シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

川島町:遠山記念館

2016-09-27 | お出かけ
9月24日(土)、埼玉県川島町の『遠山記念館』に妻と二人で行ってきた。
天気予報では曇り&雨だったが、“芸術の秋”でもあり、どこか見学に行こうかと前日に妻と話す。埼玉県内や上野・・・、そんな中「そういえば」という所があった。
 
帰省や遊びで東松山ICに向かう際には必ず見ている『遠山記念館』の看板。もう、四半世紀以上になるが訪れたことがない。Webを見ると、趣きのある邸宅・庭園に美術館もある。車で行けるし、遠くはない。妻も賛成。・・・ということで。
 
遠山記念館は、川島町出身で日興證券(現SMBC日興証券)の創立者・遠山元一の遺志に基づき、登録有形文化財である建造物の保存・公開、及び重要文化財6点を含む美術・工芸に関する資料の公開を行い、文化及び芸術の振興に寄与することを企図している。
邸宅は、遠山氏が、一時没落し生家を再興させるとともに、苦労した母親の安住の住まいとして建てたもので、2年7カ月の歳月を費やし昭和11年4月に竣工した。
当時最高の建築技術と全国から集めた銘材を使っている大邸宅で、建築様式を異にする3棟を渡り廊下で結ぶ構成。
 
観てきた後なので感想を先にすると、驚き、感心し、とても有意義だった。背景としては、当地が川島町で周りは田んぼに囲まれた環境にあること。ここは寺社仏閣ではなく邸宅だということ。邸宅の設備はほぼ竣工当時のままだということだ。
 
敷地は土塀に囲まれ、大きな長屋門をくぐる(扉も立派)。受け付けは美術館の中にある。大人700円お支払い。
 

邸宅は東棟の表玄関から入る。置いてある靴をみると、先客は1組だけのようだ。おばちゃん(おば様)が出迎えてくれた。ボランティアで案内をされているという。折角なのでお願いした・・・正解だった(聞かないと分からないこと多し)。
なお、画をだらだら並べたいところだが、ページが長くなるので泣く泣く省略。
 
●東棟 豪農風の茅葺屋根、檜造り
表玄関は総檜造り。天井は玉杢(たまもく)の格子天井で、木目が重ならないよう配されていた。
 
・内玄関は10畳位ありそう。研ぎ出し土間で天窓も付いている。ランプ風の照明がモダン。隣には広い台所があるが非公開。
 
・18畳囲炉裏の部屋:高さのある部屋で網代天井。手前に囲炉裏がきってある。この畳に関しては・・・何だっけ。
 
 
●中棟 伝統的書院造りで貴顕の来客を接待(2階建)
・手前が10畳、奥が18畳の大広間
 
・床の間の付書院の欄間は透かし彫りで精密だった。シャンデリア照明はガス灯の雰囲気を模したとか(↓廊下も同様)。
 
・畳廊下が広間の三方を囲む。軒桁には一本丸太(吉野杉)、欄間や天井の造作も素晴らしい。
 
・大広間から眺める庭というか窓。幅が広く作られ、ガラスは外国から仕入れたもので、四方に面取りがなされ厚くゆがみなどは無い。とてもキレイだ。
 
中棟には2階があり、遠山氏の寝室(ベッド)や和洋折衷の洋室があるらしいが、通常は未公開。
 
●西棟 京風数寄屋造りで母親のための建物(奥に土蔵あり)
・8.5畳の茶室は、床の間が深い。縁側の袖壁は蛍壁(土壁に金属混ぜ、浮き出る錆を彩りとして見せる)。
 
・7畳の茶室は、庭の景色を呼び込む(外部と一体感を持たせる?)よう、部屋の2方向に土間部分を設けて大きな開口がある。部屋の障子には雨戸もついている。
 

この茶室と隣の12畳のお座敷等には、墨差し天王寺という濃淡模様が浮き出る(下地によって変わる)土壁になっている。
 
●廊下、その他
・東棟と中棟つなぐ畳廊下は船底天井。広間の反対側には、浴室、化粧室、トイレなどが並ぶ。給湯設備や浄化槽など、昭和十年当時の最先端の住宅設備を施してある。
 
