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シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

新盆の法要、お盆の帰省・行程/兄の外出〔備忘録〕

2025-09-01 | 家族・帰省・イベント

■新盆法要
今年のお盆は、義母が亡くなって初めて迎えるお盆。仏壇は5月に義弟宅に引っ越しており、そこで新盆の法要を行うこととなった。
菩提寺は妻の元々の実家の近くだったが、義弟宅とは少し離れている。住職のスケジュールの関係で日取りは8月9日(土)。義弟夫婦と子供2人、義妹夫婦、我々夫婦の家族だけで行うことに。

午前11時に住職をお迎えし、読経と故人を想うお言葉を頂いた。
その後、車2台に分かれて会食会場へ。こういう時に一杯のお酒も飲めないのは物足りないと言うか十分ではないように思えるけど仕方がない。

再度義弟宅に戻ってからは、義母が保有していた食器類の要不要の選別作業。欲しいものは持って帰ることになりダンボール箱へ。「そんなに(我が家の)食器棚に入らないでしょ!?」「(家にある一部は)処分するから大丈夫!」・・・そういうものか。

■お盆の帰省/兄の外出
例年8月はお盆に合わせて帰省するようにしていたが、今年は施設や入院で両親と兄もいない。用事とすれば兄の面会とお墓参りくらい。
勤め先は会社としての“夏季休暇”はなく、平日に休もうとしたら有給休暇を取得することになるので、休暇をいつどうしようか?と考えていたら、田舎の友達から「高校の同学年10人ほどで8月15日に飲み会をするけど、どう?」との連絡があった。
であれば・・・それに参加する方向で、8月14日(木)・15日(金)に休暇を取得した。

兄は入院期間が長期になり、7月末に再度転院することになった。今度は病院ではなく看護が可能な特養に替わった(兄にとっては入院に変わりはない)。
兄との面会予約は15日の11:00にとれた。14日に実家入りするとして、日中の立ち寄り先を調べる。
まずは5月にも立ち寄った『まつだい芝峠温泉 雲海』の貸切露天風呂が15:30からの枠だけ空いていた。少し早いが空いているのはラッキー。
あと機会があればと思っていた『ザ・ヴェランダ石打丸山』も調べてみる。《ゴンドラ+ドームテント+食事》のセットプランがあり、ドームテントは12:40からの枠が開いていた。これもラッキー。妻に確認し諸々予約する。

直前になって想定外のことが!兄が外出して家に行きたいと言い出した。何用?体調は?医者は?車椅子は借りれる?自力で乗れる?許可は?・・・いろいろ確認が必要だけど。
ついでに、娘がスマホに替えてくれたのでLINEの使い方も教えてと言う・・・オイオイ。
結局、まずは面会予約時間に行き、その日の調子が良ければ、昼食後に再度迎えに行くことになった。

■帰省の行程
◎8月14日(木)
8時半頃、妻と出発 →関越道は順調。谷川岳PAで休憩 →
11時半前、『ザ・ヴェランダ石打丸山』受付~ゴンドラで上り、ロゴパークを見て、リフトで上がって、下りは徒歩で景色を楽しむ。ドーム受付~レストランでランチを注文。バスケットに入ったランチセットを持って、冷房の効いたドームテントに入る。外を眺めながらグランピング気分を楽しむ。再度ゴンドラで降り、14:20出発。
15時過ぎ、『まつだい芝峠温泉 雲海』に着く。15:15から貸切露天風呂「夕霧」を使わせていただいた。16時半頃出発 → 一番近いスーパーで夕食と供える花を購入 →
18時前に実家到着。軽く掃除し夕食。甥っ子は仕事で遅くなる。  
    
◎8月15日(金)
8時頃、妻と実家のゴミ出し後、お墓参りへ。(花を忘れ取りに戻る)
11時、兄の入院先へ行き面会。LINE登録方法などは妻が教える。私から文庫本2冊プレゼント(浜口倫太郎「シンマイ」と「廃校先生」)。午後再度迎えに来ることで了承。
→昼食はへぎ蕎麦で有名な店で天ぷらそば →道の駅でお土産購入 →隣の美術館で無料の展示見学 →
13時半、兄を迎えに行く。車いすから助手席への移動は腕力を頼りに何とか。車椅子は借りていく。
実家でも。車いすを家の中に入れて移動。目的の用事を手伝いながらこなす。親戚の家へ顔を見せようとも思ったが、時間に余裕がなくなりパス。16時半に入院先へ送り、我々は実家に戻る。
17時半、友達が車で迎えに来る。18時過ぎに居酒屋。高校の同級生11人で当時と現況の話でガヤガヤと。
22時半、仕事帰りに迎えを頼んでいた甥っ子が来る。同級生1人が同乗、途中で降ろしてから実家につく。

◎8月16日(土)
7時過ぎ、近くの親戚が朝どれ野菜を土産にと持ってきてくれた。(キャベツ、ゴーヤ、ナス、オクラ)
関越道が上りのピークとなる予想の日なので、実家を8時過ぎに出発。叔母さん家で軽く挨拶 →関越道は順調。赤城高原SAで休憩 →12時頃、家に帰る。渋滞はほぼ無かったので良かった。

 

