シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

日帰りで仙台市 ~ 寄り道観光

2019-09-29 | お出かけ

急遽、仙台に行くことになった9月20日(金)のこと。
もちろん仕事なのだが、一人なので待ち時間など少しの時間を利用し、寄り道ミニ観光をしてきた。(とはいえ、あまり大きな声では言い難いけど)

仙台というと、“広瀬川・杜の都”というイメージがあった。さとう宗幸さんの『青葉城恋唄』のおかげ(?)だ。(調べてみると、もう40年前だった)当時、歌を聴きながら、広瀬川を見てみたい、杜の都ってどんなところなのだろう、などと思いを馳せた(ように覚えている)。

昨年の12月から4度仙台方面に行ったが、乗り換え的な利用や駅前(ホテル)利用なので、一度の早朝東口散歩以外、街に出ていない。
清流や渓流など“川好き”を自称する私としては、何とかして広瀬川を見てみようと思ったわけだが、訪問先のアクセスは、地下鉄も利用可。ラッキー。

地下鉄「大町西公園駅」から坂道を下ると『大橋』。


対岸は丘陵、橋の下は ♪広瀬川~流れる岸辺 想い出は帰らず 早瀬踊る光に・・・
『広瀬川』の上流側と下流側の様子。水辺まで行きたかったが・・・・。

 


対岸の丘の上には青葉城跡があるようだが、そこまで行く時間はない。

目視ではまったく分からなかったけど、トリミングしたら伊達ちゃんがいた。

 

官庁街に近い『定禅寺通』という広い道路に驚いた。


中央分離帯が公園のようになっており、各道路の両側にケヤキの並木がある(並木が4列)。


木漏れ日のある散歩道はイイ感じだ。新緑のころもさぞかし・・・。


調べてみたら、埼玉県と一緒で宮城県もケヤキを「県の木」にしていた。

1945(昭和20)年7月の仙台空襲で、定禅寺通も含めた仙台市街は跡形も無くなった。翌年からの戦災復興計画のもと、定禅寺通は46mに拡幅され、1958(昭和33)年から数次にわたり、ケヤキの若木が植えられた。
現在、約700mの緑道が整備され、166本の大きなケヤキが並び、戦前とはまた違った形で新しい「杜の都・仙台」のシンボルロードになっている。

勾当台公園には、同市の出身であり、実質上の初代横綱『谷風(2代目)』の銅像があった。力量・人格の面において、後の横綱の模範とされた大横綱。なのに、隣にフォークリフトが置かれていたことに残念。(週末にイベントがあるようで、テントなどが多数設営されていた。そのためだろう)

 

仙台駅西口からデッキで行ける『AER(アエル)』という高層ビルは、最上階の31階に無料の展望テラスがある。と知ったので、行くしかない。
テラスは一応屋外だが、安全上の配慮だろう、アクリル板がFIX窓のようになっている。
西側方面。中央やや左の三角山は太白山。その手前が大橋からも見た青葉城跡。


東側方面。かなたは海。


この日、3連休の前日ということで、新幹線の早い「はやぶさ」はず~っと満席。しかたなく少し待って「やまびこ」で帰った。

 

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出張:石巻市・仙台市と名古屋市

2019-09-25 | 仕事・会社関係

9月の第2週は、週の初めと終わりで出張があった。
まずは石巻・仙台への一泊出張。この時は、台風15号の影響でJRは朝から運休になってしまった。8時頃には再開するようなニュースもあったが、さらに遅れそうという。

通常勤務ならJRが動き出すまで待つのだが、東北新幹線は動いている(何で新幹線だけ動かすんだ!と)。いつもより家を出る時間は遅いものの、大ピンチ。
風雨が弱まってから、バスで大宮駅まで行くことにした。最寄り駅でのバス待ちに約1時間、バスは道路の混雑で通常の1.5倍ほどの時間(約1時間半)。指定席の変更のため、みどりの窓口行列にも数十分。やっと座れたのは新幹線に乗った時。

仙台での午前の用には間に合わず・・・。仙台駅からは同行者の運転で、次の用向き先の石巻市へ。石巻に入ると、その頃が雨のピークでどしゃ降り。踏んだり蹴ったりだった。

仙台に戻ると雨は終わっていた。ホテルでチェックインした後、取引先の方たちと計4人で懇親会。ホッとし、上手いお酒と料理を頂いた。この店には「焼酎のだし割り」というメニューがあった。カツオの一番だしと石巻の伊達の旨塩を使用している。これも旨かった。


