シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

駿河屋賀兵衛で呑む

2015-05-31 | 飲んだときに…

屋号から分かるように駿河の桜えびやシラスはもちろん、新鮮な海の幸と60種類の塩辛、飲み物は日本各地の地酒・・・。駿河屋賀兵衛『マーチエキュート神田万世橋店』に行ってきた。<5月29日>

日記にも何度か取り上げている角打ち(立呑み)『加島屋酒店』の近くなので、この店のことは知っていたが入ったことはない。何故なら・・・ちょっと敷居が高いから。

先々週、知り合いのGさんと電話している時に「近いうちに一杯」という話になったので、ならばとNさんにも声をかけて駿河屋賀兵衛に行くことにした。

通常なら最初にビールといくところだが、純米酒を炭酸で割ったのを頂く(名前は忘れた)。ん~旨い。お通し、旨い。やられたな~、後は言うまでも無い。

日本酒は基本純米酒しか置いていない。カウンターの店なのだが、メニューをみると席の3倍以上(?)のお酒はあるようだ。
燗で美味しい純米酒もいただいた。『東魁盛(とうかいざかり)』の山廃純米や『玉川』の無ろ過生原酒など。アルコール度数20%前後だったと思う。

気が置けない方との飲食は楽しく、お酒も肴も大変美味しくいただいた。感謝。

久し振りの日本酒と一週間のお疲れのせいか、翌日(昨日)は昼寝が長かった。

 

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ユスラウメ2015 果実

2015-05-27 | 我が家~植物・生物

我が家の鉢植えユスラウメは、果実が赤く熟してきた。(芽ぶきから花まではコチラ
先週末の土曜日に鉢の下から見てみるとけっこうな数があった。今までで一番多いのではないかな。(といっても、樹自体が小さいのでそれほどでもない)
花の時は感じなかったけど、実付きが良かったようだ。何が違うんだろう・・・不思議。それに、例年なら野鳥に盗られていたはずだが、今年はそれもないように思う。葉が上手く隠してくれるのかな。

土曜日に大きいものさがして食べてみた。美味しい(少し甘くてちょっと苦い)。

一昨日の朝、少し採って妻がジャムにしてくれた。でも、あまりにも原材料が少なすぎた。
今残っているのは果実酒にしようと考えている。昨日、広口瓶と氷砂糖を購入。初めての試みなのでどうなることやら。
さて、残りはいつ採ろうかな~。

 

《追記:5月28日》
鳥や虫、雨の心配もあって、結局、今朝再度の採取。そのまま冷蔵庫に入れる。
Webで見つけたレシピはユスラウメ150g、氷砂糖95g、焼酎200ccだったが、帰宅して重さを計ると80g。ん~再度採る(残りの実はほとんど無い状態に)。これで120gになった。これを元に案分して量を出し、準備する。

ユスラウメを洗って水分をとり最初に入れる。次に氷砂糖、最後に焼酎を入れる。赤い実と氷砂糖の取り合わせがキレイだ。

どうなるかな~、1ヶ月後のお楽しみ。

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カメの甲羅干し

2015-05-25 | 自然・環境とか

公園の池を見ていると大概カメがいる。泳いでいるのを見ることもあるが、岸の石の上などで甲羅干しをしているのを見ることの方が多い。

何故カメは甲羅干しをするのか。Webで調べてみると・・・
まず紫外線を浴びることがとても重要のようだ。紫外線の照射により
(1)皮膚に付着した寄生虫などの除去やカビによる皮膚病予防
(2)病気(くる病)の予防
(3)甲羅に藻類を生えにくくする予防
(4)栄養素を吸収する

栄養素というのは、ビタミンDが不足するとカルシウムが吸収できなくなり、甲羅の形成に影響が出る。そこで、体内に取り込んだ原料物質は、紫外線によって皮膚でビタミンDへと変換されカルシウムの吸収を促進させるという。