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2025GW帰省の行程/父親の外出〔備忘録〕

2025-05-28 | 家族・帰省・イベント

5月3日(土)から3泊4日で帰省した。最初に考えたのは5月3日の朝出発し5日に帰宅する2泊3日の予定でいたが、関越道の渋滞予想(3日の下りは早朝から昼過ぎまで、5日の上りはほぼ終日)からすると辛いな~と判断。再考し3日は昼出発、帰りはもう1泊し6日に実家を朝出発することにした。

◎5月3日(土)
13時前、東松山ICから関越道に入ると事故のせいでやや渋滞。嵐山PAに並んで入りランチにした。ランチ中に渋滞ほぼ解消 →湯沢ICでおりる
17時過ぎに十日町市松之山のブナ林『美人林』 →車移動中に開花中の桜発見
18時過ぎに同市の『まつだい芝峠温泉 雲海』で入浴 →『道の駅 まつだいふるさと会館』のコンビニで飲物と食材を購入。
20時半頃、実家に着く。簡単な掃除をし夕食

◎5月4日(日)
朝から1F居室や玄関まわりの掃除・整理。車の雨拭き上げ
11時頃、従兄弟が来て山菜(ウド・コゴミ)をいただく。今年は山菜が遅いという
12時前、妻と車で出発→父が入院するS病院に近い蕎麦屋でランチ→
13時半前、S病院に着く。説明や注意など聞き、父親を乗せてもらう →実家のある集落をグルっとまわって家に着く
→叔母さん宅に行き、車の窓越しに兄妹で久し振りの会話 →15時半過ぎにS病院に戻る →兄に依頼された買物 →
17時前、兄が入院するT病院に着き面会する →スーパーで買い物 →19時前に実家

◎5月5日(月・祝)
午前中、持参したPCで作業。雪で折れた枝の片付けや外のモノ移動など
14時~16時前、道の駅「瀬替えの郷せんだ」から吊り橋を渡った農村公園~ブナ林など散歩
〔自宅の近所の方から飲み会のお誘いがあったが、帰省中なのでやむなく断る〕
19時過ぎ、甥っ子の車で、夕食を食べに行く(私はビールも)

◎5月6日(火・祝)
燃えるゴミ4袋出しに行く。家の近くでウドを少量採る
9時前、実家を出発~道の駅でフキノトウとコシアブラを購入 →六日町IC~関越道は断続的に短い渋滞~東松山ICでおりる
東松山市郊外のレストランで12時頃からランチ →前日お誘いを受けたお宅に立ち寄り、山菜をおすそ分け →14時頃、自宅に戻る


【父親の外出について】
以前から考えていたことだが、入院している父親の外出ってどうなんだろうと。
現在の入院のきっかけは、昨年7月に家の中でケガをして救急車で運ばれたことによる。外傷は時間をかけて良くなるものの検査をすると悪い所が見つかり、そのまま長期入院となっている。いきなりの入院だったので、一度(数時間でも)家に帰りたいという願望があるのではないかと思っていた。
また、1月末に病院へ行った際には、認知症を疑うような言動もあったので、家や集落などを見るのはプラスにならないかな~という素人考えもある。

そこで、病院に電話し、意向を看護士から主治医に伝えてもらったところ、近頃は安定しているからと外出の許可をいただいた。車椅子も貸してくれるといい、4日の午後に迎えに行くことにした。

帰省2日前に看護士から連絡があった。「本人はそれほど立っていられない(入院前は杖をついて歩いていたが・・・)。車に乗せる・降ろすのも慣れてないと大変です。介護の経験はありますか?」というが経験は無い。
それでは、と提案されたのは、「当日どんな感じなのか見てもらって、家に入るか入らないを決めたらどうでしょう」と。否応ない。

当日4日、妻と病院へ行く。久し振りに合う父親は、こちらを認識できていて、まずは一安心。
ただ、看護士さんが家に帰ることについて本人に聞くと「難儀だな~。どっちでも良い」と全く乗り気がない。え~そうなの~!?それでも看護士さんが「せっかくだから」と諭して首を縦にふる。
通路で手すりにつかまって立つ様子をみる。男性のスタッフを呼んで車に乗せる様子もみる。・・・これは我々では難しいと容易に判断できた。なので、車椅子を借りることなく、車に乗ったままなのドライブ(?)となった。

元々口数が少ない父親。耳が遠くなってからはさらに少なくなったが、相手あってのことなので仕方ない。私も多弁ではないし。車内は静か・・・。
地元集落が見えてくると「ほ~○○(地元名)だな~」と。集落を一回りしている時には周りを見ていた。家に着いてしばし車をとめる。妻は一旦家に入る。私は車から出て一服しながら叔母家に電話し、この後に立ち寄ることを伝える。
その間、父親の様子もみていたが、あまり興味はなさそうで、そのうち車内に置いていたカメラをケースから出してみたり、サンシェードを広げてみたり・・・。

叔母さんの家に寄ろう!と父親に言うが、無表情で「そうか」と。
車で10分ほどの叔母宅へ行くと、叔母さん・息子・嫁が玄関先で待っていてくれた。
〔叔母さんも足が悪くなってきたこともあって、なかなか父親(自分の兄)の見舞いに行けないと嘆いていたので、機会があれば会わせてあげたいと思っていた。〕
車の窓を下げ、たくさんの言葉をかけてくれる叔母さん。父親は頷きながら聞いている(ように見えた)。この日一番嬉しいと思えたひと時だった。

