シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

旧越路町:稲荷大社、岩塚製菓、長谷川邸、三波春夫碑

2019-05-25 | お出かけ

若い頃に実家から長岡市街地に行くときは、国道17号線を使ったが、越後丘陵公園は市街地よりも西側に位置し、後に国道に指定された403・404号線が近い。そこで、5月4日(土)に越後丘陵公園に行く際は、新しい国道を使って行くことにした。そして気付いた。404号線は旧越路町地域を南北にはしるのだが、ここ(越路町)を通るのは初めてのことだった。

なので、越後丘陵公園に向かいながら「アレは何?」とか「ここは帰りに寄ろう」とか思うところがあったので、帰路に立ち寄ることにした。

●宝徳山稲荷大社
遠くからでも小高い丘陵の中に大きな建物・大屋根が見えた。行ってみると本当に大きいし、木造ではない(SRCか)。これまで見てきた神社仏閣のイメージとは異なるものだ。一番近い駐車場にとめ、鳥居の下の入口らしきところ行く。ここは「内宮」というところで、入ってみると・・・


この時期参拝できるのは「本宮」ですよという案内。夏と冬で参拝場所が変わるようだ。本宮はどこ?と外に出て見まわすと近くの鳥居のたもとに「本宮」とあるので、この先のようだ。


それにしても、鳥居の土台の黒っぽい円柱部分の高さが私の胸高ほどある大きさ。奥の建物にしてもサイズは“ビル”かマンションか。
ここが参道だとして、でもその先は左に曲がっているので見えない。なので、車で移動する。坂道を上がって行くと別の駐車場があった。そこから歩いていくと「本宮」だ。


中に入り様子を伺う。状況説明は省くが、一般的な神社とは違うし、勝手が分からないし、よそ者感というか場違いな感じをヒシヒシと受け、早々に移動することにした。
ちなみに、Wikipediaによると、大社の起源は縄文時代に遡り、この地に遷座してから何度も増築などを繰り返し、現在の朱塗りの大殿堂が完成したそうだ。

 

●岩塚製菓 直売店
新潟県は米どころでもあり、全国区の菓子メーカーは多い。亀田製菓、三幸製菓、岩塚製菓、越後製菓、浪花屋製菓、ブルボンもある(他にもある)。
稲荷大社からほど近い国道沿いに、岩塚製菓の工場があり、道路の反対側には直売店があった(画はない)。


広さは、駅構内にある狭いNewDaysくらい。普通の製品もあるが、直売店らしく数種類の詰め合わせや「直売店限定」マークが入った大袋も多数ある。個包装もあるしそうでないものもある。いずれもリーズナブル。さらに「規格外」というのもあって、さらにお安い。身内や内輪のお土産なら充分だ。

最初、買い物客はほどほどの人数、商品もほどほどの数量に思えた。しかし、慣れない我々が驚きながら考えながら選んでいるなか、皆さんササッと買い物かごに入れて、店員は随時補充していた。そして、絶えることなく次々に人はやってくる。
もう少し実家に近かったら、帰省の度にここで買うだろう。

ちなみに、旧越路町の有名な企業は、岩塚製菓の他にヨネックスや朝日酒造(久保田)などがある。

 

●長谷川邸【国重文】
岩塚製菓から国道を南にいくと、道路沿いに「長谷川邸」という幟に茅葺の大きな門
。スマホで調べると国指定重要文化財だというが、こんな所に(失礼)何があったのだろうと。表門をくぐっていく。


正面に主屋、左側は庭塀に中門(ここは入れない)。


主屋の土間に入る所に受付がある。入館料420円。受付のおばちゃんに何があるのか聞いてみた。「古い家があるだけですよ」 庭は?「あまりキレイにしてないからハハハ」って正直者か。とはいえ気になるので入ってみた。

リーフレットによると、武士の出身といわれる長谷川家が、塚野山に居を構えたのは江戸時代の初め頃。以来山村地主としての地位を固め、代々庄屋を勤めてきた豪農。
敷地は街道に面した間口約70メートル、奥行120メートルと広大な物で、周囲に濠をめぐらせている。主屋は宝永3年(1706)の大火で類焼し、享保元年(1716)に再建されたと伝えられている

約300年前の民家にあがる。板の間の「広間」。隅に見慣れないモノあり。白い碍子に電線が巻いてあるように見える。これは電気ストーブだろうか(?)。別の部屋にも異なる形のがあった。


「玄関の間」の床の間に漫画?イラスト?でも長谷川邸が描かれているし、漫画も見たことがあるようなないような、いったいこれは。


後ほど調べてみたら、3年前に『長谷川邸再建300年祭』が催され、越路地域の出身で「るろうに剣心」の作者である「和月伸宏」先生の作品展を開催。その際に、このイラストが贈呈されたようだ。隣地域の小国和紙に描かれている。

