因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

アル☆カンパニー第6回公演『罪』

2010-03-20 | 舞台

*蓬莱竜太作・演出 公式サイトはこちら 新宿・SPACE雑遊 24日まで そのあと川崎市アートセンターのアルテリオ小劇場でも26日~28日まで公演あり
 俳優の平田満、井上加奈子夫妻が主宰するアル☆カンパニーの過去の公演については(1,2,3)、蓬莱竜太の作品については(1,2)。どちらも相性、手ごたえがいまひとつなのは歴然・・・。

 劇場入って奥側に円形の台が置かれ、ここが演技スペースと思われる。客席はその台をゆるい「く」の形に囲む作り。ゴールデンウィークの温泉旅館の一室、夕食やお風呂を済ませた4人家族が部屋に戻ってくる。仕事を急ぐ仲居さんが早々と布団を敷いてしまっているが、まだ宵の口で手持無沙汰になっているという設定か。小道具はほとんどなく、テレビやビールも木製のそれらしき形のものが使われており、布団も敷かれていない。天井も低く、小さな劇場で極力「モノ」を抑えた抽象的な舞台。4人家族の会話や表情に劇世界のすべてが凝縮され、観客もまた逃げ場はなく、集中を余儀なくされる。

 もうじき定年を迎える父(平田満)の慰安旅行らしい。母(井上加奈子)は座り込んでジグソーパズルをしているし、娘(占部房子)は仕事のメール中。父は旅行を楽しくしたいがその気合いは空回りしている。日頃ばらばらに過ごしている家族がたまに旅行に来たからといって一気に楽しい家族だんらんが始まるでもなく、つまらないわけではないが、特に楽しくもなさそうな雰囲気がただよう。家族にはもうひとり息子がいて、彼が皆にとって相当な心配の種であることが3人の台詞からどんどん示されていき、知的障害のある息子(黒田大輔/SHAMPOO HAT)が登場する。それまで緩かった舞台の空気が一変し、この家族の背負った重荷がただごとではないことが示される。

 息子の障害は生まれつきではなく、子ども時代のあることがきっかけになったのだが、その事件について残る家族3人がそれぞれに自分の罪(負い目)と、そのほかの相手に対する恨みを背負っていて、「わたしが悪いの?」と自分を責めながら、「あれはあなたのせいよ」と相手をなじる。互いの意識のベクトルがさまざまに絡み合い、暗い記憶を呼び覚ます様相は痛々しく悲しい。抽象的な作りの舞台、客席がすぐそこにある圧力に負けず、それらを逆に活かせる力が俳優になければできないことだ。本作は昨年未完成の段階で公開読み合わせとして無料のリーディング公演を行い、その手ごたえをもって本公演がかなったとのこと。カーテンコールで平田満の挨拶を聞いていると、特別なことはおっしゃらないけれども、若い劇作家の作品と演出に謙虚に、果敢に取り組む平田満、井上加奈子両氏のお人柄が感じられて頭が下がる思いがする。劇作家、俳優の出会いの幸福感がこちらにも伝わってくるようだ。

 しかし、どうにも物足りない印象が残った。
 家族は幸せでなければならない。息子に知的障害があり、それが家族に責任があるという負い目があればなおさら、不幸を乗り越え、家族は明るくたくましく生きてきた。わたしたちは絶対幸せなのだ。そう思いたいが互いの心の傷や思いのすれ違いや意識の溝の深さが露呈するばかり。もっとも強い絆があるはずの家族が意外に脆いことや、それでも生きていかなければならない現実いう設定と描写には既視感があるし、家族が肩をよせあってジグソーパズルをする終幕には、きつい言い方になるが、ややありきたりにまとめた印象を受けた。青木豪とも土屋理敬とも異なる蓬莱竜太の世界があるのではないか。これだけの座組みで密度の濃い劇空間だ。前述の通り4人家族の攻防には見ごたえがあったが、1時間15分の短い上演時間にも関わらず、冗長にすら感じられたのはなぜだろう。消せない過去があり、生きていかなければならない現実がある。そこに留まらず、そこからもっと広がり、深まっていく様相をみたいのである。

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