・浴場は広く、外国のホテルようなシャワー付き。ここに限らず、邸宅の水回りはお湯が出るようになっており、蛇口はCとHの2つ。
 
浴場には脱衣室があり、そこには洗面があるのだが、その隣の6畳ほどの化粧室にも蛇口が付けられていた。そうそう、階段下の物入れの扉は木製シャッターだった。
 
・トイレは水洗。当初は和式だったが、外国のお客様が多かったので洋式に変えたらしい。

・中棟から西棟に続く廊下は、緩い傾斜がついていた。今でいうバリアフリー。この廊下から建築様式が変わる。
 
・西棟の裏側に土蔵がある。入口は室内廊下から。大きな金庫のような扉だった。

・西棟廊下の一番奥(日常使うであろう台所の隣)の天井近くにあるのは?ファミリーレストランにあるような呼ぶと音と灯で知らせてくれるモノ。大邸宅ならではか。
 
 
●庭園
・東棟の表玄関の方から庭園への入口がある。くぐると中棟の大広間前に広がる芝生へ。中棟の2階は外からの造作も素晴らしい。室内も機会があれば。
 
↑画の背中側には、四季折々に楽しめる植栽。(=大広間から見える風景)
東棟と中棟の間にある水琴窟の音色は、まるでオルゴールのようだった。
 
・西棟の前から中棟側を臨む。この辺りから園路は木々が深くなる。
 
・独立した茶室もあった。でも、立入禁止。
 
 
表玄関や広間などの前には、大きな大きな沓脱石が配されていた。これは鞍馬石で遠路運んだようだ。江戸からは荒川を船で上り、その後は馬(牛だったかな)でひいてきたという・・・。
 
邸宅は、昔日興証券の迎賓館としても使われていたらしい。ここまで来ること自体が大変だったと思われるが、当時はどうしていたのだろう。
 
生憎の曇り時々小雨の天気。でも、古い和風建築はしっとり感もお似合いだった。
とはいえ、秋晴れの紅葉の時にでもまた行ってみたいものだ。(混んでなければ)
 
敷地内にある美術館については、次回に少し取り上げよう。
 
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おめでとう、愛ちゃん

2016-09-25 | 巷のニュース
9月22日は雨だった。朝からリビングではTVがつけられ、パソコンに向かいながらもTVの音が耳に聞こえ、気になると見たりする。
この日は福原愛ちゃんの結婚報告会見のニュースをどのTV局でも取り上げ、四六時中流れていたと思う。
 
アナウンサーが「日本全国、親戚のおじちゃん、おばちゃん」と言っていた。「彼だったら許す」みたいな感想も。何も関係ないのに。でも、確かに50歳以上の方なら、自分の子供(孫)のような感じで、幼いころからの愛ちゃんを見てきたと思う。
 
私にしても、愛ちゃんは私の娘と同じ年の生まれで、誕生月も同じ。時々見せる二十あごの辺りは「あっ、お姉ちゃん」と息子が冗談で言うくらいには、ちょっと似ているときもある。
 
現役で卓球を続けるようだが、早めに子供ができて、子供も卓球をやってくれたら面白いだろうな~。
まぁ、それはさておき、まずはご結婚おめでとう。多くの親戚のおじちゃん、おばちゃんが喜びましたよ。
 
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ミノムシって

2016-09-22 | 自然・環境とか
台風などの影響で9月は雨が多い。当然休日でも雨。散歩もできないが、おかげで別ブログ(植物観察日記)の方は作業時間が取れて更新できている。
 
さて、9月10日に久喜市(旧菖蒲町)の『萩の径』を散歩した際のこと、ヤマハギにミノムシがぶら下がっていたのを2つ見つけた。
 
●葉をまとったミノムシ
 
 

●小枝をまとったミノムシ
 
 
 
