シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

長崎市:クリームソーダ、帰りの事、ホテルの事

2024-06-26 | お出かけ

*前回までの日記で、路面電車の乗り降りするところを「駅」と記していたが、路面電車の場合は「停留場」であり、略して「電停」と呼ぶ。ということを知り(長崎駅以外を)修正した。

〔一泊二日 長崎市の旅。旅行記&備忘録つづき〕
二日目の5月25日(土)、眼鏡橋を見た後は・・・喫茶店探し。この日も朝からよく歩いたし、そろそろ一服したかった。スマホで検索し向かう、1軒目は休みでがっかり、2軒目は営業中!電停から離れたけど仕方がない。

メニューを見ていると、妻はクリームソーダにするという。そっそれは・・・懐かしい。私も便乗することにした。供されたグラスにはアイスが2つ入っていた(最近はこうなのかな)。まずはストローで一口飲む・・・が原液だった~。そうだ、最初にかき混ぜないと。


クリームソーダをいただき、水も飲み、一服し、落ち着いた。
この後どうするか?妻は「もう充分。疲れたし」と。それもそうかと。早めに空港に行って、時間があればそこで休憩しよう~となった。空港バスは新地中華街にあるバスターミナルを利用することにした。

路面電車に乗り「新地中華街」電停へ。昼に出島へ行く時に土産屋があったので、大通りを渡って立ち寄ることにした。戻りも大通りを渡ったので、この日3回渡ったことになるが、3回ともしばし立ち止まることになった。
この大通りには横断歩道があるけど信号が無いのだ。車にバス、路面電車と交通量は多いのにだ。しかし、見ていると地元の方?は普通に歩きだし、車は立ち止まる。横断歩道だから当たり前かもしれないけど、それなりに道幅もあるので感心した。

土産屋には、カステラが幾種類もある。妻が迷っていると「切り落としがお得ですよ。味は変わりませんし」と店員さん。小さめサイズでリュックに入れるのにも良さそうで購入。他には、焼きあご煎餅、私用あご一夜干し等々購入。

土産を買い、バスターミナルで待ち時間を過ごし、空港でもチェックインした後で休憩。
飛行機の出発は18:15。羽田ではずいぶん遠い所でバスに移され、到着口まで20分近くかかった。
自宅最寄りの駅に着いたのは22:00頃。サイゼリアで遅い食事と赤いのを軽く飲んで帰った。



最後に、訳あり(?)で利用したホテルのことを記しておく。
FAV LUX 長崎』というホテルで「大浦天主堂」電停から徒歩2分。今年の2月開業。
 公式サイト https://www.fav-lux.com/hotel/nagasaki/
スタイリッシュなデザインで定員4人の部屋が多く、バンクベッドのある6人の部屋もある。我々は2人なのでキングベッドの2名用。


インバウンド需要に応えるに十分なキッチンがあった。(部屋によっては乾燥機付洗濯機もあるようだ)


朝食は1階にある、長崎で人気のベーカリーカフェ「JUNE COFFEE」を利用し、テラスでいただいた。


なお上階には、ハイスペックな貸切サウナがある。それなりのお値段なので我々は利用しなかったけど、サウナの好きな家族・グループが利用するのは良いだろう。

〔一泊二日 長崎市の旅。旅行記&備忘録。了〕

 

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長崎市:長期復元整備中の「出島」~治水と共に「眼鏡橋」

2024-06-22 | お出かけ

〔一泊二日 長崎市の旅。旅行記&備忘録つづき〕
二日目の5月25日(土)、新地中華街でのランチ後は、出島へと歩いてゆく。

鎖国時代、日本と西欧を結ぶ唯一の窓口であった出島は、交流拠点として日本の近代化に大きな役割を果たした。しかし、幕末に日本が開国すると出島の役割は終焉を迎え、明治期からは周辺の埋め立てが進み、海に浮かぶ扇形の原形が失われた。
1951(昭和26)から出島の復元整備事業に着手。最終的には四方に水面のある19世紀初頭の扇形へと完全復元を目指し復元整備が進められている。

現在、川に架けられた出島表門橋(2017(平成29)年架橋)を渡って、復元された表門から出入りする。


前日のバスガイドさんが言うには、新しい橋は趣きのある当時の石橋のイメージを期待していたようで、鉄骨の橋がクレーンで架けれた時は少しガッカリしたそうだ。でも、現代の技術の活かし、出島側の石積みに負荷がかからないよう、そのままなら片持ちで維持できる構造らしいのでエライものだ。

正面向かって右側が復元ゾーン、左側が交流ゾーンで明治期の洋館も活用している。


現存する江戸や明治の石積みを守りながら、景観に調和した護岸整備が行われた。


出島の中には、1820年頃の出島を15分の1サイズで表現した「ミニ出島」がある。200年以上の歴史がある出島のひと時。


当時の出島で最も大きい建物は「カピタン部屋」で、オランダ商館長(カピタン)の事務所兼住居。2階の広間では阿蘭陀冬至(クリスマス)の宴の席などが再現されていた。


裏には「乙名(おとな)部屋」という、日本側の貿易事務や管理を担当していた出島乙名が拠点とした建物。乙名は出島の町長さん的な役人。ここだけは日本的。


出島の東西を繋ぐ通り。復元ゾーンから交流ゾーンを見る。


旧長崎内外クラブ」は、1903年に長崎に在留する外国人と日本人の親交の場として建てられた。1Fはレストラン。訪問時は貸し切りで利用できないと入口で案内があった。


↑画は通り沿いではなく旧出島神学校との間の広場から撮影した。
その近くに「デジマノキ(コパールノキ)」という大木があった。オランダ人が幕末にジャカルタから移植したもので、日蘭交流の貴重な記念樹となっている。
取り上げ所満載の出島だが、この辺にしておこう。
今後の復元状況の進展は気になるので、時々公式Webサイトをながめつつ、数年後、十数年後を楽しみにしていたい。


