シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

『花と緑の振興センター』に蝶が!

2013-02-25 | 四方山話…

樹見散歩でよく訪れる、埼玉県の「花と緑の振興センター」。管理棟の2階には講習会が開かれるような大きな会議室もあるが、通常使えるのは2階のトイレくらい。

ただ、トイレは屋外にもあり(南北の園内にそれぞれ1箇所あり)マップではそこを案内しているので、管理棟の2階にあるトイレを使う方は滅多にいないだろう。通常電気も消されている。

私はココにあることを知っているし、屋外よりも屋内の方が良いので使うようにしているけど・・・。


管理棟の1階の入口をはいると6畳大ほどのスペースがあり鉢を置いたり、センターの案内を掲示していたりする。前回の柑橘類の実物標本もここに机を設置し、その上に置いていた。以前はドングリの実物標本だった。

ここから階段を上って2階にいく。2階のロビー(?)は広い。休憩できるような椅子も置いてある。そこに蝶の標本があった。


いろんな蝶がいるものだし、こうやって見ると同じような蝶もいて同定するのも大変そうだ。という私の感想はさておき、大きなテーブルの上に置かれているけど、ここにコレはどうなのだろう?

無造作な展示だな~と思うし、季節でもないし、興味をひかせるような説明もないし、借りモノかな~とか。そもそも人が来ない所だからね~。梅が盛期になれば来園者も増えると思うけど・・・いろいろと不思議な感じの展示だった。

 

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ハッサク、イヨカン今昔

2013-02-24 | 四方山話…

〔「花と緑の振興センター」に置いてある実物“標本”〕

新潟産の私はミカンや柑橘類のことには詳しくない。
普通に「ミカン」と呼んでいたのが、実は「温州ミカン」ということを知ったのはそれほど前のことではないと思う。

ましてや温州ミカンよりも大きい「ナツミカン」や「ハッサク」「イヨカン」などは、目の前に置かれても区別がつかない。

先日家で食べたのを聞くと「イヨカン」だという。イヨカンも美味しいけど、昔はナツミカンやハッサクを食べた(という名前を聞いた)気がするので、それを聞いてみると「店にはイヨカンしか置いていない」というのだ。

へ~そうなんだ~と思ったものの、少し気になったのでカチャッてみた。そして、驚いた。
まず手軽なWikiによると、平成17年の収穫量はイヨカンが107,500トン。ハッサクが51,400トンでイヨカンの半分位しかない。アレそうなのと。

では、その前はどうなの?とさらにカチャッてみる。PDFだが「果実生産量の推移」というのがあった。昭和35年からの推移が載っていた。抜粋すると

(単位:トン) 昭和40年 昭和50年 昭和60年 平成4年 平成11年
・ナツミカン  228,900  371,900  268,700  157,200   90,300
・ハッサク    34,300  157,600  209,900  105,600   71,600
・イヨカン     9,380    45,200  170,100  230,400  186,000

私が子供の頃はナツミカンが多かった。それからハッサクも出回り始めたが、昭和から平成になると減少するナツミカンやハッサクをイヨカンの生産が上回り、ここ十数年逆転しているわけだ。

子供の頃はナツミカン、それからハッサクというのは間違いではないな。イヨカンはまだまだ少なかったわけだから。
それにしても、柑橘類の生産はかなり減少しているようだ。以前テレビの情報番組でも取り上げていたが、柑橘類だけでなく果物全般で消費が減っているという。我が家の子供達もあえて食べようとしないからな~(息子などあっても食べない)。

ちなみに、イヨカンは愛媛県が84%、ハッサクは和歌山県が60%の生産を占めるようだ。
あ~それと、ナツミカンの出回る旬は4月~5月なので、今は無くて当たり前だな。

 

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遅れた電車は辛い!

