シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

駅前のケヤキ

2010-03-31 | 日常のできごと

自宅から最寄りの駅は、只今改修工事中である。
東西を結ぶ自由通路の幅を2倍強にする工事や、ホームからのエスカレーターやエレベーター工事、トイレ工事、駅前広場のエスカレーター工事などが行われる予定…のようだ。

今朝、駅に向かう時に・・・アレッ?と。
驚いた!駅前に植えられているケヤキの中で、一番大きなケヤキが・・・伐られていた。

自由通路を拡げるために邪魔になったのだろう…と推察するが、ここまで大きく育ったケヤキを伐るのではなく、活かすことができなかったのだろうか!?

近年はムクドリの一休み場所になったようで、枝が徐々に伐られていて、毎年スリムになっていた。ケヤキの樹形は整ったキレイなものだが、何年も前から、それを望めないようになっていた。そして、ついに・・・。

この工事に、どの程度住民の要望があったのか・・・聞いた事が無い。

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2010-03-29 | 日常のできごと

晩酌という大事な行事を全うするべく、チビッて(チビチビして)いたとき、「そろそろ魚焼く?」と嫁さん。いいんじゃない!と・・・・・そこからが、少し長かった。

まぁ、待ち時間はよしとしても・・・、出てきたのは“鮭”・・・のわりにはノペッとしている。
よく見ると、骨は無く、皮も無く・・・。

どうやら、この状態で売ってるらしい・・・。
なるほど、食べやすいかもしれない・・・、でも、骨や皮が焼かれた香りはないし・・・いや、そんなことをイチイチ説明する必要もないだろう・・・おかしいヤロ!

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K-1 World MAX 2010

2010-03-28 | 格闘系

70㎏級の偉大なエース「魔裟斗」が引退した後の、初めてのK‐1MAX。
魔裟斗を目指していた選手にとっては、誰が抜きんでるのか!?
というトーナメントだったと思っていたら・・・

・小比類巻太信('09日本予選優勝)は、ケガから引退を発表。今回の日本予選欠場。
・城戸康裕('08日本予選優勝)は、龍二に判定負け。
・山本優弥(K-1MAX'09世界3位)は、笑顔で前へ前へいくも、日菜太に判定負け。

これまでにK-1で実績のあった方は、準決勝へ進めなかった。

・日菜太(23歳)は、昨年の同大会では、城戸康裕と1回戦で対戦し左ミドルで城戸の右腕を破壊し判定で勝ったこともあり、確実に実力をつけてきているようだ。

・中島弘貴(21歳)は、K-1初参戦。1回戦でTATSUJI、準決勝では1回戦でダメージを負った日菜太にKO勝ち。前へ出る圧力、パンチ力は強いようだ。

・コスプレ戦士の長島☆自演乙☆雄一郎は、中島と壮絶な打ち合いを展開し、2回にダウンをとられたが、3回にKOで勝ち優勝した。

1回戦が始まる前は、まさか長島が優勝するとは思わなかった。谷川さんもそんなことを言っていた。かといって中島が優勝というのも思わなかったけどね。

1回戦から決勝まで、見ごたえのある試合が続いたと思う。
簡単に世界に通用する選手が出てくるとは思っていないが、若者も強くなっており、期待を感じさせてくれる大会だった。

長島の試合後のマイク「僕はポスト魔裟斗になれないですけど…」「正直優勝できると思ってませんでした」。まだまだ危ういが、これまでの連敗は、心身ともに成長させたようだ。

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蝶々夫人のララバイ (河合夕子)

2010-03-27 | 音楽と…

歌い始めの歌詞は分かるんだけど、誰の?何という?歌だっけ?と永年検案だった。
そ・れ・が・・・(2007/11/15の日記に)先週、「ララバイ」さんに応えてもらった。「ララバイ」さん、本当にありがとうございます。
懐かしくて、嬉しくて、再度日記に書くことにしました。

河合夕子さんは、1982年にデビュー、シングル7枚、アルバム3枚をリリースするも約5年で引退、ミュージシャンに転向した。
当時、シンガー・ソングライターはフォークが多かったけど、河合さんのようにポップス系(?)は珍しかったかも。

『蝶々夫人のララバイ』は、2nd Album「フジヤマ・パラダイス(1982.3.21発売)」の収録曲で、河合さんの曲のなかでは数少ないスローな感じ。そのおかげで覚えていたのだろうな。

YouTubeで検索し、聞いてみた!

