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因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

因幡屋通信77号完成

2025-02-20 | お知らせ
 おかげさまで因幡屋通信最新号の77号が完成いたしました。設置先各劇場、スペースへ鋭意送付中です。今回はピンク。皆さまのお目にとまりますように、何とぞよろしくお願いいたします。当ぶろぐでも公開いたします。演目のリンクは、観劇後のblog記事です。ご参考までに。

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暑すぎる夏と短い秋でした
7月から12月までの舞台、映画のトピックをお届けいたします

【夏から秋のトピック】
☆7月☆
*劇団唐ゼミ☆第32回公演
 唐十郎作 中野敦之演出
 『少女仮面』@恵比寿/エコー劇場
 出産、育児中は制作として劇団を支えてきた椎野裕美子が、春日野八千代役で本格的に俳優復帰を果たした。堂々たるみごとな主役ぶりに舞台には喜びが、客席には祝福が溢れる。改めて『少女仮面』は、作り手のさまざまな意図や試み、挑戦をすべて受け止めながら、どこまでやっても正解にたどり着けない沼のごとしと実感した。まさに唐十郎の「紅い沼」。
 実は有志のささやかな勉強会で年明けから本作の朗読を試みたところ、まるで歯が立たず。しかし戯曲の魅力を信じて、試行錯誤を続けてみたい。 
☆8月☆ 
*八月納涼歌舞伎 @歌舞伎座
 第2部 河竹黙阿弥作
「梅雨小袖昔八丈」より「髪結新三」
 中村勘九郎が祖父、父の当たり役の新三を初役でつとめた。気持ちの良い話ではないだけに演じ方は難しいと思われるが、勘九郎は悪党の複雑な色香を自然に見せて、父や祖父との比較に収まらない新境地を予感させる。たとえば拐かした娘が引き取られる様子を無言で見つめるときの風情といったら・・・ということを、同時解説イヤホンガイドに教わった。自力で気づけるようになりたいもの。
 同 第3部
 京極夏彦脚本 今井豊茂演出・補綴「狐花 葉不見冥府路行」
 京極夏彦が小説家デヴュー30周年の年に、初めて歌舞伎公演のために書き下ろした。「憑き物落とし」によって事件を究明する「百鬼夜行」シリーズの主人公・古本屋店主の京極堂こと中禅寺秋彦の曾祖父である中禪寺洲齋(松本幸四郎)が、江戸の作事奉行・上月監物(中村勘九郎)の屋敷で起こった事件の謎に挑む。同名小説が開幕直前に刊行されるなど、話題の多いお披露目となった。
 意外だったのは、監物の部下の的場佐平次を、当代きっての若手美形俳優の市川染五郎が演じたことだ。ずる賢く立ち回りながら、主人への捩じくれた忠誠心を見せるあたり、いつか『オセロー』のイヤーゴー、『リア王』のエドマンド、『三人姉妹』のソリューノイも「あり」ではないだろうか。
☆9月☆
*尾上右近自主公演 第8回「研の會」@浅草公会堂
 このところさまざまな媒体で見る機会の多い歌舞伎俳優・二代目尾上右近(清元栄寿太夫)の自主公演が大阪の国立文楽劇場と東京の浅草公会堂で開催された。前売券完売の大盛況だ。
 ユーモアを交えた上演前の小粋なアナウンスに始まり、「摂州合邦辻 合邦庵室の場」は尾上菊之助の指導を受け、続く舞踊の「連獅子」は、互いに歌舞伎役者を父に持たない尾上眞秀を子獅子に迎えた。カーテンコールの挨拶では歌舞伎への愛情を惜しみなく溢れさせ、それが終わるとすぐに着替えて化粧を落とし、自ら物販コーナーに立って観客を見送る。多くの人を巻き込み、舞台、映像、バラエティ番組すべてに全力投球し、かつ大いに楽しむ右近のすがたは力強く清々しい。  
*第21回 明治大学シェイクスピアプロジェクト(MSP)
 ラボ公演
 ウィリアム・シェイクスピア原作 
 猪上混作 内山就人(経営学部4年)演出 
 井上優(文学部教授)総監修 
 @明治大学猿楽町第2校舎 1階 アートスタジオ
 もしかすると本編以上に楽しみにしているラボ公演は、小さなスペースを活かし、のびのびと自由な発想の舞台作りが魅力だ。不幸ないきさつで罪を犯してしまった女子高生が、筋肉質の肉体を見込まれて男性の覆面プロレスラーとして北陸のプロレス興行で活躍するという筋立てだが、男装した女性が騒動の末、愛を勝ち得るという原作の基本は押さえている。
 本編の前哨戦の位置づけを越えて、若者たちの疾走(ときに暴走)にどこまでついていけるか、観客はいつのまにか頭と心の「筋トレ」をしているのである。
*東京芸術劇場 Presents  
 木ノ下歌舞伎/東京芸術祭 2024 
 芸劇オータムセレクション
 河竹黙阿弥作 木ノ下裕一監修・補綴 
 杉原邦生演出(KUNIО)
『三人吉三 廓初買』@東京芸術劇場 プレイハウス 
 その後まつもと市民芸術館、三重会館、兵庫県立芸術文化センターを巡演
 途中2回の休憩を挟み、5時間20分の長丁場だが心配ご無用。 
さまざまに工夫を凝らし、遊び心も随所に織り込みながら、貫かれるのは真剣勝負の心意気だ。
「螢の光」が流れるなか、若い命を散らす3人の吉三に思わず涙。これを観てしまうと、若手が抜擢された十一月歌舞伎座特別公演「ようこそ歌舞伎座へ」の「三人吉三巴白浪」が「大川端庚申塚の場」のみだったのは勿体ない。