週の後半は、名古屋市への一泊出張。この時も懇親会があった。計8人、有意義で楽しく旨かった。
ホテルは懇親会場と名古屋駅に近いところで、夕方と朝に駅に並ぶビルを記録。(5月に日帰りで名古屋に来たけど、用向きの先は駅構内からデッキで行ける高層ビル内にあり、名古屋の街に出てなかった。)

   


三十数年前に転勤で1年半ほど名古屋にいたことがある。どこも主要駅は同じだろうけど、高層化開発によって大きく変わった。今のビル群を眺めても、昔はどうだったかと全く想い出せない。

記憶が抜け落ちているな~と情けなくなりもしたが、よく考えると、当時は住まいも勤め先も名古屋駅から離れたところで、上京や帰省する際に名古屋駅を利用する時は地下鉄だった。駅ビルを見ることは、ほぼ無かったと思う。(だから、想い出せなくても問題無いな)

 

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カナヘビ(ニホンカナヘビ)の尻尾

2019-09-23 | 自然・環境とか

名前に“ヘビ”と付くけど、カナヘビは日本固有種のトカゲの仲間。体色はほぼ褐色で粗い鱗で覆われ、目元から尻尾にかけてラインがある。逃げる時は素早いが、比較的近くに寄れる。
シュッとした顔つきにつぶらな瞳、鱗の感じやフォルムが恐竜っぽくて好まれる。

お盆に義母宅へ行く途中の埼玉県「花と緑の振興センター」に立ち寄った時(8月13日)と、「北本自然観察公園」に行った時(8月25日)にもカナヘビを見た。
春から秋までよく見かけるのに、何故改めてとりあげているかというと、「尾が長~いな~」というのがよく分かる様子が撮れたから。

ラインがハッキリしてきて成体に近いと思われる(孵化後、ほぼ1年で成体となるらしい)。


カナヘビは、体長20センチ前後になり、そのうちの3分の2ほどを尻尾が占める
たまたま身体が尻尾までまっすぐだったので、尻尾の長さがよく分かる。こういう姿を見るのは珍しい。


そもそも「よく見かける」のは(警戒心の弱い)幼体が多いし、成体で一部が隠れることなく長い尻尾まで含めて全身が撮れることは珍しい。

カナヘビやニホントカゲは、「トカゲの尻尾切り」という言葉があるように、「尻尾の自切」をする。襲われた時や何らかの危機にあった時に、自ら尻尾を切り離して相手に差し出し、あるいは興味を引かせ、その間に本体は逃げるという荒業だ。

とはいえ、ダメージはあるので、一般的に自切は一度きり。再生までには8か月もの期間がかかる。自切前ほど長い尾は生えてこない。さらに、自切した痕のあるカナヘビの割合は実に高いそうである。・・・・・というようなことをWebの解説で見かける。

上のカナヘビの画をアップでよく見ても自切した痕は見られない。やはり、成体で尻尾の長いカナヘビの全身を見かけることは珍しいのではないか。

こちらは、まだ幼体のようだ。尻尾はそれほど長くない。

 

★追記:2021年7月20日「カナヘビ(ニホンカナヘビ)の尻尾.2」で再生途中の尻尾を掲載。

 

 

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アメンボの影、アカミミガメの甲羅

2019-09-20 | 自然・環境とか

北本自然観察公園へ8月25日(日)に行ったときの生き物記録。

★アメンボの足は大きい!?
湿地の浅い池~小川の上に木道が渡されている所があり、木道のうえから木漏れ日がさす水面を見下ろせる。ここで、稀に水面を動くアメンボを見ることがある。

アメンボが浮いていられるのは、足先に細かい毛が密集しており、毛と毛の間に入り込んだ空気によって水は足の表面まで届かず、さらに油分を分泌しているから(空気の層と油分で水をはじいているから)のようだ。もちろん体重は軽い。

浅いのでアメンボの影が底に見える。この様子が面白く過去に何度かとりあげた。


アメンボの足の影が、実際の形と違って円く、しかもかなり大きい。
何故、このような影になるのか調べてみた。(↓画は、ズームのトリミング)


