シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

初めてのアームとネックの冷感!/自転車買うことに

2022-08-31 | 我が家~モノ・作業

葉に肌が触れるとチクチクするとか、日焼けは避けたいとか、カメラのベルトを首にかけるけど直に肌は嫌だとか・・・諸々の理由で、散歩するときは、暑い日でもTシャツの上に薄地の長袖シャツを着ていたが、そうはいってもTシャツ一枚よりは暑い。今年は猛暑の時期が早かったので、何とかしようと考えた。

そこで、7月下旬に冷感素材のアームカバーネックカバーワークマンプラスで購入した。
時々アームカバーをしている方を見かけていたので、どんなものか気になってはいたが、あまり見た目がよろしくないと(その時は)思っていた。腕をカバーするなら首もカメラを掛けるので、当然ながらカバーが必要になる・・・ということは必然だ。

ついでに、速乾のズボン(今風にはパンツ)を2本と冷感?の靴下3足セットも購入した、しめて6,000円弱。さすがのワークマンだ。

実際に着けてみると、アームカバーは歩く=腕を振る度に涼しく感じるし、ネックカバーも汗を留めてくれて、カメラのベルトが汗で濡れないで済む。なんということでしょう、もっと早くに購入すればよかった。

それにしても、ワークマンのコスパはありがたい。ズボンの裾上げでひと悶着あったけど、店員の対応は丁寧だったし、今後もワークマン商品は気にしたいと思う。



過去には、自分用に折りたたみ自転車を使っていたが、日常では使い難く、そのうち錆がひどくなり動かなくなった。それ以降(ここ10年ほど)は、自分用の自転車を持たなかった。

しかし、何かと自転車があればな~という状況があるので、所謂ママチャリを買い求めることにした。
では、どこで購入するか?以前は、車がワンボックスだったので、離れた所で購入しても自転車を積んでこれたが、今の車ではそうもいかない。近くの自転車屋はママチャリを扱わなくなったり、店自体を閉めたところもある。

そして、思い出したのが旧街道沿いで歴史を感じる(古めかしい)ウィンドウ越しに並んでいる自転車を見たこと。あれは車・バイクの修理工場のようだが自転車を売っているのかも。電話で確認したいが、社名・店名が分からない・・・。

そこで、GoogleMapのストリートビューを使って店探し。看板で名前が分かり電話すると、中古の自転車であること、価格は1万円しない、見てみてという。中古でも十分なので、早速見に行くことに。家から近いので徒歩。

前後輪のタイヤを新品に取り替えた自転車が9,500円だった。これでイイかな~と思ったがタイヤ以外はお疲れ感がけっこうある。ふと見ると、近くに値札を貼っていない見た目キレイな白い自転車があった。聞くと12,000円で約25%高い。少し迷ったが、安い方はカゴが小さいし、乗ってみたら曲がる時に若干異音がしたこともあり、高い方に決めた。登録費用は600円なので計12,600円。

ところが、支払い時に想定外のことが出来!カードは使えないという。車の修理などもするのに?と思うものの仕方がない。でも、手持ちの現金は若干足りない。ん~せっかく来たのに、何とかならないかと懇願する。「じゃ~、大サービスだ」と承諾いただいた。感謝感謝。また、修理や妻の自転車を更新する時には、ここに来ようと思う。

一応記録。↓夕方撮ったせいか、クリーム色っぽいが、実際は白色。

 

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新潟県:田んぼ周辺のバッタ・トンボ・抜け殻

2022-08-29 | 主に野鳥や昆虫

8月12日(金)、新潟県への帰省時の散歩で「昨年から稲作を止めた田んぼと農道」の様子を先般とりあげたが、今回は、その際に目にとまったバッタやトンボ、ヤゴの抜け殻などについて。

稲作を止めた結果、使われなった農道は草叢になり、歩くたびにバッタが飛んでいく。近くにいたバッタを記録し、何者か調べたところ「ツマグロバッタ」のようだ。また、体色の異なる別のバッタも記録したのだが、これは同じバッタで雌雄の違いだった。

