シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

『料理の鉄人』を30歳代は知らなかった

2024-10-01 | 飲んだときに…

2週間ほど前の事。協力会社と打ち上げをすることになり、上司が選んだ店は銀座通りに面したビルの6Fにある『銀座ろくさん亭』だった。店名にひかれて・・・決めたようだ。
あのテレビ番組『料理の鉄人』で和洋中を代表する鉄人の一人、和の鉄人「道場六三郎(みちば ろくさぶろう)」さんの店だ。私は初めてなのでワクワクするしかない。

スマホしかないが、せっかくなので撮影してよいか聞くとOKとのこと。
お品書き。前菜からデザートまで、いろいろ(読めない字もある)。紙の押さえは箸置きで「みちば」とある。


そんなに飲むつもりはなかったけど、ビールで乾杯の後は焼酎のお湯割り。で、やはり日本酒を頂く。

食事は4種類から好みで選べる。「麺類色々」とは何だろう。聞くと、この日は「カレーうどん」だと言う。ただ「一見すると、そうは見えない」とも。・・・気になる。私ともう一人はコレにした。


目の前に置かれて、なるほど~と。汁が清んでいる。口に含むとカレー味がする。不思議だ。味の表現は難しいので文字にできないが、見た目と併せ一番印象に残る逸品だった。
ゆっくり食べて飲んで、全ての料理はもちろん「おいしゅうございました」。

この時の先方2人と、翌日、上司が会社で話をしていた若手は『料理の鉄人』のことを知らなかった。そのことに驚いたが、30代の彼らがテレビを見るようになった時には、番組は終わっていたようだ。


夜の銀座通りに来たのは、かなり久し振りのこと。変わったな~。

 

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中秋の名月(帰宅まではクリアに見えた)

2024-09-29 | 自然・環境とか

今年の「中秋の名月」は9月17日(火)で、晴れるかも?という天気予報だった。
会社からの帰り、自宅最寄駅から歩いている時に、雲の無い空にキレイな月が見えた。
TVCMで名月を眺めながらビールを飲むシーンが頭に浮かぶが、我が家では窓の位置的に難しいかな~と。帰路では月は背中側になるので、時々振り返りながら帰宅する。

午後7時半頃、ベランダに出て名月を見上げる。それほど高い位置ではないので見やすい。近くに雲も無い。ただ、手前に高圧線が横切る・・・。しばらくして再度見た時には、高圧線の上になったが雲がかかってきた。何ということだ。

その後もちょいちょい見たが、雲の範囲が広がっていて、クリアな月は望めそうになかった。
午後9時半頃、雲が薄くなったところにかかった月を記録した。


高倍率のズームにすると、周りの雲が写らず月だけが浮かび上がる。これでヨシとしよう。(トリミングで中央に)


この日の月は“ほぼ満月”で、見た目はまん丸だ。
天保暦(いわゆる「旧暦」)では、秋が7月~9月で「中秋の名月は8月15日」。これを現代の暦に充てると(今年は)9月17日。でも満月の周期とはズレていて、翌18日が満月とのこと。
※2022年の中秋の名月&満月

翌日も空を見上げ、満月を見ることができた。
ちなみに、2021年から2023年は、中秋の名月と満月の日付が一致していた。今度日付が一致するのは2030年だという。(出典:Astro Arts)

 

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孫3歳の誕生日会

2024-09-24 | 家族・帰省・イベント

9月8日(日)、帰省先の実家を出発し(※前回の日記参照)、自宅に着いて荷物を降ろすと直ぐに、妻と一緒に自転車で娘の家へ行く。着いたのは10:40頃。関越自動車道がスムーズで良かった。

この日は、孫の3歳の誕生日会に招かれていた。息子と娘婿のお母さんは既に到着済。〔実際の誕生日は翌日だけど、大人の都合でこの日が誕生日会になった〕
昼食は軽めにピザを食べると聞いていたので、ビールを持参して軽く飲みながら・・・と考えていた缶ビールを家に忘れてきた!何てこった。日本酒なら小さい瓶があるという娘婿の意見。日本酒~?と一瞬思ったけど快諾。少し頂いた。

孫は髪が伸びてきたので、一本に結んで・・・。ハッピーバースデー。


我々から孫へのプレゼントは、妻が選んだトイカメラ。息子からは孫の好きな貨物列車や電車のジグソーパズル。娘婿のお母さんからはLEGO(サイズ小さめ)。全般的に対象年齢にギリギリ下か?

