シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

クローゼット整理、PC台周り整理

2017-05-26 | 我が家~モノ・作業
5月20日(土)、北本自然観察公園を散歩してきた後、午後3時頃からリビングのクローゼットの中を整理することにした。先週やりたかったけど雨で順延。
(頼みの妻は、久しぶりの友人と会うため朝から出かけているけど、一部ならなんとかなるだろうと思った・・・)
 
元々、PC台周りのあれこれをスッキリさせたかったが、壁との隙間に棚を作ったりしていてPC関連のソフトや取説、ルーター、モデムなども含め雑多なものが多く、その棚自体も置かないようにしたかった。そのために、まずはPC台周りで動かせるモノを別の場所に・・・クローゼットにと。
 
クローゼットは押入れサイズで天袋部分までけっこうビッシリとモノがある。脚立、掃除機、雑巾を用意して、一番不要物がありそうな天袋のモノから順に取り出し始める。
 
今まで気にしてなかったけど色々なモノがあるものだ。
子供が小さいころに遊んだボードゲーム、小学校の絵や工作物、賞状の類。小学校の「さんすうせっと」も姉弟分あった。これはあえて残しているのか?
置く場所のない置物。若いころに聞いていたカセットテープは数十本あった。
写真のアルバムは良いにしても、アルバムに入れていない写真があちこちに。
こういう懐かしいモノもあれば、今では使わなくなった道具や取説の類。
 
その他もろもろをリビングのテーブルや周りの床に置いていく。
掃除をしながらとはいえ、なんだかんだ予想以上に時間がかかる。整理(?)を始めてしばらくした午後6時過ぎ、妻が帰ってくる。そして驚く。
 
とりあえず絶対要らないと思うモノを除けたけど、コレなんかはどうする?と(優しく)声をかける。すると、妻は「要らない」。こっちは?「要らない」・・・・。エーそうなの~、何でとっておいたの?「機会が無かったから」。懐かしいモノの多くがゴミ袋入りになり、クローゼット断捨離が終わった。
PC台周りのモノも移動できた。
 

5月21日(日)、隙間用に使っていた木製の簡易な棚(自作)は処分するのではなく、ばらしてから材を使ってスチール製のPC台を多少木っぽくしようと考えた。
そこで、採寸し、ばらし、カットして・・・。そのカットがなかなか進まない。切れが悪いのだ。そりゃそうか、買ったのは数十年前になる。
 
その後、組み立てをしてPC台にセットして・・・、前日から続けて作業をしているせいか、遅い昼食後にどっと疲れが出て夕方寝。
塗装も含め、もう少し作業と整理が残っているが、後日とした。
(後日=明日27日にやろうと思っている)

*今週も飲み会2回に日帰り出張とかあって、こっちもあっちも日記が滞ってしまった。
 
 
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カエデの枝が一部枯れた

2017-05-14 | 我が家~植物・生物
我が家の鉢植えのカエデは、この3月に赤い芽を出し、その後、出葉となり若葉が出揃ってきた。ところが、一部の枝では芽の状態から・・・枯れだした。(↓5月6日)
 
 
何故だろう?カチャッてみると、ほとんどの要因は根ぐされ、根痛み、根詰まり、水切れなどなど根にあるようだ。
そういえば、と日記で過去の様子を確認すると、2年前の夏にいきなり葉が枯れたことがあった。ただ、この年も翌年(昨年)も植え替えなどしていない。2~3年このままだったか?
 
先週の土曜日、鉢から抜いてみると根が隙間なくびっしり詰まっていた。これではちょっとした水くらいでは通さないかも。酸欠もしそう。
ただ、今以上の大きな鉢はないので、周囲や下の方の根を落として土を替えてみた。枝も枯れた部分はやむなく伐った。
 
ついでに、地植えで育っていた子カエデを鉢植えにした。さらに先の枝を伐る。
それから殺菌剤入りの塗布剤(トップジン)を買ってきて、伐ったところに塗った。
 
それから一週間。両方とも今のところ安定しているようにみえる。(↓今日の10:00頃)
 
 
 
こちらは、子カエデ。
 
親カエデの方は、来春に根の様子をみてみよう。
 

-*-*--*---*-----*-----*-----*---*--*-*-
 
 
昨日は雨だった。雨戸は汚れていた(何年も掃除してない)。
午後、雨に乗じて雨戸を外し、隣とのフェンスに立て掛け雨ざらしにしてみた。汚れが多少は落ちるのではないかと。
すると、しだいに雨が弱くなってきた・・・。1時間くらいして様子をみる・・・けっこう土埃が溜まっているようだ。デッキブラシ登場・・・ホースでジャー。
しばらくしてから、取り込もうと持ち上げると、視線は裏側に。こっちも汚かった。ホースでジャー。
汚水(?)が相当周りに飛び散ったと思うけど、雨で良かった。
 
