(5月最終週の出張備忘録。前回の続き)山科のビジネスホテルに泊まった翌日のこと。
この日の訪問先に行くまでには時間がある。訪問先周辺をマップで確認すると南禅寺が近いので朝散歩に行くことした。南禅寺は1~2回は訪れているはずだが、若い時なので相当昔のことだ。
交差点を曲がって、南禅寺の敷地に入った頃に、お腹がゴロゴロときた。これはマズイ。昨夜、日常と異なる慣れない一人部屋飲みでペース配分を間違えたか、冷房が強かったか、お腹が冷えた時の状態だと思う。我慢しながらトイレ探し。案内を頼りに中門くぐって南禅寺トイレへ・・・間に合った。洗浄トイレが嬉しい。最初の見学はお寺のトイレになった。
さて、気持ちも新たに(時間もないし)散歩に戻る。案内図の看板で位置を確認し、まずは『三門』へ。2階建てで高さは22m。参道からは枝葉で全容が見えない。
近くまで行くと、流石に大きい。南禅寺の三門は別名「天下竜門」とも呼ばれ、上層の楼を五鳳楼と呼び、日本三大門の一つに数えられるそうだ(他に知恩院、久遠寺)。
三門の両側には『山廊』がある。ここに三門の2階に上がる階段がある。時間が限られているし、天気もイマイチなので「絶景かな、絶景かな」はパス。
門の手前、参道横にある石灯籠が大きくて驚く。↓画では分かり難いが高さ6mほどあるという。一般的な家屋の2階屋根の下端の高さだ。
三門をくぐり、『法堂』へ。現在の法堂は明治42年(1909)に再建されたもの。
屋根がキレイだが、これは平成2年、開山大明国師700年大遠忌記念行事として、屋根茸替え工事及び敷瓦取り替え工事を行なったようだ。
内部の須弥壇上には、中央に本尊釈迦如来、右側に獅子に騎る文殊菩薩、左側に象に騎る普賢菩薩の三尊像を安置し、天井には今尾景年画伯畢生の大作と云われる幡龍が描かれている。
法堂の横を通って、本坊、方丈を眺め、琵琶湖疎水へ。境内南側にある『水路閣』も有名であろう。煉瓦造アーチ水路橋で明治23年(1890)に竣工。
こんな画のアングルも、よく有りがち。直前まで中学生が屯っていたけど、朝で人が少ないので撮れたようなものだ。
琵琶湖疎水は第1疎水、第2疎水、疎水分線があるらしい。どこの国でも、いつの時代でも、水を人工的に調節できてこそ街が成り立つ・・・のだろう。坂道を上って、鐘楼近くで水路を見る。
参道を歩いていると、幾つか別の名前のお寺(?)がある。マップで確認すると天授庵、真乗院、南陽院、金地院など。塔頭のようだ。庭園とか見処も多いのだろう。まぁ、今回は総スルーしかない。
敷地を抜け(どこが境界なのかよく分からないけど)、信号待ちしていると『琵琶湖疎水記念館』の看板と疎水からは想像もつかない豊富な水溜まりが見えた。ん~時間が、でも気になる~小走りで向かう。
記念館の近くに制服を着た方がいたので、ここの水は何だと急ぎの質問。北からは川、そして2つの疎水の水が集まっているような話だった。そして、ここから船が出ていたと・・・。
記念館南側の道路沿いには線路が敷設されていた。
途中にあったインクライン(傾斜鉄道)という説明板によると、蹴上船溜(ダム)や南禅寺船溜に到着した船から乗り降りすることなく、この坂を船ごと台車に載せて昇降させていた。動力は水力かと思いきや電力だ。第1疏水の完成と合わせて建設された「蹴上発電所」のおかげ。日本で最初の事業用水力発電所だという。日本初の産業の歴史が京都にあったことを初めて知った。
市内のほんの一画なのに歴史が盛り沢山。やはり京都は流石だね~。おかげで、1時間弱ほどの朝散歩は有意義だった。