ツマグロバッタ(ツマグロイナゴ)は、4センチほどの大きさで、後脚の関節部と翅の先端部が黒ずむ特徴がある。オスは明るい黄緑色。


メスは茶褐色(枯草色)。植物が枯れてきたら、保護色になりそうだ。

 

ミゾカクシを撮っていたら近くにトンボが飛んできた。たぶん、キイトトンボだと思う。腹部がやや太めで、腹部を中心に黄色をしているが、成熟すると胸部が黄緑色になるらしい。

 

農道は、行く途中で国道の下をくぐるトンネルがある。そのトンネル内の壁面にヤゴの抜け殻が幾つもはり付いていた。・・・驚いた。ここに!?こんなところで!?と。


ヤゴの抜け殻のことはよく分からないけど、大きいと思うのでオニヤンマではないかと思う。


調べていると、トンボの羽化は「倒垂型」と「直立型」に分けられるとのこと。ヤンマ科は倒垂型(とうすいがた)で、胸部・頭部から抜け出て、反り返るように下方に180℃垂れ下がるものの、腹部の途中まで出てきたら状態を起こし、ヤゴだった時の頭部~胸部につかまり、残りの腹部を全部抜くようにする。


抜け殻の頭部が背面側に反り返っている(直角に折れている)のは、羽化時につかまったためではないかと思われる。

オニヤンマかどうかは、未だ同定できないけど、いずれにしても、薄暗いトンネルの中で壁にはり付く抜け殻には…ちょっとビビった。

 

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新潟県:湯沢町「毛渡沢橋梁」鉄道橋

2022-08-27 | お出かけ

8月12日(金)、新潟県への帰省ついでに出かけた処、その5。

前回の「瑞祥庵」から車で7分ほど南に行った所にある。ナビを頼りに行くと、発電所の敷地前で行き止まりになった。
道路脇のスペースに車をとめ、真上から対岸までつづくレトロ感満載の橋梁を眺める。現役の橋梁、何だかスゴイ。


沢を上流側に移動する。隣にはコンクリート製の橋梁が並行している。新旧だが“新”もけっこう古そうだ。


いずれもJR上越線の鉄道橋で、石積みの方が上り専用、コンクリの方が下り専用の橋梁だ・・・と後で知った。


なっなんと、下り線に電車が走ってきた。時刻表を調べると、一日で6本しか通らないようだ。なんという偶然。

 

毛渡沢橋梁(上り線)は、1931(昭和6)年完成。石積の円柱橋脚で、橋長217.4m。緩い曲線を描く構造が美しい。一方の下り線は、複線化に伴い1971(昭和46)年に完成。2橋梁の異なる建設資材の対比且つ構造美を目の当たりにする。

草叢を分け入り、少し川に近づく。それぞれの橋脚が見やすくなった。


人物を横に添えると橋脚の太さがより実感できる。(若干広角で撮っている)


ところで、同僚に鉄っちゃんがいて、私が新潟県出身ということから、ここの近くのループ線のことを聞いたことがあるので、「毛渡沢橋梁」というところに行ってきたよ、と画像を付けてメールで送ったところ、以下の返信がきた。
>ここは撮り鉄の聖地で、撮り鉄日本三大橋梁の1つです。へ~ほ~ではなく、むむむ!わお~!の場所です。
 しかも通過中の電車も写っているし、最高の構図ではないですか。
 越後中里から上りの電車に乗り、土樽ループを過ぎて土樽駅手前で渡る有名な橋梁です。
 上り線は左に分岐して清水トンネル、下り線は新清水トンネルに繋がります。

撮り鉄日本三大橋梁の一つとは知らなかったし、それぞれ異なるトンネルに繋がることも忘れていた。鉄っちゃんてスゴイな~と感心。そして、そのような所に行けたことに満足感増し増し。