(5)もちろん体温調節もある
変温動物なので、太陽光からの温度、外気で体温を調節する。甲羅干しをすると血液の循環が良くなり、効率よく体が温まる。

ということから、甲羅干しする場所はすぐに乾いて清潔なところが良く、土や砂利よりも石が好まれるようだ。


北本自然観察公園の八ツ橋がある池には倒木(?)が斜めになっている。
5月4日12:42~、倒木に上から大カメ、チビカメ、中カメが甲羅干しをしていた。

すると、別の大カメが泳いできて倒木につかまった。

上に上るのかな~と見ていたのだが、この姿勢から動かなかった。先客に遠慮したのだろうか。だとしても、もう少し上に行かないと甲羅干しにならないのに。

5月23日16:39~、倒木には一匹のチビカメ。日が傾いてきた中でのシルエットは孤高のカメ。

 

<オマケ>
5月23日、関係ないけど今年初めてシオカラトンボを撮った。でも、念のためWebで確認すると尻尾の黒い部分の面積が少ないような気がする。オオシオカラトンボってやつかな?

 

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行田市:忍城

2015-05-21 | お出かけ

前回の埼玉県熊谷市の「妻沼聖天山」に行った後は、同県行田市の「忍城(おしじょう)」に立ち寄ることにした。(5月3日)
映画『のぼうの城』で有名になった所だが、未だ訪れたことはなかった。

近くの駐車場は20台位ほどだった。入ると満車だったが、ちょうど1台の車が出た。(前日の織姫神社でもしばし待ったら空いた)連日ラッキー。

関東7名城に謳われた忍城は文明年間(1469~86年)の初め頃に築城され、上杉、北条氏との戦いにも落城せず、石田三成の水攻めにも耐え、戦国の世を生き抜いた名城。別名「忍の浮き城」。↓は現地の案内板。


入口に向かうと「行田市郷土博物館」の看板。そして博物館の建物。お城はどこに?

後で分かったことだが、行田市郷土博物館は、かつての忍城本丸跡地に1988年に開館。その周辺が忍城址公園として整備されていた。

趣きのある鐘楼があった。鐘は、殿様が伊勢桑名より忍へ移封となった際に桑名より持ってきた鐘を模したもの。(本物の鐘は博物館内)


東門を出ると、堀にかかる橋がある。(と書きつつ、画は橋から見た門)


土塁と城壁は当時を摸したものか。


広場のような所から御三階櫓を眺める。左側の2階建て通路は博物館につながっており、博物館から櫓(展示室、展望室)に入れる。


小さい門を抜け土塁の外側を角角しながら歩いていくと、視界が開けた。位置的には敷地の南東側で目の前はお堀。御三階櫓が良く見える。藤棚の下のベンチはベストポジションだ。と思うのだが、何故かここに来る人は少ない。

御三階櫓(ごさんかいやぐら)は、幕府への配慮から天守とは称さなかった「実質上の天守」のことで、忍城の御三階櫓は明治6年に解体され、昭和63年に再建されたもの。

屋根の上にあるのは鯱鉾のようだがけっこう大きそう(と思って撮っておいた↓)。Webサイトによると鯱鉾の大きさは1.8mで、日本最大級の大きさという。


場内の櫓に使用されていた石垣が置かれていた。このような形に削り出すだけでも大変そうだ。

ところで、御三階櫓や鐘楼、門、橋などは元々あった所に復元したわけではない。
忍城は沼の中に本丸、二ノ丸、三ノ丸、櫓、曲輪、米蔵・勘定所、いくつかの門などがあったのだが、それらはそれぞれが島であり橋で結ばれていた。その後、時代の流れで沼は無くなり開拓されたので、残っているのは本丸跡地のみ。
初めてここを訪れた方は、ぐるっと回って「城なのに狭いな~」と思うでしょうな。

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忍城を出発してしばらく進むと『さきたま古墳公園』の看板。お疲れで且つ帰宅してからも忙しい妻は、帰りモードで決して良い顔をしなかったが「少しだけ」と立寄った。

埼玉古墳群は、9基の大型古墳からなる全国有数の大型古墳群のようだ。案内図を見て、近くを回る。

二子山古墳』は、埼玉古墳群のほぼ中央にあり、長さ138m、埼玉古墳群の中で、そしてかつての武蔵国の中でも最大の前方後円墳のようだ。
水上にたたずむ光景を見たかったのだが、浸食作用で外周の崩落が激しいため埋め戻されていた・・・。