そのうち父親がシートベルトのあちこちを触り始めた。どうしたの?「車から降りて家に上がらないと!」という。もう病院に戻らないといけないから出られないと話す。理解のほどは分からないけど。

再び病院に着いて、乗車した時と同じ男性スタッフが上手く降ろしてくれた。万一転ぶようなことがあれば大変。素人にはやはり難しいと再認識する。
今回の外出が父親にとって良かったのかどうか、その程度・度合いも分からない。この先、同じような機会があるかどうかも分からない。だから今はこれで良いと思うことにする。

この後、兄の転院後のT病院へ届け物と見舞いに行く。転院は主にリハビリのためと聞いていたが、体調が悪くなる時もあり、なかなか難しいようだ。指定難病に負けるなーと。

 

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孫のお遊戯会・卒園証書授与/歯のメンテナンス

2025-03-26 | 家族・帰省・イベント

孫は昨年の4月から保育施設に行っているが、0歳児~2歳児の施設なので、3歳になった孫はこの3月で卒園し、4月からは就学前まで預けられる別の保育施設に行く予定。

1月中旬に娘からLINEで「合同お遊戯会開催のお知らせ」が届き、私と妻は参加意向でと伝える。ただ参加人数が多い場合は制限するという。娘婿の母親も参加、我々、両親で5人になる。初めてなので大丈夫なのかなと思っていたが、何事もなく当日を迎えた。

3月15日(土)開催日、娘婿が自分の車で家族を載せ、娘婿の母親~我々をピックアップして会場へ行く。孫は車だし朝から祖父母と一緒になったせいかテンションが高かった。
開場は、施設運営会社のグループ施設が合同で、市の施設(ホール)を借りて行うものだった。

席はあらかじめ決められていて、正面向かって右側の前から3列目。施設ごとに縦に区分されている。見る側からすると中央の方が良いのでは?とも思うが、園児たちの並び方(立ち位置)に合わせているようだ。孫の施設は向かって右側で演じる。な~るほど・・・でも、やはり右側過ぎる・・・。

お遊戯会での孫の演目はダンスと合唱。


最後に卒園児紹介(呼ばれて「ハイ」と手を上げる)、卒園証書の授与


演目中にず~っと泣いている子や、泣きながら「ママー!」と何度も叫ぶ子、泣きながら足を上げては床を踏みつける子(地団駄を踏むとは、このことかと思った)。また、無表情で前を向き淡々としている子(政治家顔かと思った)や張り切っている子など様々だ。

孫は平均的に上手くやっていたと思う。幼子なりにたくさん練習したのだろう。エライものだと感心する。
そのような孫の成長ぶりが見られる機会を頂いて、娘たちや保育施設に感謝。

その後、孫を親が引き取り、それぞれの家族が孫と一緒に帰る。我々は娘らが予約済みの(慶事や法事でも使われる)和食レストランへ移動する。
各々がオーダーし、ついでに私だけお祝いだし車の運転が無いので、お酒を一杯頂く。乾杯!

孫は「お子様すし御膳」を選んでもらい、隣の娘婿(パパ)が何を食べさせるか考えながらあげていた。別注のポテトフライは塩を落としてあげるとか配慮しながら。
付いている寿司の一つはイクラ軍艦巻きだった。食べさせたことないけど大丈夫かな?とあげて少し頬張る。ノリとご飯は間違いないし、イクラの食感や塩味も気に入ったようで半分くらい食べ進む。

それから他のを食べていたが、しばらくすると「喉が痛~い」と言い泣きはじめた。娘婿が孫を抱きながら外に出て一時あやしていたが変わらず。戻ってくると唇が少し腫れていた。イクラのアレルギー症状であろうと、両親は病院への連絡や対応にちょっとバタバタ。

その間、娘婿のママさんが孫を抱いて外であやす係に。孫は抱っこされながら寝たようで、そのまま車のチャイルドシートにおさまる。
私が歯医者に予約していたこともあり、私と妻を家に送った後、孫を病院へ連れて行った。

その後の連絡によると、家に帰って嘔吐したら少し元気になったらしい。テレビ電話で説明を聞きながら後の方で遊んでいる様子に一安心。湿疹は3日目に落ち着いたとのこと。
孫は幾つかアレルギーになる食べ物があるけど、徐々に慣れてほしいね~。



同日午後4時からの歯科クリニックは、約3か月毎の定期点検とメンテナンス。
13年前、歯茎が腫れて「何だろう?」と歯医者に診てもらったら、歯周病がかなり進行していると分かった。それから、徐々に抜歯することになり、抜歯予備軍と言われていた歯も2022年7月に抜くことになった。それ以降はメンテナンスのおかげもあって、今のところ問題無い。

とはいえ、左側の上下の奥歯が義歯に代わったので、夜に外して朝に付けて、時々は洗浄剤に浸けたりと手間はかかる。取りつける部分は食べ物が詰まりやすいし。
まぁ、仕方ない。まだまだ長い付き合いになるだろうから。

 

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新潟県帰省、じょんのび温泉、洗車/チョコレート

2025-02-18 | 家族・帰省・イベント

1月31日(金)~2月1日(土)に新潟県の病院および実家に行ってきた。
行く時、関越トンネルを抜けると大雪が降っていた。大降りでの運転は久し振り。ほとんどの車は走行車線を一列になってゆっくり進んだ。(翌週だったら行けなかったかも・・・)