「二の間」奥は「上段の間」だったかな。質実剛健という感じ。


その縁側からの庭。主がいた頃はどんな庭だったのだろう。


この「湯殿」は、お坊さん専用で、経を読む前に身を清めていただく為に使用されたもの。

トイレは広い。漆塗りだろうか。


「井籠蔵(せいろうぐら)」に入ってみると、思ったより狭い。通路の脇には(画の左下)には三個の瓶が埋められていた。中には水、砂、土がそれぞれ入っており、火災の際に扉の隙間を土や砂で埋めるようだ。


広い土間。天井は高く、梁や束、垂木などがあらわに。中央の釜は先の「湯殿」の湯沸かし専用釜。


主屋の裏は広い空地を挟んで、左は蔵で、右は「資料館」。間は裏門に続く。


トイレを借りるついでに資料館におじゃまする。外見と異なり、中は近代的に改装されていた。ホールには映画のロケ地になった時の記録。展示は、旧長谷川家の収蔵品で、長谷川家当主の妻の訃報を知った山本五十六が親友の当主に書いた手紙などもあった。

古~い白黒の写真の中に、テニスをしている光景があった。たぶんコートは広い空地にあったのだろう。
旧越路町にこのような家があったとは、正直驚いた。行ったことのない所には行ってみるものだな。

 

●三波春夫顕彰碑
長谷川邸から田んぼに向かって数分歩いたところにある。三波春夫も越路町出身。碑にも刻まれたとおり~「お客様は神様です」の名台詞とともに国民的歌手として多くの人々に親しまれた~。


「東京五輪音頭」や大阪万博のテーマソング「世界の国からこんにちは」など知っているものの、改めて経歴をみると、
13歳で上京し、16歳から浪曲を習い初舞台を踏んだもの、20歳で出征。終戦後の22歳~26歳まではシベリア抑留。帰国後は浪曲家として復帰したが、「今、大衆が求めているのは歌だ」と歌に人生をかけることを決意。昭和32年、34歳の時、「チャンチキおけさ」でデビュー。和服姿の男性歌手第一号として三波春夫が誕生した。凄い方だった。お疲れ様でございました。


ちなみに、銅像の近くには、ボタンを押すと曲が流れる機械が置いてあった。5曲も選択できる。

ということで、越後丘陵公園散歩から旧越路町観光は大変有意義だった。(日記も長くなった)

 

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長岡市:GWの国営越後丘陵公園

2019-05-22 | お出かけ

5月4日(土)、帰省中の実家から朝一で「国営越後丘陵公園」に行くことにした。
一度は行きたいと思っていたが、車で50分ほどかかるので、なかなか機会がなく今回が初となった。
前日の夜Webサイトを見たら、この日は無料開園日というので、なるべく早めにと思い開園時間の9:30頃には着いた。そこそこの駐車場行列だったが、駐車料金の徴収を通常の前払いから、後払い(園内で清算可)にしていたためかスムーズに入れた。

「花のプロムナード」という通りを歩いて先に進む。(画は帰りに撮ったもの)


「チューリップまつり」開催中ということで、まずは「花の丘」のチューリップを見に行く。緩やかな丘全部が様々なチューリップで覆われていた。


丘の上にはミニ風車。その昔、オランダから種球を購入して栽培の試作を重ねたという、その記念碑(?)のようなものだろうか。


ここでの光景や様々なチューリップについては、別ブログでとりあげた

ガイドマップを見ると南東側に展望台があることが分かった(目視でも見えた)。初めてなので展望台行きは必須。さらに「自然探勝路」という散策路もある。展望台まではかなりの標高差があり、広場から435段の石段を登ってから散策路を歩いていくのも良さそうだが・・・バスもある。そこで、バスで展望台まで行って、帰りは散策路・階段で戻ることにした。
バスといっても、埼玉県の森林公園のような専用のバスではない普通のマイクロバス。それと臨時的に借りているのであろう路線バスの車両。2台が連なる。

建物に入り、展望台に上るためにエレベーターに乗って驚いた。ケーブルカーのように斜めに上るのだ。展望フロアからは、さらに屋外の階段で屋上に行けた。ここは名ばかりの展望台ではなく、本当に眺望がきく展望台だった。

北側には弥彦山(↓画の左側奥の方の山)。よく見える時はビッグスワンの屋根が見えるとバスの運転手が言っていたが、そもそもが分からない。


東側には、雪が残る守門岳。(ブックマークしている他の方のブログでよく登場する山だ)


南南東側の奥の方には、八海山などの越後三山が浮かんでいる。(でも画では見えにくい)


そして、南側は同公園の手つかずの森林。マップをみると公園の5分の4はこんな感じ。


一応、手前の賑やかな入口あたりも(ズームで)記録しておく。奥の方(画では上の方)に住宅地があるが、本来この公園入口の辺りはニュータウンにするための開発だったらしいが、バブル崩壊などにより・・・らしい。

 

ここから散策路を楽しみながら「天・地・人のフォリー」という建物兼モニュメント↓へ行く。(散策路での植物も、後日別ブログでとりあげようと思う)