南側(群馬側)の橋のたもと。この先は、すぐに土樽駅に至る。

 

毛渡沢橋梁は水上駅(群馬県)~越後湯沢駅(新潟県)間の延伸開業に伴って架橋された橋で、谷川連峰を初めて貫いた清水トンネルも同年(昭和6年)の開業。
私の年代では、上越線(その後、上越新幹線)で新潟県から関東・首都圏に行くのが当たり前だが、これ以前は長野・直江津を経由する信越線ルート、もしくは福島県に出る磐越西線ルートになるので、3~4時間の時間短縮が図られたそうだ。当時としては大変重要な大事業だったことだろう。

ちなみに、毛渡沢橋梁や清水トンネルは、松川ループ線(昭和6年)、湯檜曽ループ線(昭和6年)、湯桧曽橋梁(昭和6年)、新清水トンネル(昭和42年)、土合駅構内土合斜坑(昭和42年)とともに、『JR上越線清水トンネル関連施設群』として土木遺産にもなっている。
※参照:土木学会関東支部 関東の土木遺産:JR上越線清水トンネル関連施設群
https://www.jsce.or.jp/branch/kanto/04_isan/h29/h29_6.html

今回の日記を書くにあたってWebで調べていると、毛渡沢橋梁の写真は対岸から撮ったものが幾つもあがっていた。撮影位置は線路に近く見下ろすような感じ。ナビ頼りだったので気付かなかったが、そのような場所まで行けるようだ。また、機会があれば考慮しよう。

最後に、発電所施設のフェンスに掲示されていた案内を記録しておく。ダメなものはダメ。鉄道ファンに限らないと思うけど・・・。


毛渡沢橋梁を見た後(12:15頃)、湯沢ICで関越道に入り、谷川岳PAでランチに上州名物のモツ煮定食ではなく、モツの入った蕎麦をいただく。噛み応えもありお腹も満足感ありありだった。

 

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新潟県:湯沢町「瑞祥庵」の仁王像など

2022-08-25 | お出かけ

8月12日(金)、新潟県への帰省ついでに出かけた処、その4。

帰省から戻る日には、どこかの観光スポットに立ち寄りたいと考え、事前に湯沢町の観光スポットを調べたところ、未だ訪れたことのないスポットを発見(?)した。
南魚沼郡湯沢町土樽の『瑞祥庵』というお寺と『毛渡沢橋梁』という鉄道橋。「土樽」という所は、群馬県との県境に位置するが、三国山脈を越える国道17号沿いではないので道路はどん詰まりで、関越道湯沢ICへは来た道を戻るようになる。通常は通らない道なので、今回が初めてだ。なお、JRなら上越線の越後中里駅や土樽駅が近い。

まずは、方丈山 瑞祥庵(ずいしょうあん)』について。
湯沢町の市街地からは、魚野川沿いを上流に進み、湯沢フィッシングパークを過ぎてから左に折れて関越道をくぐると間もなく瑞祥庵に着いた。越後湯沢駅から車で10分ほどの距離。

緑と静けさに囲まれた曹洞宗のお寺で、楼門の仁王像が、幕末から明治初年に越後で才腕を振るった石川雲蝶(※後段に説明)の作ということで有名のようだ。その楼門は、道路から少し入ったところに建っていた。


楼門は、2階建ての門で、1階部分(下層)には屋根がなく、2階部分には高欄が配置されている物が一般的とのこと。この1階の両脇、ガラス窓の中に仁王像が安置されていた。


現地の案内板によると、仁王尊二体は、像高:180センチほどで、町指定文化財。安政以後の作と推定されている。
彩色は昭和4(1929)年の修理の際に施されたもので、石川雲蝶が本来どのような色使いをしていたのか、想像するしかない。