最初に南魚沼市の病院へ行き、次に長岡市の病院に行く。長岡市は平野なので天気は曇りになり、積雪もほぼなくなる。
そこから実家に向かった。途中で岩塚製菓の工場直売店「里山元気ファーム」に立ち寄る。訳あって1箱分米菓を選んで会社に送った。実家に着いたのは午後5時過ぎ。

甥っ子には、事前に日帰り温泉+食事に行こうと話してあった。両親や実家のこと等で世話をかけている甥っ子を労おうと考えた。
隣の市の『じょんのび温泉』へ妻と3人で、甥っ子の車で出かけた。甥っ子の方が雪道慣れているし軽だけど四駆なので安心感がある。それに、甥っ子は滅多にお酒を飲まない・・・。

茶褐色の温泉で、肌触りはヌルヌル、上がればスベスベ。美肌の湯とも云われている。
露天風呂は、この時季としてはぬるかったので、サウナも利用した。甥っ子は露天風呂で長めに入っていた。

食事は棟続きの『囲炉裏ダイニング銀兵衛』という店。雰囲気が良くゆったりと過ごせる空間だった。瓶ビール(私と妻)と炭火焼ハンバーグ(自分で焼く)や照り焼きガーリックステーキなどの定食を頂く。
甥っ子が「こんなにゆっくりしたのは久し振り」と言うので首を垂れる。連れてきて良かった。

翌朝は曇。車に積もった雪を落とし、周囲と玄関前の雪かき。それと居間の前の軒下も雪かき。鉢植えを5~6鉢救出した。汗だくになり着替える。

その後、隣の店の借主が来てひと悶着あった。(まだ続いている問題もあり、ここでは省略しておく。実家では家業として隣の店で10年ほど前まで蕎麦屋をしていたが。閉めた後は貸している。)

午後1時過ぎに出発。途中で「そば稲荷」などを買い車内でランチにした。雪や雨は降らず、空は明るい。薄日が差すこともあった。そんな天気なので関越道も雪の心配がないはずだが、何と融雪剤(塩化カルシウム)を蒔く車が出張っていた。

赤城PAで休憩した際に車を見ると、見事に汚れていた。午後5時前に帰宅した後、さっそく車ディーラーに電話する。ディーラーには、洗車1回の貸しがある。来週ならということで予約した。


2月9日(日)午後1時、ディーラーに車を持ち込み洗車をしてもらう。しかし、期待した下回りはしてないと言う。オイオイ話が違うじゃないか。担当との話では・・・冬の新潟は帰省すると融雪剤で汚れるが、下回りの洗車はし難い。「それなら持ってきてくれれば洗車しますよ」・・・と。なのに、違ったらしい。何なんだ。

近くのガソリンスタンドでは、洗車機のオプションで下回りもするようだが、下のみは無い。(車体はコーティングしたので、洗車機には入れたくない。今のところは)
11月に入手した高圧洗浄機ケルヒャーには、専用のオプション品があるらしいが私は持っていない。可変ノズルでは届かない可能性があるけど、後日やってみるしかないか~。

 


バレンタインでチョコレートをいただいた。感謝。その中で、洋酒と日本酒のチョコがあったので記録しておく。

 

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旅に出かけた2/入院中の父親と兄

2025-02-14 | 家族・帰省・イベント

(悲しい出来事だけど、書き留めておく)
2025年1月16日(木)、妻から連絡があり、私の返信は「早いよ~、何だよ~」だった。

義母は12月に左足が腫れあがり、かかりつけの病院に行くと総合病院を紹介された。医師の見立ては肝臓癌。常用している薬のため出来ない検査があるうえでの“見立て”と聞いた。見舞いに行くと、足はともかくいつもの義母だった。

12月末からは、思っている事ができない状態が生じてきた。義弟は退院から義母宅に寝泊まりしていた。
1月4日に年始の挨拶に行った時は、食事量は少ないものの、それ以外は変わらないように見えた。ただ、箸で上手くつまむことができず、食後に楊枝で甘納豆を刺せた時に拍手したら、子供みたいだなと笑っていた。

しかし、日を追うごとに身体が思うように動かなくなっていった。かかりつけの医師の意見もあり、1月8日に脳検査を行うことになった。結果、脳に異常はなく、高齢者てんかんと診断された。でも話は普通にできていた。
義弟だけでなく、妻と義妹も交替で義母宅に泊まるようになったが、皆仕事もあるのでデイサービスのショートステイと老人ホームへの入所を早急に検討し、義母も同意された。

手続きの日程から、まずは平日の1月15日から2泊3日のショートステイをし、翌週から老人ホームに入所することになった。13日に一泊した妻からは義妹と一緒だけど食事をとるのも大変だったと聞いた。
ショートステイの2日目、吐血し救急車で運ばれる事態になり、妻ら3人の子供が駆けつけた。面会した後、義母宅で待機となった。

そして21時半過ぎ、妻から急逝の連絡があった。
その後に話を聞くと、肝臓癌から敗血症が急激に進んだのではないかと推察される。

喪主となる義弟を中心に葬儀の手配が進み、斎場などの都合で1月22日に通夜、23日が告別式となった。告別式当日に精進落としの献杯を頼まれたが、言葉が詰まってグダグダになってしまった。

義父が旅に出てから17年と約8か月。行く先でもう出会えたことだろう。先に逝くから自分だけ歳をとったと嫌味を言い、でもひ孫の顔を見れたと羨ましがらせているに違いない・・・・・。