トイカメラは、見た目より軽くて驚く。データをパソコンに取り込むことができるようだ。


両親からのプレゼントは、本人よりも大きい袋に入っていた。
電子ピアノ?に、いろいろ付いている。ターンテーブルを回せば音が鳴るし、マイクは・・・マイクだった。椅子もセットになっている。
早速、適当に鍵盤を押し、ターンテーブルをキュッキュし始めた。マイクに向けて声を出すのはおそるおそる。でも次第に慣れてきて、オンステージ状態。


娘婿から聞いたが、トイザラスに行った時に置いてあって、孫がとても気に入っていたので、同じカラーのモノを探しまくって購入したそうだ。お疲れ様。

夜、娘からトイカメラで遊ぶ?試す?孫の画が送られてきた。いろいろ試しながら長続きしてほしいな~。大人になったら何をメインに撮っているか楽しみだ。


昨年の誕生日では、プレゼントが知育玩具的なものだったけど、まだまだ遊べると思うし、今年の誕生日でも増えたので孫は幸せなことだ。すくすく育ってほしいと願う。

 

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帰省することに/打ち合わせ・面会など・・・の備忘録

2024-09-23 | 家族・帰省・イベント

実家(新潟県)に用事ができ(兄に呼ばれ)、帰省することになった。

9月6日(金)、早めに仕事を終え帰宅し、17:30頃に妻と車で出発。
関越自動車道に入る際に、「事故渋滞70分」の表示に困惑と憤り。実家に着くのが夜なので、風呂だけ済ませておこうと温浴施設(家族風呂)の最終時間帯に予約していたが、入浴時間がとれなくなってしまう・・・。
渋滞区間に近づくにつれて、案内の表示時間が短くなってきた。事故から時間が経ってきたのだろう。渋滞区間をノロノロ進むと、ガラスの破片が道路上にあったものの事故車は無かった。それでも区間で30分超はかかったし、夜なので通常よりも早く着くと予想していたのだがそうでもなかった。

到着時間の目途がたった(と思われる)谷川岳PA(関越トンネル手前)で温浴施設に連絡し、渋滞のため遅れるのでキャンセルする旨を伝える。すると、しばらく待たされた後「渋滞であれば」と終わりの時間を20分延ばしてくれるという。何と!ありがたい。それなら45~50分はとれそうだ。キャンセルせずに行くことにした。

広い浴槽。お風呂はかなり熱く、足を入れてすぐに出す。「自由に水を足して」とあるので、加減しながら水を入れ、それでも熱めの湯に浸かった。
身体を癒した後、コンビニで夜食と缶飲料(ビールなど)を買って、暗い山間の道路を進み、実家に着いたのは22:30頃。

9月7日(土)、朝から部屋や玄関まわりの掃除。ついでに照明(シーリングライト)の掃除も。
兄は、8月の帰省時にも辛そうだったが、その後、脊柱管狭窄症による腰の痛みが増し立てない・動けない状態になり、2階の寝室からベッドを1階に移動し、2間続きの奥の和室で寝起きするようになっていた。(兄の息子が移動してくれたようだ)
この和室には、丸太を輪切りにした無駄に大きい座卓が置いてあったが、処分したという。

予定通り10時過ぎに来客あり。手前の和室で横になったままの兄と一緒に対応する。

午後は、母親が入所している特養へ面会に行く予約を入れていた。(8月の帰省時には感染症予防で面会禁止だった)
その前に、出かけるついでなので、兄に頼まれた丸形蛍光灯を2個分購入する。ついでにコメ不足なので、試しにスーパーに行ってみたら入荷していた。これ幸いと我が家用に5kgを購入する。

特養の面談室で会うことはできたが、母親の認知症は進んでおり、こちらのことは分からないという。ただ、以前と違って自宅ではないし、こちらはマスクもしているので、よけい分かり難いだろう。それでも、妻がいろいろ話しかけてくれるのがありがたかった。

実家に戻って蛍光灯交換。元々大小2本セットの1つが切れていたので、とても明るくなった。もう1個は昼光色から昼白色に変更。
甥っ子が仕事から帰って、夕飯時に「照明、気付いた?」と聞いたら、「眩しくて1つ消している。それでも前より明るい」という。そりゃ~そうかと。

父親が入院している病院にも行けたら良かったのだが、今回は感染症予防で「面会は同居家族のみ」ということで、叶わなかった。(8月は面会OKだったものの、本人は寝ていたので、寝顔を見ただけ)
〔なお、先日兄から連絡があり、父親は9月18日に転院した。今度の病院では面会できるそうだ(今のところ)〕