楼門をくぐると、正面に本堂。その入口まで真っ直ぐだ。


振り返って、楼門の裏側。ここの参道は良い雰囲気だった。


本堂は入口が閉じられていたので、内部は見ていない。本堂の正面左側に水量豊富な池があったのだが、記録し忘れた・・・。

瑞祥庵の山号は、楼門の扁額のとおり「方丈山」だが、マップを見ていたら近くに同名の山(方丈山:標高843.2m)があった。何か謂れ・関わりがありそうだけど、はてさて。

楼門の手前(道路側)には、横向きにお堂が建っていた。何かな?と中をうかがうと、奥の方にある扁額には「十一面観世音菩薩」とあったので観音堂のようだ。


入口側の板の間には、昔の生活用具や農業用具が幾つも置かれていた(画の反対側にも様々置いてある)。何故、観音堂内に?一時の預かりモノなのだろうか。見やすく陳列したらミニ民俗資料館になりそう。

 

※石川雲蝶は、文化11(1814)年、江戸雑司ヶ谷(現:東京都豊島区)に生まれ、30代前半に越後入りし、多くの作品を残した。「日本のミケランジェロ」とも称され、ダイナミックな世界観は150年を経てなお人々を魅了している。代表作は、“越後日光”と言われる西福寺開山堂(現魚沼市)の天井を飾る「道元禅師猛虎調伏之図」。

※参考サイト:魚沼市観光オフィシャルサイト「日本のミケランジェロ 石川雲蝶を探求する」
https://www.iine-uonuma.jp/osusume/4009/

なお、当日記でも、2013年5月に『西福寺・開山堂』を訪れた際のことをとりあげている。
魚沼市『西福寺・開山堂』その1 魚沼市『西福寺・開山堂』その2

この後、「毛渡沢橋梁」に向かう。

 

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新潟県:赤谷十二社の大ケヤキからパワー!

2022-08-22 | お出かけ

8月12日(金)、新潟県への帰省ついでに出かけた処、その3。

朝食後、久し振りに巨樹の様子を見に行こうと、できれば巨樹・神木のパワーにあやかりたいと思い出かけた。
赤谷十二社の大ケヤキは、十日町市の県指定天然記念物。樹齢1,000年とか1,200年とか云われ、幹週約10m、樹高約47m。

道路・駐車場から2mほど石段を上った所に神社や大ケヤキがある。
駐車場から見上げ加減で全景を記録する。かなりの高さで、樹冠も広い。社は正面右側の側面。(私のスマホカメラは緑色が変に濃いので調整する)


社の裏側から。スマホカメラはけっこう広角だが、全景入れるためには距離が必要だった。


切られた幹が残念であり、痛々しいが、2009年に主幹から枝分かれした支幹が折れたため、併せて腐食の治療も行い、支幹3本を切断したようだ。


社よりケヤキの方が古いであろうから、もう少し離れたところに社を建てれば良いのに、と思わないでもないが、当時の神社地の境界によるのかもしれない。私の記憶でもその昔は、社の左側が間際まで畑地だったような気がする…。


大ケヤキのスケール感、見上げる感が伝わればと思い、参考に動画でも撮ってみた。

 


『赤谷十二社の大ケヤキ』について

延暦年間(西暦782-805年)に坂上田村麻呂が東征の折に植えたと伝えられています。
貞享2年(1685年)に赤谷城主・三河玄蕃(みかわ・げんば)が神木に奉ると合戦のつど兵の安全を守護し、苦戦を救い、味方を勝利に導いたといわれています。
この縁起から、明治以降の出征兵士はこの巨木に武運長久を祈り樹皮を身に付けて故郷をあとにしました。
古来村人は、この霊木を無病息災、家内安全、五穀豊穣に霊験あらたかな「大木の木」(おおきのき)と崇め、住居、農耕、畜育、年中行事、信仰、俗信にまつわる数々の口伝を継承して現在に至ります。 ※出典:十日町市博物館 Webサイトより

 