ここは丘の上で、ベンチに座るととても気持ち良し。


で、ベンチから何が見えるかというと、目の前はこんな感じ。大斜面。


その左側に、435段の石段。ここを頑張って降りて下界に戻る。


下に降りて、斜めから石段を見る。右上の直方体が「天・地・人のフォリー」


この後、「越の池レストハウス」でランチをとり、バラ園の辺りを散歩しながら出口へ。

広~い公園のほんの一部しか見ていないが、体力と時間に余裕はないし、公園に来るまでの道中、気になる施設を幾つか見かけたので、帰路はそこに立ち寄りながら実家に戻ることにした。 (つづく)


全国で初めての国営公園「国営武蔵丘陵森林公園」は1974年の開園。この「国営越後丘陵公園」は1998年開園なので比較的新しい国営公園だ。園内ではこれから開発する場所もあるそうで、まだまだ成長途中のようだ。

◎関東の国営公園との比較(開園年、面積)
・埼玉県 国営武蔵丘陵森林公園 1974年 304ha
・東京都 国営昭和記念公園   1983年 165.3ha
・茨城県 国営ひたち海浜公園  1991年 350ha
・新潟県 国営越後丘陵公園   1998年 400ha

 

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十日町市:美人林・松之山温泉

2019-05-19 | 家族・帰省・イベント

5月3日(金)、前回からのつづき。
十日町市松之山のブナ林『美人林』に着くと駐車場は満車のため、隣地の十日町市立里山科学館 越後松之山「森の学校」キョロロの駐車場に車をとめ、そこから歩いて行った。
2014年から5年振りの美人林は、相変わらずの美人っぷりだった。今回初めてブナの芽生えを見たり、美人林の成り立ち・二次林のことも知ったので、林の様子と共に別ブログにまとめた。※こちらを参照。


今年から使っているコンデジは広角が効く(35mm換算で20mm)ので、より広く記録できるのが良い。縦(高さ)はどうかと斜面の途中からブナの全景を試みる。かろうじて見える(右下にいる)人でサイズ感が分かるかな(別ブログに載せたのよりイイかも)。

 

美人林の後、妻は疲れたとコーヒータイム希望。私は散歩希望と別行動に。キョロロの受付に行き散策路のことを聞くと、自然散策ガイドマップが用意されていた。キョロロの入館料は500円で、山に入るのも込み(山だけでも500円)。

キョロロの森は、日当たりの良いところは春の盛りだが、沢や北斜面には雪が残っているところもあり、その周辺は春が始まった感じ。
◆例えば、散策路の脇に残雪。


その雪上を歩いて、◆の中央の一段上がった所には、木漏れ日のなかショウジョウバカマが咲いていた。


さらに◆の左側には、そこそこのサイズのゼンマイとシマヘビ。


キョロロの森では、正味1時間ほどの散歩だったが、湿地沿いや林間など様々な光景に様々な植物など当地らしさを見られて面白かった。※ここでの様子も別ブログに。


キョロロの館内には、『志賀夘助の昆虫コレクション』が展示されている。志賀夘助氏(1903年-2007年)は、生涯を昆虫普及・昆虫学の発展に力を注ぎ「昆虫採集の父」また「日本一の昆虫屋」と呼ばれている方だという。
1997年に秘蔵の3,800点を超える世界中のチョウコレクションを出身地である旧松之山町に寄贈し、その寄贈された標本を展示する施設を作ろうというのが契機になり、2003年に「森の学校」キョロロが建てられ標本を保管・管理している。


キョロロ 志賀夘助伝 ~虫と歩んだ104年
http://www.matsunoyama.com/kyororo/usukes-room/


遅い昼食を「さとやまキッチン」でとる。蕎麦を頂いたが、付け合わせのフキノトウの煮物(?)は独特の香りに柔らかすぎる食感で・・・妻は残した。

せっかくの温泉地にきているので、サッと入ってから実家に行こうと考えていた。日帰り温泉施設が2箇所あるのは事前に調べて知っていたが、置いてあった松之山温泉の案内を見ていたら屋上に貸切露天風呂があるという宿が目にとまる。
もちろん宿泊者用だろうけど、念のために電話をしてみると3時までならOKとのこと。料金は1人あたり日帰り温泉施設の2倍もしない。これはもう、せっかくのせっかくで行くことにした。結果、温泉も景色も大満足。

松之山温泉街は何十年も前に来たことがあるが、まったく覚えていないので、温泉後に車で通ってみた。温泉宿は十数件か?抜けるとすぐに川沿いに櫓と湯気が見えた。


当地の温泉の案内もあり、これによると
今から約700年前に木こりが熱泉を見つけた。以来「鷹の湯」で名で親しまれている。現在ではその薬効の高さから日本三大薬湯に数えられている。昔の番付を見ると、越後では最上位、全国でも上位に挙げられ、当時から泉質の良さは広く知られていた。


