シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

寄居町:埼玉県立 川の博物館/長瀞町:長瀞駅、水管橋

2024-04-29 | お出かけ

4月5日(金)~6日(土)、長瀞プチ旅行紀は今回で最後。

日記の掲載順では最後になったが、家を出発し最初に立ち寄ったのは、寄居町にある埼玉県立 川の博物館だった。
荒川を中心とした埼玉の川や水と人々の暮らしとの関わりをテーマとし、誰でも水に親しみながら憩い、楽しみながら学べる参加体験型の博物館だという。

ここに立ち寄ったのは、屋内施設があり小雨でも楽しめそうだと考えたことと、お腹不調のためトイレにも行きたかったから。
鉄砲堰の実演があるとの案内に、何のことか具体的に分からないけど関心をひかれ、本館展示室に行ってみた。

鉄砲堰(てっぽうぜき)は、かつて荒川支流の中津川で行われていた豪快な木材搬出方法。山間のV字谷に丸太を組んで堰を作り、その下流に運搬する木材をまとめておく。堰上流に水が適度に貯まった頃合で木製ゲートを一気に開放すると、水流で木材が押し流されるという仕組み。

鉄砲堰の復元模型の上で、大型三面スクリーンを利用して、役割や組み立て方法などの解説があり、模型の放水口からいっきに水を流す実演を見ることができる。

山奥で伐採した木材の運搬には、河川の流量が必要な筏流しなどの方法はとれない。そこで、現地で丸太を調達して鉄砲堰(小型ダム)を人力で建設し、水を貯めてから破堤させ、木材を下流に押し流すという流送手段が用いられるようになった。エライものだ。

船車(ふなぐるま)は、船に水車を取り付けた川船のこと。麦作地帯が広かっていた寄居町や深谷市では、船車で小麦粉などの製粉や精米などをしていたという。

船車を川に浮かべておけば、荒川の水位の増減に影響されることなく動力(水流エネルギー)を得て製粉をすることができ、洪水が起きそうな時には避難させられる。船車は貴重な財産で、有償で農家に貸し出すこともあったそうだ。


荒川の水利用は人々の知恵の結晶でもある。人の知恵って素晴らしい。

荷船(にぶね)は、荒川を利用して東京(江戸)との物資の輸送に使われていた船で、実物大模型が展示されていた。荒川を下るときは東京まで1日で行けたが、帰りは上げ潮や海風を利用して5日前後の日数を必要としたそうだ。

 

渓流観察窓という水槽展示では、イワナ、ヤマメ、ウグイ、アブラハヤなどが見られる。

間口9mの大水槽では、荒川上流域の渓谷が造形してあり、ヤマメやイワナの泳ぐ姿を観察することができる。水や透明ガラス(アクリル?)がとても綺麗で感心した。

 

外に出ると、雨はほぼ止んでいた。大きな水車が一際目を引く。
大水車は、日本一の大きさで、水車の直径は24.2m。材質はヒノキ。

近くで見ると大きさに呆れる(圧倒される)。そして構造材の造形美。


なお、企画展示で「川にまつわる地名大調査」を催していた。~長瀞・吹上・川口は埼玉県だけの地名?~というもの。5月6日まで。
ここを出発した後、ドラッグストアにより、しだれ桜を見て、ホテルにチェックインした。


長瀞町のことをもう少し。
長瀞駅は1911年(明治44年)開業。歴史を物語る駅舎は、関東の駅百選の第1回選定駅。


踏切を歩いていると、白いで電車が止まっていて、すぐにシルバーの電車もとまり乗客が降りてきた。

両方とも秩父方面に行くようだが、ホームは違うし車両も異なる。どういう状態?西武線乗り入れ?よく分からないけど、多数の乗客(観光客)が降りるんだな~と。

ここから渓谷(岩畳)まで観光型商店街がつづいている。地域の特色ある土産品や飲食サービスが多い。歴史もありそう。

 

金石水管橋は水道道路(管理用歩道)併用橋。橋の長さ157.5m、歩道部分の幅2m。宿泊した小さなホテルからは、この橋を歩いて渡って「北桜通り」に出ることができる。


橋の上からは、荒川沿いに「長瀞オートキャンプ場」という、広大なファミリー向けのオートキャンプ場の一部が見渡せる。小さなホテルは林の中。


キャンプ場のオートサイトを通って荒川まで歩いてみた。私がオートキャンプをしにあちこち出かけていた頃(20~30年前)に比べると、外車が多くて驚いた。客層(?)が変わったのかな~と思ったり。

 