9月8日(日)、朝7:15に実家を出発した。帰りはスムーズだった。

●特養から実家に戻る途中の風景
実った稲穂が広い範囲で倒れていた。大雨によるものだろう。刈り取り時期がいつなのか不明だが、長期間このままなら収穫量・品質に影響がでないか心配になった。

 

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松前城の北側は寺町を成していた/福山波止場

2024-09-17 | お出かけ

〔前回からのつづき〕福山城(松前城)の他、北側の神社・お寺の方にも行ってみた。後日調べた事も含め記録しておく。

江戸時代、福山城の背後(北側)に位置する土地に15余の寺社が建ち並び寺町を形成していましたが、箱館戦争の戦火による焼失やその後の火災等によりその多くは現存しておらず、現在は、龍雲寺、阿吽寺、光善寺、法幢寺、法源寺のほか松前藩主松前家墓所が残り当時の面影を伝えています。(出典:函館・みなみ北海道観光ガイド)

福山城(松前城)の広場を挟んだ北側に松前神社があった。

松前藩の始祖である武田信廣公を祀る神社。明治14年に造られ、現在の神明造りの社殿は大正12年総ヒノキ造りで再建されたもの。


法源寺は1469年創建。本堂及び庫裡は、明治元年(1868)の箱館戦争で焼失したが(その後再建)、山門は戦火を免れた。

山門(国指定重要文化財)は江戸時代中期の建立とされ、道内最古の建造物の一つ。こけら葺の四脚門。


法幢寺は1490年創建。松前藩主の菩提寺。松前藩主松前家墓所が隣接する。


松前藩主松前家墓所は、松前藩の歴代藩主やその家族など55基のお墓がある。

石造りの霊廟が多く、北前船交易等により北陸地方からもたらされた笏谷石や御影石などが使われている。(国指定史跡)


龍雲院(国指定重要文化財)は1625年創建。箱館戦争で焼失を免れた唯一のお寺。

海上航行の安全を司る龍神を祀る龍神堂があるようだ。惣門にも龍がいた。


光善寺は1533年創建。後水尾天皇から山号と法衣を賜ったとされる。

境内には松前桜三大名木の1つで、桜の木の精にまつわる伝説が残る「血脈桜(けちみゃくざくら)」がある。栽培品種「マツマエハヤザキ(松前早咲)」、別名「ナデン(南殿)」の原木とのこと。


阿吽寺は少し離れているので諦め、福山城(松前城)を見た後は海に向かう。
なお、江戸時代末期に築城された松前城とその北側に広がる寺町は、明治以前の北海道の歴史を物語る文化財として、2004年に「福山城(松前城)と寺町」として北海道遺産に選定されている。“北海道”と聞いて思い浮かべることのない光景だけど、北海道の歴史の一端を担う貴重な処に思えた。

道の駅「北前船 松前」のテラスに「北前船と福山波止場」の案内があった。福山波止場は、もともと北前船が発着していた海岸に。松前城が解体された際の石垣を利用して1875(明治8)年までに造られた。

福山波止場は、東側の大松前波止場と西側の小松前波止場があり、岸から突堤が伸びている。下の画は、小松前波止場。遠くに津軽半島が見える。


日没となる頃合い。店の看板に照明。ふと見ればセイコーマートと趣きのある北洋銀行。これは北海道らしい光景だ。


そこそこ歩いて汗ばんだ。約1時間強の散歩は有意義だった。

 

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福山城(松前城):最北&最後&道内唯一の日本式城郭

2024-09-14 | お出かけ

〔前回からのつづき〕8月のお盆明けの週、北海道に社用があり行程途中の松前町の宿に泊まることにした。

北海道最南端に位置する松前町は、江戸時代に最北の城下町として栄え、現在も松前城をはじめとした当時の面影を感じる史跡が多く残っています。北海道唯一の城下町松前で、風情あふれる街並みや松前神楽などの伝統文化にふれてみませんか。(出典:松前町公式観光サイト)

事前にさらっと情報も得たこともあり、せっかくなので福山城(松前城)を観たいものだと考えていた。チャンスは宿(温泉旅館)に着いてから日没まで。おかげさまの好天でラッキー。

宿に着いて部屋に荷を置き、フロントで行き方などを確認する。この時間は既に門が閉まっているが、周りから眺められるとのこと。夕飯は日没後の時間帯を指定し、観光マップを頂いて夕方散歩に出かけた。


