一見、下町の片隅の狭い土地に、小さな社がちょこんと鎮座しているように見えるが・・・
●社伝によれば、当社は小網山万福寺を別当寺として、室町時代中期、当地に祀られた稲荷社に起源するという。古い神社である。
●所在地である日本橋小網町の町名は、神社にちなんで定められている。
●現存する社殿及び神楽殿は、昭和四年(1929年)の造営。社殿は伝統的な神社建築の形式を備え、向拝には優れた技法による彫刻がほどこされている。また、道路際に建つ神楽殿(写真右側)は、五角形という特殊な平面形態を持つ。
この社殿及び神楽殿は、中央区に現存する数少ない木造の神社建築として、棟札等の造営に関係する資料とともに中央区民文化財に登録されている。
●ご神徳は、現在の日本橋地区の繁栄が示す通り、社運隆昌・商売繁昌と、明治期以後の戦時期に当神社の神守を身につけて戦地へのぞむ者すべてが、無事帰国したことから強運厄除の信仰がおこり現在ますます盛んになっている。
●東京の日本橋には「日本橋七福神」と称され、夷(恵比寿)・大黒・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋の七神が、近隣の8つの神社に祭られている。
『小網神社』の福禄寿は福徳長寿の神、弁財天は営業隆昌、学芸成就の神として、親しまれている。
さて、先週のこと。日本橋小網町の某社に用事があり、朝「人形町駅」に着いたのだが、約束の時間まで間があった。どうしたものかとフラフラしていたら、歩道に当社の案内(旗のような)があり、向かってみた。
神社の前で、社伝などの説明文を読んでいると、女性(OLさん?)が鳥居の前で一礼して、中に入って行った。手水で清めた後、お参りをしていた。長かった。しばし待った。
私に軽く会釈をし、また鳥居の前で一礼して、彼女は去って行った。私は、彼女以上に時間をかけ、いろんなことを拝んだ。
(前置きが長くなったけど・・・)
年初から、良い~悪いでいうと、「良くない」状態が続いていたのだが、昨日・今日と少し良い話があった。
ひょっとすると、強運厄除の神社に参拝したおかげなのだろうか…と思ったわけだ。もちろんそれだけではない。初詣にも墓前にも、関係各位にも・・・・。