(なお、この葬儀の日程により、浅草観光(18日)は何事も無かったかのように、予定通り実行することとなった。)



実家の兄は、1月10日に検査をし、すぐに入院するように言われたが、入院できたのは16日になった。
その兄から1月27日に電話があった。父親が入院する病院の主治医から、熱が続いているので病状の説明をしたいと連絡があり、代わりに自分の息子と私に行ってほしいと頼まれた。

病院に連絡して先生の都合を聞き、息子と調整したうえで、1月31日(金)に行くことになった。
会社の休みをとり、妻も行けることから2人で朝8時半頃に出発。〈関越道の塩沢石内ICから六日町ICが通行止めになり間に合わないかと思われたが、湯沢辺りで解除となり〉大雪の中、病院に到着した。

主治医の話は、~誤嚥性肺炎の影響で熱が上下していて、抗生剤にも耐性ができ効かなくなっていた。しかし、3日前から別の抗生剤を試したところ現在は落ち着いている。ただし再度耐性ができる可能性もあり、肺炎なので急変することもある。心構えをしておいて。~というものだった。

食事中の父親と面会できたが、11月末に会った時と異なり、表情が乏しくほぼ無表情。認知症が進んだのか、私の事を分かってないように見えた。右手でスプーンをゆっくりと運ぶが、左手や上体は動いてなかった。

その後、息子と別れ、車で1時間ちょっとの兄が入院する病院へ面会に行く。
難病指定の病気を患い、VEXAS症候群に間質性肺炎にもなり、1月3日から胃腸の具合が悪くなっていた。体力が落ち免疫力も下がる。
個室で動けない状態でいたが、多少は話せて良かった。回復を祈る。

 

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1月3日~1月5日(備忘録)

2025-01-11 | 家族・帰省・イベント

●1月3日(金)は、娘家族(娘婿・娘・孫)が年始兼ランチに来るので、朝から掃除をし、その後、恒例のように大宮の角上魚類へ行く。9時頃で店前の駐車場は満車。そこから脇道に誘導され車が並ぶ。妻を先に降ろし、停められたのは第3駐車場。店前以外は初めてだ。

飯台のにぎり寿司や細巻きが欲しかったけど、細巻きの提供は無く様々な飯台が重なって並ぶ。さすが、まだ正月ということだな。トロ巻きと店内の別コーナーで肉巻きを買う。
帰宅してからは、生ズワイガニ(実家に2箱届けて1箱持ち帰った)を使ってのカニ鍋や正月風前菜の準備を妻主体でする。私はテーブルや椅子などの準備や周辺片付け。

娘家族が来て、年始の挨拶とお年賀をいただき、飲食スタート。孫はけっこう肉巻きを食べていた。合い間に残りのカニを焼く。
私と娘婿はビールの後、新潟で買ってきた松乃井(特別本醸造)。娘婿は朝から友達と新年会をしてきたようで、いつもよりは飲まなかった。
午後3時半頃に娘たちは帰り、片付けた後にソファで横になってスヤスヤと。

●1月4日(土)は、妻の実家へ年始に行く予定あり。早めに出発し、川口市安行「埼玉県 花と緑の振興センター」に立ち寄り30~40分散歩。*別日記

午前11時過ぎに実家に着く。義母は前月末から体調が悪く、息子(義弟)が来て寝泊まりしていた。近くのスーパーで食材を購入し、4人でランチ。後から義弟の奥さんも来る。午後3時半頃においとまする。

義母の具合は、その後も変わらない(むしろ・・・とも聞く)。私の両親と同じ90歳超だが、お元気な様子に感心していた。それが、ここにきて急に・・・。
3か月前の旅行で、あさやホテルに行くのは「最後かもしれないから」と言っていたが、今回「本当に最後になった」などと言う。「そんなことないよ~」と皆で返す。

●1月5日(日)は、久し振りにPC作業。午前11時から車の1か月点検。納車時に時間が無くてできなかった「Honda TotalCare」の登録も行う。
点検を終えた後、右後ドアに小さい凹み傷を発見しがっかりする。まったく覚えがない。位置的にカートではないか?と言われたが、点検時の可能性もあるのではないかと疑っている。
午後、録画していたテレ朝ch2の新日本プロレス1.4(第1試合からメインまで4時間)を見る。

「蒙古タンメン中本」は、東京を中心に関東圏で拡大しているラーメンチェーン店だが、今まで行ったことが無い。出かけたついでに近くまで行く機会は何度もあったがタイミング合わず。
妻はこの日仕事だったので、車の点検後に軽くどこかで食べて帰ろうと考えていたが、コンビニで加熱式タバコスティックを買う際に中本のカップ麺が目にとまった。買って帰ることにした。辛うまスープになるほど~と。でも辛いのは得意ではない。調べてみると塩タンメンや味噌タンメンのメニューもあるようだ。次回は店で・・・。

・1月6日も会社は休日で、日記を含むPC作業や録画、仕事始めの他社に連絡など。

 

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謹賀新年/12月31日~1月2日

2025-01-05 | 家族・帰省・イベント

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

(既にご挨拶をいただいており、遅くなりましたが松の内ということで・・・)