時々見ることのあるミノムシだが、同じ生育環境で数メートルしか離れていない場所なのに、ミノ(蓑)にする材料が異なるのは不思議なものだ。でも、そもそもミノムシって蛾の幼虫ってことくらいしか知らない。そこで、カチャッてみた。
 
ミノムシ(蓑虫)は、ミノガ科の蛾の幼虫。幼虫が作る巣が、藁で作った雨具「蓑」に形が似ているため、「ミノムシ」と呼ばれるようになったという。(Wikipedia)
 
住友化学園芸のWebによると、「チャミノガとオオミノガがいるが、ミノを作る素材が異なりる。前者は小枝を中心にしてつづり合わせて作り、後者は葉を中心にしたミノを作るため簡単に区別できます。」とのこと。
 
しかし、あるサイトでは「ミノの材料は様々で、オオミノガは上端は細く小枝にぶら下がる。チャミノガは上端を広く固定し角度を持ってしっかり取り付く」とある。よく分からない。
 
また、雌は一生ミノの中で(羽化したとしても)芋虫状態で生活し、雄は羽化して蛾の成虫状態になって雌の所に飛来して交尾する。ミノガにとって羽化は子孫を残すためだけなので、口はなく、エサを食べることはない。不思議な生き物だ。
 
なお、日本ではミノムシが1990年代後半から激減している。外来種のヤドリバエというが日本にやってきて、ミノムシに寄生するようになったからのようだ。ミノムシも大変だ。
 
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あの動物がこんな所に!!!

2016-09-17 | 自然・環境とか
個人の日記とはいえ、公開しているのである程度背景となる情報を載せておく必要もあるだろう。
私が住んでいる所は、最寄り駅から徒歩10分強の住宅地にある。最寄り駅は東京駅よりも約30年前に開業した駅で、今年で133年目。旧中山道沿いで宿場町として栄えた町だ。
Yahoo!の航空写真を拝借。こんな感じの住宅地。
 
 
 つまり、山を削って開発したとか、大規模な造成工事をした土地ではない。まとまった田畑を見るには荒川の方に向かう・・・。
 
我が家の裏の家は昔からの土地持ちさんで、分譲住宅4~5軒分ある。その中に2階建屋が2棟、平屋が1棟ある。ついでに広めの家庭菜園もある。
 
さて、数日前のこと、遅寝遅起きが常態化している息子によると、深夜に裏の家の方からガサガサとけっこう大きな音が聞こえたという(我が家は土地が狭いので、息子の部屋は3階にある)。私と妻は熟睡中だし部屋が表道路側なのでまったく気づかなかった。
 
気になった息子は窓から見てみた。すると何やら動物が平屋の屋根に。とっさにスマホで撮ったら・・・(↓スマホの縦画なので上下カット)
 

分かりにくいが、左側に四つ足動物が写っていた。イヌやネコには見えない、強いていえばタヌキだけど・・・。さらにトリミング↓。
 


やはり、この尻尾の黒い縞々は(尾に黒い輪が数本あるのは)、アライグマではないか!スゴイ!
 
カチャッてみると、アライグマは岩の窪みなどに巣をつくるが、木登りがうまく、木の洞などに巣をつくることが多い。また、ほかの動物が掘った巣穴や、時には人家の納屋や車庫、屋根裏などに住みつくこともあるという。なるほど、木を登って平屋の屋根の上にいても不思議ではないわけだ・・・・・、いやいや何でこんな住宅地に!?
 
アライグマの行動範囲は、平均すると直径1~3kmなどと言われているが、その範囲は生息環境や雌雄などによっても大きく異なっていて、開けた草原などの雄の行動範囲は7~50km2、雌では2~16km2とも言われている。
 
このアライグマ、雌雄の区別は分からないし、住んでいるのか散歩中なのかも分からないけど、日本では農業被害は大きく、在来生態系に影響を与えているという。それにしても、何でココに。
 
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白いサギ(ダイサギ)が!