アメンボの足先が水面を押し下げて凹むことで、太陽光線が凹んだ中心から外側に離れる方向に屈折して広がるように影を作ることになる・・・らしい。
そこで、画像からアメンボの足の辺りをアップで見ようと思ったら、水底にピントがあるので、水面辺りはボケている。今度、機会があったら、アメンボ自身の足に注目しようと思う。


★アカミミガメの甲羅が!?
天気の良い日には、「高尾の池」の倒木の上に、アカミミガミ(幼体の別名:ミドリガメ)が数匹甲羅干しをしている様子を見る。でも、この日は、水面近くにカルガモが陣取っていた。


よく見ると、倒木の一番上のアカミミガメの甲羅が歪んでいる。


改めて調べてみると、「甲羅干しは(日光は)、骨の形成に欠かせないビタミンDを補ってくれて、ビタミンDが不足すると、堅いはずの甲羅が歪んでしまったり脆くなってしまう」アカミミガメにとって甲羅干しは欠かせない日課なわけだ。
ただ、残念ながら甲羅は一度変形すると元に戻らないらしい・・・・・。

 

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ノシメトンボ、シオカラ・オオシオカラ

2019-09-18 | 自然・環境とか

北本自然観察公園へ8月25日(日)に行ったときの生き物記録。

★翅の先が茶色のトンボがいた
名前の知れたトンボのことならまだしも、そうでないとほとんど分からない。
翅の先が茶色い特徴で検索してみると、該当するトンボはリスアカネ、ノシメトンボ、コノシメトンボ、マユタテアカネ(雌)が主だったところのようだ。どれも初めて聞く名前だ。


その中で、全体に褐色であまり赤くない。腹部の背中側が各節ごとに赤くなっている。胸の横の黒いすじは二本が平行(黄斑が分離している)。といったノシメトンボの特徴に合うようだ。


ノシメトンボ(熨斗目蜻蛉)は アキアカネと並んでよく見られるアカネ属の普通種で、アカトンボの仲間では一番大きい。成熟してもさほど赤くならない。


所謂「アカトンボ」はトンボ科アカネ属(アカネ亜科)のトンボの総称で、よく見かけるのはアキアカネ(前回、新潟で見たのをとりあげた)。真っ赤なショウジョウトンボは、5年前に桶川市の城山公園で見た。そのアカトンボの仲間だということに、ちょっと驚く(アカトンボの仲間は、日本で20種類ほどいるらしい。ということにも、まずは驚いたけど。)

和名は成虫の腹部の黒い部分が、斑紋が熨斗目(のしめ)模様に似ていることに由来するらしい。 熨斗目模様は、小袖の模様配置のひとつで、袖の下と帯のあたりに横に模様を入れたもの・・・。ノシメトンボの命名はいつの時代なのだろう。


★トンボのメガネは水色メガネ
シオカラトンボの雄が木道で一休みしていた。これこそよく見かけるトンボだ。


その後、また見かけたので一応撮っておいた。しかし、後で画をみたところ、ちょっとボケている・・・じゃなくて、何か違う。複眼の色だ。唄のように複眼が水色っぽくない。


こちらはオオシオカラトンボだった。オオシオカラは、腰から尾の先までを太くしたようなトンボだが、横から見ていたので分からなかった。羽根の根元が黒ずんでいるのも特徴らしい。とはいえ、今まで見たオオシオカラよりも腹部の色がシオカラっぽい。けっこう個体差があるのだろう。

 

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実家散歩:モンキチョウ、アキアカネ等

2019-09-15 | 家族・帰省・イベント

夏季休暇中での帰省等のこと」から、8月15日(木)の朝散歩について。
道の駅の吊り橋を渡って、グルっと遊歩道を一周してきた。8:15~9:30頃。

小川沿いの花に翅が黄色のチョウがとまっていた。名前は分からないけど、○○キチョウというのだろうと思った。


すると、白いチョウもとんできた。これはモンシロチョウか?でもそれほど白くない。運よく並んでいるところが撮れた。


まず黄色いチョウを調べてみた。翅の黄色いチョウには、キタキチョウやモンキチョウ、ツマグロキチョウなどがいる。特徴を比べて見るとモンキチョウのようだ。

モンキチョウ(紋黄蝶)は、シロチョウ科のチョウの一種。モンシロチョウに似ていて翅が黄色なのが名前の由来。また、雌には白っぽいタイプもいるとのこと。つまり、2匹ともモンキチョウだった。