マップの右下(南東)辺りから坂道を上がると搦手二ノ門へ。お~立派。


その先の門からお城(天守の内部は松前城資料館)に入れるようだが、営業時間外で締まっている。この時点で17:30頃。
塀沿いに回ろうとしたが高低差もあってなかなか難しく、行き着いたのは裏側(北側)の広場。立ち入れないが天守は近い。夕陽を浴びて眩しい。


この後、北側の神社や複数のお寺などを見てから、再びお城に戻る。
塀越しのお城と本丸御門(国指定重要文化財)。門の石積みが緻密で綺麗だった。


何とか正面側から見れないものかと、スポットを探す。やっとそれらしく見えたのは、石垣の上の狭い通路で格子の隙間から。樹の枝葉が被るけど仕方がないな。


〈福山城(松前城)の歴史〉
1854(安政元)年、幕府に築城を命じられた13代藩主:松前崇廣により、新城「福山城」竣工。日本最北に位置する、最後の日本式城郭となった。
1941(昭和16)年、木造天守と本丸御門、東塀は国宝に指定。
1949(昭和24)年、飛び火により天守と東塀が焼失。
1960(昭和35)年、鉄筋コンクリート製の天守が完成。現在は親しみを込めて「松前城」と呼ばれ、再建した天守は松前城資料館としてオープンしている。

天守が焼失した後、町民の願いもあり、募金活動による寄付金や町費で復興天守が完成した。
お城はその歴史的価値はもちろん、城下町のシンボル。外観は焼失前の姿をできる限り忠実に再現しているという。再建したときは、皆さん嬉しかっただろう。

まだ明るいので、海まで足を伸ばし景色を眺め、海沿いの道路から福山城を見る。(ズームで記録)


翌朝、部屋の窓の(内側)障子を開けたらお城が見えた。前夜は閉めっぱなしで気付かなかったけど、お城ビューの部屋だった。


↑画の左側坂道は昨日上ったところで、屋根は搦手二ノ門かな。手前の連なる瓦屋根はお城に関係なく、駐車場に併設する休憩所&トイレで「ヒストリーオアシス」という。ちょっと立派。

〔つづく。次回は寺町風景など〕

 

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北海道(道南)に行ってきた/千代の富士/津軽海峡

2024-09-09 | お出かけ

8月のお盆明けの週に、社用で北海道に行ってきた。北海道と言っても道南地域(渡島半島の南西側)。函館市は知っているけど、他は・・・というエリアかも。
函館空港から南西側に向かい、松前半島をグルっと回って函館に戻るような行程になるので、車移動だけで4時間~5時間かかる。
函館市内に一泊して、朝からグルっと回ることも可能だが、運転がそれほど好きではないし、長距離運転は疲れるので・・・考えた。行程の途中まで行って一泊することにしよーと。宿を探したところ松前町なら旅館があると分かったので予約した。

空港近くでレンタカーを借り、そこから直ぐに自動車専用道路・高規格道路になる。行きも帰りも函館市街地は通らない。木古内で一般道路になり、海沿いから山中、また海沿いに出る辺りで・・・相撲のぼり旗が!道の駅『横綱の里 ふくしま』だった。


道路を挟んで『横綱千代の山・千代の富士記念館』がある。福島町出身の2人の偉大な横綱を讃える記念館だ。


北海道出身で初めて力士の頂点にのぼりつめた第41代横綱:千代の山、相撲界初の国民栄誉賞に輝いた第58代横綱:千代の富士(↓左側の像)。


千代の富士は偉大でカッコイイ大横綱。館内も面白そうで見たいところだが、先を急ぐことにする。

 

海沿いの道を南下していく。白神岬灯台を右手に見て進むと、『白神岬展望広場』というトイレ併設の駐車場があった。


この辺りは北海道の最南端。ということは目の前の海は津軽海峡で、その先に見えるのが津軽半島 ♪ごらんあれが竜飛岬(たっぴみさき) であろう。


歌われる「竜飛岬」は愛称で、正式名は「龍飛崎(たっぴざき)」だという。龍飛崎は有名な観光地でしょうから、そこから北海道を見た方は多いかもしれないけど、逆は少ないかも・・・なんて思ったり。