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新潟県:昨年から稲作を止めた田んぼと農道

2022-08-21 | 自然・環境とか

8月11日(木)、新潟県への帰省ついでに出かけた処、その2。

前回の柏崎市から実家に帰ってきてから、田んぼ散歩に行くことにした。
この辺りは、稲作を主体とする農業を主産業としてきたが、ここの農業地をどのように表現すればよいのか、念のため調べてみた。

農業地域類型区分では、都市的地域・平地農業地域・中間農業地域・山間農業地域と分類されている。山間農業地域は林野率80%以上かつ耕地率10%未満の市区町村。平地農業地域は耕地率20%以上かつ林野率50%未満。中間農業地域は、そのどちらにも当てはまらない市区町村。そして、中間農業地域と山間農業地域を合わせた地域を「中山間地域」といい、総土地面積の約7割を占める。
※参照:農林水産省のWebサイト https://www.maff.go.jp/j/nousin/tyusan/siharai_seido/s_about/cyusan/

ということは「中山間地域」と言って間違いないようだ。過去の日記でも、そのように表現していたと思うが、正解だな。

この辺りの平地は標高120mほどで、周囲の山々は標高300m~380m。それほど標高は高くないけど特別豪雪地帯であり、積雪は3mほどにはなる。雪のおかげでブナ林もあったりする。(↓スマホのカメラは緑色が濃い)


平地の面積は狭いので、江戸時代から「瀬替え」という治水工事で農地を開発した。(瀬替え:蛇行した川を、山を削って直線的な流れに変え、もとの流路を耕地にする工事方法のこと)
また、私が子供の頃は棚田がいたる所でみられたが、徐々に減少し狭い棚田はほとんど無くなったと思う。さらに、平地であっても耕作する担い手がいない(委託する先もない)ことから、耕作放棄地が増加しているようだ。
もし、当地で農業をしたいという奇特な方がいるのなら、十分に応えられると思う。

こちらの奥の方は稲が育っている田んぼで、手前は昨年から稲作を止めることになった田んぼ。


この画では分かり難いが、右側は同様の田んぼで、中央の上から左側の下の方にかけては坂道の農道。

田んぼを使わないので、農道も使わなくなる。結果、農道でもこのような状態になってしまう。地面は見えないけど、水路が詰まっているようで水が地面を流れていた。足の踏み場に気を遣うことになった。
2シーズンでこの状態。万一、将来に耕作地として利用するようになったとしたら・・・大変そうだ。

この農道は、歩みを進めるたびに周りでバッタが飛び立っていく。けっこうな数だ。せっかくなので、スマホで動画を撮ってみた。

 

目視では、もっと広範囲に見えるので、よりバッタの多さを感じる。ここはバッタ天国。初めての人間との遭遇・・・かもしれない。

この時の散歩で出会った生き物(それほどいないけど)については、別途とりあげようと思う。植物については、別の日記でとりあげる予定。

 

 

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新潟県:柏崎港「夕海」、番神海水浴場

2022-08-19 | お出かけ

8月11日(木)、新潟県への帰省ついでに出かけた処、その1。

実家から一番近い海は柏崎市で、車で行くと柏崎港の辺りが一番近い。車で50分ほどの距離。柏崎の海を見るのは5年振り。
事前に観光スポットを調べてみると、2019年に柏崎港観光交流センター「夕海(ゆうみ)」がリニューアルオープンしていた(といっても前の施設を知らない)。そこを目指すことにした。


柏崎観光協会が運営しており、柏崎の物産(海産物加工品などの各種食品・地元銘菓・陶器など)の他、地元ベーカリー店のパン、スイーツ、新鮮な地元野菜を販売している。“漁菜マーケット”と呼ぶようだ。営業期間は4月下旬から10月末まで。


屋上からは、日本海や柏崎港が一望できる。ちらっと見える山頂は米山か(後述)。無印良品のバス(MUJI to GO)がとまっていた。


夕海の中で「石地わさび」というのが売っていた。石地といえば遠浅の海水浴場で、山葵の産地のイメージとは全く異なる。
リーフレットによると、地下水を汲み上げてハウス栽培をしているようだ。機会があれば行ってみたいものだ。