2013-02-23 | 日常のできごと

なんだかな~ばたばたして日記も間が空いてしまったな~。
ロシアの閃光隕石、神田藪そば火事、ダニ媒介感染症・・・いろいろあったと思うけど・・・。

それはともかく、この一週間はそれほどでもなかったけど、その前の週までは毎日のように電車が遅れていた。エー今日も!とガッカリする。行きだけでなく同じに日に帰りも遅れている時があった。これは、ガッカリ感だ!

ある日の行きの電車のこと・・・。(乗り換え駅までの途中の事)
遅れた電車で満員の中、私の左後ろの方で小さい娘がグスグスとグズッているような声が聞こえてきた。しばらくすると「座りたーい、座りたーい、座りたーい」と泣き声まじり。

でも、かなりの満員電車。座っている方の前で立っている人は押されて窓に手をつき身体を支えるような状態。見えないけれど、仮に座っている方の前にいたとしても代われないだろう。

都内の電車と違って駅間があるし、朝は酔客もいないので小さい女の子の声は車両の中に響いていたと思う。「座りたーい、お母ちゃん座りたーい、座りたーい」エンドレスで聞こえてくる。最初の頃はなだめていた母親。この頃からは「静かにして!ウルサイよ!」に変わった。それを聞いている方も辛い。
やっと次の駅に着いた。乗り降りの際に座れたのだろう。声が消えた。良かった~。

しばしの間静寂(とはいえないまでも、先ほどまでに比べれば・・・)な車内だった。
しかし、いきなりキター!「抱っこしてー、抱っこしてー、抱っこしてー」エーッ、座ったと思ったら、今度は抱っこかい!それはないやろ~。

次の駅まで続いた。次の駅ではどういう状態になったのか分からないけど、またしばし静寂。どうした?寝たのか?それとも降りたのか?

しかし、再々キター!「どうやって降りたらいいの。どうやって降りたらいいの、お母ちゃんどうやって降りたらいいのー!」と。もうカンベンしてくれー!次の乗り換え駅では全員降りるからー!

電車通勤歴も相当になっているが、時々新しい経験をする。

 

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シメ・マヒワ・カモ・トビ

2013-02-16 | 自然・環境とか

(掲載が遅くなってしまった~♪)散歩中に見た野鳥!

2月2日の見沼自然公園。野鳥が飛んできて枝に止まったのが見えた。何だろう?と樹の陰にまわりこんで静かに近づく。気付かれないようだ。

樹の幹から顔をのぞかせて見ると、けっこう近い所に野鳥がいた。
これは?バーダーさんのブログによると「シメ」のようだ。初めて見たかも。


次に見かけたのは、たくさんの小さな野鳥。枝にとまっていたのが次々に地面に降りてきて何かをついばんでいた。これも徐々に近づいていく。

これは、以前「マヒワ」と教えてもらった。今回はさらに数が多いようだ。
しばらくすると、樹の枝に向かって飛んでいった。

横になったり逆さまになったりしながら、一生懸命アキニレの果実をついばんでいる。
少し離れて撮る。フレームの外側にもいたのでけっこうな群れなのかも。


池に面した芝生広場では、幼い子がパン屋さんになっていた。パン屋さんは嫌いだが幼子は仕草がカワイイのぉ~。


カモさんに関しては、今のところ総称「カモ」でヨシとしよう。いつもたくさんいる。


2月10日、城ヶ島で見た「トビ」。「ピーヒョロロロロ…」と鳴きながら低く飛んで、電柱や電線にも止まっていた。
こんなに近くでトビを見るのは初めてかも。田舎では高い所を飛んでいた。

高い山が無いからトビも低く飛んでいるのだろうか。私にとっては珍しいのでしばし見てしまう。カラスとも並んでとまっていたが、互いに無視しているようにも見えた。
あとカモメやウミウもいた。
当たり前だけど、環境が変われば見れる野鳥も違うな~とね。

 

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三浦半島・城ヶ島(2)

