2月17日(前回のつづき)、ホテルの駐車場を出発し、旅程最後の水沢観音と水沢うどん街道に向かう。車ではさほど遠くない(石段下のバス停あたりから水沢観音まで約4kmで10分ほどか)。この辺りに行くのはニ十数年振りになる。
水沢観音の駐車場に入る。かなり広く400台はとめられそう。この日は空いていたので、お寺に近い場所にとめることができた。そこから歩いて行くと、直接境内に入るので、一旦坂を下り、正面の山門から入ることにする。
◆五徳山 水澤観世音(水澤寺)
水沢寺は、古来より「水沢観音」の名で親しまれる 天台宗の古刹で、坂東三十三ヶ所の十六番札所となっている。現在の本尊は、木造の千手観音菩薩像で平安時代末期に造られたもの。
寺伝では(およそ1,300年前)高句麗僧の恵灌(えかん)が推古朝に開山したと伝えられているが、詳細は不明。(渋川市のWebサイトより)
山門(仁王門)を見上げる。左側の石柱には「水澤観世音」、右側には「阪東拾六番」とある。
仁王門(市重要文化財)は、天明7年(1787)に完成したとされる。近世建築特有の華麗さを遺憾なく発揮し、上下の均整のとれた楼門として、最高の位置を占める名建築である。(現地の案内より)
門の左右には、仁王尊(金剛力士像)と風神・雷神の像が祀られている。画では上が右側、下が左側。
門の先は、再度石段を上がって本堂となる。当地は水沢山の東麓にあり、段上の斜面になっている。
本堂;観音堂(市重要文化財)は、天明7年(1787)の再建で、近世建築特有の華麗さと中世建築様式の面影を残した五間堂。
六角堂;六角二重塔(県重要文化財)は、天明7年(1787)の建立で、地蔵尊信仰の代表的建築物。一辺は下層が2.7m、上層が1.3m。
地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間界、天人界の六道を守る地蔵尊を祀り、六道輪廻の相を表している。 回転する地蔵尊を左に3回廻して、真心の供養を望む・・・。
赤い鳥居から急な石段が上に伸びていた。左足が痛いので登ることはしなかったが、額には飯縄大権現とある。寺のWebサイトによると、「古くから当山をお守りいただいている鎮守」とのこと。
駐車場側にある鐘楼から境内を見ると、奥に本堂が見え、手前の六角堂は、山の斜面で隠れている。飯縄大権現の鳥居は本堂の先に位置する。
13:00頃、駐車場に戻る。ホテルでの朝食と石段街でのケーキセットで、お腹はそれほど空いてないけど、きまりが悪いし、何より水沢うどんを食さねばならない。
秋田の稲庭、香川の讃岐と並び、日本三大うどんのひとつに挙げられる水沢うどん。
飛鳥時代に水沢寺の創建に尽力した高麗からの渡来僧がうどんの製法を伝授したと伝わり、天正4年(1576年)頃に湯治客や参拝者に地元産の小麦と水沢の湧水で打ったうどんを供するようになったのが、始まりとされる。(観光協会のWebサイトより)
水沢観音から県道15号を南に下る約1.5kmの間は「水沢うどん街道」と呼ばれ、十数件の水沢うどん店が軒を連ねる。それぞれの店構えは大きく、駐車場も広い。
「本舗 丹次亭」に入る。テーブル席や小上がりの他、奥には大広間もあった。
ざるうどん(中)とかけうどん(小)、天ぷらを注文する。コシの強さとツルツルとした喉越しが良い。あらかじめ麺にのっているシイタケもイケる(普段は、シイタケを遠慮する私)総じて美味かった。
なお、広めのテーブル席は、一席おきに未使用としており、昨今の都市部の感染症対策よりも徹底している感じだった。娘家族用のお土産と一緒に清算し、店を出る。
ここからは帰路につく。ナビをセットすると、県道をそのまま南に向かうようだ。アレっと、渋川伊香保IC方面ではない?行き先をたどると、関越道にのるのは駒寄スマートICだった。そうか、今はこのルートになるんだな~と。こんな発見も少し嬉しい。帰りも渋滞無く、16:00前には無事帰宅した。
妻に言わせると、「今回の旅は前回(塩原温泉・渓谷旅)に比べると、いろんなところに寄れた」と言う。いやいや、前回の方が多数の滝や橋を見たから、立ち寄った先の数で言えば前の方が多いはずだけど・・・。どうやら、妻の認識としては吊橋や滝はまとめて一つという認識のようだ。それはあまりにも・・・。