この後、眼鏡橋へ行くため路面電車を利用することにした。路面電車に乗ることも観光の一つ。路面電車や前日利用したバスもSuicaが利用でき便利でスムーズ。ただ、個人的には通勤感が湧かないでもないので少し味気なかったり。(かといって小銭の用意もなかったけど・・・)

眼鏡橋の下流に架かる袋橋から眼鏡橋を見る。水位が低いので川縁の歩道散策や飛び石の上で記念撮影する方もいた。


眼鏡橋は、現存最古のアーチ型石橋の一つで、国指定重要文化財。川面に映る影が双円を描きメガネに見えることからこの名前がついたと言われる。


階段で川縁に降り眼鏡橋まで行く。水はキレイで、小魚がけっこういるな~という印象。
1982(昭和57)年の長崎大水害で一部崩壊したが翌年復元された。橋長22m、幅3.65m、歩行者専用の人道橋だ。


歩道沿いの案内板を見ると、ここ中島川には幾つも橋があり石橋も多そうだ。それと山裾に多数のお寺が並ぶ。平地の少ない長崎の街づくりを表しているように思えた。

後日マップの航空写真を見たところ、お寺の背後の山の斜面が全面墓地として造成されていて驚く。そういえば前夜に稲佐山からハート形の灯を見たが、墓地を利用しているとバスガイドさんが言っていたのは、ここかもしれない。

歩道は幅があり植栽やベンチもあって細長い公園のようだった。アジサイは市の花ということもあり、珍しい園芸種が多数。


電停に近い常盤橋から上流を見る。橋は袋橋だが、それよりも川の左右の暗渠!?が目にとまる。


気になるので調べてみた。1982年の長崎大水害で未曾有の被害を被った後、当地では重要文化財「眼鏡橋」を残したまま如何に治水するかが検討された。そして、川を拡幅する方法として、両岸にトンネル水路(バイパス)を設置し暗渠にし、その上を道路や公園として整備したという。
眼鏡橋の上流の橋の先で川の水を水路に逃がし、常盤橋の手前で戻すわけだ。橋を守り治水するとともに公園もでき・・・素晴らしい。

ところで、眼鏡橋・錦帯橋(山口)・日本橋(東京)は、日本三名橋と呼ばれるそうだ。
眼鏡橋や錦帯橋に比べると、日本橋は歴史があっても首都高に覆われ風情がない・・・と皆思うことでしょう。
この日本橋も再生計画が進んでいる。首都高を地下化するわけだが、長崎の出島を倣って昔の面影を取り戻してほしい。

〔オマケであと1回、つづく〕

 

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長崎市:グラバー園~オランダ坂~新地中華街

2024-06-17 | お出かけ

二日目の5月25日(土)、ホテルを9時にチェックアウトし、グラバー坂を上り、大浦天主堂の前を通って、グラバー園に入る。ホテルに近いし、長崎初心者としては見ておくべきであろうと。


Mapを見ながら見て回るコースを考える。第1ゲートから入ったけど、今日の予定からすると第2ゲートから出たい。


まずは、国の重要文化財で世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産でもある旧グラバー住宅。1863年に建築された現存する日本最古の木造洋風建築。グラバーと息子の二代が暮らした。

グラバーは、日本でグラバー商会を設立し、近代的な技術を用いた修船場や石炭の採掘の開設に携わった。また、街中で記念碑を見たが、日本で最初に蒸気機関車を走らせたのもグラバーで、長崎でのこと。(営業運転というこでは、7年後の新橋~横浜)
室内は当時の様子が再現されている。

温室もあり、植物に囲まれた暮しをしていたという。
リンガーはイングランド出身で、来日したのは・・・何と21歳。そのことにも驚いた。


長崎のもう一つの世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つは前を通った大浦天主堂。何と!2つの世界遺産がお隣同士にあるわけだ。

旧ウォーカー住宅は、近くの元所在地から洋風の意匠を残す部分のみが移築された。

全ての旧宅は当時の写真などを参考にしていると思われるが、ここの室内は他に比べギュッとしたいた。


旧リンガー住宅は、1868年に建設。国の重要文化財。親子三代で暮らした。グラバー商会に招かれ、その後ホーム・リンガー商会を設立。戦時中に閉鎖したが、日本人従業員が北九州市門司で再開し社名を継いで現在にいたる・・・繋いでいるってスゴイ。

室内(応接室)の家具・調度品は重厚感あり。


旧オルト住宅(1865年に建設)も国の重要文化財だが、この時は保存修理工事中。
その先に、移築された旧スチイル記念学校がある。1887年に開校。その後、日本の私立学校としても使われた。1972年に市に寄贈され、当地に移築復原。


東京高商(一橋大)、神戸高商(神戸大)に次ぐ第三高商として1905年に設立された長崎高等商業学校(長崎大学経済学部の前身)の表門衛所を横目で見ながら、坂道を上へと進む。

