような、上野らしさを失わない形で再オープンを迎えたい。」

しかし、4年半後:ビルの施設を運営する方のコメント。聚楽台については「出店交渉したものの、条件面が折り合わず断念せざるを得なくなった」
この4年半で経済状況が変わったのだろう。それも仕方がないか。

上野は北の玄関口、日本を代表するターミナル駅として栄えてきたのだが、何故だろう、駅ビルは無い。その代わり上野駅前のランドマーク的存在だったのが「聚楽台」が入居していたこのビル「西郷会館」だった。

東京駅丸の内駅舎が昔の威容を取り戻したニュースと比較するつもりはないけど、えらい違いだな~。

さらに「東北縦貫線」計画があり、JR東日本の上野駅と東京駅を結び、上野駅止まりだった宇都宮線・高崎線と常磐線を東京駅まで乗り入れ、東海道本線と直通運転させる。当初は2013年度開業予定だったが、2014年度の開業を目指すことになったようだ。

2014年といっても2年後だ。上野駅はどうなっているのだろう。もはやターミナル駅ではなく普通の駅に近くなる。
今でも新潟や東北から上京する方にとって上野駅は通過駅なのかもしれない。数年後に『あゝ上野駅』は「昔、昔のことじゃった」になりそうだ。


ところで、山手線に乗った時に反対の車窓を見ていたら、今でも3153に気がつかなかっただろう。通常と違う行動、たまたまって大事だな~。

 

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