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長瀞町:小さなホテルで大きな満足感

2024-04-25 | お出かけ

4月5日(金)~6日(土)の長瀞プチ旅行のつづき。

長瀞に行くことになったのは、最初に宿泊先を長瀞のホテルに決めたことによる。というのも、全国の宿を選べるカタログギフトを頂き、どこに行こうかな~と検討した結果、小さなホテル セラヴィに決めた。カタログに価格は記載していないが、いろいろ検索したところ、約○万円相当と分かり、驚きつつ感謝。

このホテルのことは、元々知っていて「こういうところに泊まれたらな~」と思っていたし、家からそれほど遠くないのでゆったり一泊できると考えての事。利用期限があるので、どうせなら妻の誕生月(4月)で、桜のタイミングに合えばなお良いと予約したのが1月25日だった。
ペア宿泊券は1泊朝食付き(+貸切大露天風呂無料)なので、夕食に会席コースと手作りケーキのプレートを追加する。

さて、当日は朝からお腹が不調に。出発してから途中何度もトイレによることになり、ドラッグストアで胃腸薬も購入した。夕方まで続き、その後は多少楽になった。いったい何がいけなかったのか・・・明確な原因は分からない。

それはさておき、ホテルに着いたのは午後3時頃。広大なキャンプ場の林内に(要は自然の中に)年季の入った(?)木造建築が佇んでいた。(↓翌日に撮影)


“小さなホテル”はそのままの意味で、客室数は5室のみ。ホテル内の調度品はアンティークで、ステンドグラスや彫刻なども施されている。備品も質が良い。加えて、スタッフ方々の笑顔のおもてなしが心地良い。贅沢な時間を過ごした。

今回の日記は、載せたい写真が多いため、複数まとめてみた。〔PCならクリックで大きく〕
客室は、露天風呂付きの2部屋タイプ。露天風呂は寝る前に利用した。竹林がライトアップされ、気持ちよく温まった。(シャワー室は未使用)

 

お風呂は、客室露天風呂の他、貸切大露天風呂内風呂(家族風呂)と3種類が楽しめる。
貸切大露天風呂は1枠50分の予約制。周りの風景も楽しめそうだし、この日は寒かったので、まだ明るい午後4時からの枠を予約した。入ってビックリ。とても広いし庭の樹木が豊か。


斜面を利用した造りで、上の方に東屋(休憩所)&無料ドリンクあり。湯船はゆったりで、見上げる枝葉の風景も良い。
内風呂は、空いていればいつでも使える。翌朝起きてすぐフロントに電話で状況を聞き利用した。ステンドグラスが楽しめ、脱衣所にはアイスキャンディ入りのボックスが置かれていた。

 

食事も素敵だった。夕食の会席はたくさんの野菜を使った身体に優しいメニュー。


よく噛みながらゆっくり頂いた。食事の蕎麦が嬉しく旨かった。


飲物は秩父産の飲み比べコースで、地ビール、白ワイン、地酒の大吟醸、イチローズモルトを順に。(お腹が心配なので、妻にも飲んでもらう)
手作りケーキのプレートには、事前にお願いして一言添えてもらった。


朝食でも大地の恵み。メインは、私が鮎の一夜干しで妻は朴葉焼をチョイス。鮎がとても旨かった。


レストランの外回りは全面ガラスで囲まれたスペース。様々なアンティークな椅子やテーブルが置かれている。ここで、コーヒーを頂く。


お客は5組なので、写真を撮るのに気を使わなくてよい。ゆっくり寛げる。
玄関やフロントなども記録する。見るもの全てオーナーの想いがこもっているようだ。

 

チェックアウトは12時までだが、精算を先に済ませ、川下りや岩畳を楽しんで戻った午後2時まで車を置かせてもらった。帰る時に声をかけ、お礼を言われ、気持ちよく帰路についた。

セラ ヴィ(C'est La Vie)は、フランス語で「それが人生さ」を意味する慣用句らしい。
生きていればいろいろな事がある。楽しいことも苦しいことも。それが人を生きる“人生”ということなのだろう。そういえば「それも また 人生~」と歌謡界の女王も歌っていた。

この日記を書きながら改めて思い起こす。心身に栄養をもらえるホテルだった。

 

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プランターのチューリップが咲いた!