旧三菱第2ドッグハウスは、1896年三菱造船所の第2ドックの建設時に建てられた外国人乗組員用の宿舎。1972年まで使用された後、移築された。
私が生まれた時代には現役だったわけだ。同じ時代に存在していたと思うと、環境の違いを改めて思い知らされる。


手前に展望できるところがあり、そこから遠方を望む。(画はズーム)
北側:赤茶色の屋根は、ミッション系の活水女子大学のキャンパス。その先の高層ビルは、前日にバスの車内で後ろにいたオバちゃんに教えてもらった市役所庁舎。


西側:昨日、夜景見学ツアーで上った稲佐山山頂展望台と電波塔が右上に、手前に「ジャイアント・カンチレバークレーン」がある。(電波塔はけっこう大きいな~と実感)


グラバー園を第2ゲートから出て、グラバースカイロード(斜行エレベーター)で斜面を下る。
大浦石橋通りを渡って、少し行くと長崎孔子廟中国歴代博物館の入口(だけ確認)。


その反対側には、素敵な銭湯。(事前に調べて入りたいと思っていたが、前夜は時間が合わなかった)


そして、目的にしていたオランダ坂。その昔、♪オランダ坂~で始まる河合夕子さんの「蝶々夫人のララバイ」を聞き、どんな所だろう、行ってみたいものだと思っていた。当日記でもとりあげたことがある。叶うものだな。


♪桜吹雪・・・の季節ではないけど、石畳の坂道は洋館と相まって異国情緒がある。
道路沿いには、東山手洋風住宅群や東山手甲十三番館など。眺めると、大浦天主堂や長崎孔子廟中国歴代博物館などが見渡せた。


坂を降りてからは、新地中華街へと足を運ぶ。せっかくなので、ちゃんぽんの店をWebで検索して入店。特製ちゃんぽんと炒飯を頼みシェアして頂く。特に今まで見たことが無い白濁したスープのちゃんぽんは美味だった。


(ホテルの近くに、ちゃんぽん発祥の店として知られる「四海樓」があったけど、食事時間と移動の時間が合わずパスした。)

食後は・・・〔つづく〕

 

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長崎市:稲佐山への「夜景見学ツアー」は為になる

2024-06-13 | お出かけ

〔つづき〕5月24日(金)、14時過ぎの遅いランチの後「みらい長崎ココウォーク」の1階に移動する。ここはバスターミナルを併設してる。
長崎市の移動はバスと路面電車が便利という。ホテルに近いバス停はグラバー園ということは調べていたが、乗り場は幾つもありどこで待てばよいのか右往左往。
グラバー園の名前を見つけ、既に待っていたバスに滑り込むが大丈夫なのか不安。座席の後ろにいるオバちゃんに聞くと、グラバー園には行くけど市役所まわりなので少し遠回りするとのこと。遠回りでも目的地に行ければいいかと一安心。
人の好さそうなオバちゃんは、あれが新しい市庁舎と教えてくれたり、県庁舎や駅舎、スタジアムなど、ここ数年箱ものラッシュなのよと。地元の方に聞くのは新鮮だ。

バス停から数分のホテルに着き、部屋に落ち着いたのは15時半頃。疲れたので休憩。
TVでのYouTubeを使って「長崎の鐘」を繰り返し聞きながら余韻に浸る。

100万ドル(1000万ドル)と呼ばれる夜景を見たいと思っていた。稲佐山山頂展望台へ行く方法は様々あるが、チェックしているとバスツアーが便利そうだった。電話して聞くと、臨時便にまだ空きがあった。近くのホテル前18:45出発するというので予約した。市内の主なホテルを回りながら客を載せて展望台まで行くようだ。

中型バスによる「夜景見学ツアー」は、単に客を運ぶだけでなく、バスガイドさんがいて観光案内+長崎のこと(平和学習や遠藤周作など等)を話してくれた。これは想定外でとても有意義な乗車時間だった。私のように初めて訪れる者には打って付けだと思った。見聞増し増し。


近くのホテルを出発し、狭い道も通りながら山頂の展望台まで上がる。到着しバスを降りると、まずは展望台近くのマンホール蓋を案内してもらった。デザインマンホールで漫画のキャラクターが描かれていた。これは知っている。(上下逆方向から撮影)

大人気漫画「弱虫ペダル」の主人公・・・じゃない巻島君だ。同様のマンホールは市内27か所にあるらしい。長崎出身の漫画家だが、長崎は自転車が少ないのに(※1)・・・とガイドさんが不思議そうに話す。

稲佐山山頂は標高333m。展望台は全面ガラス張りの円柱形で、スロープが窓に沿ってらせん状になっていて風景を見ながら上り下りできる。
稲佐山からは、東側に長崎港・長崎市街地、西側は東シナ海が望める。
19:20頃、この時季なので日は沈んで夕暮れ・マジックアワー。

南西の方向を見ると、半島が左側から伸び、海を挟んで沖之島~伊王島の細長い島。手前中央の海沿いの集落は、原爆投下時この稲佐山の影になり被害が少なかったという。


南東側の港湾にある三菱長崎造船所には、大きな「ジャイアント・カンチレバークレーン」というクレーンがある。1909(明治42)年に設置された日本で初めての電動クレーン(高さ約62m、アーム部分の長さ約75m)で現役。同型で世界に現存しているものは少なく、輸出した英国が称賛する歴史的に貴重な存在のようだ。