道路を挟んだ反対側には、湯守処『地炉(じろ)』という、温泉を使った様々な体験ができる施設があり、入口は自由に入れる足湯あり。


その先には、凄い水量の『不動滝』。見ている位置からは、滝口のすぐ上が空なので、どこからこの水が流れてくるのか不思議な光景に見えた。


また、温泉街には珍しい形状の街路灯があった。これなら、大雪の時でも積もることはないだろう。

 

ここからは、実家までまっすぐ向かう。途中、犬伏という所で渋海川にかかるたくさんの鯉のぼりが見送ってくれた。

 

 

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十日町市:瀬戸渓谷、津南町:砂防堰堤・連絡暗渠 

2019-05-17 | 家族・帰省・イベント

5月3日(金)から2泊3日で帰省してきた。
初日の3日は、十日町市松之山(旧松之山町)を経由して実家に行くことにした。
朝7時前に出発。東松山ICからの関越道は特に渋滞はなく、湯沢ICで降り、R17を下ってR353へ。このルートは初めて通る。

一山越えると清津川が見えてくる。清津峡へ行く脇道を通り過ぎ、長いトンネルを抜けると『瀬戸渓谷』の案内。清津峡には何度か訪れているが、瀬戸渓谷ってどんな所だろう?と思って立ち寄ってみた。

国道から脇道を下っていくと清津川にかかる橋(清津橋)があり、渡ったところで車を止めて橋の上から眺める。下流側をみると渓谷という感じではない。


しかし、上流側を見ると、V字の渓谷がドーンと。
エメラルド・グリーンの清流が穏やかで、清津峡の柱状節理の渓谷美と荒々しい川の流れとは雰囲気がかなり異なる。


谷の片側には、通行止めになっているが遊歩道というか狭い道路がある。その先を見ると、岩盤をくりぬき覆いかぶさるような崖、さらにトンネルも。


それを見て想い出した。この光景は初めてではない。子ども(小学生?)の頃、清津峡に行く際にはここを通ったはずだと。すごい道だな~と驚いた記憶があるのはここだった。
ということは、先ほど抜けてきた長いトンネルができたので、使わなくなった道路ということになるのか?気になったのでWebで情報を拾ってみて納得した。
 ・並行するトンネルが完成し昭和59(1984)年に開通
 ・旧道化後は瀬戸渓谷歩道として利用された
 ・しかし、次第に荒廃し通行止めになった


瀬戸渓谷を後にして、さらに清津川沿いに下る(清津川は信濃川に合流)。
昨年の夏に訪れた東京電力の信濃川発電所が見えてくる。
ここから信濃川を渡って松之山に向かうのだが、このルートも初めてかも。

しばらくすると、左側に変わった構造物が見えてきた。なっ何~!?形状は円柱で備蓄タンクのようでもあるが何だろう?と思ったら駐車場があったので立ち寄ることに。


駐車場に説明板があった。これによると、2011年3月12日に発生した長野県北部地震(最大震度6弱)により、山腹斜面が崩壊。土砂は積雪を巻き込んで土石流となって流下し、延長約100mに渡って国道353号を埋塞した。その翌月には、地震により緩んだ地山に融雪や降雨が浸透した事による2回の拡大崩落が発生し、国道より上流側には最大厚15mの土砂が堆積したという。


つまり、これは土石流の対策として造られた砂防えん堤だった。
Webでも確認すると、砂防えん堤は3種類の構造でできており、円柱状構造物はこれを連続で配置する『鋼製セル式えん堤』というもの。長尺鋼矢板などの鋼材で(円状に)外枠を築造し、土砂を中詰めする構造で、中詰土砂は崩落した土砂を有効利用しているそうだ。勉強になりまっす。


さらに、同所から振り向くと、国道を挟んだ先の方にも何やら妖しげな構造物があった。なっ何だ~コレ!?(↓はズームで)


見回すと、国道の反対側(砂防えん堤から少し下った所)にも山肌が一部人工的になっている所があった。


後日、調べてみようと、Googleマップで航空写真を見ると円いものが2つある。そして構造物をクリックすると『東京電力信濃川発電所 連絡暗渠』と表示された。信濃川発電所は途中で見た(昨年8月には訪れた)ものだ。あ~そういうことかと納得。

信濃川中流域の水力発電所は、黒部ダムのように、高い山に挟まれた峡谷に巨大なダムを建設して急流をせき止めその落差を利用して発電するもの(ダム式)ではなく、河岸段丘を発達させた盆地の中をゆっくり流れる川を低い堰堤・ダムで塞き止めて取水し、発電所まで長距離の導水管で送水して有効落差を稼いで発電するもの(水路式)。
この暗渠は、西大滝ダム(長野県飯山市)で取水し、東京電力信濃川発電所(津南町)まで約21kmもの長さの導水路の一部で流量を調整する目的もあるのだろう。

今回は松之山が寄り道目的だったし、実家へは夕方には着きたかったので、遠目で我慢して松之山に向かった。砂防堰堤も連絡暗渠も、また機会があれば間近で見たいものだ。

 