12月31日~1月2日、実家に帰省した際の備忘録。

●12月31日
(火)11時過ぎ、妻と二人で車で出発
一年前の帰省時は、十日町市(旧松代町)の『まつだい芝峠温泉 雲海』の貸切風呂に行ってから実家に向かったが、今回は既に積雪のある状態で31日の雪の状況も分からないので止めることにした。
出発当日の朝、実家の兄に電話し何か必要なものは?聞くと、特に無いとのこと。また、渋滞情報・予測をWebで確認したが、31日は渋滞しないようだ。なので・・・早く出発する必要はない。しかし事故渋滞に巻き込まれて通常よりも時間がかかった。(*下段参照)

快晴の出発だが、水上IC辺りから雨になった。関越トンネルを抜けるとみぞれで、湯沢あたりでは強い雨。その後も雨が続き、実家に着く頃は弱い雨。午後4時前に実家到着。積雪はあるものの道路上の雪は無かった。

実家は、昨年両親が施設入所と病院入院のため、現在は兄とその息子の二人暮らし。兄は難病にくわえて脊柱管狭窄症であまり動けない。甥っ子は勤め人で31日も仕事だった。
16時前に実家に着き、まずは2人で掃除。それから妻は兄に協力して夕食準備。私は先にお風呂をいただいた後に、通販で送った生ズワイガニの準備等手伝う。甥っ子が帰ってきて、出前の蕎麦が届いて夕食開始。

年越しだが、人が少なくなったし、兄はお酒を飲めなくなり、甥っ子はお酒がいらないタイプ。以前は宴会的だったけど、今は夕食的。なので、私も晩酌程度に。
そのおかげ(?)で紅白歌合戦は、ほぼ全部観た。「能登半島」を久し振りに聞いたし、感慨深い。ジ・アルフィー兄さん達は何年経っても変わらずに凄い。「なごり雪」は元々伊勢さんが作ったかぐや姫の唄なのでかぐや姫&イルカで出てほしかった。前回記した新浜レオンに所さん・木梨の出演はちょっと嬉しい。こっちのけんとの兄も期待したけど残念。ウッチャンの涙が印象的だった。玉置さん相変わらずの歌声・・・などなど、全体的に面白かったのでは。

●1月1日(元旦)、前夜から雪が降ったり止んだりで、遅めの朝食後に車に積もった雪(6~8センチ)を落とし、周囲の雪を片付ける。甥っ子の車も同様に。
その後雪は止み、午後1時頃には青空になった。何ということでしょう。
近くの親戚に年始の挨拶に行った後、甥っ子と3人で集落の社へ初詣に行く。変わらない社。(もう一つの社は雪道の階段を歩いて上るので行かなかった)


快晴になった雪景色を記録しておく。除雪車がでていた。


実家の軒下には、くず米を置いているのでスズメが集まってくる。この樹にはざっと20匹、電線に10匹はいた。

野良猫も1匹来るので、エサを置いている。何年も前から入れ替わりで来る野良猫サービス。今来ている子猫は幼い頃から来ているらしく「住みついているかも」と甥っ子は言う。
ノートPCを持ってきたので、日記の下書きなどをするが、床にテーブルなので姿勢が辛く長続きせず。

●1月2日(木)10時前に出発。小雨。車で10分ほどの親戚に年始の挨拶で立ち寄り、帰路につく。
塩沢石内SAに立ち寄りお土産購入。関越トンネルまでは雨で、抜けたら晴れ。帰りの関越道は渋滞無くまぁまぁスムーズ。

ランチをどうしようかと妻と相談した結果、肉々しいものにしようかとなった。三が日だけどチェーン店ならやっているだろうと。東松山IC近くの知っている店は駐車場に停めたものの行列ができていて諦める。では、川島町名物でまだ食べたことの無い“呉汁”にしようかとWebで検索し(営業中だったので)行ってみたら休みだった。じゃあ道路沿いで目にとまった店で・・・となったが荒川前後は店がそれほど無い。
普段通らない道になるけどハンバーガーの店があるので、そこでいいかとなり進むと、左にBigBoy(ステーキ&ハンバーグがメイン)発見。急遽ウインカーを出し車を止める。午後1時半過ぎのせいか、すんなり席にとおされ、当初の希望通りになったステーキを頂く。ライス・サラダ&スープバーと併せお腹パンパンになる。

午後3時前に家に着く。ゆっくりしたいところだが、明るいうちにやらねば・・・洗車。
雪国帰りは車が汚れる。今回はそれほどでもないが翌日以降も予定があるので、この日にザっとしておきたい。11月に入手したケルヒャーを準備し高圧洗浄。下側もやってみるが見えないし微妙だ。拭き取り用のクロスが小さく何度も絞るので大きいサイズがほしいところ。準備から片付けまでゆっくり作業で1時間20分ほどかかった。

夜は、翌日に娘一家が年始の挨拶兼ランチにくるので、ダイニングテーブル周りの私物を片付ける。

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*事故渋滞の件
12月31日(火)11時過ぎに妻と車で出発する。関越道東松山ICに入る際、電光掲示板に「事故渋滞で東松山~花園55分」との表示。エー!何てことだ!でも反抗できないし仕方がない。高速に入ると間もなく渋滞になった。

Honda SENSING(運転支援機能)に渋滞追従機能付アダプティブクルーズコントロール(ACC)があり、通常のACCは1か月前に試したが渋滞は発生してなかった。そこで、この機会に渋滞追従機能を試してみる。
ノロノロでも前の車に付かず離れず。一旦止まっても直ぐに動けば付いていく。但し、数秒止まったままだど停車中となり発動しない。前の車が動いたらハンドルの手元にあるRESボタンを押すと追従に復帰する。たいしたものだ。