大戦中、長崎造船所で戦艦を極秘で造っている時は、対岸から見られのを防ぐためグラバー園の辺りを買い取ったらしい。


GWなどの繁忙期には内部のスロープから屋上まで大渋滞になるらしいが、この日はそれほどでもないものの、展望台屋上の手すりに沿って人が二重に並ぶ。待って~見て~撮って~位置を移動して~を繰り返す。

画はコンデジに持ち合わせの無い撮影技術なのでこんなものだが、初めて見る長崎の夜景はキレイだった。これが三大夜景(※2)かと。
↓長崎駅から南側の眺め。駅は左側の明るい建物。右側の海上の灯は長さ300m近いクルーズ船。その後背がグラバー園。


↓長崎駅から北側の眺め。画の中央はジャパネットグループが開発している複合施設(※3)で、ビルはホテルになるようだ。


近くの電波塔もライトアップされている。通常は赤白をそのまま照らすが、四季毎に時間によって特別なライトアップをする。この時期は緑だった。


20時になると夜景の中にハート形が見えるというので、しばし待つ。バスガイドから聞いたので知ることになったが、知らない方はスルーだろう。画の中央がハート形に灯っているところ。


ハートを見たらバスに集合。帰りはゲートに入場待ちの車が長い列を作っていた。結果的にツアーを選んで良かったと切実に感じた。

ここからは、基本的に乗車したホテル前で各々降りるが、食事等のために駅で降りたいという要望は聞いてくれる。
我々は、乗車した所で降り、ほぼ満月を見ながら居酒屋を探して、地の酒と肴で癒し、五島うどんで締めた。旨かった。
ホテルへと歩く途中、川(?)の上にほぼ満月。左は路面電車の「大浦天主堂」電停。

〔つづく〕



※1:弱虫ペダルマンホール
長崎市の「下水道供用開始60周年」を記念して、長崎市出身の漫画家:渡辺航による人気漫画「弱虫ペダル」のキャラクターたちが描かれた。市内の観光施設・景観スポットを中心に計27か所(27種類)が設置されている。

都道府県別の自転車保有率で長崎県は下から2番目という調査結果がある。国勢調査の都道府県別「通勤通学時の自転車利用」では、長崎県が最下位。坂が多く石畳の道も多い長崎市のことを考えるとうなづける。

※2:日本新三大夜景
夜景のキレイな都市といえば、昔は神戸・函館・長崎というイメージがあったけど、現在「日本新三大夜景」というのを(一社)夜景観光コンベンション・ビューローが認定し、数年毎に更新を行っている。夜景鑑定士の投票によって決まるらしい。これによると現在の三大夜景は、北九州・札幌・長崎とのこと。
調べてみると他には、神戸・静岡・横浜・東京・函館・大阪・京都などが上位にある。

また「世界新三大夜景」では、モナコ・長崎・上海。えッ香港は?と思った。こちらも調べてみると他に、ニューヨーク・香港・ドバイ・シンガポール・北九州・シドニー・札幌などが上位。
大都市の灯は圧倒的な数・面積があるので賛同する方も多いだろう。対して長崎は決して大都市ではないし、灯の数・面積も少ない。でも夜景鑑定士が選んでいるのは、他に無い夜景の特徴があるから。どんなところかな~と眺めるのも良いだろう。もちろん、単に目の前の光景を楽しむのも良い。

※3:長崎スタジアムシティ
ジャパネットグループが建設しているサッカースタジアムを中心にアリーナ・ホテル・商業施設・オフィスなどの複合施設。
2024年10月14日開業予定。ホテルの窓からはスタジアムの試合が見られるそうだ。
「長崎スタジアムシティ」のこけら落としは、長崎出身の福山雅治によるフリーライブ(無料開催)。招待人数は約25,000人。応募は始まっていて、締め切りは7月7日。争奪戦の確率は上昇中。

 

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長崎市:一泊旅。平和公園・浦上信徒・被爆遺構

2024-06-09 | お出かけ

ホテルの無料宿泊(素泊まり)ができるというイベントの案内を頂いたのが今年の2月。土曜・祝日泊やGW期間中は除く。場所は長崎市。せっかくなので参加することにした。
長崎には行ったことが無いので嬉しいが、旅費はかかる。羽田⇔長崎はLCCの就航が無いこと、ANAの場合、75日前で最大の早期割引があると知る。
そこで、早々に妻と相談のうえ、GWまではいろいろ予定もありそうなので、日程は5月24日(金)宿泊とした。
まずはホテルを確認し空いている部屋を予約した。航空券は一日の中で価格は異なるものの、一泊なので必然的に行きは早く、帰りは遅い便となり、往復一人26,000円ほどで予約できた。
万一、天候や用事で行けなくなったら、日程をずらすしかない・・・と思いながら。

天気予報は2週間前の段階で雨模様だった。雨でも楽しめる施設を探すかな~と思っていたが、徐々に予報は改善!晴れマークとなった。諸々の阻害要因もクリアし、はれて行けることになった(大袈裟)。

旅行の楽しみ方は、訪問地によっても違うだろうし、人それぞれで様々だ・・・。今回一泊の旅ではあるが「見聞を広げる」ことができたという点では大変満足している。原爆やキリシタン、近代産業化のことなど、文字通り「見て」「聞く」ことができた。