丸墓山古墳』は、直径105mで日本最大の円墳。墳丘の高さは約19mで埼玉古墳群で一番高い。しかも登ることができる。

これも後で知ったことだが、忍城を水攻めするために石田三成が陣を張ったのがこの古墳の頂上とのこと。古墳を含む半円形の石田堤は28km。よくも作ったものである。
以上、忍城つながりで追加しておこう。

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熊谷市:妻沼聖天山

2015-05-16 | お出かけ

5月3日のこと、前日の栃木県足利市からの帰路、埼玉県熊谷市の『妻沼聖天山 歓喜院(めぬましょうでんざん かんぎいん)』に立ち寄った。妻沼は地名。

妻沼聖天山は、日本三大聖天のうちの一つに数えられる名刹で、本殿(国宝指定)の外壁の彫刻は豪壮華麗で、埼玉日光という別名もある・・・という情報を事前にWebで得たのでどんな所か行ってみようと思ったわけだ。

貴惣門(きそうもん:国指定重要文化財)は、参道の最初の門。大きくて驚く。

門をくぐって振り返る↓。小高木の並木が緑のトンネルを作っているのだが、これは無くてもよいのでは?と思う。(門が見えない)

後で市のWebで調べたところによると、貴惣門の棟高は13.3m。最大の特徴は、全国に四例しかない特殊な屋根の形で、妻側に三つ重なる破風(山型の部分)がつく。


斎藤別当実盛
(さいとうべっとうさねもり)の像があった。聖天山を開いたとされる方で、熊谷直実や畠山重忠と並ぶ、源平合戦の英雄。左手の円いモノを見ている?

右手に持っているのは筆、左手は鏡で、実盛公が老兵と悟られないように髪を墨で黒く染めて出陣したという史実にもとづいている。でも、もし実盛公がこの像を見たらどう思うだろう?エピソードよりも武将らしく勇ましい像が良いなあ~なんて。

中門(市指定文化財)、さらに仁王(金剛力士)像のある仁王門をくぐると、

   

国宝の聖天堂が姿を見せる。“埼玉日光”と呼ばれるわりには、落ち着いた雰囲気?
聖天堂(本殿)は、 拝殿・中殿(相の間)・奥殿からなる廟型式権現造(日光東照宮などに見られる、複数棟を一体とした建築形式)の建物である。

享保20年(1735)から宝暦10年(1760)にかけて建立された。これまで知られていた彫刻技術の高さに加え、修理の過程で明らかになった漆の使い分けなどの高度な技術が駆使された近世装飾建築の頂点をなす建物であること、またそのような建物の建設が民衆の力によって成し遂げられた点が、文化史上高い価値を有する。と評価され、国宝指定された。聖天堂は、江戸後期装飾建築の到達点とのこと。

拝殿の彫刻は素晴らしい↓と思うものの、やはり「豪壮華麗な埼玉日光」とは思えない。

   

見回すと、正面左側の格子塀沿いに宝くじ売り場のような受付がある。ここで拝観料700円を払うと奥殿などが見られるようだ。なるほど格子の隙間からチラッと見える奥殿は煌びやかだ。しかし、ん~それなりにかかるであろう時間を考え今回は止めておいた。(まぁ、当地はそれほど遠くない。その気になればいつでも来れるだろう)

拝殿前の狛犬は、とても優しそう&長老のような雰囲気だ。この日の前日に見た織姫神社の狛犬とは大違い。(狛犬って面白い)


本殿の手前左側には、弘法大師を祀る大師堂もある。


平和の塔は、少し離れた所で小山の上にある。小川に架かる赤い太鼓橋、緑の樹木、枝葉の影になって一部しか見えない多宝塔・・・異空間だった。


小川の先にある池のほとりには、軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)を祀った小さな滝。
夫婦の木(めおとのき)は、ケヤキとエノキが寄り添う縁結びのご神木。

   


妻沼聖天山の境内というか敷地はかなり広い、案内図を見ると一般道?私道?を歩いた先に本坊本堂がある。車を止めたのはその中間なので行ってみる。
この道路は、とても静かだった。幼稚園もあるので平日の方が人通りがあるかも。

   