2013-02-13 | お出かけ

(つづき)二日目の朝、昨夜の件があったのでI山さんから胃と腸の薬をいただいた。朝食も普通に食べてみた。しばらく経って何ともないので“復活!”ということにした。

港の方に黒い群れがたくさん浮かんでいた。何だろう?順に飛び立っていった。

しばらくすると、(多分この大群だと思うのだが)我々の頭の上を覆うようにバサバサと飛んでいった。けっこう近くだったので驚いた。I山さん曰くウミウだろうとのこと。

朝日が射してくると暖かくなる。空気もキレイだし気持ちが良い。
昨日のプチ散歩ではすぐに薄暗くなったので、再度プチ散歩に行くことにした。
(I山さんは早朝から釣っているのに、お気軽で申し訳ない。)

変わった形の岩礁が続く。後で調べてみると、これは三崎層(約1,200~4,000万年前に堆積した凝灰質シルトとスコリア質凝灰岩の互層)という岩質のようだ。


白っぽい岩は、雪国での春、道路脇に残る雪の固まりを思い出す。

 

ホテルをまわってしばらく進むと灯台入口の看板。昨夜照らされた灯りも見たしこれは上らないとね!たいした高さではなかったもののハアハアと。キレイな灯台だった。

●城ヶ島灯台
明治3年(1870年)9月に西洋式灯台として設置された。レンガ造円形の灯台は大正12年の関東大震災により倒壊し、大正15年に改装されたのが現在の灯台。永く相模灘を照らし続けている。
地面から灯台頂部まで約11.5m。水面から灯火まで約30mとのこと。

調べてみると、西洋式灯台の設置は幕末の頃、浦賀水道航行のため諸外国の灯台建設の求めに応じたもので、日本で最初の西洋式灯台である観音埼灯台(1869年2月)、野島埼灯台(1869年12月)、品川灯台(1870年3月)、そして城ヶ島灯台と順に設置された。

灯台の一段下がった所は様式の公園になっており、「海への祈り」という像があった。子供とお父さん?何を祈っているのだろう。

 

灯台付近は眺めが良い。外洋に向かうたくさんの船舶。何だろ?釣り?

トビも人も海を見る?下の電柱にとまるトビの背中を少し斜め上から見るなんて!これも初めてのことだな。そういえば、ここのトビは低い所を飛んでいた。

 

釣り場に戻ると、目の前に小さなイワシの群れが泳いでいた。キラキラと光っていた。
昼過ぎに出発の予定でいたのだが、11時をまわってから「最後に磯から投げよう!」と釣り道具を持って移動。
海はキレイだった。1時間ほど近場も丹念に探る・・・。

帰りは城ヶ島大橋を戻って三浦縦貫道路に向かう。連休なので車が多い。一部土産物屋渋滞もあった。驚いたのは反対車線の混み方。橋の料金所から延々と続く、途切れたのは三浦縦貫道路の長いトンネルの手前あたり。およそ10キロは渋滞していたと思う。

一本道でどこにも逃げられない。我々が出発する1時前で城ヶ島の駐車場はどこもほぼ満車状態だったし、三崎港のお店や各所も同じようなものだろう。
この時間に反対車線で渋滞中の方たちが三崎港なり城ヶ島にたどり着くのは夕方近くになるのでは?そして帰りも間違いなく渋滞で・・・と他人毎ながら可哀そうになったサ。

我々は順調に進み、午後3時半過ぎには家に着いた。後片付けをしてコタツに入ると・・・何て温かいのだろう!録画していた番組を1時間見ることもできずにスヤスヤ。
お風呂に入って、晩酌に熱燗を飲んで夕飯食べたらまたスヤスヤ。
布団ってあったかいな~と思いながらスヤスヤ。
自然の厳しさを肌で感じ、何でもない日常の有り難さを知る。感謝!