西側の光景。午後5時前の太陽が眩しい。中央左側に島がある。マップで確認すると「小島」だと思われる。


砂浜に降りれるようだ。岩場もあって海はキレイ。その岩の上に・・・、


カモメ(セグロカモメ?)がポツンと。孤高のカモメ。


北海道最南端の白神岬は、渡り鳥にとって本州までの最短ルート。当地は「渡り鳥のサンクチュアリ」とも呼ばれているらしい。

ここまで来たら、宿泊地までもうすぐ。〔つづく〕

 

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南魚沼市で「ガンダムマンホール」み~つけた

2024-09-04 | お出かけ

8月9日(金)に古民家ホテル『ryugon』へ行くことを決めてから、ついでに立ち寄れるところはないか?と探した。車で行くので関越自動車道の最寄りICは六日町ICだが、手前の塩沢石打ICでも良い。その間でどこかにと。雲洞庵とか、外山康雄「野の花館」とか・・・。 そして、オッと思ったのが、「ガンダムマンホール」の設置場所が決定し、その設置日が8月7日というニュース。行く日には設置済みだ。なら見ていこうと思った。特にガンダムファンではないけど、日にちのニアは何かの縁かと。

バンダイナムコグループ「ガンダムプロジェクト」が企画する「ガンダムマンホールプロジェクト」では、全国の自治体と協力し、国内活性化と全国の世代を超えたガンダムファンとの絆を表す取り組みとして、ガンダムデザインのオリジナルマンホールの設置を進めています。その寄贈プロジェクトに南魚沼市が選出され、2つの「ガンダムマンホール」の寄贈を受けました。(南魚沼市のWebサイトより)

関越道を塩沢石打ICで下り、1か所目を見て『ryugon』へ行き、その後に2か所目を見た。特に案内板があるわけでもなく、見ている方もいなかった。私が写真を撮っていると「何かしら」と寄ってくる方はいた。

【1】RX-78-2 ガンダムとコシヒカリ田園風景
道の駅南魚沼「雪あかり」にある農産物直売所「四季味わい館」の角


マンホール越しに見る南側の「憩いの広場」。新しいマンホール蓋の白さが眩しい。

 

【2】YMS-15 ギャンと八海山
南魚沼市図書館 返却ボックスの前(初めての者には分かり難い場所だった)


この日はお盆前の平日で、マンホール設置から間もないので、ガンダムファンはまだ訪れてないかもしれない。でも人気のあるキャラクターなので、来訪を期待したい。
道の駅で地元の豊かさが分かるだろうし、六日町駅に近い図書館はショッピングセンター内にあり、地元の生活にも触れることができるだろう・・・・・と思う。



その「四季味わい館」に、せっかくなので入ってみた。南魚沼産コシヒカリはもちろん様々な野菜も美味しそうだ。他にも、良質な水や米を生かした地酒、米菓、味噌などの加工品も豊富。


通路の歩きながら足がとまった。米菓(アラレ)が山盛りの一画があり、1袋210円、3袋で500円だって。これは3袋買わないと!我が家用のお土産とした。


ここで時間を使ってしまい、2つ目を見てから『ryugon』に行く予定が逆になってしまった。
ガンダムマンホールプロジェクトは、全国に展開しているようだ。またどこかで出会えるかな。

 

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8月帰省等の備忘録/ミョウガの花咲いた

2024-09-01 | 家族・帰省・イベント

前回まで帰省時のことをとりあげているが、8月9日(金)~8月11日(日)の二泊三日で帰省してきた行程・出来事などを備忘のためにも記しておく。

8月9日(金)9:00頃、妻と二人で車で出発。関越自動車道は渋滞無し。塩沢石打ICで下りて南魚沼市の「道の駅南魚沼」にある農産物直売所「四季味わい館」に行き、直売所で買物とガンダムマンホール(※次回とりあげ予定)を見る。
→12:20 同市の古民家ホテル『ryugon』の【デイユース】を利用する。その後、同市の図書館で2つ目のガンダムマンホール。
→15:50 十日町市の高靇神社および杉玉と石の芸術見学。
→17:00 実家に着く。我々が寝る和室や居間の掃除と玄関前の掃除など。夕食時にお酒をいただき、いつもより早めに床につく。
〔父親は7月17日に入院したまま、母親はグループホームのショートスティから7月末に特別養護老人ホームに入所したので、実家は兄とその息子の二人になった。〕