本坊は、斎藤別当実盛の次男、実長(出家して良応僧都)により、聖天堂の別当坊寺院として開創したという。山門、本堂は落ち着いた佇まいだった。

山門の前の石柱?に狛犬が載っていた。大きさは・・・全長30cmほどと小さい。阿像は欠けていた。修復を期待。

 

さて、いつか再訪した時にと思っていた聖天堂(本殿)の奥殿などはやはり気になる。Webで調べていた時に、「360度パノラマ」映像というのがあった。聖天堂の保存修理工場をされている株式会社小西美術工藝社のWebサイト

取りあえず、という感じで見てみたら・・・スゴイ!豪壮華麗、精巧な細工に極彩色。また、室内の壁や天井の金を基調にした細工も目を見張る。
それにしても、最近のWebはここまでできるんだな~ひと昔に比べるとこれもスゴイことだな。

 ≪追記 5月21日≫
今日の「カンブリア宮殿」は小西美術工藝社の社長がゲストだった。日光東照宮の修復の様子と少しだけ「妻沼聖天山 歓喜院」の修復前後も紹介され、訪れた後だけに興味深かった。英国人社長も好感がもてた。

 

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実家から山菜が!

2015-05-12 | 家族・帰省・イベント

地元(新潟の田舎)で、採れたての山菜を手間をかけて料理してもらい、それを肴に地元の日本酒を飲む。大人の贅沢だな。でも、今年のGWは帰省しなかったので、山の幸を味わえない。とても残念に思っていた。

しか~し、日曜日、実家から山菜が届いた!大感謝。
夜、妻が料理をしている時に、あっ記念に記録しておこうと思い、一部を取り出してパシャっと。山ウド、根曲がり竹(チシマザサ)、木の芽(アケビの芽)、コゴミ(クサソテツ)、葉ワサビ。照明の下で撮ったので色はイマイチだな。


その後、取り急ぎ私の晩酌用に皿盛り。これもついでに記録。(妻には「止めて」といわれるかも。)


そして、いただく・・・日本酒がなかったので焼酎のお湯割りで。

地元でいただくのと環境は違うし、長年山菜料理に慣れている方との調理とも違うけど、野趣あふれた味わいは、この時季だけのもの。ん~美味い。

 

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神田祭 前夜とネットTV

2015-05-10 | 日常のできごと

金曜日(5月8日)の午後6時半過ぎ、千代田区神田の一角でお神輿を担いだ方達が練り歩いていた。神田祭は9日・10日ではなかったかな~と思いながらしばらく見ていた。

んッ!神輿が光っている?照らされている。どうやら神輿の鳥居の下部に照明が据付けられているようだ。こういうのもあるんだね。(こういうのもよくあるのかな?)


午後8時頃、秋葉原駅前の広場。何やら立て札。奥の方にテント。

神輿とその両脇に何かが鎮座されている。階段付近から見たら獅子頭だった。
(獅子頭も担ぐようだ。女神輿とのこと)

神田祭を見に行ったことはないけど、前夜の静けさを感じるのであった。

今年の神田祭は、ご遷座四百年奉祝大祭のようだ。↓駅に貼られていたポスター。

 

今日、カチャってみたら神田祭の特設サイトがあった。日程を見ると、5月8日は「神田明神の氏子町会神輿神霊入れ」が行われたようだ。108町会の大小200基もの神輿に、明神さまの御神霊を遷す神事とのこと。

んで、何と祭りの様子(神輿の宮入)をインターネットTVで生放送している。境内は凄い人口密度。実況では神輿が入るたびにその町会の歴史や概要を紹介してくれる。

ネットTVをそのままに、日記(ブログ)を書き始める。
しばらくすると「12年振りのフナトギョ」のアナウンス。何?見ると神輿を載せた船が神田川を上がってくる。船渡御は神体や神霊を船に乗せて川や海を渡すことのようだ。
万世橋の下で停泊した。橋の上からクレーンで吊りあげるという。12年振りということなのでしばらく見ていたが、途中CMが入りガッカリ。船渡御はけっこう費用もかかりそうだ(だから12年振りなのかも)。この町会は頑張ったね。