ところで、釣果の方は数匹釣れたが持ち帰りサイズには至らなかった。我々の周りが入れ替わり立ち替わりだったのも、皆さん玉砕されたからだろう。
I山さんもアレコレ仕掛けを変えながら試みてはいたが、こんなに釣れないのは初めてだと言っていた。この2日間は魚がこなかったのだ(と思うことにした)。
昨夜のパトロールのお巡りさんが言っていた。「情報仕入れて、毎週通わないと分からないんですよね~」だって。無理だ。

以上、真冬の車中一泊釣行日記でした。

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三浦半島・城ヶ島(1)

2013-02-11 | お出かけ

子供が小さい時からのオヤジ仲間であるI山さんから「三浦半島に釣りに行きませんか?」とお誘いあり。ここ数年、I山さんは海釣りに凝っている。
いずれにしても一人で行こうと思っていたので、ガソリン・高速代は自分が出すし道具は貸しますよ♪とのこと。

海釣りは初めてだけど釣りは嫌いじゃないし、海辺にいるのは気持ちが良いだろう。ただ、今は冬だし(寒いし)、聞くとなかなかのスケジュール・・・。
多少迷いはしたものの快諾。何から何までオンブにダッコもどうかと思ったし、車については私カーの方が便利な部分があるので、車&運転は私担当で。

2月9日(土)、朝6時すぎに家を出て近くのI山さん宅へ。様々な道具を積んで改めて出発。
高速で東京経由し三浦半島へ。個人的には車で東京方面に行くことは滅多にないし、首都高の南側から三浦半島までは初めてのことだ。仕事柄営業車で出かけることの多いI山さんは、行き先のナビから、アレは何?コレは何?ここはどこ?といった質問に全て答えてくれる。カーナビはほとんど見る必要がなかった。

行きは埼玉から東京に入るまでが混んでいたが、途中からはスイスイだった。
高速を降りて、横須賀の釣具屋で餌を調達。素人的には、けっこうな量を買うものだな~と思った。さらにコンビニで昼食を調達した。

その後、近くの「観音崎」というところでアチコチ見ながら場所を決め駐車。短い堤防(?)の先で釣りをすることに。東京湾からの風があたるが、コンクリートの立ち上がりがブロックしてくれる。

周辺は県立公園で、一般の観光客が多少はいるものの釣り客は我々を入れて2組ほど。
I山さんから投げ釣りの仕方をレクチャーしてもらった。遠くへ投げるのは慣れないと難しそうだ。私は「チョイ投げ」でポーンと。I山さんはロッドが風切り音を響かせながら2本を遠くへ放つ。私用にウキ釣りも1本。計4本。

小さな湾の中と外にむかって何度も投げる。湾はこんな感じ↓。

東京湾を挟んで対岸となる房総半島がけっこう近くに思えた。
東京湾には様々な船が行き来していた。

この場所に決める前、I山さんが釣り場探しをしている時、車を道路脇にとめたので、私は車の近くでキョロキョロしていると、たくさんの水仙を発見。埼玉で咲き揃うのは2月の下旬頃ではないかな。早いな~。

また、クロマツと何とかサカキが・・・雪吊り!?ここは雪積もらないでしょ?何故なのか分からないが数本雪吊りをしていた。

観音崎自然博物館というのがあったので、その関係かもしれない。
こちらの海は浦賀水道になるのかな。白砂がキレイで穏やかだった。

 

しばらく釣りをした後、三浦半島の先:城ヶ島に向かって出発。
途中でメールを確認していたI山さん、息子のSくんからのようで公募推薦(?)に受かったという。そりゃあ目出度い!おめでとう!受験が終わってホッとだね~。(我が息子はまだまだ。ガンバレ~)

三浦市に入り、スーパーいなげやに立ち寄り夕食・飲み物・朝食などまとめて調達した。
その後、有料道路(城ヶ島大橋)を通って初めての城ヶ島!