5月24日
(金)、最寄りの駅を朝6時過ぎの電車に乗り羽田空港へ。長崎空港に着いたのは10:20で、そこから空港バスで長崎市街に行くことができるのだが、行き方は2通りあり、昭和町経由の方に乗ると平和公園で降りれることが分かった。
そこで、まずは平和公園のバス停で下り、原爆落下中心地から見て回ることにした。

ここの上空約500mで原爆が炸裂した。標柱として黒御影石の碑が立てられている。


その横には、浦上天主堂遺壁が立っている。これは約500m離れた所にあった浦上天主堂の聖堂南側の壁の一部で1958年(昭和33年)にこの地に移築されたもの。


松山町防空壕跡。逃げ込んだ防空壕の中で、治療も受けられないまま、次々に・・・。


隣にあるエスカレーターで丘の上の平和公園に上る。「平和の泉」の碑文を読み、手を合わせる。


願いのゾーンにある「長崎の鐘」は、当地の軍需工場で働いていた人々の慰霊のためのモニュメント。


周囲には、平和を願うモニュメントなどが世界各国から多数(15ほど)寄贈されていた。
式典広場では、たくさんの修学旅行生が説明?を聞いていた。

平和記念像」は、1955年(昭和30年)に完成。像の高さ約9.7m。直近では2019年に修復(塗り直し)された。


平和記念像の左右には「折鶴の塔」があり、平和の願いをこめて折られ届けられた折り鶴を安置している。

 

次に「浦上教会(浦上天主堂)」へ向かう。徒歩約10分。
天主堂の見える丘から見る浦上教会。現在の建物は原爆投下後に再建されたもの。(↓ズーム 35mm換算で170mm)


入口左側のリレーフ「日本の信徒発見150周年記念『旅』殉教への門出」


浦上地域は、1584年頃からキリシタンの村だった。1865年に信徒発見。幕府の弾圧を受け、1868(明治元)年には「旅」と称した浦上村民総配流が明治政府により決定し、金沢以西の20藩に村民約3,400人が配流された。配流先の日々は、大変悲惨なものだった。1873年に弾圧が停止され帰村したものの、多くの信徒は生活すら出来ない状態だった。
その信徒達が真っ先に求めたのは、魂の拠りどころである天主堂。信徒達によって聖堂の建設に着手し、起工から30年後の1925年(大正14年)、資金難の苦労を乗り越え東洋一を誇るレンガ造りのロマネスク様式大聖堂が完成した。
しかし、そのわずか20年後の1945年、原爆により浦上教会は無惨にも少しの堂壁を残し壊滅、アンジェラスの鐘も鐘楼もろとも崩れ落た。(説明文等参考)

爆風で崩れた落ちた鐘楼左塔のドーム部分は、当時のまま残骸が保存されている(被爆遺構)。

 

ここから南側にある「山王神社」に向かう。徒歩約20分。
昼時なので店は無いものかとスマホで探していると、「どちらに行かれますか?」とおっちゃんが声をかけてくれた。聞くと、坂道を上がって下れば何かあるはずという。なかなかの上り下りだったが、飲食店は見つからず・・・。

大通りから参道に入り階段を上ると、山王神社二の鳥居:通称「一本柱鳥居」が立っていた(被爆遺構)。
鳥居は爆風で笠石がねじまげられ、爆心側の左半分が吹き飛ばされたものの奇跡的に右半分だけの一本柱の状態で残った。吹き飛ばされた左半分は、すぐ近くの道路に保存されている。


山王神社の境内入口にある2本のクスノキは、幹周り6.5mと8.6mの巨樹。
原爆の強烈な爆風と熱線により枝葉は吹き飛び、幹は上部で折れて黒焦げとなり、枯れ木同然になったが、2年程の後、奇跡的に再び新芽を芽吹き、人々を勇気づけた。


被爆を記憶している樹に直接触れ参拝する。ついでに生命力にあやかろうと願う。


なお、環境省の“残したい日本の音風景百選”の公募において、「山王神社境内の楠の葉ずれの音と其れを取り巻く周囲の方々の愛着」が高く評価され認定されている。

この後はバス停&ランチのため、「みらい長崎ココウォーク」という商業施設に入り、14時過ぎ、長崎で最初の食事は「つけ麺あごだし」という少し甘味のある濃厚な出汁のつけ麺だった。
朝から長かった~。〔つづく〕

 

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十日町市『野口水ばしょう公園』は、静かで長閑だった

2024-05-18 | お出かけ

4月27日(土)、南魚沼市の「魚沼の里」を出発し、十日町市川西地区の野口水ばしょう公園へ向かう。
ミズバショウの見ごろは過ぎていると思ったが、これまで一度も訪れたことがないので、この機会に行ってみることにした。

公園入口の広い駐車場に車は1台もとまってない。さらに奥まで行ってみると、数台とめられる駐車スペースがあった。とはいえ、他に車も人も居ない。

ミズバショウは、青々と育っていた。ここは沢の幅が広がり湿地状になっているようだ。


「野口水ばしょう公園」のミズバショウは、低地には珍しく自然発生した群生地があり、平成6年に公園に整備したという。(その前は“水ばしょう群生地”という呼称だったと思う)