 

林の中では、赤とんぼを見つけた。「赤とんぼ」は赤いトンボの総称なので、一応調べてみたが、やはり普通に見られるアキアカネのようだ。


 

上り道の途中から、道の駅方面。



吊り橋の上から、私の影。

 

実った稲穂。毎年どこかで気象災害があるので、収穫できるだけでありがたいことだな。


なお、散歩での植物の様子は、別日記『きれぎれの楓彩』でとりあげた。

 

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南魚沼市:八海山尊神社

2019-09-04 | お出かけ

夏季休暇中での帰省等のこと」から、8月15日(木)の『八海山尊神社』について。
前回の『魚沼醸造』に行くことを決めた後、近くの観光スポットを探して、ここに立ち寄ることにした。初めて訪れたけど・・・行って良かった~。

八海山尊(はっかいさんそん)神社
八海山尊神社は火渡り祭をはじめ、夏山登拝、大寒の滝行など山岳信仰を今に伝える数少ない神社です。
県内有数の規模を誇る境内地には大鳥居や県名水の金剛霊泉の水が湧き出る手水舎、そして広場から八十八の大石段に向かって柏手を打つと石段が鳴り響く龍鳴があります。
神社裏手の登山道の入口にある大崎口里宮は、苔むす深閑とした森の中にあり、泰賢行者の霊窟や不動瀧が往時を偲ばせ・・・。(南魚沼市の観光サイトより)

ナビ通りに坂道を上って行くと、広い運動場みたいなところが目の前に拡がった。駐車スペースがどこか分からなかったけど、先客の車の隣に置いた。たぶん祭事もここで行われるのだろうけど、それにしても広い。

石段の正面にいく。石段の上には山懐に抱かれるように厳かにたたずむ神社があった。


石段は「八十八の大石段」という。奉納者の名前が蹴上や桁の部分に刻まれていた。
神社に向かって柏手を打つと、石段が鳴り響く事から、誰からともなく「龍鳴(りゅうめい)」と呼ばれるようになったという。やってみると確かに響く。


足で毬と子を踏む狛犬のことは、以前調べたことがある。右側が阿像で玉取り(毬を踏む=良いことが長く続く)、左側は吽像で子取り(子供を踏む→抱いている=子孫繁栄)。

大鳥居は白御影石で、高さ8.5メートルの威容を誇る。


大鳥居の横に「玄武の奇石」という重さ20トンの巨石があった。八海山中興開山二百年を祝い、形状の奇しきこと玄武の如し、と鳥海山から奉納されたという。


手水舎の水は「金剛霊泉の水」といい、古来、御神水として尊ばれて来た金剛霊泉(八海山二合目半)の清水を分水したもので、修験道の喉の渇きを潤し活力をもたらす命の水だ。ありがたい。昭和60年には新潟県名水に指定されている。


拝殿を見上げる。


お参りした後、向かって右側に歩道(参道)があり奥に行ってみる。途中、振り向いての本殿。

 

しばらくすると、右側に下り道があり、脇には「里宮境内地」の案内。「これより八海山中興の開祖、木食泰賢行者ゆかりの霊場です」とある。
事前にWebサイトで「里宮」があることは知っていたが、果たしてどんな所だろうと思っていた。森の中の参道を下る。これまでとは雰囲気が違うし、道は曲がっているので先が見えない。ちょっとドキドキ。

小川を渡ると、緩い上り道。苔むした境内、2つの石柱、奥には石碑がたくさん見える。


さらに進んだ先に里宮の社殿。里宮とは、頂上の奥宮に対して麓のお宮の呼び名。


案内には「登山口の里宮は深閑とした森の中にあり、各地より集まる修行者が水垢離をとり、護摩祈祷、五穀断ちをし、神意を戴く霊場である」と。物々しい雰囲気に包まれている感じになる。