場所が空いているかな~と心配していたI山さんだったが、何と・・・空いていた!I山さん曰く、城ヶ島や三崎港付近の釣り場の中で車を横付けできてトイレが近くにあるのはココだけだという。貴重な場所だ。

まずは、先ほど使った4本の竿を準備しポーン。場所はこんな感じ↓。

島の北西側で対岸は三崎港。船着場や冷蔵倉庫などが並んでいる。
東側を見ると先ほど渡った城ヶ島大橋が見える。何故か途中だけ赤い。

その後も釣りの準備だけでなく、I山さんの石油ストーブ+ヤカン、車では寝るための準備。
私の車はノアだけど3列目のシートが無いタイプ。ボードを渡して平らなベッドスペースができる。厚みはそれほどないけどモコモコになるマットに空気を入れて寝袋敷いて・・・これを使うのは6年振りかな~?要は釣り+キャンプの準備だ。

↓は翌朝の画だが、キャンプサイト(?)はこんな感じ。茶色の柱はソーラー照明で明るかった。最初は海ぎわでセッティングしていたが、夜北風が厳しくなり近くにあった板をお借りし照明周りのポールに立て掛けて風除けにし、照明の手前に移動したわけだ。


初めての地で観光気分もある私は、せっかくなので夕刻にプチ散歩。
西側には、横に凸凹となる岩礁が張り出していた。それを横断すると海は太平洋だ。

「楫の三郎山」という小高い山があり、上ると祠があったので道中の無事をお参りした。
埼玉に住んでいるので、海に沈む夕日を見る機会は出かけた時にしかない。しばし眺めていた。


夜の寒さを心配していたが、厚着をしているので風が弱い時は何てことはない。
昼でも夜でもやっぱり「野外はイイな~!」と思うね。気持ちがいいし、たまにはテレビもパソコンもコタツもない非日常的な環境に身を置いてユッタリしないと!などと思ったり。

I山さんのストーブのおかげで焼酎のお湯割りもイケるしね。これは最高だ!
対岸の三崎港の灯りも程良く水面にも映り、暗さの中でイイ景色を見せてくれた。

時々、大きく円い形が移動しながら港を照らしていく。島の灯台の灯りだった。灯台の灯りは外洋だけでなく360℃まわって三崎港も照らすようだ。

せっかくストーブがあるのでアルミ容器付きのうどんも買っておいた。先にI山さんが食べて、次に私のを作ろうとした頃から風が強くなってきた。北風なので正面から吹いてくる。容器にぬるま湯を入れたもののいつまで経っても沸かない。熱が上に伝わらないのだ。身体からも熱が奪われていくのを感じる。
そこで、前述したように風除けをして場所移動。おかげで熱いうどんを食べれた。

神奈川出身でこの辺に詳しいだろうと思われるオヤジ仲間でバーダーのH田さんに「ワイルドだろ~」と現状連絡メール。返信をいただいたので結局電話をした。当地は鳥見屋さんにとっても貴重な場所のようだ。H田さんには(嫌がらせのような電話になり)失礼しました。何せ時間はあるし酔ってるし気持ちいいし・・・。

22:30頃だと思うが、バイクでパトロール中のお巡りさんが声をかけてきた。ストーブもあってイイですね~(笑)と。アレコレ話をした中で覚えているのは「マナーが悪い釣り客もいて困っている」とのこと、ゴミはもちろんバーベキューのコンロを置きっぱなしの輩もいるという。そのうち車を横付けできなくなるかもしれない。このような場所は他にないので大事にしてほしいと。まったくの同感だな~。

