因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団印象『匂衣』(におい)

2010-04-22 | 舞台

*鈴木アツト作・演出(1,2,3,4 5,6,7) 公式サイトはこちら 下北沢シアター711 25日まで
 4月後半というのに凍えるような雨風である。下北沢駅前の喧騒はいつものことだが、シアター711周辺は不思議な静けさに包まれていた。開演前の客席も、ありがちなざわめきや賑々しさがなく、静まっている。鈴木アツトの新作は「日韓国際交流公演」と銘打ってあり、主演のべク・ソヌは韓国からの客演である。さまざまな出会いや交わりがつながって、今回の舞台に結実したことがうかがえる。

 落ち着いた高級感漂う応接間(西宮紀子・舞台美術)にやってきたのは韓国人女優べク・ヨンジュ。日本に来てまだ日が浅いが、彼女の活躍ぶりをみたこの家のあるじ後藤田鈴蘭(高田百合絵)が、べクに仕事を依頼する。犬の演技をしてほしいというのだ。目の見えない娘の彩香(龍田知美)が可愛がっていた犬の「よそべえ」が交通事故で亡くなった。娘を傷つけることを恐れた母親はよそべえの死を告げられない。最初は拒絶するべクだが、前足としっぽをつけ、犬の匂いのスプレーをし、鳴き声を真似たり芸をしたり、次第に犬役にのめり込んでいく。

 相当に無理のある嘘をつき通すために登場人物がもっと無理な嘘をどんどん重ね、予想外のアクシデントやどんでん返しが続いて舞台は大混乱ののち、ハッピーエンド・・・というコメディだろうかと想像した。しかし80分の舞台はこちらの安易な思い込みを静かに裏切り、そして予想をはるかに上回るものであった。

 見えること、見えないこと。聞こえること、聞こえないこと。わかること、わからないこと。日常のさまざまな場面で、人はこれらを意識的に、ときには無意識に繰り返している。目のみえない人と外国人が登場することが単なる設定ではなく、ごく身近なところから次第に深いところへ、みる者の心をいざなう。互いの違いを認め合って、尊重すれば理解しあえると説くのでもなく、相互理解は難しいと結論づけるものでもない。笑える箇所もあったけれども、小ネタや時事ネタをまぶして歌やダンスで盛り上げることもなく、べクと彩香を中心に、母親、彩香の心にさざなみを起こす化粧品のセールスマン(深尾尚男)、心優しいべクの恋人(泉正太郎)の会話が細やかに紡がれていく舞台に心はますます静まり、惹きつけられていく。

 主演のべク・ソヌが素晴らしい。共演者も鈴木アツトがしようとしていることに誠実に向き合って、よい舞台を作ろうとしている姿勢が伝わる。

 終演後も客席は静かであった。劇場を出ると傘をささなくてもだいじょうぶなほどに、雨は微かになっていた。自分はたぶん穏やかな顔つきになっていたと思う。一人の劇作家の作品に続けて足を運ぶと、いつのまにか自分のなかに「この作家さんはこんな感じ」というイメージやパターンが出来てしまうことがある。今回の『匂衣』は、自分が無意識に持っていたいた鈴木アツトのイメージを明らかに作り変えるものであった。今夜の観劇によって、安直な思い込みや賢しらな予想を抱いていたことを自戒するとともに、劇作家の新しい一歩に立ち会えたことを喜びたい。その喜びをじゅうぶんに表現する言葉をまだ持たないことはもどかしく歯がゆいが、そこから何かをつかみとりたいと強く願う。

 

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