 ♪オランダ坂 さくら吹雪
  真下に拡がる 海は春霞
  赤いビードロ ほほにあてれば
  時の波間に あなたの船着く
  ステンドグラスに やどる春の夢
  見えない あなたに抱かれたまま
  ある晴れた日に桜散る バタフライララバイ

耳かじってみたが、どうだろう。違うのかな?
2番は出だしが「カラデライラカ」、その後に「ウツルユエフミ」と聞こえる個所がある。実際は何と言っているのだろうか?分からない。

Webサイトによると、河合さんは、現在、ヴォーカル、ガイドヴォーカル、コーラス、コーラスアレンジ、ヴォーカルディレクション、ヴォーカルアレンジ、ヴォイストレーニング、作曲、新人CDプロデュースなどで活動しているらしい。吉田拓郎さんの「頑張らなくてもいいでしょう」のコーラスも担当されたようだ。

この一週間、YouTubeで河合夕子さんの曲を聞いている。
♪スパンコールランデブー ~ 黄金列島フジヤマパラダイス とか、♪トーヨー ビーショー とか、♪シンガポール、香港、とんで上海、儚い夢を とか、バスクリンのCM曲とかとか・・・。

四半世紀を超えても、古く感じないですね~(懐かしさのあまり?)誰かカバーしたらいいのに!と、ここ2~3日思っている。 

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電車内にて髪の毛がー!?

2010-03-26 | 日常のできごと

近年は新宿湘南ラインが通ったせいか、乗った時が一番混んでいて、終点に近づくにつれて(乗り換え駅を過ぎる度に)徐々に緩和されていく。

さて、昨日の朝も、今朝も、「安全確認」による電車の遅れで、朝の通勤電車はいつも以上に混雑。しかも、2日も続くと…ガッカリだ。

それでも、今朝は途中から少し前が空いたので、片手で吊革につかまりながら文庫本を読んでいた。
フト前を見ると1本の長い髪の毛が・・・吊革を握った腕の先(コートの袖先の陰)から出ていた。

嫁さんの髪だろうな~と思い、指先で取ろうとすると・・・取れない。おかしいな?と、もう一度しっかり握って取ろうと指をのばした時、途中駅に近づいた電車が揺れて、髪が引っ込んだ(動いた)!?

斜め前にいたOLさんらしき女性の自髪だった!
エッ~!そうなの~!生えていた髪を引っ張った!?
アッラ~!と声が出そうな時、駅で電車は止まり、彼女は無言で降り・・・降りないで、3~4メートル離れた所に移動した。

どっどう思われたのだろうか・・・?

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ふきのとう 2010

2010-03-23 | 我が家のアレコレ

 白い冬…♪一人で想う 秋はもう深く~
 雨降り道玄坂…♪雨降りの道玄坂 バスを待つあなたの~
 初夏…♪噴水の前で 記念写真を 撮っているのは~
 流星ワルツ…♪誰にも知られずひっそりと~

そんな「ふきのとう」は、70年代のフォークグループである。・・・いやいや「ふきのとう」じゃなくて、いや、「ふきのとう」だけど、そっちではなく山菜の話(くどい!?)。

実家から帰る際に、兄嫁さんから「ふきのとう」をいただいた。まだ、出始めで蕾のようなものもある。これは天ぷら&ふきのとう味噌で食べないと!