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アカガネサルハムシ、クロスジギンヤンマ、ナナホシ

2019-05-10 | 自然・環境とか

4月29日(月)、前日(秩父観光)の疲れもあったが、翌日から天気が悪いとの予報とその後は帰省の予定もあるため、北本自然観察公園散歩に行ってきた。

遊歩道を歩いていると、その先のT字路になる所で、年配のお爺ちゃん2人とおば様1人、独身にみえるけどオッちゃん1人の計4人が、顔を突き合わせるように何かを囲むようにカメラを向けていた。
こういうシーンは“珍しい生き物を撮っている時・・・たぶん”とこれまでの経験で分かっているので、静かに近づいて「何がいるんですか?」と誰に問うでもなく聞いてみると、年配の方から「○○○虫」と回答あり。聞いたことのない名前だったので聞き取れなかった。どれどれと見てみる・・・そこには虹色の小さな昆虫がいた。

●アカガネサルハムシ
上翅は赤銅色、その他の部分は金緑色に輝く美しいハムシ科の一種。大きさは7~8ミリほど、と後で調べて名前も解った。↓葉裏なのに何故撮れているかと言うと、年配の方が撮りやすいように枝を動かしているから。(優しい方)


タマムシのように輝いているのに名前を聞いたことがないのはサイズのせいか。


昆虫にとって目立つのはデメリットしかないのではと思うが、それにしてもの輝きだった。(今、使っているデジカメはアップが不得意で全部トリミング)

草むらを見ながら、カラスノエンドウがずいぶん伸びてきたな~と思っていたら、何と動きが速く大型のヤンマ系のトンボがとまっていた。せっかくなので徐々に近づいていく。でも動かない。何でだろう。おかげでアップで撮れた。

 

●クロスジギンヤンマの雌 (だと思う)
大きさが7~8センチになるヤンマ科の一種で、名前の通り側面に黒い筋が入るのが特徴。雄は腹部の付根が青色になるが他はギンヤンマよりも黒っぽい。発生時期はギンヤンマよりも早いそうだ。雌はその青さが無い。


眼に透明感がないように見えたけど羽化したてなのだろうか。(でもヤゴ殻ない)


細いツルにつかまるのも危うい感じ。(クロスジギンヤンマはトリミング無し)


この後、長い触角を風に乗せて飛んでいるような虫がいて、それを撮ろうと思ったがまったく落ち着くことがなく、あきらめてヤンマがいた所に戻ったらいなかった。

 

●ナナホシテントウ
数日、日中暖かかったせいか、この日は羽化した直後と思える翅が黄色っぽいナナホシテントウをそこかしこで見た。(成虫の翅は赤い)


気になると目にとまるもので、サナギもいたし、


幼虫もいた。(もちろんナナホシテントウはトリミング)

 

 

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秩父神社(知知夫国新一の宮)

2019-05-07 | お出かけ

4月28日(日)、秩父市の浦山ダムを見た後、小腹を満たすために蕎麦屋探し。「芝桜の丘」に食べ歩きマップなどの観光パンフが置いてあり、これによると、秩父は古くから蕎麦の産地で、その美味しさは広く知られており、『秩父そばの会』の会員18軒なら満足していただけるという。

そこで、次に行きたい秩父神社にも近い『武蔵屋本店』に行くことにした。せいろの大盛り(大盛りは無料サービス)に、野菜天盛り合わせと名物のみそポテトを妻と頂く。蕎麦は美味かった。また、2人なので窓越しのカウンター席だったが、目の前が中庭で植物やエサ場にやってくる野鳥を眺めながら、落ち着いた雰囲気で頂けるのも良かった。

その後、秩父神社に行く。駐車場が満車で2回ほどグルっと回って有料Pにとめた。
近い入口は西門のほうだったので、改めて南側道路に面した大鳥居前に移動する。

秩父神社』は、秩父地方(知知夫国)の総鎮守で新一の宮。三峯神社・宝登山神社とともに秩父三社の一社。公式Webの御由緒によると「平成26年には御鎮座2100年を迎え・・・」とあり、関東屈指の古社のようだ。
現存する社殿は、天正20年(1592年)に徳川家康公が寄進されたもので、江戸時代初期の建築様式をよく留めていることなどから、埼玉県の有形文化財に指定されている。また、毎年12月に行われる例祭は、「秩父夜祭」として国の重要無形民俗文化財と重要有形民俗文化財に指定され、京都の祇園祭、飛騨高山祭と共に日本三大曳山祭のひとつに数えられている。ユネスコの世界無形文化遺産にも登録された。

大鳥居』は目の前が交差点で、交差点名は秩父神社前。


大鳥居をくぐると、左に『手水舎』。黒くて武骨な感じだが、細やかな彫刻が施されている。


参道をまっすぐ進み、階段を上ると『神門(しんもん)』。この門を入口に、社殿が塀で囲われている。


神門の手前にポップな境内案内図があった。見所も記されている。


長い行列の先に社殿権現造の形式で本殿・幣殿・拝殿が一つにまとめられている。


社殿は、東照宮を思い出させる極彩色の彫刻で彩られている。


額は「知知夫」。


社殿正面には、4つの虎の彫刻があり、左から2つ目の子虎とたわむれる『子宝 子育ての虎』の彫刻は、名工・左甚五郎の作と謂われている。


本殿の東側には『つなぎの龍』。これも左甚五郎の作。
近くの池に住みついた龍があばれた際には、必ずこの彫刻の下に水溜りができていたことから、この彫り物の龍を鎖で繋ぎ止めたところ、その後、龍は現れなくなったという。実際に鎖が絡んでいる。