2016-09-14 | 自然・環境とか
『埼玉の花ごよみ』というWebサイトを見ていたら、〔萩:8月中旬~9月中旬〕で場所は久喜市(旧菖蒲町)とあったので、行ってみることにした。散歩日:9月10日。
 
見沼代用水路沿いに萩が1.5キロメートルにわたって植えられていた。ほとんどがヤマハギのようだが、ほぼ花は終了で残念。ただ、白い花が咲くシラハギというのが咲き始めていた。
 
ハギを眺めながら歩いていると、見沼代用水路を挟んだ向こう側にある一面水草で覆われた小さな池に白いサギが2~3羽いるのが見えた。シラハギ越しのシラサギか~などと思いつつ、せっかくなので池まで行くことにした。
 

池に近づくと、サギは増えていた。ジワジワと近づく。※画数が多くなったので、幾つかトリミング(上下)
 


で、気付かれたのか4~5匹が飛んでいった。
じっとしていたら、また飛んでくるかもしれない。(待つのは嫌いだけど)試しに少しだけ待ってみようかな・・・と思ったところ、遠くの田んぼの中から湧き出るように飛び立って、
 


空をぐる~っと回って、 
 
 


続々と・・・舞い降りてきた。
 
 
 

あっという間に、流行りの池になった。↓画の範囲で50羽以上は数えることができる。それ以外も含めたら、いったい何羽いたのだろう。
 
 
 

一般的にはシラサギだが、ここのサギはチュウサギかダイサギ、たぶんダイサギか。
 


また、しばらくすると飛び立っていった。そして、田んぼの中に消えた。
 
 
 
 
 
 時間にしたら数分の出来事だった。いったい何だったのだろう。プレゼントかな・・・。
 
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先週の雨語り・・・

2016-09-12 | 日常のできごと
台風の時期だが、雨予報の時はいつも、通勤の準備に気を使うことになる。傘を持つにしても、普通の傘が必要なのか、折りたたみで大丈夫なのかで違うし、靴も通勤時に大雨なら雨用の靴にしたいところ。
ところが、雨用の靴(底面から4センチ防水)のソール部分と先芯の横の接着面が離れてきて、防水なのに水が浸み込む状態になっていた(これでは、意味がない)。
 
先週の8日は、台風~低気圧の関係で朝から大雨になるとの予報だった。そこで、前日の会社帰り、最寄り駅に近いイトーヨーカ堂で急きょ雨用の靴を買った(税込5,400円)。
翌日、その雨用の靴を履いて出かける。在社時間の午後4時頃は大雨が降ったが、通勤時間の朝も夜も傘要らず・・・靴は活躍できなかった。
 

9日の夜、6人で軽く飲みに行こーとなった。紹興酒を1本、その後「いいちこ」1本いれる。それが無くなり、どうする?となり・・・さらに1本。軽くと言う割には多かったかな~と思いつつ帰る。
 
自宅最寄りの駅を出ると、道路は雨が降った跡と分かるほどだった(雨はあがっていた)。帰宅して妻に聞くと「30分前くらいまで大雨だった」という。傘は持ってなかったので、「もう1本」がラッキーだった。
 

ついでに、今日は一杯飲んで帰宅したが、また最寄り駅を出ると雨の跡。エー雨だったのかと帰宅し、シャワーを浴びた後、息子がバイトから帰ってきて「雨に降られた~」という。雨の合間に帰れたようだ。今日もラッキーだった。台風時期は何かと雨が忙しい・・・。
 
 
 
話は変わるが、先週の(いつだったかの)朝、千代田区の万世橋を歩きながら神田川を見ていると、増水した川にウ(カワウかウミウかは不明)が1羽いた。珍しい。潜ったので獲物をくわえて出てくる所を見てみたいと思いしばらく待つが出てこない。おかしい、どうしたんだろう、あ~橋の下に出たのかもしれない。と思うことにした。
他には、カメ(種名不明)が2匹、流れに逆らって泳いでいた。
 