アーチ状の橋から下流側の風景。周辺には桜の樹もあり、両方の花見ができそうだ。ベンチも周囲に設けてある。


橋から上流側にもミズバショウが続いている。


やはり花はないかな~と、下流側に移動する。こちらもミズバショウが続いていた。


すると、ちらほら花があった!白い苞(仏炎苞)に円柱状の花序。見ごろの時は葉がまだ出てないので花が目立ち、見ごたえのある光景であろう。


他には、ショウジョウバカマの普通淡紅色の花が緑色に変っていた。トキワイカリソウの花も多くはないが見ることができた。


静かで。長閑で、そよ風。人工物は見えない。気持ち良し。
ベンチでランチ(宿のおにぎり&魚沼の里のパン)にした。旨かった。

この後、買物や親戚の家に立ち寄りながら、実家に向かう。

(5月になってから仕事が忙しく、帰りが遅くなっている。アレコレする時間がとれない~)

 

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南魚沼市『魚沼の里』で一面の菜の花畑と八海山の・・・

2024-05-14 | お出かけ

4月27日(土)、六日町の宿で聞いた魚沼の里へ菜の花を見に行くことに。
新潟県南魚沼市の同地域にある『魚沼の里』のことを知らなくとも、日本酒の「八海山」はご存知か。『魚沼の里』は、その酒蔵「八海醸造」がプロデュースした施設。酒蔵を中心に、カフェ、売店、キッチン雑貨店等を併設した「八海山雪室」や、そば屋、食堂、菓子処、土産物、ベーカリーなどがある。
6年前に訪れたことはあるが、何故か菜の花畑のことを覚えていない。

車で『魚沼の里』に近づいていくと、遠目に山裾の黄色が見えてきた。
駐車場に車をとめ、施設の裏に行くと、一段上がったところに菜の花畑が拡がっていた。1万㎡の斜面を埋める、菜の花のじゅうたん。


宿の奥さんに教えていただいて良かった~。感謝。


花畑の中を縫うように道が設けられていた。ん~芳香が強い。撮影スポットにもなっているのだろう。


斜面の上まで行き、見おろしてみる。東側に開けている。施設の向こうに町並み。その先の山の向こうは十日町市。


公式Webサイトによると、夏は一面のソバの白い花になるらしい。
蔵と蒸留所の間を抜けると「魚沼の里ガーデン」があり、見慣れない様々な花が咲いていた。原種チューリップのようだ。


様々な樹が上手く配され、木陰のある風景が気持ち良い。


「つつみや八蔵」は、八海醸造の製品がたくさんある。奥の方には、古来から日本に伝わる水引や折形の包みなどもあった。


ここで、娘夫婦用にグラスと日本酒のセット、実家用の甘酒のセット、某方に発砲にごり酒などをお土産に購入した。


施設群の北側の高台には「猿倉山ビール醸造所」がある。クラフトビールも作っているようだ。醸造所には、ビアバー、ベーカリー、リカーショップを併設。ここのパンが美味しいと六日町の宿の奥さんが言われていたので、ランチ用に購入する。


ここの屋根の造りに目がとまる。屋根から地面まで一面・一体となっている。ここは豪雪地。自然に滑り落ちた雪を下の方で除雪するのかな、と想像する。しかも、造形美があるな~と感心。


この後、ひと山越えて、川を渡り、『野口水ばしょう公園』に向かう。

 

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北陸応援割が使えたので、六日町で一泊することに

2024-05-11 | お出かけ

「北陸応援割」が行われることを知った当初、応援に行くことは無いだろうなと思っていたので気にしなかった。
しかし販売が近づくにつれ、新潟県も対象になっていて、利用期間が4月26日(金)までと知り、これは「にいがた応援旅割キャンペーン」を利用できるかも!と考えた。
GWは、いつも実家のある新潟県に帰省する。であれば26日に新潟県内に宿泊してから、翌日に実家にいくのもアリだなと。
仕事は基本フレックスタイム制なので、26日をリモートワークにし、夕方出発すれば良い(上司と相談)。妻の仕事の都合は大丈夫だった。

応援割の販売は3月8日(金)から。翌々日の10日(日)に、帰省途中で立ち寄れる温泉地のホテル・旅館をあたってみた。まずはホームページを見ると「キャンペーンの受付けは終了しました」とのお知らせが載っている。エッ!もう?
他の宿も見るが同様だった。ホームページにキャンペーンのお知らせを掲載していない宿には、電話で聞いてみるが結果は同じ。速攻で予約している方は多いようだ。温泉地域を変えながら、何軒も確認していき、やっと「大丈夫ですよ」と嬉しい返事が聞けたのは南魚沼市(旧:六日町)の宿だった。

大人2名、一泊朝食付き、ツイン。温泉は貸切可能な内風呂+露天風呂。客室は5室。宿のコンセプトは「山遊びを楽しむB&B」。ベッド&ブレックファーストで、朝食付きの部屋を提供する宿泊施設。

夕食をどうするか?途中で食べていくよりも、宿で飲みながらの方が良いと考え、現地近くでテイクアウトを探し、「おつまみセット」を予約した。宿のダイニングスペースを借りれるかの承諾も得た。飲物は微炭酸の白ワイン度数11%を一週間前に購入し持って行った。

4月26日(金)、宿に着いたのは午後7時頃。チェックインして宿の説明を聞く。お風呂は、予約表の空いている時間帯に部屋番号を書く。既に記入があったのは、「すみません。ウチの家族用に記入してます」と。(宿のオーナーなのかな?)