北風が止まないので流石に寒くなってくる。日付けが変わる前に簡単な片づけをして、少し離れたトイレの洗面で歯磨きと洗顔をすまし就寝することに。

この後が大変だった。(思い出すと昼過ぎ辺りからお腹が変な感じだったのだが・・・酔いで忘れていた)寝袋に入り横になった時お腹に違和感を感じたが、まぁ寝れば直るだろうと思った。でも、少し寝たと思うのだが1時間経った頃から変な汗がでてきて、お腹が痛苦しいような感じでエライことになった。
I山さんに助けてーと声をかけたかったが、まずはトイレに行ってみようと思った。がんばってトボトボ歩いて、トイレにこもってみると、結局しばらくはトイレから出れなかった。この時はホントに寒かった!
戻って横になると少し落ち着いた感じに。この後は眠る事ができた。

朝起きて、I山さんに深夜の顛末を話すと「何かが(お腹に)あたったのでは?」と。そういえば過去に一度だけそういう経験があった。それに似ているかもしれない。でも、何にあたったのか分からない・・・。

そんな一日だった。(今回長い日記になったな~。でも、つづく)

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国会前庭・日本水準原点

2013-02-05 | お出かけ

先週1月29日、仕事の関係で急きょ講演会に出席することになった。
会場は「憲政記念館」のホール。名前は聞いたことがあるのだが・・・調べてみると国会の近く。こんな所普段用もないし、あえて足をむけることも無かった。

地図で確認すると「オッ!」国会の前に道路を隔てて大きな公園があるようだ。国会議事堂前の駅で降りて、公園を通っていけばちょうどイイ!(何が!)
なので、少し早めに出かけることにした。

まずは南側の公園に入る。広めの歩道、小川~池・・・和風の庭園だ。

よく管理されているようだが、何でしょうな~自然ポサは少ないな~と。
ンッ!一つの株から6本の幹!珍しいコナラ。

そして国会前から縦に伸びる道路を渡る。

北側の公園。いきなり大きなネズミモチがあった。

 

右側に階段があり、上ると・・・何やら小さい建物と碑がある。

案内板によると、日本の統一された標高決定のための基準として明治24年(1981)5月に水準原点が創設された。この建物はその水準原点を保護するために建築されたものだという。

建物は石造りで軒高3.75m、総高4.3m、建築面積は14.93平方mというから約4畳半はある。(目的のためには広すぎるような・・・)

ローマ風神殿建築にならった明治期の数少ない近代洋風建築で、東京都指定有形文化財(建造物)に指定されている。(建物の目的の割には装飾が凝りすぎのような・・・)

 

こんな所にこういうものがあったんだな~と思いながら先に行くと、広い空間が拡がり高い塔が立っていた。

これは「時計塔」と呼ばれ、尾崎記念館(現 憲政記念館)建設時に、その施設の一環として塔前面の噴水池・花壇とともに設計され、昭和35年に建てられたようだ。フ~ン。

他にももっとじっくり見たいものだが時間の関係でこれまで。
後で施設の案内板で知ったのだが、2つの国会前庭(ぜんてい)と憲政記念館は衆議院が管理しているモノだという。そうなんだ!
そんな平日のプチ散歩だった。

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アオサギとコサギと?

2013-02-03 | 自然・環境とか

前回の秋葉神社に立ち寄った後、当初目的の「秋葉の森総合公園」に行った。

遊歩道から池のアシ原を見ていると、その先に・・・何だアレ!?
遠いしジ~ッとしているけど長い口ばしらしきものは分かる。何度か見たことがあるような、あれはアオサギかな。

動きがないものかとしばらく眺めていると、対岸の方にオヤジが近づいていく。たぶんアオサギに気付いていないのだろう。さらに近付いた時に飛んでいった。あ~あだ。

その後、どこに行ったのか確認できなかったが、サッカー場の近くの池にきた時に再発見!おみ足もバッチリだ。

ただ、使っているコンパクトデジカメはズームにすると、小さい対象にピントが合わず背景の池がクッキリだ。
また飛んでいった。でもすぐ先なので追ってみると、首を伸ばしながらゆっくり歩いていた。何を探しているのだろう?(↓やっぱりボケるな~。)

それにしても、アオサギは首を縮めてじっとしている時と伸ばしている時は違う生き物のようだ。同じく首が長いツルは首を縮めている画を見たことがないけど作りが違うのだろうか?
調べてみると、飛ぶ時もサギは首を縮め、ツルは伸ばしたまま飛ぶとのこと。何でだろう・・・不思議。

 

小川にかかる小さい橋に近づくと小川にコサギがいた。徐々に近づいても逃げるような素振りはない。橋の手すりまできた。コサギまで3メートル程、近ッ!