 
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カタツムリって

2016-09-11 | 自然・環境とか
カタツムリ(蝸牛)が少なくなった?かどうかは定かではないが、田舎に比べれば都心での生育環境は限られるのだろう。
カタツムリは、寒さだけでなく、暑さや乾燥にも弱いので、冬は冬眠し、夏の暑い時期も活動を停止(夏眠:かみん)するようだ。
個人的には、公園散歩をしていても雨上がり後ならいざしらず、通常は探そうとしないと目にすることは少ないのではないだろうかと思う。
 
さて、先週の9月4日(日)、北本自然観察公園散歩に行くと、深夜に雨が降ったせいか普通に5匹見ることとなった。
最初は、葉の上に堂々と(?)いたもの。↓の他にも、葉の上で1匹見た。
 
 
それから、大きな木を下向きに歩いていたもの。
 


目線を上げると、さらに1匹。
 
 

その上にも、もう1匹。この木には、ざっと見える範囲で3匹いた。

この日は、探す気になればもっとたくさん見つかったことだろう。
 
ところで、幼い頃はカタツムリを見つけると、虫かごに入れたりして喜んでいたように思う。何がそんなに嬉しかったのか。
 
 
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『シン・ゴジラ』4DX

2016-09-09 | 映画・TV・ヒーロー
ゴジラシリーズの29作品目になる『シン・ゴジラ』。ニュースでは、7月29日に公開して9月6日までの40日間で観客動員420万8608人を突破し、1984年に公開した『ゴジラ』以降の“平成ゴジラシリーズ(14作品)”において最高の観客動員数を記録したという。平成シリーズでは、1992年の第19作『ゴジラVSモスラ』が記録した420万人が最高だった。
幼少の頃から慣れ親しんだ(?)ゴジラが売れるのは喜ばしいことだ。
 
記録更新は私のおかげでもある。9月3日(土)に妻と2人で観てきた。
これまでのゴジラVS別の怪獣という対決モノから変わったせいか、何の事前情報によるのか分からないけど、珍しく妻が観てみたいと公開前から言っていた。
 
既に観たという会社の同僚Sが「4DXで観た方がイイですよ」と言う。「へ~、で、4DXって何?」・・・なるほどと、試しにそうしようと思った。
カチヤってみると、4DXで上映しているのは県内に5ヶ所ほど。上映時間とこちらの都合で近いシネマはタイミングが合わず、しかたがないのでちょっと遠いけど初めての『ユナイテッド・シネマわかば』に行くことに。
 
上映15分前位だったが、かろうじて席がとれた。ラッキー。
4DXは、モーション、エアー、ミスト、風、煙、フラッシュなど、なかなか忙しい。良し悪しは個人差があると思うが、私はアリだと思った。ただ、メガネをかけているのでミストは2回浴びてOFFにした。
 
映画自体は面白かった~。ただ、ゴジラのキャラクターが・・・、なので必ずしもゴジラである必要性が薄かったような気がする。
また、ヤシオリ作戦は成功したが、あの状態のゴジラは、その後どのような対処(処分?)がなされるのだろう・・・気になる。あと解らないのは、最後のゴジラの尻尾(に付いているモノ)の意味するところ・・・。
 
ちなみに、ある評論家の見方は、「東日本大震災や原発事故が発生し、人間の恐怖の対象として災害が改めて認識された。この映画は明らかに災害映画で、内閣がどのように対応し、自衛隊への命令がどう出されるかということは、自然災害への対応を元にしている」そうだ。
 

冒頭の記録の話に戻るが、“平成ゴジラシリーズ”という言葉をあえて使っているのは何故だろうと、昭和のゴジラシリーズの動員数を調べてみると、1954年の最初の『ゴジラ』は顧客動員数961万人。1962年に公開されたシリーズ第3作『キングコング対ゴジラ』では、当時の歴代邦画観客動員数第2位の記録となる1255万人を動員したらしい。こりゃ~比較になりにくいな~と納得。
 