またしばらくすると、前夜に見た神輿が入ってきた。他の町会の神輿に比べると少し大きいようだ。(鳥居下の照明は点けられていなかった)
たまたまだけど、前夜に見た神輿をTVライブでも見て親近感を覚えるのであった。

<特設サイト・生放送の画> 前夜見た町会ではないけど、参考に記録しておく。


 

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足利市:織姫神社

2015-05-08 | お出かけ

フラワーパーク~昼食~足利学校~鑁阿寺の後は車移動(といっても1.5kmほど)で織姫神社駐車場。満車だったがしばらくすると空いた。ラッキー。(5月2日の続きで最後)

事前に足利市観光協会のWebを見たら、バナーに織姫神社の名前や画が使われている。「日本夜景遺産」に認定されており、「恋人の聖地」にも認定されている。さらに、「観光モデルコース」の画に採用されている。これは・・・行かねばならない、と思ったわけだ。

駐車場前の信号を渡るとすぐに「一の鳥居」。そして、階段。「境内まで229段」の表記に妻の表情が・・・。確かに、ここに来るまでに朝から相当歩いている。
左側に「女坂」という緩やかな山道もあるようだが、とりあえず二人で目の前の階段に挑むことにした。


階段中ほどにある「二の鳥居」を越えて振り向く。


太ももとかお尻の筋肉とかが辛い・・・。ゆっくり登る。そして境内に着いたー!
振り向くと関東平野。

左の方は足利市街地。


社務所や神楽殿は境内の西側(正面向かって左)にあるが、本殿はさらに階段の上。
朱塗りの本殿は、派手に感じる方もいるかもしれないが、バックの木々の緑に映えていると思う。


織姫神社は、産業振興と縁結びの神様として知られているようだ。
・1705年、機織(はたおり)で永い歴史のある足利に機織の神社をまつることになった
・明治13年に火災焼失し、しばらく仮宮だったが、昭和12年5月に現在の織姫山に完成、遷宮した
・ご祭神は、機織を司る「天御鉾命」と織女である「天八千々姫命」の二柱の神様

・織物は、経糸(たていと)と緯糸(よこいと)が織りあって織物(生地)となることから、男女2人の神様をご祭神とする縁結びの神社といわれるようになった。
また、織物をつくる織機(しょっき)や機械は、鉄でできているものも多いことから全産業の神様といわれ7つのご縁を結ぶ産業振興と縁結びの神社といわれている。

一見では分からないと思うが、なんと社殿は鉄筋コンクリートで作られている。これは過去の火災から火に強く耐久性が高いものとして、当時としては最新技術のRC造が採用された。また、火災対策として階段の手すりは消火栓になっている。考えたものである。


7つの縁というのは、「7つのご神徳」で

1.よき人と縁結び     2.よき健康と縁結び   3.よき智恵と縁結び   4.よき人生と縁結び
5.よき学業と縁結び   6.よき仕事と縁結び   7.よき経営と縁結び   のこと。

229段ある石段を登り参拝すると願いが叶うそうだ。良かった~頑張って登った甲斐があった~。
たくさんの良縁を期待しよう・・・かな。

一段高い本殿前からの遠望。大きな灯篭の横に3本の吹流しが掲げられている。吹流しには7色使われていて、それぞれ7つのご神徳をあらわしているという。


織姫神社には2対の狛犬がある。二の鳥居の手前と、階段を登りきった境内にもあった。境内の狛犬は勇猛・筋肉質でカッコイイ。

 
 ≪足利市散歩≫
あしかがフラワーパーク
足利市:足利學校
足利市:鑁阿寺(ばんなじ)
足利市:織姫神社

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足利市:鑁阿寺(ばんなじ)

2015-05-07 | お出かけ

足利学校を出て右に行くと、すぐに鑁阿寺の参道となる。(5月2日、前回の続き)

鑁阿寺は、周囲に土塁と堀をめぐらし、寺域はほぼ正方形で約40,000平方メートル。
南側の堀にかかる屋根付きの太鼓橋を渡るとすぐに楼門(山門)。山号は金剛山。

楼門から真っすぐいくと大御堂(本堂)がある。足利氏の氏寺で、本尊は大日如来。
翌日5月3日~5日が鑁阿寺春祭り(大日如来の春の大祭)があるようで、テントなどはその準備のためか。(仕方ないけどジャマ)