 
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加島屋、六文銭、多町

2017-05-12 | 四方山話…
5月10日、神田にある馴染みの角打ち『加島屋酒店』に行くことになった。

その前に・・・、昼に歯医者に行ったために満足にランチをしていなかったので、小腹を満たすため先に真向いの『六文そば』に寄った。
 
六文そばは、げそ天=「いかげそそば」が有名と聞き、以前一度行ったことがある。黒っぽい濃い目の汁、黒っぽいげその天ぷらは独特だ。蕎麦の味、汁の味、天ぷらの味など、それぞれがどうこうではないココでしか味わえないそばには熱狂的?狂信的?なファンが通うという。
 
すぐ近くには、あの『神田やぶそば』や『まつや』がある。さらに周辺には『小諸そば』『ゆで太郎』『富士そば』などのチェーン店もある。なのに・・・すごい。
 
2回目のこの日は、時間が遅かったこともあり天ぷらはかき揚げだけ。それを頂いた。ん~個人的な好みとは若干違うけど、また食べたくなるような感じ。
 

その後の加島屋酒店では、ビールをちょっと飲んで、コップ酒を3杯いただく。
いつも、お店のお母さんがいると一緒に話しながら飲んでいるのだが、今週末は「日本三大祭り」の一つ『神田祭』が行われることもあり、その祭や地元神田のことが話題に。
 
「エッそうなの!?」と思ったのは、神田多町(かんだたちょう)という地名のこと。
一般的に町名は○○町一丁目、二丁目、三丁目と続くが、多町は一丁目が無い。あるのは二丁目のみという。またぁ~イイ大人にそんな冗談はやめてよ~と言うが、本当だった。
 
何でも、以前は一丁目があったけど、住居表示の変更で内神田になってしまった。では何で二丁目が残ったかというと、住民の反対運動によるそうで、それが認められてたのは歴史があったからだという。
 
気になったので調べてみると・・・・・慶長8年(1603年)、徳川家康は幕府を開いて全国支配の中心とするとともに、神田・日本橋・京橋で町づくりを始めた。
寛永年間(1624年~1644年)以前に成立した町を江戸古町(こちょう)といい、神田には22の古町があった。慶長11年(1606年)に起立した「田町」も江戸古町のひとつであり、神田で3番目にできた町。〈歴史があるんだね。反対運動も納得〉
 
昭和8年(1933年)に町名地番が改編され、330年続いた(旧)多町一丁目と(旧)多町二丁目などが合併し、現代の多町二丁目町になり、当時の竪大工町や新石町が新たにつくられた(新)多町一丁目になった。〈何故この時に古い町の方を一丁目にしなかったのだろう?〉
 
そして、昭和41年(1966年)の住居表示の実施で(新)多町一丁目が内神田三丁目に編入されたために、今は多町二丁目だけになったとさ。
 
同様に、神田司町二丁目、神田鍛冶町三丁目も訳あってこれのみ。
神田は古い町なので、町が細かく多数ある。町名にも歴史ありの町だ。
 
ちなみに、残念(?)ながら町名が変わった多町一丁目も、町会名は「多町一丁目町会」で変わってない。住民の意地かな。
 
 
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GW2017〔帰省〕

2017-05-07 | 家族・帰省・イベント
5月3日~5日の2泊3日で、新潟の実家に家族(妻と息子)で行ってきた。
 
3日】 午後1時半頃出発。関越道の渋滞はピークを過ぎていたが、通常3時間のところ4時間かかって午後5時半頃到着。
先月挙式した(結婚は一年前の)娘夫婦もほぼ同時間に到着。娘婿にとっては初めての新潟(実家)。娘夫婦は我々よりも早く出発し、温泉施設に立ち寄ってから来た。
 
夕食兼宴会は、主に娘婿を肴に楽しく飲食。山菜メニューは、山ウドやコゴミ、ワラビ、フキノトウ、カンゾウ、木の芽(あけびの芽)、チシマザサ(根曲がり竹)、あと2種類ほどあった(名前忘れた)。焼いたチシマザサは美味かった。
自分では料理をしないけど、山菜は手間がかかることは知っている。感謝。

4日】 私のお腹の様子待ちで少し遅くなったが、午前9時から娘夫婦と山散歩に行った。
娘夫婦には、日程を合わせて実家に行けるとなった時から、一緒に「山散歩に行くよー」と話していたもの。
ブナ林は気持ち良し。標高150mほどでもブナ林があるのは雪国だからこそ(という話を妙高高原のガイドから聞いたことがあるのでそれらしく教えてあげたサ)。
 
 
山は春の早かった昨年とは違って、全体的に花が少なかった。杉林のチゴユリはまだ花をつけていなく、フジもまだまだの状態。白花のショウジョウバカマ、オオイワカガミ、オオバキスミレ等々が見られた。
   