「泰賢行者の霊窟」は、泰賢行者がこの霊窟に三年間籠もり、八海山大崎口開闢の霊夢を得たゆかりの聖跡。こんな狭い所で・・・、豪雪地なのに・・・。


奥の方には、泰賢行者の碑もあった。


駐車場からの大石段や社殿には立派だな~としみじみ感じ入っていたが、里宮は「凄い」と感じる場所だった。とにかく何度も「スゴイ」と口にしていた・・・。


八海山尊神社から、八海山の山裾をCの字にぐるっと南側にまわった所には、同じ八海山をご神体とする『八海神社』があり、8年前に訪れていた。
 ・八海神社&泉ヴィレッジ
 ・八海神社参道杉並木〔巨樹〕

若い頃は、八海山といえば日本酒とスキー場というイメージだったが、山岳信仰の霊山として古くから崇められてきたことを改めて実感した。

 

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魚沼市:米糀工場『魚沼醸造』

2019-09-01 | お出かけ

夏季休暇中での帰省等のこと」から、8月15日(木)の『魚沼醸造』について。
妻がテレビのCMで見て、行ってみよ~となった。事前にWebを見て工場見学も申し込んだ。

魚沼醸造
老舗味噌メーカーのマルコメ株式会社(本社:長野市)が糀甘酒の需要増に対応するため、世界最大級の米糀工場、魚沼醸造(魚沼醸造株式会社)を本年3月5日に開業した。
工場内では、糀甘酒だけでなく、乾燥米糀や塩糀、しょうゆ糀などの糀製品も作られている。また、米糀や糀甘酒について学べる体験型施設でもある。何故、魚沼の地が選ばれたかというと、甘酒作りに欠かせないきれいな水(越後三山からの伏流水)とおいしい米が揃う土地であったからだという。

ナビを頼りに行くと、たくさんの田が広がる平地の中に工業団地らしい区画があり、そこに魚沼醸造があった。
見るからに新しい。駐車場は、消雪パイプが設けられ、暑さを癒すためか水が出ていた。


切妻屋根の大きな工場だ。切妻は、もちろん雪対策の為だろう。1階の角、木色の所が玄関へのアプローチ。2階のガラス部分は、健康と美を発信する「魚沼 糀サロン」という処。


1階玄関を入ると、正面に日付と名前。ここで記念写真を撮っている方もいた。
ここの右側にエレベータ、手前に階段がある。車椅子のレンタルもあった。


2階に上がると「魚沼 糀サロン」。~工場直送の糀甘酒やオリジナルの糀甘酒ソフトクリームなどを楽しめるカフェ、発酵食品をテーマにしたライブラリー、日常の食生活を豊かにするセレクトショップ、糀甘酒を楽しく学べるキッズコーナーなど、幅広い年代の方々が楽しめるコンテンツが揃っている~。

  


糀甘酒は、米糀とご飯(蒸した米)を材料につくる。米糀をご飯に混ぜることで、米のデンプンが糖化し、自然な甘みをもたらす。「飲む点滴」と呼ばれるほど栄養豊富な糀甘酒は、江戸時代には夏の飲み物として親しまれていたらしい。米糀からつくる糀甘酒はアルコール0%で、砂糖を使ってない。

工場見学は撮影禁止だった(何故だろう)。最初にシアターで魚沼のことや地元の民家で作る糀甘酒の作り方、工場の概要などを紹介していた。工場での製造方法は、地元での作り方と同じ製造工程で造っているという。
その後、見学。保管・選別~浸水タンク・蒸米機~業界最大クラスの円盤型製麹装置~ストック室。この後の製品になる工程は見られない。

最後に「雪室」を見学した。積もった雪が締まる3月に雪を入れたかったが、小雪の予想から2月に入れたという。でも8月に充分残っていてスタッフは安堵したという。この雪室はサロンの冷房にも役立っているそうだ。


ところで、私は見た目どぶろくに似た混濁した甘酒は好きではない。でも、ここの麹甘酒はすっきりとして、飲みやすかった。
そういえば、魚沼市の八海醸造の施設「魚沼の里」で飲んだ甘酒も飲みやすかった。これで、六日町の近くは甘酒のはしご酒ができることになったな。

工場を出発し、離れたところから工場を見る。


右側が魚沼醸造。背景は「越後三山」で、右が「八海山」、左は「駒ヶ岳」、間の奥の方に「中ノ岳」があるが、この位置からは山の影になって見えない。

 

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