・・・と感心しつつも、私のトイレ我慢レベルは限界に近づいてくる。普段なら東松山ICから10分ほどの嵐山PAなのに、今回はものすごく遠い・・・。駐車場が満車だったら?トイレ行列だったら?負の妄想がとまらない・・・。やっと着いて、何とかセーフ。
ここからまだ渋滞が続いているし、ランチタイムなのでレストランで昼食にした。席は少し待って座れた。「嵐山肉汁うどん」を頂く。これは旨かった。

食事中に渋滞はやや解消。花園手前からはまぁまぁスムーズ。
ところが、赤城PA・ICを過ぎた辺りで突然の渋滞。ノロノロ&停止を繰り返す。何渋滞なのかさっぱり分からない。しばらく進むと2車線から走行車線側の1車線に誘導された。誘導員は一般の人?発煙筒が炊かれている。すると中央分離帯に車のぶつかった跡があり、破片を避けて進むと、左側のコンクリート製欄干(?)に車が突っ込んで止まっていた。隣で電話をしている人がいるし、その先にはもう1台車が止まっている。

想像すると、スピード出しすぎの車が何らかの理由で中央分離帯のガードレールにぶつかり、その反動で今度は左側のコンクリート製欄干に突っ込んだ。その直後だったのではないかと。赤いサイレンはまだ来てないし・・・。

そういえば、発煙筒を使ったことがない。使い方を知らない。でも書いてあるかな。三角停止板を置いてなかったのは、持ってないからか。誘導員の安全のためにも置いた方が良いだろうに。などと妻と話をする。
いずれにしても、2度の事故渋滞に遭遇した。なんてアンラッキー。(でも、注意を促す効果は少なからずあったかな)

 

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記念日会'2024:我が家でランチ

2024-11-27 | 家族・帰省・イベント

11月24日(日)は、恒例の「記念日会」として、家族全員が集まって我が家でランチ。
自称「記念日会」は、10月~11月に結婚記念日や誕生日を迎える家族がいるので、それにかこつけて飲み食いしよー!というもの。
最初の2016年は、同居家族(私・妻・息子)と娘家族(娘・娘婿)の5人。3年前から孫を加えて6人。

三角形に近い5角形のダイニングテーブルに小さい三角テーブル(自作)を足し、四角形のテーブルにする。孫が使う椅子は、娘が小さい頃に使っていた木製の学習椅子で、座面を一番高くする。昨年と同様のセッティング。

妻のおでんや購入したローストビーフやフライドチキンがメイン。孫はチキンをよく食べていた。
集合写真とか料理の一部とか記念に撮っておこうと思っていたけど、楽しくお酒を飲んでいたら忘れていたのはいつものこと。

缶ビールから用意した微炭酸のワイン、頂いたスパークリング日本酒を飲みながら、ハッピー気分を過ごした。記録できたのは空いた瓶のみ。


初めての臥龍梅Garyubai Sparkling Rose」こういうのもあるんだね~。ランチ呑みにグー。おいしゅうございました。


午後3時半頃に娘一家が帰り、後片付けをし、PCに向かっていたら眠くなり、ソファで一時間ほど寝てしまった。



11月23日(土)、愛車「BLADE」とサヨナラした。5年間の付き合いだった
あわてて写真を撮ったものの、埃に西日があたって白っぽくなってしまった。

車の事は、また後日に取り上げよう。

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義母と鬼怒川温泉『あさやホテル』へ

2024-10-17 | 家族・帰省・イベント

10月5日(土)に鬼怒川温泉の「あさやホテル」へ7人で一泊してきた。義母と子供達=子供3人+配偶者(私含む)。
義弟がホテルを予約したのが5月か6月の頃で、行程等お任せだったこともあり、まだまだ先のことと思っていたら。今月だったという感じ。

移動は義弟が全員乗れる車をレンタルしてくれて、さらに運転もしてくれた。4家の住まいは離れているが、皆埼玉県なのでピックアップしてくれるという。我が家は、行きは最後で、帰りは最初。諸々感謝。

義弟は、ランチを東北自動車道の佐野SAで佐野ラーメンを食べたいと目論んでいたようだが、混雑する時間なので諦めることに。「それじゃあ軽いものでもテイクアウトで」と、奥さん達が連れ立って買ってきたのはスタバのサンドイッチ。アルファードの車内は広いし、義母がカットしたフルーツを持参しており、しっかりランチになった。

あさやホテルにはチェックインより早めに着いたおかげで、玄関前の駐車場にとめることができた。91歳の義母はそれなりに足が弱っているのでラッキーだ。(SAでは足に力が入らないと言っていたので心配だった)さらに、義弟はホテル内が広いことから車椅子を頼んでおり、入口に用意されていた。「要らないよー」と言いつつ、皆に勧められ素直に座った義母。(ちょっと見えを張るところがある)

ホテルに入ると吹き抜けの大きさに驚く。ロビー・フロントは6階にあるが、3階から12階までが吹き抜けとなっている。写真では見たことがあるけど広大だ。↓回廊をまわり入口・ロビー側を見る。