本殿の北側の中央には『北辰の梟(ふくろう)』。
体は正面のご本殿に向き、頭は正反対の真北(妙見様が出現する方向)を向いて昼夜を問わずご祭神をお守りしている。働き者のフクロウだ。


本殿の西側には『お元気三猿』。
三猿といえば日光東照宮の「見ざる・言わざる・聞かざる」が有名だが、こちらの三猿は「よく見て・よく聞いて・よく話す」お元気三猿というそうだ。家康公が現役で寄贈した時は、東照宮と正反対の意味なのが面白い。


また、全国の一之宮を中心として計75座の神々がお祀りされている『天神地祇社』や、諏訪神社・御柱、多くの末社など見所は多い。
西側から入ると正面に見える大きな建物(神門向かって右側)は社務所だった。


秩父神社は秩父駅のすぐ近くで、周辺は電柱が埋設され、新旧趣きのある店も多かった。
芝桜の丘は2007年から有料になり以降知名度が増しているし、パワースポットの秩父三社も人気だし、秩父夜祭のユネスコ登録や観光大使の林家たい平さん(他、アルフィーの桜井さんなど)の活躍もあり(?)観光に注力しているのかな~と思った。もちろんメジャーな観光地に比べれば人出は少ないけど、人混み・行列が嫌いな身としては、散歩したい街だな~と思った。
秩父三社の他の2つ、三峯神社と宝登山神社にもいつか訪れてみたいものだ。

以上で、3回にわたった秩父観光記を了とする。

 

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秩父市:浦山ダム、500階段

2019-05-05 | お出かけ

4月28日(日)、秩父市の羊山公園から橋立鍾乳洞を見た後は、浦山ダムに向かう。ダムは関心をひかれる構造物(建築物)だ。ダムの堤体が見えてくると「オーッ!」となるね~。
初めての所なのでナビに任せて行くと、着いたのはダムの下。高い、圧倒される。


浦山ダム
・型 式:重力式コンクリートダム
・堤 高:156m (国内第6位。重力式としては1m差で第2位)
・堤頂長:372m
・事業主体:独立行政法人 水資源機構
・発電事業:東京電力 5,000kW
・ダムの目的:洪水調節、不特定利水、水道用水(埼玉県・東京都)、発電
・竣 工:1998年(平成10年)

ダムの上(天端)に移動し、まずはダム下を眺める。先ほどまでいた駐車場が小さく見える。

 

ダム湖名は「秩父さくら湖」で、ダム名と異なるタイプ。水量は満々の感じ。

 

浦山ダムは秩父市街地に近いし、高さもあるので眺め良し。快晴で何より。


天端を歩くにつれV字谷の先の景色が変わる。


ズームで。遠くに見える左側は赤城山、手前の宝登山が少し飛び出て、左側遠くで連なるのは日光連山で一番右は男体山。


天端はかなり幅がある。車は入れないので団体さんでも問題ない。↓は資料館「うららぴあ」2Fから。2Fにはジオパーク特設コーナーもある。


↑の天端右側の建物はエレベーター塔。浦山ダムでは、資料館「うららぴあ」及びダム内部を自由に見学できるように一般開放している。エレベーターも自由に使えた。


エレベーターでダムの真下まで降り、通路は階段を上がり水平になる。ダムができるまでのパネル説明を見ながら出口から外に出ると、ダム下の駐車場のところだった。
ここから、天端まで上がれる階段があった。案内によると階段の高低差は124.5mで500段あるという。半分冗談で「これは昇らないとね~」と妻に言うと、「エ~そうなの~」と言いながらも階段に向かう。今度はこっちが「エ~そうなの~」だ(口には出さないけど)。


階段は堤体と山の斜面沿いに、踊り場を設けながら斜め上に上っていく。


途中からの横景色。けっこう急。・・・辛い(でも、小さい子供も頑張って上っていた)。


やっと天端に着いて、改めてダム下を眺める。いや~よくやった。

 

ダムカードは管理所棟で配布していた。ダムカードを収集しているわけではないが一応。受付をすると「何名ですか?」と聞かれ、「今は3種類あるんです」と3種類×2セットを頂いた。↓表面(画の左側)と裏面。


ダム施設の事も分かり、健康増進にも役立つ良いダムだった。
この後、ランチと秩父神社へ行くため秩父市街地へ向かう。(つづく)

 