2024-04-23 | 我が家~植物・生物

チューリップの球根を頂き、丸型のプランターで生長中の経過を以前とりあげた。
その後、4月初旬に濃いピンクの花が先に咲いた。
4月7日の様子。昼に撮影したので花がシャキッとしていない。


4月8日の朝。黄色の開花が進み、赤色も蕾が膨らんできた。一日でスゴイ。


そして、4月13日の朝。最初の濃いピンクは花弁が痛んできたが、3種類が咲き揃った。家の中からの眺め。

自分のチューリップのイメージとしては、もっと花茎の丈があるのだが、栄養や水が足りなかったのか、それともこれで良いのかが分からない。

強風で最初のは花茎が傾いてしまった。


なお、白色のも6球あるのだが、この時点では小さい蕾で、その後、不揃いに4本は咲いたけど2本はそれほど育たず咲かなかった。

今は花を切って、葉の光合成で球根を育てている状態。球根を掘り上げるのは、花が終わってから約1~2ヶ月ほど経ち、葉が茶色く枯れた頃が目安となるそうだ。せっかくなので掘り上げてみようと思っている。

(前回までの長瀞プチ旅行紀はもう少し続くが、手こずっているので、その前にチューリップのことをとりあげておく。)

 

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長瀞町:川下りと岩畳。国の名勝を実感する

2024-04-19 | お出かけ

4月5日(金)~6日(土)の長瀞プチ旅行のつづき。

長瀞町は町の全域が、県立長瀞玉淀自然公園区域に指定されている。特に旧親鼻橋から旧高砂橋に至る荒川の両岸は、名勝及び天然記念物保存区域として指定されており、なかでも岩石段丘、いわゆる『岩畳』の広がる長瀞渓谷は、地質の宝庫として貴重な天然資源を誇っている。(長瀞町Webサイトより)

荒川は、この岩畳一帯で青く淀んだ瀞になって美しさを増し、付近一帯の景観は舟下りの観光客の目を楽しませている。古くから景勝地として知られ、かつて宝登山神社の参拝客は岩畳で月を愛でながら宴会を催したという。
岩畳は結晶片岩が荒川の流れによって侵食されてできた河成段丘。激しい川の流れによって川原の礫(れき)に覆われておらず、岩盤がむき出しになっている(岩石段丘)。断層の動きで岩石が砕かれたところを荒川が侵食してできた対岸の岩壁は「秩父赤壁」と呼ばれている。(ジオパーク秩父Webサイトより)

これまで、宝登山に上ったり(ロープウェイで)、宝登山神社やハナビシソウ園、埼玉県立自然の博物館などを訪れたりしたが、岩畳と川下りはまだだった。
そこで、今回の旅行では、岩畳を見ること、川下りを経験することも目的にした。

4月6日、ホテルから徒歩で北桜通りを長瀞駅まで行くと、長瀞ラインくだりの受付けがあったのでチケットを購入する。(川下りをする運営会社は3社あるようだ)
河原に降りると間もなく乗船の案内。(↓後で撮った乗り場風景)


舟の前後に船頭さん。いろいろ話してくれるのは後ろの方で、先頭の方は前方に目を配ってる。


急流のところでは、船頭の合図で脇のシートを皆で上げて飛沫を避ける。それでも、頭に飛んできた。


長瀞の名の由来は、瀞(川の流れの静かな部分)が長いことによるそうだ。


河原にクレーンの付いたトラックがとまっていた。ゴール地点だった。最初は何?と思ったが、スタート地点に舟を戻す必要があるわけで・・・納得。


川下りは約20分。船頭さん曰く、水量がある時は早いので短い。増水時や渇水時、風雨の天候によっては営業を見合わせるそうだ。今回は気持ちの良い舟下り日和で良かった~。


バスで長瀞駅まで戻り、駅周辺をまわってから、岩畳(いわだたみ)を見に行った。
岩畳は、幅(東西)80m、長さ(南北)500mあり、パイを重ねたような構造になっている。


川の際まで行けるのは最南端の上り口あたりだけ。岩畳では川沿いにロープが張られ立入禁止になっていた。


岩畳の上では、岩の隙間から草が生え、樹も伸びている。たくましい。


岩畳の中央付近に立てられていた「観察MAP」は、皆に見てほしいものと思えたが、ここまで来る人は少ない・・・。


対岸は「秩父赤壁」と呼ばれ、南北方向の断層にそって深く削られてできた断崖。高さ100m、幅500m。


ポットホール(甌穴:おうけつ)」は、かつて川底だった頃に、渦を巻く急流によって石が回転し、長い年月をかけて岩をけずってできたもの。これは径1.5m以上ありそう。他にも小さい丸い穴が幾つか見られた。


岩畳には「四十八沼」と呼ばれる大小さまざまな沼が点在している。川が岩畳の上を流れていた頃の渕の名残。枯れてないのは増水等によるのだろう。


ということで、長瀞で名の知れた川下りと岩畳を実感できた。
この後は、土産物屋などを見て回り、北桜通りの桜を見ながらテクテクとホテルへ向かった。

 