8月10日(土)、早朝、部屋が暑いので、窓を開けたら涼しかった。23℃くらいだったのでは。(日中は30℃くらい)
8時過ぎに、妻と山の上にあるお墓の掃除に行く。3家分(お墓3基分)なので草むしりや苔落としでもそこそこ疲れた。妻は墓石担当。帰ってからシャワー。
13:00頃、車で出かける。ナカゴグリーンパークで大地の芸術祭見学→親戚に挨拶→父親が入院中の病院へ面会に行くが、寝ていて顔を見るだけ。(母親の特養の方は、コロナが流行り始めたので面会禁止とのこと。13日に解除になったと聞く)→買物→越後妻有里山現代美術館MonETで芸術をチラ見→実家~近くの親戚に挨拶。
夕食後、兄の娘とLINEビデオ通話。

8月11日(日)、朝7時頃(早っ!)に従兄弟が様々野菜を持ってきてくれた。青唐辛子が珍しい。
10:00頃、家に帰る為出発。近くの道の駅でお土産の買物→関越道~谷川岳PAで湧水を汲む→13:00頃、埼玉県川島町で郷土料理「すったて」をランチでいただく。人気店なのだろうけどけっこう待たされた。→15:20頃、家に着く。

夕方、庭の様子を見に行くと、ミョウガの花が咲いていた。今年の初物。画は18時頃。

10年前に2ポットを狭い庭に移植したのだが、ここ数年は1~2個しか採れない。食用には花の前が良いのだろうけど、この後採取して薬味でいただいた。これでも充分だな。

8月12日(月)、従兄弟から聞いた通りに青唐辛子を醤油に浸けた。それを数日後に食べた。辛いけど、他にない風味がある。でも、かなり辛い。

8月17日(土)、妻の実家に行く。当初は16日に妻の兄弟夫婦で集まる予定だったのだが、台風の影響で中止。我々夫婦はこの日に行くことにした。義弟も来ていた。義妹夫婦とその次男一家は翌日18日に来るとのこと。
結果的には16日の台風はそれほどでも無かったので、皆で集まれたと思う。まぁ、仕方がない。

 

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大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2024

2024-08-24 | お出かけ

通称『大地の芸術祭』は、越後妻有地域(新潟県十日町市・津南町)の広大な里山を舞台に、2000年から続く世界最大規模の国際芸術祭。3年ごとにトリエンナーレを開催している。

前回も帰省する途中立ち寄りの『大地の芸術祭』作品をとりあげたが、帰省中の8月10日(土)にも、実家から街へ出かけるついでに『大地の芸術祭』の作品を見てきた。
ナカゴグリーンパークでは、広大な芝生を舞台に「動物」をモチーフとした作品などがあった。
作品《トラロープ》は、駐車場から芝生に入る所にあったけど、気付かない方がいるかも。

奥の方には同じ《トラロープ》として、大きなトラがいた。標識ロープを使用しているが、トラにしか見えない。


《うさぎ》は、陶土を用いているようだ。大きい。すくっと立ち、遠くを見つめている。東側を見ているので八海山?


《食事の風景》は、フェンスの網が動物の頭部状に飛び出て、草を食べているように見える。この画では分かり難いかも。


《アニマルピクニック》は、様々な動物が切り絵で描かれているような作品。横から見たら分からない・・・。


カンガルーが大地を蹴って着地する動作を造形した作品。(作品名は不明)


《くるくるさんば》は、廃材?で造形された木馬のメリーゴーランドで音色が響く仕掛けあり。子供でも動かせる。


《Dance of prayer -seeds-》は、カラフルで目をひくが何か分からない。seedsなので種から何が生まれるか?平和かな。


同所には他にも作品が多数ある。過去の常設となった作品もあって、時間があればゆっくりまわりたいところ。(真夏以外で)


「道の駅 クロステン十日町」の隣にある「越後妻有里山現代美術館MonET」では、エントランス周り(入館料不要)でも作品が見られる。
建物内中央に配された《Palimpsest: 空の池》の上に、水上歩道《阿弥陀渡り》が設置されている。歩いていないが、トリックアートになっているらしい。


奥の方に見える巨大なクモの巣状は《Tape Echigo-Tsumari》で、回廊上の方は中に人が入っているのが見えた。


《神獣の猫龍》は、逆さまの頭が猫で体が龍。中国では不吉とされる猫と吉祥の象徴である龍との組み合わせ。


透明で頑丈な水風船を多数組み込んだ作品。1つ1つに周りの景色が映り込み、自分が動くことで表情が変わっていく。


芸術というと堅苦しいし難しく感じるけど、見た目面白く感じれば、それはそれでありかと。
他にも作品はあったが、この後の予定があるので見学終了とした。

〔夏の帰省・・・つづく〕

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