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秩父市:芝桜の丘・武甲山話、橋立鍾乳洞

2019-05-04 | お出かけ

4月27日(土)から連休ということで、一度は行ってみたいと考えていた「国営ひたち海浜公園」に朝一で行こうかと妻と話をしていた。しかし、天気予報は雨混じりなので取りやめ翌28日にしようと予定変更。でも、27日の情報番組で雨なのに「ひたち海浜公園」は朝7時半の開園から大勢の方が訪れているのを見て断念。そこで、4月28日(日)は、第2案、秩父市の羊山公園「芝桜の丘」やその周辺観光に行くことした。

初めてなので園内の駐車場を目標に行ったところ、園内は車両入場禁止で入れず、道路に立っている案内の方に少し離れた広い臨時駐車場まで誘導された。午前8時頃だが駐車場にはすでに多くの車で埋まっていた。ここからシャトルバスで園内のバス停まで行く。さらに7~8分歩いて芝桜の丘にたどり着いた。受付で入園料を払い入場。入口は中央口、北側の菖蒲田口、南側の宇根口の3か所あり、我々は菖蒲田口から入った。

臨時駐車場までの誘導及び料金払い行列、バス待ち時間、バス乗車・徒歩時間なども合わせると40~50分は経過していると思う。もし将来また訪れることがあったら事前に入口と駐車場の予習はしておこう。

さて、芝桜を景観植物として大規模に咲かせている所は全国各地にあるようだが、『羊山公園・芝桜の丘』では、9種類、40万株以上の芝桜がデザイン化されて植栽しており、関東では有数の規模を誇る。

北側の東斜面(手前)~西斜面(かなり広い)の様子。時間は午前9時前。北側の花は疎らなところがあったが、初めての芝桜大絨毯の光景に驚く。


南側の斜面は咲き揃っていた。各地に大規模な芝桜絨毯があるようだが、どのような品種をどのようにデザインして植栽するか、なかなか大変なことと思う。


北側の西斜面の上の方から南側を見る。「芝桜の丘」の広さがよく分かる。


(※シバザクラの様子は別日記の方でも詳しくとりあげた。)

南側を眺めると、秩父の名峰、日本二百名山の一つ『武甲山』が正面に見える。


無骨で特異な山容は、セメントの材料に使われる石灰岩を採掘しているため。


今の若者は知らないかもしれないが、オッちゃんなら「秩父セメント」の名前はどこかですり込まれている。昭和30年代には採掘量全国1位を記録しこれまでに5億トンが掘り出されたという。

調べてみると、山頂付近も採掘が進み、元々標高は1,336mだったが、今は1,304mだとか。また、採掘されているのは北側のみだという。Google Earthで確認してみると、北側だけが削られているのが分かる。

何故北側だけ採掘しているのか?武甲山は、北側のみ石灰岩が豊富で他は玄武岩の二重構造のようだ。2億3000万年前、5000km離れた海底火山が武甲山の始まり。プレートと一緒に移動しながらサンゴ礁が発達し石灰岩に変わった。そして、大陸にぶつかり一部が押し上げられながら武甲山になった(ブラタモの記録が分かり易い)。
ちなみに、秩父の一帯はジオパークに認定されていて、日本地質学発祥の地だという。

崩壊した山容は痛々しいくもある。自然保護からすれば、とんでもないことかもしれない。でも、武甲山から採掘された石灰岩→セメントを元に多くの都市・地域の道路や建築物などが造られ日本の成長期を支えたことも確かである。

秩父市Webの市長ブログの一文を参考に記録しておく
武甲山採掘は、先人達がセメント産業で秩父の経済が活性化するなら採掘もやむなしと判断し採掘が行われて来た経緯があります。その先人達の判断根拠を尊重し、今後もこの趣旨を堅持して行かなければならないと思います。そして採掘された斜面に再び緑青々とした山に戻して行くのが我々の役目であると思います。


「芝桜の丘」の西側には「秩父路の特産市」の催しがあり、露店が多数並んでいた。その多さと広さに感心し写真を撮ろうと思ったが、大勢の人であきらめた。
ここで、試食して独特の味だった「ソバ蜂蜜」と、手に付けたらスベスベになった「蜜蝋クリーム」を購入。秩父は蜂蜜も名物のようだ。↓スズメバチ入りというのあった(買ってない)。

 

「芝桜の丘」の後は、臨時駐車場から車で15分ほどの橋立鍾乳洞~約10分~浦山ダム~約20分~秩父神社をまわる予定。
まずは、シャトルバスで臨時駐車場に戻り、橋立鍾乳洞へ向かう。

 

『橋立鍾乳洞』は、石龍山橋立堂という観音堂の境内にあった。入口には秩父ジオサイトの説明板が立てられていた。


これによると、「橋立堂の背後の岸壁(高さ75m)は石灰岩でできており、武甲山をつくる巨大な石灰岩体の西の端に位置している。」遠くから見た武甲山の石灰岩が間近に見られるわけだ。
画の中央にお堂、手前左の建物の中に鍾乳洞の受付があり、建物の裏に出て坂道をくだると鍾乳洞の入口になる。なお、洞内は撮影禁止。