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長瀞町:法善寺しだれ桜、北桜通り

2024-04-14 | お出かけ

4月5日(金)~6日(土)に、妻と埼玉県秩父郡長瀞町へ行ってきた。
長瀞は「日本さくら名所百選」に選ばれている。といっても、○○公園、○○堤といった特定の名所ではなく、町内に約3,000本の桜が植えられており、3つの桜並木をはじめ、あちらこちらに桜の見所がある・・・という。
宿泊先と日程を決めたのは1月25日。例年の桜の見頃~満開の期間に合えばと考えて予約した。
その後、桜前線の予想は例年に比べて早く、当日は散った後になるかと思われた。しかし、3月の気温の上がりが鈍く予想より開花が遅くなったことから、上手くいけば・・・と再び期待する。ただ、天気予報がイマイチで心配した。

車で家を出発して小雨~霧雨、途中で立ち寄った寄居の辺りでも小雨だったが、長瀞にはいると曇り。気温は10度未満。それでも雨でないことに安堵。

法善寺しだれ桜』は、町指定の天然記念物になっている2本のしだれ桜の他、多数の桜が満開だった。
天然記念物の1本「与楽の地蔵ざくら」は、推定樹齢100年、枝張は東西・南北とも13m。「抜苦与楽」の文字が刻まれた地蔵に枝が垂れかかることから、その名前がついたもの。


道路沿いから山裾まで、たくさんの桜が咲いていた。


駐車場脇のしだれ桜も樹高はそれほどではないが、枝がよく張り・よく枝垂れていた。

 

翌6日も曇天だが陽がさす時もあり、気温は15度ほどまで上がり過ごしやすかった。
桜並木の一つ『北桜通り』は、秩父線野上駅近くの高砂橋から長瀞駅まで続く約2kmの桜並木。両側に桜の樹が並ぶので、桜のトンネルが見られる。


所々で枝を切られている桜もあった。植込み幅は狭く、車の排気ガスの影響も受けるだろう。桜にとっては辛い環境かも・・・。

 

長瀞駅から宝登山神社にむかう『宝登山神社参道』も桜並木になっている。宝登山神社には3年前に訪れたこともあり、今回は駅方面からの眺めのみ。


ということで、長瀞の満開の桜を見ることができた。
(長瀞プチ旅行記は。もう少しつづく)

 

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最近のアレコレ備忘録

2024-04-07 | 思う事、私の事

正月明けの1月5日か6日頃から、左手で物を掴もうとしたり手首を外側に押すような時に左の腕に痛みを感じた。
症状をWebで検索すると「テニス肘」とかが近いけど、ラケットなど使っていない。しばらく様子をみようと思っていたら、けっこう長く続いた。でも、その後それほど気にならなくなった。
それが、3月中旬にまた傷みを感じるようになった。念のため病院に行ってみるかと考え、3月19日(火)に勤務先の近くのクリニックに行くことにした。

派遣されてくるお爺ちゃん先生だった。症状を説明すると「腫れているか?」と聞かれたので、腫れてはいないと答えると「腫れてないのか~」と残念そうな顔に。
「湿布にする?飲み薬もあるけど、両方出す?どうする?」って、私に聞かれても・・・結局、湿布薬にした。それでしばらく様子をみることに。
今現在、痛みは弱まっている。何なんだろう、何が原因なのか、分からない。


3月23日(土)、お彼岸ということで(最終日だけど)妻とお墓参りに行き、その後で義母宅によって皆でランチ。
帰りに川口市安行の「花と緑の振興センター」に立ち寄る。当センターに行くのは1年半ぶり。桜の時季に行くのは7年振りとなる。
ソメイヨシノよりも早く咲く安行寒桜(大寒桜)は、満開を少し過ぎた感じで花の中心が赤みを増し、散り始めていた。野鳥もいなかった。

 

3月26日(火)、日帰り出張で京都府の山間に行ってきた。天気が変わりやすい日で、山の上の方で屋外にいる時は、風雨が強く傘をさしていられないほど。寒いうえに上着もズボンも濡れた。
一年中ズボン下(股引・パッチ)を履くのだが、冬物は厚手のため、濡れるとなかなか乾かなかった。


3月30日(土)、11時頃から車を濡れタオル拭き。その後、妻と出かけて(ランチ・買い物)、帰ってから靴磨きを6足。この時は途中から左腕が痛くなってきたが、翌日は癒えた。これは筋肉痛かな。


4月から保育園へ行くようになった孫が、4月3日に発熱。翌4日(木)に病院へ行って診てもらったらコロナだとLINEがあった。エーだ。
そして、パパとママも体調が悪くなり、本日(休日なので)保健センターに行ったところ、二人ともコロナに罹っていた。薬代がバカ高かったと嘆いている・・・。

 

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