鑁阿寺はもともとは足利氏の館であり、1196年に足利氏2代目の足利義兼(よしかね)が自宅である居館に大日如来を奉納した持仏堂、堀内御堂を建立。その後、3代目義氏(よしうじ)が堂塔伽藍を建立し、足利一門の氏寺とした。

現在の大御堂(本堂)は室町幕府初代将軍足利尊氏の父・貞氏(さだうじ)が1299年に再建したもので、禅宗様建築をいち早く取り入れた。平成25年国宝指定。
足利氏館=鎌倉時代の武家屋敷=平城として「日本100名城」にも選ばれている。

大御堂の右側手前には鐘楼がある。大御堂に次いで創建され、鎌倉時代の禅宗様式の代表的なもの。


左側手前に多宝塔。下は方形、上は円形。主に真言宗系の寺院で見られるようだ。


左奥に朱塗りの経堂がある。


周囲の堀と土塁(東側)。平城の面影。


そして、境内には大イチョウがそびえていた。(県指定天然記念物)
案内板によると樹齢約550年、目通り周囲9m、樹高約30m。


見事な巨樹だ。枝も伸びていて黄葉の時季はさぞ見事でしょう。 

 
 ≪足利市散歩≫
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足利市:足利學校

2015-05-06 | お出かけ

5月2日、あしかがフラワーパーク(別ブログで更新中)に行った後は、足利駅からほど近い臨時駐車場に車を止めて、佐野ラーメンを食べ、足利学校の門をくぐった。
足利学校は教科書に載っていたし、日本最古の学校ということくらいは知っているが・・・。ざっと調べてみると、

足利学校の創建については、奈良時代、平安時代、鎌倉時代で各諸説あるが、歴史が明らかになるのは、室町時代に関東管領・上杉憲実(のりざね)が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、庠主(しょうしゅ=校長)制度を設けるなどして学校を再興してからのようだ。

足利学校は、学徒三千といわれるほどに隆盛し、天文18年(1549)にはフランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介されたという。

しかし、江戸後期(?)になると易学や兵学などの実践的な学問は好まれず衰退。江戸末期には「坂東の大学」の役割を終え、明治5年に廃校となった。
廃校後は、方丈などがあった東側は小学校に転用され、建物の多くは撤去された。
その後、敷地内に足利学校遺蹟図書館が設立し、敷地や建物は国の史跡に指定され、小学校の移転を契機に保存整備事業が始められ、平成2年に建物や庭園が復元された。(江戸時代中期の栄えた時分の様子)

最初に受付で参観料を支払う。入場券は「入学証」だった。


学校門:1668年の創建。足利学校のシンボル


旧遺跡図書館:学校門をくぐって左にある。現在の建物は大正4年(1915)に建てられたもの。和風の屋根に洋風の外壁・内装など和洋折衷


杏壇門(きょうだんもん)・孔子廟:学校門から真っすぐ。1668年徳川家綱の時に造営

 方丈からの孔子廟。廟は壁で囲まれている


方丈(ほうじょう):所謂校舎だが行事などにも使われた。右側に庫裏がある


庫裏(くり):所謂台所、なのに大きく立派


○案内板:書かれただけではなく、浮かし彫りになっていた


●国宝の書籍:上杉憲実やその子、孫が寄進したものなどあり


宥座の器(ゆうざのき):宥座とは、常に身近に置いて戒めとするという意味。壺状の器に水が入っておらず空の時は傾き、ちょうど良いときはまっすぐに立ち、水をいっぱいに入れるとひっくり返ってこぼれてしまう。腹八分目の状態が理想=孔子の説いた「中庸」の教え。

 

ところで、上杉憲実の像(模刻)があったが、実像の実物は新潟県魚沼市にある「雲洞庵」にあるとのこと。雲洞庵と足利学校の説明書があった。

新潟県出身としては、ちょっと嬉しい紹介だ。
2009年に雲洞庵に行ったことがあるので、その時の日記を見てみると開山堂に祀ってあるようだ。画は・・・無い。

  
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足利市:織姫神社

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