2階の部屋に荷物を置き、1階のダイニングスペースの窓側を借りて、飲食の準備をしていると、オーナーが「よければ」とワイングラスをだしてくれた。備え付けの紙コップでもいいのに・・・感謝。


築30年の建物をリノベーションしたらしい。コストを抑えつつもデザイン性があり、居心地の良い空間だと感じた。


おつまみセットは肉々しい内容で、お腹が膨れた(別に用意したパンは食べれず)。微炭酸のワインは飲みやすく、1本空かなかったらどうしよう、なんて心配は杞憂だった。この時は我々だけで、落ち着いて食べて飲むことができた。

お風呂の広さは充分。手前に内風呂、奥に露天風呂。露天風呂に格子で開きの窓があるのは万一の目隠しか。屋根があるので真冬でも大丈夫。夕食後と朝食前に利用した。(↓朝カシャっと)


朝食は、素朴で優しく美味しく頂いた。地元のコシヒカリを土鍋で炊いたご飯は、残ったら持ち帰りでき、おにぎりにしてくれた。


来た時は暗かったので気付かなかったが、窓からは、正面に坂戸城(上杉景勝の居城)のあった坂戸山、左の奥には雪の残る八海山。良い眺めだ~。


料金は通常2名で14,240円のところ、北陸応援割適用で50%OFFになり7,240円。感謝。
同月、月初の長瀞の小さなホテルも5室だった。たまたまだけど5室に縁があったようだし、いずれも満足。

宿を出る時に、オーナー&奥さんに近くのカタクリ群生地のことを聞くと、もう山の上でしか咲いてないと。他の見ごろは、カタクリなら湯沢(戻ることになるので・・・)、堀之内の芝桜(少し遠回り・・・)。「あっ、魚沼の里で菜の花が見頃ですよ」と奥さん。そこならここと同じ町内だ。良い情報を得、向かうことにした。

 

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寄居町:埼玉県立 川の博物館/長瀞町:長瀞駅、水管橋

2024-04-29 | お出かけ

4月5日(金)~6日(土)、長瀞プチ旅行紀は今回で最後。

日記の掲載順では最後になったが、家を出発し最初に立ち寄ったのは、寄居町にある埼玉県立 川の博物館だった。
荒川を中心とした埼玉の川や水と人々の暮らしとの関わりをテーマとし、誰でも水に親しみながら憩い、楽しみながら学べる参加体験型の博物館だという。

ここに立ち寄ったのは、屋内施設があり小雨でも楽しめそうだと考えたことと、お腹不調のためトイレにも行きたかったから。
鉄砲堰の実演があるとの案内に、何のことか具体的に分からないけど関心をひかれ、本館展示室に行ってみた。

鉄砲堰(てっぽうぜき)は、かつて荒川支流の中津川で行われていた豪快な木材搬出方法。山間のV字谷に丸太を組んで堰を作り、その下流に運搬する木材をまとめておく。堰上流に水が適度に貯まった頃合で木製ゲートを一気に開放すると、水流で木材が押し流されるという仕組み。

鉄砲堰の復元模型の上で、大型三面スクリーンを利用して、役割や組み立て方法などの解説があり、模型の放水口からいっきに水を流す実演を見ることができる。

山奥で伐採した木材の運搬には、河川の流量が必要な筏流しなどの方法はとれない。そこで、現地で丸太を調達して鉄砲堰(小型ダム)を人力で建設し、水を貯めてから破堤させ、木材を下流に押し流すという流送手段が用いられるようになった。エライものだ。

船車(ふなぐるま)は、船に水車を取り付けた川船のこと。麦作地帯が広かっていた寄居町や深谷市では、船車で小麦粉などの製粉や精米などをしていたという。

船車を川に浮かべておけば、荒川の水位の増減に影響されることなく動力(水流エネルギー)を得て製粉をすることができ、洪水が起きそうな時には避難させられる。船車は貴重な財産で、有償で農家に貸し出すこともあったそうだ。


荒川の水利用は人々の知恵の結晶でもある。人の知恵って素晴らしい。

荷船(にぶね)は、荒川を利用して東京(江戸)との物資の輸送に使われていた船で、実物大模型が展示されていた。荒川を下るときは東京まで1日で行けたが、帰りは上げ潮や海風を利用して5日前後の日数を必要としたそうだ。

 

渓流観察窓という水槽展示では、イワナ、ヤマメ、ウグイ、アブラハヤなどが見られる。

間口9mの大水槽では、荒川上流域の渓谷が造形してあり、ヤマメやイワナの泳ぐ姿を観察することができる。水や透明ガラス(アクリル?)がとても綺麗で感心した。

 

外に出ると、雨はほぼ止んでいた。大きな水車が一際目を引く。
大水車は、日本一の大きさで、水車の直径は24.2m。材質はヒノキ。

近くで見ると大きさに呆れる(圧倒される)。そして構造材の造形美。


なお、企画展示で「川にまつわる地名大調査」を催していた。~長瀞・吹上・川口は埼玉県だけの地名?~というもの。5月6日まで。
ここを出発した後、ドラッグストアにより、しだれ桜を見て、ホテルにチェックインした。