アイス売り場には、お菓子のアレやコレがアイスになっていた。柏崎ならではかな。

 

 

 

 

 

港から西側の防波堤の隣は番神海水浴場。遥か彼方に稼働していない原発が見える。


なっ、なんと「貸切プライベートテラス」なるものができていた。
BBQやデイキャンプに使える。専用の駐車場もあって、快適そうだ。

一昔前なら、海水浴場の近くは「海の家」「浜茶屋」だったが、そのイメージは変わっていた。


岩場にある赤い鳥居は「番神神社」で、古くは、流罪を赦免された日蓮が佐渡から着岸した場所とされる。


神社の先の浅瀬には、昭和初期にいけす式の自然水族館があったという。その跡地を利用して夏の土・日曜、祝日限定で「番神自然水族館」が催されているそうだ。箱メガネや網を使って海の生き物観察ができ、ちびっ子には楽しいだろう。

西番神海水浴場から東の輪海水浴場。奥に見える山は、柏崎市と上越市の境に位置する「米山」で、標高993メートル。


♪米山さんから雲が出た 今に夕立が来るやら
 ピッカラ チャッカラ ドンガラリンと音がする ~
という、民謡「三階節」で歌われている。三階節は、地域に伝わるお座敷唄であり、盆踊り唄として新潟県内に広く用いられている(と思う)。

帰路は、車で東の輪海水浴場~柏崎アリーナ~鯨波海水浴場を横目で見ながら帰った。
短い時間ではあったが、夏の海気分を味わえた。

ところで、番神・西番神海水浴場は、平成18年に環境省が選定した「快水浴場百選」の一つに選ばれている。新潟県では、他に「瀬浪(村上市)」と「二ツ亀(佐渡市)」の3か所が選定されていた。
※参照:環境省「快水浴場百選」INFOMATION
https://water-pub.env.go.jp/water-pub/mizu-site/suiyoku2006/info/index.html

 

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夏季の帰省:新潟県と草加市

2022-08-18 | 家族・帰省・イベント

今年の夏の帰省は、妻と共に4回目のワクチン接種とPCR無料検査(前回記載)を実施したうえで出かけた。
新潟県の私の実家には8月10日~12日に、草加市の義母宅には8月13日に行ってきた。

8月10日(水)、14:15頃に家を出発。途中、休憩や買い物をして実家に着いたのは18:15。この日、指定難病持ちの兄はまだ調子が良い方で、お酒も一緒に飲めた。兄から「母親は熱中症っぽくなってから認知症が進んだかも」と聞いていたが、その通りだと感じた・・・。

8月11日(木)、日本酒を飲みすぎたようで、午前中はゴロゴロタイムになってしまった。この日は、出かけてよい機会があれば、海を見に行きたいと思っていた。実家から一番近い海は柏崎市で、車で50分ほどの距離。直近で柏崎市の海に行ったのは・・・5年前かな。

母親がデイサービスに出かけたのと、昼近くになって元気になってきたので、13:00に妻と実家を出発し、柏崎の海を見に行った。戻ったのは15:50頃で、私はその足で散歩に出かけた。1時間強、久しぶりに田んぼ周辺を散歩する。

 

8月12日(金)、朝食後に『赤谷十二社の大ケヤキ』を見に行く。
10:20に実家を出発し、湯沢町の『瑞祥庵』というお寺と『毛渡沢橋梁』という鉄道橋を見学。その後、湯沢ICで関越道に。谷川岳PAに立ち寄り、ランチに上州名物?もつの入った蕎麦をいただく。