調べたついでにいうと、昭和シリーズと平成シリーズは9年の間が空いた。それに対して『シン・ゴジラ』は前作から12年の間が空いている・・・こっちの方が長い。同じ平成シリーズで括るのはいかがなものか。『シン・ゴジラ』からは“平成ゴジラ第2シリーズ”の方がしっくりきそうだ。(この先のことは分からないけど)
 
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ミョウガの花咲いた

2016-09-07 | 我が家~植物・生物
2014年の5月に、ミョウガを2ポット購入し狭い庭に植えた。翌年からはそこそこ採れると言われ、昨年の8月9日の日記をみると、その時点で6個収穫したと記している。
ところが、今年はいまのところ・・・2個。どういうこと!?考えられるのは、栄養不足かな。でも、秋に期待しよう・・・。
 
ただ、今年は休日のタイミング(8月12日)に開花の状態を見ることができた。田舎者のくせにミョウガの花をじっくり見るのは初めてのこと。せっかくなので記録しておく。
 
ミョウガは地下茎から葉の部分と花が別々に地上に出てくる。食べている部分が花穂で、葉と茎に見える部分が偽茎と呼ばれる葉の部分。
 
 
 
 

それにしても変わった花である。花の構造はどうなってんの?と思う。カチャッてみると、上側は花被片で、下側の大きな花被に見えるのは雄しべが変形したもの。間からとび出ているのが蕊で、基部に近い下側についているのが葯、黄色い部分は鞘のようになって雌しべをくるみ、先端に顔を出す・・・難しい(別ブログのようになってきた)。
花穂を採って(小さい)、間近でも見てみた。その後、いただいた。
 
 
 
 
 
ついでに、8月21日のシンテッポウユリ。今年は変な所から出現。他にも狭いところから小さいのが3株ほど出現。
 
 
 
同日のヤマボウシ。熟す果実と2期咲き目の開花。その後、花は先日来の雨風でほぼ落ちた。
 
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小浜市:朝散歩~古い町並み

2016-09-04 | お出かけ
ここ数日、だるいな~。昨日も今日もソファに横になり寝てしまうこと多し。夏バテか(飲みすぎ疲れか・・・)。
 
さて、間が空いたけど前回の続き。小浜市の重要伝統的建造物群保存地区での朝散歩のこと。
小浜の町は、江戸期に京極家が小浜城の築城に着手し、これを中心に町人地とする町づくりを進め、東・中・西の三組に分けられたようだ。で、保存地区は小浜西組にある。
その中でも三丁町の通りは、遊廓街・お茶屋街で今も千本格子の家々が軒を連ねる。風情のある街並みだった。
 

他にも、こんな板塀の蔵や、

焼き杉板の外壁もある。

こちらの洋風の建物は歯医者さんで、大正14年モノ。国の登録有形文化財に登録されている。
 
 
また、同地区には大小のお寺が多数あった。
高成寺:室町期に創られた足利市の安国寺。山門~二層の見事な楼門~本堂。
 
 


常高寺:京極高次の妻・初(常高院)の菩提寺。変な石段があった。ちょうど石段の上を電車が通った!?昔は使われていたのだろう。今は石段の脇を通って、線路の下をくぐって山門に行くようだ。

石段を登って山門を見る。本尊までは遠そうなので行かなかった。

同地区はNHKの朝ドラ「ちりとてちん」のロケ地になっていて、この石段も含め数か所でロケ地紹介の看板を見た。(私はドラマを見ていないので・・・)
 

空印寺:小浜藩主酒井家の菩提寺。

隣接する「八百比丘尼入定の地」。


八幡神社:現在の建物は鎌倉時代の初めに建てられたもの。約300年の歴史がある若狭最大の秋祭り「放生祭」が行われる。
 
 
手前にそびえる大鳥居。

狛犬は大きく、高さ1m以上は優にありそう。
 

小浜西組の通りは、道幅が狭くクネッて、見通せるようにはなっていない。地元のSさん曰く「戦災や天災にあってない」ので昔のままのようだ。そのため初めての者には分かりにくいと思う。
少し迷いつつ1時間の散歩で汗だくになったが、興味深い町並みだった。
 
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