日記の更新が空いたまま4月の終わりになってしまった。自宅のPCに向かう時間が作れなかったのだが、それが続くとPCに向かう意気込みが必要となるので、なかなか進められなかった。
さて、ここにきて、やっと記せるようになった個人的なこと(の備忘録)。
社会人として・会社人として最後の方になってきたお年頃。希望的な予測もあった。しかし、昨年の秋に受動的且つ能動的に会社を辞めた。
リタイアしようと思ってはいないので、その後、求職活動をするにあたり、いろいろ考えて家から近めのところで仕事ができればと希望して探していたがなかなか難しく、再び東京まで求職範囲を広げようとしたところ、タイミング良く知人から仕事の紹介を頂いた。
そして、4月1日付け(4月3日から出社)で新たな会社にお世話になっている。
アナログ的な職場環境から、システム的(という用語で適当かどうか?)な環境になって、入社初日のオリエンテーションから戸惑うこと多し。同日中途入社の他の方は20~30代なので、私が突出して平均年齢を上げている・・・。
まぁ、年齢のことはさておき、仕事の進め方(ルールやシステム利用など)について不慣れなことばかりなので、まだまだこれからだ。
〔転職について(一旦仕事を辞めたことについて)は、ご近所さんに話していないので、この日記を見て知る方もおられるでしょうが、温かく見守って頂けると幸いだ。〕
入社して早々、外せない催しがあった2日後の木曜日、急にのどが痛くなってきた。翌日の夜には寒気がし、次の日(土曜日)の朝は熱があったので発熱外来の診察に行くことにした。
コロナとインフルの検査をしたところ、コロナは陽性・インフルは陰性であった。ひょっとしたら、と思わないこともなかったが、実際に陽性者判定されると、しばし呆然とするものだった。
薬の出る間に家族LINEで連絡。帰宅してからは、早速、自宅療養=寝室軟禁状態に入った。
現状の制度では、新型コロナ陽性と診断されたら、自身でWebから「陽性者登録」をし、健康状況は感染者情報自己登録システム「MY HER-SYS(マイハーシス)」で報告をすることになっている(協力要請)。
登録した日曜日から熱は36度代に下がり、以降も同様。のどの痛みは続いていたが、それも月曜の夜に和らいだ。MY HER-SYSで報告はしていたが、返信などはなかった。(何でも、38度以上の熱で報告すると電話がかかってくるらしい)
症状が軽い場合、発症日の7日後までが療養期間で8日目に外出可能となる。私は幸いに軽症のまま過ぎたので(発症日は木曜日とされ)翌週の金曜日に復帰すべく出社した。今のところ後遺症もない。
エラかった(と個人的に思っている)のは、自宅療養期間中を禁酒したこと。4日間は禁煙もした。ということかな。
濃厚接触者となった妻も、出かけることはできなくなり迷惑をかけた。すまないね。
私の実家(新潟県)でも大きな変化があった。
指定難病患者の兄は、大学病院で治療入院すべくベットの空き待ち状態だったが、私が帰省してから間もなく、3月下旬から入院できることになった。
特養の空き待ちだった要介護の母親は、グループホームのショートステイで週5日宿泊できるようになった。
決して万全ではないけど、現時点で可能な最善の対応ができたのではないかと思う。今週のGW後半に様子を見て(&掃除・片付けなどをして)こようと考えている。