昨夜は、揚げてもらって(天ぷらで)いただいた。
今日は、ふきのとう味噌を作ってもらっていただいた。
(こんな話、以前も書いたな~と思い、カチャッてみたら、3年前に書いていた。)
んで、味の方は、天ぷらは今一つ。味噌は美味しくいただいた。(3年前と逆だな。)

ふきのとうは、雪解けを待たずに、一番早くでてくる山菜だ。独特の香りと苦みは“春の香り”か“大人の証明”。子供(の時)は食べないな~。

ふきのとうは大きくなると「フキ」に変わる。しかも、フキになっても美味しい。エライものだ。

ところで「フキ」は、山菜というのか、それとも野菜というのだろうか?栽培もあるそうだから野菜なのかな~。

そうそう、フキの葉の下には「コロボックル」がいるから、葉を避けて歩き、騒いだりしてはいけませんね。

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新潟:瑞宝章叙勲祝賀会に出席

2010-03-22 | 家族・帰省・イベント

今回の時期外れ(?)の帰省は、昨年のうちに決まっていた。昨秋、叙勲を受けたKさんの受章祝賀会が3月20日に催され、それに出席するためだ。

祝賀会発起人からの正式な案内は今年に入ってからで、当初は、電話で聞いた。
日頃、馴染みのない栄典制度なので、話を聞いてもピンとこず、Webで秋の叙勲の受賞者名簿に名前が載っているのをみて、「ホントだ!」と。

(↓テーブルの置かれた花です。)
   

叙勲は、Kさんが地域の消防団に在籍し、永年消防防災活動に貢献された功による。町の消防団長として勇退したのは平成5年(勤続39年1ヶ月)。
もう17年経っている。何故、今になってなのか聞くと、関係者曰く「1年前まで市の社会福祉協議会の副会長をしていて、そういう公職に就いている間は、叙勲候補にならない」そうだ。

祝辞のなかで、「瑞宝章(瑞宝単光章)こそ適している」というような話があった。どういうこと?と思ったら、『瑞宝章』は、公共的な業務に多年尽くしたと認められる功労者に与えられる…という。なるほど。


田舎の消防団、火事だけでなく、水害、雪害時も大変だったようだ。特に昔は、道路状況も悪く、除雪されない道がほとんど。雪の中徒歩で何キロも・・・。
これまでやってこれたのは、祝辞でも言われていたが「奉仕の精神(こころ)」であり、Kさん曰く「地域住民の協力」があったからこそと。

前述した消防や社会福祉協議会以外にも、商工会や国保運営協議会、選挙管理委員会等々を歴任した。もちろん兼務がほとんど。本業がありながら、他のこと(無私の労働)にも時間を費やす・・・でき難いことだ。


ところで、受章者には、勲章の他に「勲記」というものが授与される。賞状ではなく“証書”ということだ。瑞宝単光章の場合は、次のように記されている。

   日本国天皇は○ ○ ○ ○に
   瑞宝単光章を授与する
   皇居において璽をおさせる
   「大日本國璽」
   平成二一年十一月三日
    内閣総理大臣 鳩山由紀夫 印
     内閣府賞勲局長 阪本 和道 印
   第○○○○○○○○号

改めてみると…、国璽(こくじ)が押されているのに、さらに「皇居において璽をおさせる」というのは、どのような意味をもつのだろう?

国璽を間近で拝見するのも初めてだ。国璽は2行縦書きで、右に「大日本」、左に「國璽」という印文になっている。印影の四角の左下は欠けている。

国璽自体は金で出来ていると聞いた。調べてみたら、強度を保つために金合金製(18金)で、3寸(約9.09cm)四方、重さ約3.50kgの角印。なお、御璽=天皇の璽(印章)もほぼ同じ大きさだという。
なぜ、こんなに大きな印章になったのだろう?いろいろと不思議なことが多いものだ。


ちなみに、祝賀会を終えた後、来賓でない地元の方は場所を変えて二次会。私はお酒がそれほど入らないし、先週はお腹をこわしていたこともあって、最後まで付き合えなかった。二次会の後も、違う所で飲んでいた人がいたらしい(12時間飲み続け…!?)。
改めて思った、田舎の人は酒が強いです。