長瀞町のことをもう少し。
長瀞駅は1911年(明治44年)開業。歴史を物語る駅舎は、関東の駅百選の第1回選定駅。


踏切を歩いていると、白いで電車が止まっていて、すぐにシルバーの電車もとまり乗客が降りてきた。

両方とも秩父方面に行くようだが、ホームは違うし車両も異なる。どういう状態?西武線乗り入れ?よく分からないけど、多数の乗客(観光客)が降りるんだな~と。

ここから渓谷(岩畳)まで観光型商店街がつづいている。地域の特色ある土産品や飲食サービスが多い。歴史もありそう。

 

金石水管橋は水道道路(管理用歩道)併用橋。橋の長さ157.5m、歩道部分の幅2m。宿泊した小さなホテルからは、この橋を歩いて渡って「北桜通り」に出ることができる。


橋の上からは、荒川沿いに「長瀞オートキャンプ場」という、広大なファミリー向けのオートキャンプ場の一部が見渡せる。小さなホテルは林の中。


キャンプ場のオートサイトを通って荒川まで歩いてみた。私がオートキャンプをしにあちこち出かけていた頃(20~30年前)に比べると、外車が多くて驚いた。客層(?)が変わったのかな~と思ったり。

 

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長瀞町:小さなホテルで大きな満足感

2024-04-25 | お出かけ

4月5日(金)~6日(土)の長瀞プチ旅行のつづき。

長瀞に行くことになったのは、最初に宿泊先を長瀞のホテルに決めたことによる。というのも、全国の宿を選べるカタログギフトを頂き、どこに行こうかな~と検討した結果、小さなホテル セラヴィに決めた。カタログに価格は記載していないが、いろいろ検索したところ、約○万円相当と分かり、驚きつつ感謝。

このホテルのことは、元々知っていて「こういうところに泊まれたらな~」と思っていたし、家からそれほど遠くないのでゆったり一泊できると考えての事。利用期限があるので、どうせなら妻の誕生月(4月)で、桜のタイミングに合えばなお良いと予約したのが1月25日だった。
ペア宿泊券は1泊朝食付き(+貸切大露天風呂無料)なので、夕食に会席コースと手作りケーキのプレートを追加する。

さて、当日は朝からお腹が不調に。出発してから途中何度もトイレによることになり、ドラッグストアで胃腸薬も購入した。夕方まで続き、その後は多少楽になった。いったい何がいけなかったのか・・・明確な原因は分からない。

それはさておき、ホテルに着いたのは午後3時頃。広大なキャンプ場の林内に(要は自然の中に)年季の入った(?)木造建築が佇んでいた。(↓翌日に撮影)


“小さなホテル”はそのままの意味で、客室数は5室のみ。ホテル内の調度品はアンティークで、ステンドグラスや彫刻なども施されている。備品も質が良い。加えて、スタッフ方々の笑顔のおもてなしが心地良い。贅沢な時間を過ごした。

今回の日記は、載せたい写真が多いため、複数まとめてみた。〔PCならクリックで大きく〕
客室は、露天風呂付きの2部屋タイプ。露天風呂は寝る前に利用した。竹林がライトアップされ、気持ちよく温まった。(シャワー室は未使用)

 

お風呂は、客室露天風呂の他、貸切大露天風呂内風呂(家族風呂)と3種類が楽しめる。
貸切大露天風呂は1枠50分の予約制。周りの風景も楽しめそうだし、この日は寒かったので、まだ明るい午後4時からの枠を予約した。入ってビックリ。とても広いし庭の樹木が豊か。


斜面を利用した造りで、上の方に東屋(休憩所)&無料ドリンクあり。湯船はゆったりで、見上げる枝葉の風景も良い。
内風呂は、空いていればいつでも使える。翌朝起きてすぐフロントに電話で状況を聞き利用した。ステンドグラスが楽しめ、脱衣所にはアイスキャンディ入りのボックスが置かれていた。

 

食事も素敵だった。夕食の会席はたくさんの野菜を使った身体に優しいメニュー。


よく噛みながらゆっくり頂いた。食事の蕎麦が嬉しく旨かった。


飲物は秩父産の飲み比べコースで、地ビール、白ワイン、地酒の大吟醸、イチローズモルトを順に。(お腹が心配なので、妻にも飲んでもらう)
手作りケーキのプレートには、事前にお願いして一言添えてもらった。


朝食でも大地の恵み。メインは、私が鮎の一夜干しで妻は朴葉焼をチョイス。鮎がとても旨かった。


レストランの外回りは全面ガラスで囲まれたスペース。様々なアンティークな椅子やテーブルが置かれている。ここで、コーヒーを頂く。


お客は5組なので、写真を撮るのに気を使わなくてよい。ゆっくり寛げる。
玄関やフロントなども記録する。見るもの全てオーナーの想いがこもっているようだ。

 

チェックアウトは12時までだが、精算を先に済ませ、川下りや岩畳を楽しんで戻った午後2時まで車を置かせてもらった。帰る時に声をかけ、お礼を言われ、気持ちよく帰路についた。

セラ ヴィ(C'est La Vie)は、フランス語で「それが人生さ」を意味する慣用句らしい。
生きていればいろいろな事がある。楽しいことも苦しいことも。それが人を生きる“人生”ということなのだろう。そういえば「それも また 人生~」と歌謡界の女王も歌っていた。

この日記を書きながら改めて思い起こす。心身に栄養をもらえるホテルだった。

 

コメント (13)
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