階下(3階)を見下ろす。エレベーターはシースルー(3基中、2基が揃ったところ)。パイプオルガンが勝手に曲を奏でていた。


しばらくすると部屋に案内された。部屋は和室10畳にツインと広縁(洋室)で1室5名が定員。それが2部屋。我々は義妹夫婦と同じ部屋を使うことに。

霧雨になってきたけど、せっかくの機会なので傘をさし、近くの滝見橋(吊り橋)まで散歩に行った。
戻って、吹き抜け全体を下からも見ようと、3階に降りて眺める(見上げる)。(別の位置からも撮れば良かった・・・)


温泉浴1回目は、宿泊した棟の大浴場。その後、しばし休憩して皆で夕食へ。
和洋中100種以上の料理が揃うブッフェで、贅沢な食事を楽しんだ。

それから2回目の温泉浴。隣の棟屋上にある空中庭園露天風呂へ。この日は温泉郷の花火が上がるというので、その時間に間に合うように行く。天気が悪いので暗いのが残念。開始時刻より少し遅れて打上花火の音が聞こえた。浴槽の縁に立ち見ていると、花火は確認できるものの半分くらいは雲?霧?に隠れている。湯船に浸かったら位置的に見えない。ちょっと残念。

寝付きがあまり良くないので、眠れなかったらどうしょうと思っていたが、ほどなくして眠れて良かった。
翌日、朝食の前に3回目の温泉浴。隣の棟の大浴場へ。こちらの大浴場の方が広々ゆったりだった。
朝食後は、近くの神社まで散歩に行く。雨は上がっていた。(散歩の事は後日とりあげよう)

10時頃にチェックアウトし、義母の希望で鬼怒川温泉駅前の土産物屋に行く。店内では目指す土産が売っている位置をご存知で驚く。以前から変わらないのかな。娘家族用にと土産を買ってもらった。ありがと。
それから移動し、「たまり漬け」の店に入る。当地の名産で幾つも専門店が街道沿いにある。ここでも土産を買う。皆も買う。

上りの佐野SAはリニューアル工事中なのでと、東北自動車道の羽生PAに入る。「鬼平犯科帳」の舞台である江戸の町並みを再現したパーキングエリアだ。ここでランチに中華そばを頂いた。

ここからは最初に降りる我が家まで直行。家に着いたのは午後1時半過ぎ。皆を見送り旅の終了。あわただしくもゆったり感があったのは、自分で運転していないからだろう。楽だな~と実感。


ところで、鬼怒川温泉の「あさやホテル」は、創業130年、鬼怒川でもっとも歴史ある老舗宿だ。費用的にも泊まり難い部類だが、今回は義母が費用を負担してくれることになった。
そもそもは、今年の春先、義母が住むマンションの窓ガラスに原因不明のヒビが入ったことによる。交換に数十万かかるとの見積りから費用を用意したものの、結局、個人負担は無しになったと聞いた。
しばらくすると、良い機会だからこの費用分を使って家族で旅行に行こう!となったらしい。

「あさやホテル」になったのは、義母が二十数年前まで友達と毎年行っていたらしく、久し振りに行きたいとのことから。「最後かもしれないから」とも(ここ数年そういう言い方をするのだが)。
義母は学年でいうと私の両親と同じ歳だが、まだまだ達者。また皆で出かけたいものだ。

 

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孫3歳の誕生日会

2024-09-24 | 家族・帰省・イベント

9月8日(日)、帰省先の実家を出発し(※前回の日記参照)、自宅に着いて荷物を降ろすと直ぐに、妻と一緒に自転車で娘の家へ行く。着いたのは10:40頃。関越自動車道がスムーズで良かった。

この日は、孫の3歳の誕生日会に招かれていた。息子と娘婿のお母さんは既に到着済。〔実際の誕生日は翌日だけど、大人の都合でこの日が誕生日会になった〕
昼食は軽めにピザを食べると聞いていたので、ビールを持参して軽く飲みながら・・・と考えていた缶ビールを家に忘れてきた!何てこった。日本酒なら小さい瓶があるという娘婿の意見。日本酒~?と一瞬思ったけど快諾。少し頂いた。

孫は髪が伸びてきたので、一本に結んで・・・。ハッピーバースデー。


我々から孫へのプレゼントは、妻が選んだトイカメラ。息子からは孫の好きな貨物列車や電車のジグソーパズル。娘婿のお母さんからはLEGO(サイズ小さめ)。全般的に対象年齢にギリギリ下か?

トイカメラは、見た目より軽くて驚く。データをパソコンに取り込むことができるようだ。


両親からのプレゼントは、本人よりも大きい袋に入っていた。
電子ピアノ?に、いろいろ付いている。ターンテーブルを回せば音が鳴るし、マイクは・・・マイクだった。椅子もセットになっている。
早速、適当に鍵盤を押し、ターンテーブルをキュッキュし始めた。マイクに向けて声を出すのはおそるおそる。でも次第に慣れてきて、オンステージ状態。


娘婿から聞いたが、トイザラスに行った時に置いてあって、孫がとても気に入っていたので、同じカラーのモノを探しまくって購入したそうだ。お疲れ様。

夜、娘からトイカメラで遊ぶ?試す?孫の画が送られてきた。いろいろ試しながら長続きしてほしいな~。大人になったら何をメインに撮っているか楽しみだ。


昨年の誕生日では、プレゼントが知育玩具的なものだったけど、まだまだ遊べると思うし、今年の誕生日でも増えたので孫は幸せなことだ。すくすく育ってほしいと願う。

 

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