 
 
シマヘビが佇んでいたけど、娘も婿も嫌がらないのがイイ。
枝についた網状の繭(クスサン?)、枝に蜘蛛の巣状の巣があり中に虫がウヨウヨ(苦手)、喧嘩間近のアリなどを娘婿が見つける。
    
 
 
林を抜けた後、農道を歩いていると前方にコサギ?が飛んできた。この辺りでは珍しい)。
 
そして、赤谷十二社の大ケヤキへ。この日記では何度か取り上げているが、幹週約10m、樹高約46mの文字通り大ケヤキだ。若葉が芽吹き始めていた。
 
 
 
実家に戻ったのは午前10時半頃。ゆっくり1時間半の娘夫婦との山散歩。面白かったし良い機会となった。
午前11時頃、娘夫婦は家に帰るため出発した。
 
私は昼寝の後、まだ植物見不足だったので、午後3時頃から車で山の方へいき、車を止めては道路沿散策。トキワイカリソウやヒロハテンナンショウ(?)、ヤマザクラ、キブシ等々。
ついでに大白倉の棚田も見に行く。昨年の棚田と比較してみたら、やはり緑が少ない。
 
 
少し先まで行くと眺望の良い所があった。越後三山とか(だと思われる)。
 
 
5日】 当初夕方に出発しようと思っていたが、渋滞予測では午後から深夜まで大変なことになるとのことで、午前9時半頃出発することに。
おかげで、ちょっとした渋滞はあったもののスムーズだった。
関越道を降りた後、川島町の「すったて(そば)」を食べに寄り道。ご飯はつけず麺大盛りに。やはり美味かった。
 
 
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箭弓稲荷神社(東松山市)

2017-05-05 | お出かけ
4月30日、ツツジを見るために東松山市の「箭弓稲荷神社」と「物見山公園」に行ってきた。箭弓稲荷神社(旧県社、別表神社)は初めてで、読み方も知らなかった。そもそも箭弓(やきゅう)とは?
 
御由緒によると~創建は和銅5年(712年)と伝えられ、平安期に平忠常討伐に向かう源頼信が、頼信が野久稲荷神社に夜を徹して戦勝祈願をしたところ、明け行く空に箭(矢)の形をした白雲が現れ、その箭は敵を射るかのように飛んで行ったのを見て(一説に白狐に乗った神から箭(や)と弓を授かる夢を見て)これぞ神のご加護と敵陣に攻め込み、三日三晩の戦で勝利。帰陣した頼信は、この勝利はご神威、ご神徳によるものだとして、社殿の建て替えを寄進するとともに、野久稲荷を箭弓稲荷と改めて呼ぶように命じたと伝えられる。

鳥居をくぐって参道を進むと、豪壮な権現造りの『拝殿』。天保6年(1835)年の上棟とされる。
 

拝殿~本殿。
 

本殿』は格子の塀が廻らされている。

格子の隙間から覗くと、深い軒や各所の彫刻に驚く。
 


宇迦之御魂社(團十郎稲荷・穴宮)』は、当社を厚く崇敬していた七代目市川團十郎が奉納した祠。芸道・技術の向上を願う方々の信仰も厚く、5月・10月には團十郎稲荷祭を行うそうだ。
 
 
 
「ぼたん園」の奥にある『天神社』には、何故か若い梅の実がそこかしこに置かれていた。天満宮(?)ということからの梅なのかな。
 
 
 
この日、『神楽殿』では祭囃子や民踊が奉納されたようだ。
 
 

境内南側に松と栴檀(センダン)の木が寄り添うように生えており、何時しか縁結びや人間関係の好転の御利益があるとされ『縁結びの木』と呼ばれるようになったという。
 
 
 
境内には幾つかの絵馬掛けがあり、中には野球のベース型の絵馬やバット型の絵馬(↓)もあった。


何でも「やきゅう」という音との縁で、プロ野球をはじめとする野球関係者が多く参拝され、また、これに因んでの絵馬のようだ。特に、埼玉県所沢市を本拠地とする西武ライオンズの選手が頻繁に訪れるらしい。野球ファンの方はご存知なのかな。
 
巨大御朱印スタンプなるモノも飾られていた。後で調べてみると、昨年、箭弓稲荷神社が「御鎮座1300年」となるのに合わせ、地元の商工関係者らが高さ1.42m、重さ420キロの巨大御朱印を製作。奉祝行事で見事押印に成功し「最も大きな木製スタンプ」として初めてギネス世界記録に認定されたという。
 
 
いろいろあるね~箭弓稲荷神社。
なお、別ブログの方に当神社の『ぼたん園』や、この後に向かった『物見山公園』のツツジについて取り上げた。
 
 
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