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新潟:往復・雪・雷・黄砂

2010-03-21 | 家族・帰省・イベント

帰ってきました。
行きは、出発が少し遅れたが、道路は空いていて、到着時間は予定通り。帰りは昼に出発し、1ヵ所事故渋滞にあったものの、やはり空いていた。
やはり、年末年始やGW、お盆時期などとは違うね~。

今年は雪が多いと聞いていた。
道路周りは、こんな感じだった。

駐車場脇に雪を積み上げ、中をカマクラ状態(まだ使える)にしてあるところは、こんな感じ。

昨年は、3月には周辺の雪がなかったというから、やはり多かったね。

昨日の深夜(2時頃?)、ものすごい雷で目が覚めた。風も強かった。「雷で家が震えた。」と娘は言っている。それほどの雷が何度か襲ってきた。

今朝は、雨と曇りと晴れに強風が順に繰り返すような天候。そこに朝から黄砂が・・・。

黄砂が付き、雨で流され、乾かされ、また黄砂が付き、雨で流され・・・。
車はエライことに。明日は洗車せねば。
それにしても、黄砂が雨で流されて溜まった所は、黄色になっていた。相当な量だったのだろう。(全国的に飛来したことは先ほど知った。)

昨日の所用は後日書こう(書けるかな~?)。
まぁ、とにもかくにも無事家に着いたのでヨカッタ。

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新潟の実家に行っています

2010-03-20 | 家族・帰省・イベント
この日記は、昨日、予約で書きました。
実家(父親)の関係で所用があり、昨日(金曜)の夜、マイカーで出発。
日付が変わって0:40頃実家に着いているハズ。
そして、今日は、ほぼその所用で費やし、明日午前中に帰宅する予定。
折角の帰省だが、ちょっと慌ただしい。
とりあえず…無事帰れますように!
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両国駅と新聞輸送列車

2010-03-19 | お出かけ

両国駅に初めて降り立ったときに、「駅の改札が、なぜこの位置なのだろう?」とか「駅の敷地がやけに広い。駐車スペースもある。(普通なら、ここはロータリーでしょう?)」と思ったものだ。

先日、2度目に降り立ったときには、電車ホームから一段低い所にある別のホームに目がとまった。「何のホームなのか?しかも、使われていない」ように思った。まったく、不思議な駅だ。

気になったので、所用を終え帰る際に、改札内にいる若い駅員さんにホームのことを聞いてみた。
すると「今回のダイヤ改正でなくなりましたけど、先週までは新聞列車が通っていました。」とのこと。
新聞列車って?聞いたことがないな~何ですか?「房総の方に新聞を届けるために一日一本出ていました。」へ~っと。

そういう電車があるとは知らなかった。ダイヤ改正で「能登」や「北陸」はニュースで大きくとりあげていたけど、「新聞列車も少しだけ触れていたんですよ。」と駅員さん。

さらに聞くと、今後は、このホームから、やはり房総向けに「畳敷きで飲食ができるような列車や自転車を乗せて現地でサイクリングができるような特別列車を走らせる」そうだ。
なるほどね~と。しかし、何故、両国駅なのだろう?とは思った。


カチャッてみたら、元々両国駅は、明治37年、それまで総武鉄道の起点だった本所(現・錦糸町)から、一駅だけ延長する形で開業し、その後昭和47年に総武本線が東京駅地下へ乗り入れるまで、両国駅が房総方面への玄関駅を務めていた・・・という。

そして、私が「やけに敷地が広い」と感じたのは、かつての列車ホームの跡だった。現存する(新聞列車の)ホームは3番線になるが、4番・5番線もあり、特急列車なども発着していたという。それが、今は保線用機械などを留置する資材置き場になっている。

3番線からは、定期旅客列車の発着はなく、臨時列車が稀に発着するのみ。3月12日までは夕刊を房総方面へ運ぶ「新聞輸送列車」が平日から土曜日にかけて発車していたが、13日のダイヤ改正で廃止されたというわけだ。

知らなかった。かつては玄関駅だったとはね~。両国駅にも歴史があるんだね~。

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