足で小川の水底をさぐっていた。この時期に何が獲れるのだろうか?無心でやっているのか私のことは眼中にないようだ。

しばらく眺めていたが、小川沿いに奥の方にいきたいので・・・さらに近付くことになる。他に人はいないからまぁいっか。飛んでいった。(でも、また別のところで再会。)

 

アオサギもコサギも私には自信をもって同定できないが、途中で行き合った(アオサギをじゃました)オヤジがゴメンと言うので、ついでに確認した。

奥の方は雪が解けずに凍ったのか、川面は白く氷っていた。

コンコンと音がするので探して見ると、朽ちた大木をコゲラがつついていた。大木は中が空洞になっている所があるのだろう音が響いていた。(この画も撮ったけど、遠いしかなりボケているのでアップは遠慮しよう。)


そういえば、アシ原のなかに潜んでいるヤツがいた。ヒヨドリよりも大きい(と思う)。これは何だろう。(これもボケているし。)
※追記:ゴイサギの幼鳥(ホシゴイ)と教えてもらった!

まぁいっか、樹見散歩なので。また見かける時もあるだろう。

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さいたま市『関東総社 秋葉神社』

2013-02-01 | お出かけ

この前の日曜日(1月27日)、川口か見沼の方に行こうと思っていたが、出足が遅れたのでそれよりも近い「秋葉の森総合公園」で樹見散歩しようと思い出発した。

運転しながらフト考えた“秋葉”の命名は?何を指すのだろう?地名ではない。だとすると、カーナビに表示されている『秋葉神社』からか?行ったことはないがどんな所なのだろう。ということから立ち寄ってみることにした。

狭い道路を通りながら駐車場に行き着く。降りて見回すと境内の外れのほうなので、参道に向かって歩き、鳥居から入る。

正面の拝殿とその後ろの本殿(?)を見て・・・けっこう立派なんだな~と。
案内板に由緒が書かれていた。抜粋すると「社伝によれば聖武天皇の天平年中(凡そ1250年前)に創建された。江戸時代には山之内一唯公に守護神として篤く崇敬され社殿が改築された。また、紀州徳川家御祈願所となるなど関東一円より多くの方々に崇敬尊信され、春秋の例大祭には各地より多くの崇敬の方々が参拝に来られる。」とのこと。
 
これは“けっこう”ではなく、見た目以上にかなり立派のようだ。
近くに手水舎があったので、まずは身を清めて・・・(作法があやしい)。

家内安全を願った。ついでにアレやコレについても。

少し離れて拝殿と本殿を見る。屋根の形も葺き方も違うのが印象的だ。

本殿の黒い横板張りは存在感がある。

最近、ちょっと気になっている懸魚(げぎょ)。

神楽殿(舞殿)も大きく立派。

初詣や春・秋の例祭、7月のささら獅子舞では賑わうようだ。

弁財天の案内に沿っていくと、坂の下にあった弁財天社。

Wikiによると秋葉神社は日本全国に点在する神社で、神社本庁傘下だけで約400社あるようだ。(知らなかった。)
その関東総社なのだから相当なのだろう。関東一円より多くの方が参拝に来られるのもうなづける・・・・・しかし、その割にはひっそりと佇んでいるような神社だった。
(駅から離れているし、道路も狭いし、誰もいないし・・・)

 

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