家に着いたのは15:30頃。行きも帰りも渋滞無く、余計なストレスが無くて良かった。
*出かけた先のことは、順にとりあげる予定。

8月13日(土)、日帰りで義母宅へ。お盆と言うこともあり、3年振りに娘夫婦(+孫)と息子も行けることになった。
私・妻・息子は10:00着。台風の影響が心配だったが、雨にはあわなかった。
娘たちは11:00頃に着いたけど、孫が寝ているのでしばし車で待機した。義母にとっては、初めてのひ孫対面ができた。何よりだ。

お墓へのお迎えは、朝から義弟が行ってくれた。義弟の奥さんも午後に来た。
娘たちは、孫が眠そうになってきた14:00過ぎに、我々は15:00頃に出発した。台風上陸後の天候は心配だったが、帰路は小雨で済んだ。何よりだ。

 

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初めてのPCR検査(無料)/立待月

2022-08-17 | 我が家のアレコレ

帰省(8月10日から)を控え、PCR検査(無料)をしてみようかと考えた。実家は要介護と要支援の両親に、指定難病持ちの兄がいる。7月25日に4回目のワクチン接種をしたが、「念のため」且つ「一度は検査をしてみたい」・・・といったことから。

8月8日(月)、在宅勤務なので近くで無料PCR検査をしてくれる調剤薬局に確認のため電話してみると、検査結果が分かるのに2日~3日かかるらしい。ぎりぎりか~、で今日は空いてるかと聞くと、「予約しておきますか?」と。予約できるのなら、それにこしたことはない。16時に妻と私2人分の予約をした。ちなみに、検査30分前からは飲食・喫煙は禁止。

少し早く着いたけど空いているらしくOK。問診票に記入し、唾液を容器に入れるのだが、思ったより出ないものだと実感。絞り出すように・・・。結果はメールを送るというので、連絡先は2人分を妻のアドレスにした。

8月10日午後2時過ぎに帰省へと出発した。妻は直前まで仕事で、出発してしばらくしてからメールを確認。おかげさまで二人とも陰性だった。もし陽性だったら引き返すところだ(まぁ、そんなことは無いだろうと思ってはいたので出発したけどね)。これで万事OKだ。



8月14日(日)の夜、台風一過でブラインド越しに月がキレイに見えた。ほ~っと記録することにした。
調べてみると、満月から2日目(新月から17日目)で、少し欠けた“立待月(たちまちづき)”だった。画はデジカメ35mm換算で180mmの望遠。


さらにズームし、デジカメ35mm換算で2160mmの望遠。

欠け始めた右側のクレーターに陰影があってクッキリだ。

ちなみに、8月の満月は「スタージョンムーン」と呼ばれる。アメリカとカナダの五大湖に棲息する大型魚であるスタージョン(チョウザメ)が最も収穫できる月であったことから、アメリカの先住民たちが名付けたという。それだけ、チョウザメが生活に密接だったということの証といえる・・・かな。

 

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北本:ヨシの梯子、枝葉の影、池の水鏡

2022-08-16 | 自然・環境とか

7月31日(日)、北本自然観察公園散歩から、その4で最後。

湿地の季節の風物詩?にも思える「ヨシの葉が梯子状」になった状態。
タテシマノメイガの幼虫が、ヨシの先端の葉を縦に数枚合わせて筒状の直立した巣兼餌の備蓄場を作るものの、その後ヨシは生長して葉と葉の上下の間隔が空いていくが、幼虫が修理して繋ぎとめるので、梯子状になってゆく。

こちらは分かり難いかもしれないが、6段ほどの梯子ができている。※解説した日記

 

林縁の土の遊歩道の路面では、枝葉の影を写し出していた。影がブレているような、二重になっているような、何故だろう?ちょっと不思議な感じがして記録した。

 

林地内の浅い池が水鏡のようになっていた。

ただ、完全な水鏡ではなく、木漏れ日も差し込むので、その部分はスポットライト。

水面に浮かんだ落ち葉に木漏れ日があたるも、その周りは枝葉を写す。ちょっと不思議な感じがして記録した。

 

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