鍾乳洞の入口近くで、振り返る。岸壁が迫ってくるようだ。


先の説明板では、「鍾乳洞は竪穴で長さ約140m、高低差30mほど。鍾乳石や石筍、石柱、カーテン、フローストーンなどの洞窟生成物は、上方出口付近によく発達している。」という。
石灰岩による浸食の隙間を縫うようにグルグルしながら上へ上へと昇る感じ。平均して狭く、腰を曲げ膝を曲げないと通れない所がほとんど。リュックなどは邪魔になるだろう。(カバンなど荷物は受付に置いておけるようだ)
鍾乳洞に慣れていないと、テレビなどでの秋芳洞や有名な鍾乳洞をイメージするが、洞窟生成物については、まずはそのようなイメージを払拭したほうが良いだろう・・・。
出口はこんな感じ・・・。

 

秩父札所第28番『石龍山 橋立堂』。三間四面、方形屋根朱塗りで江戸時代中期のもの。本尊は馬頭観世音。(秩父札所は34箇所あり、西国33箇所、坂東33箇所と併せて日本百観音という)

 

この後、浦山ダムへ向かう。(つづく)

 

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鉢の植替え、タイヤ、ヤモリ

2019-05-03 | 我が家~植物・生物

4月20日(日)の備忘録。
遅くなったけどタイヤ交換をするため(タイヤ屋さんに持って行くため)、夏タイヤを置いている車庫の棚から出し車に積む。そのついでに、棚周りの掃除をする。

勝手に庭から生えてきたネズミモチを鉢植えにし、一昨年の6月に初めて花をつけた。ところが昨年は花を見なかった。原因の一つは根詰まりだろうと思ったので、3月10日(日)に植え替えをしたら、その後新芽が出てきた。

そこで、他の7個の鉢の植え替え(土替え)をするため、掃除のあとホームセンターに行き腐葉土と鹿沼土を購入。
古い土が土嚢袋3つ分あるので、それに腐葉土と鹿沼土を混ぜ(見様見真似私)、植え替え用の土とした。また、鉢から落とした土はふるいにかけて、腐葉土と鹿沼土を混ぜ、最後に土嚢袋に入れ保管。なんだかんだ時間もかかって疲れる作業だった。

ユスラウメは今年の開花は数えるほど。枝も一部枯れていた。
鉢から抜こうとすると簡単に抜けた。他の鉢は根が伸びてなかなか抜けないのに、ユスラウメは根が少なかった。根についた土を落とし鉢に残った土も取り出していくと、次々とカナブンの幼虫が出てくる。計20匹いた・・・。

後片付けなどをし終えたのが午後5時半頃。タイヤ交換の予約は午後6時。車を預け、完了まで近くにある娘の家で時間をつぶす。4本で2,160円(ポイント使って約半額に)。家に戻って、冬タイヤを車庫の棚に入れ、この日の作業を終えた。

ところで、土を入れた土嚢は、家の裏に置いたストッカーに入れているが、古い土を取り出すときに幼いヤモリを発見。久し振りの嬉しい出会いだ。記録した後、ストッカーから出してあげた。どうぞ家を守ってくださいな。

 

 
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植え替えて約10日後の5月1日の様子。4月20日に植え替えた鉢は、表面に鹿沼土を敷いたため明るい茶色。黒いのは3月10日に替えたネズミモチ。


2代目のカエデは展葉が遅れていたが、初代よりもサイズの大きい葉をつけている。


ネズミモチは花を咲かせそうだ。花序がいくつか出ていた。


ついでに、玄関脇のほぼ日の当たらないツツジ。それでも花数が多いと思う。

 

 

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シオヤトンボ、アカサシガメ

2019-05-02 | 自然・環境とか

4月13日(日)、北本自然観察公園散歩にて。
木道を歩いていたら、トンボが飛んできて目の前の木道にとまった。もうトンボが出回るようになったのかとカメラを向けた。
これは何だろう。ムギワラトンボ(シオカラトンボの雌)のような色合いだが何か違うし、太い(ずんぐり)。


調べてみるとシオカラトンボ属の『シオヤトンボ』のようだ。ただ、雌はこんな感じだが、雄はこんな感じから成熟すると白い粉をふいてくるという。はてさて。


あるサイトに「あまり長くは飛び回らず、すぐに地面などにべたっと止ったりする」と記されていた。まったくその通りだと思った。また「トンボ科の中では、春一番に出現する個体」のようだ。

 

樹に赤い虫がいた。小さい(体長1センチ強)けれど赤は目立つ。一見した形状は、今年の2月に見たヨコヅナサシガメに似ている。調べてみると『アカサシガメ』というカメムシ>サシガメ科の仲間だった。成虫で越冬するらしい。でも、これは成虫なのかな?

 

ナナホシテントウ』も活動を始めていた。肉食性で、成虫・幼虫ともに植物に付くアブラムシを食べるというが、オオイヌノフグリには・・・いないな~。

 

 

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