【秋から冬のトピック】
☆10月☆
*劇団唐組・第74回公演 
 唐十郎作 久保井研+唐十郎演出『動物園が消える日』
 @猿楽通り特設紅テント(明治大学 駿河台キャンパス)
 閉園した金沢の動物園・サニーランドをモチーフに、前回と同じ配役による堅固な核と、新しく配された中堅、若手、客演陣がぶつかり合い、新鮮な座組となった。現実の動物園は疾うに消えているのに、関わった人々の心の中にはその灯は消えず、燻ぶりつづける。その灯は観客の心にも燃え移り、この世に無いものの存在に気づかせるのだ。
 公演期間中定例の「特別講義」(講演と唐作品朗読ワークショップ)は今回も盛況。さらに今年は「唐十郎さんを追悼する会」も行われ、唐十郎ゼミの卒業生、続いて唐組の久保井研、稲荷卓央、藤井由紀が語り合った。 
 唐十郎の母校・明治大学構内に建てられた紅テントでの学び、実践、追悼は、作り手、受け手ともに豊かな実りをもたらした。
*劇団文化座公演167 内藤裕子作・演出『紙ノ旗』
 @田端/劇団文化座アトリエ
 内藤裕子とさとうゆいのユニット「グリーンフラワーズ」による初演から9年。事前の意見調整やら根回しやらなにやら、市議会の厄介な喧々諤々をコミカルに描いた政治劇が文化座のアトリエに登場した。これまでの文化座の舞台では観ることのなかった俳優方の意外な顔、造形に小さなアトリエは笑いの渦に包まれた。
 折しも衆議院選挙投票日直前。 力が強いこと、数が多いことが優勢な政治の世界にあって、数字に置き換えられず、金で買えないものは何かを描いた舞台である。
☆11月☆
*劇団フライングステージ第50回公演
 ウィリアム・シェイクスピア原作  関根信一作・演出
 毎年年末に開催される「gaku-GAY-kai」の人気シリーズであるシェイクスピア作品の贋作が、本公演で二本立てのお披露目となった。女性の男装や双子の取り違え、家族の再会と再生の物語を忠実に押さえながら、現代に至る問題を炙り出し、思い悩みながら生きる人々を描く。
 シェイクスピア作品が数百年の年月を経て読み継がれ、演じ継がれているのは、その劇世界にさまざまな状況、立場にある人を生かす力、包容力、温もりがあり、勇気を与えるからではないだろうか。
*劇団文化座
 乃南アサ原作 斉藤祐一脚本 西川信廣演出
『しゃぼん玉』@あうるすぽっと
 その後沖縄県/那覇文化芸術劇場なはーと小劇場、きむたかホール大ホール巡演
 2017年の初演が好評を博し、再演を重ねた舞台が東京ファイナル公演を迎えた。安らぎのない家庭に育ち、ひったくりや強盗をしながら放浪する翔人(藤原章寛)が、ひょんなことから自分を「ぼう」と呼ぶスマ婆さん(佐々木愛)と出会い、近所のおばちゃんたちに世話を焼かれ、長老に鍛えられて、人としての心を取り戻してゆく。若者の立ち直りの様相が「あるある」の凡庸に陥らず、説教や教訓めいた匂いがないのは、「現実はこんなものでは」と、つい斜に構えそうになる観客の心を正面から開き、思い悩むまま受け止め、「それでもきっと大丈夫だ」と、まるごと抱きしめるような温もりがあるからだ。 
  
☆12月☆
*十二月大歌舞伎 第3部 
 泉鏡花作 坂東玉三郎・今井豊茂演出「天守物語」@歌舞伎座
 姫川図書之助役の市川團子が、坂東玉三郎の抜擢に応えた。
 父の醜聞、澤瀉屋の事件等々、公私ともに激震の日々にあっても精進を怠らず芸道に励み、期待以上の舞台成果を挙げ続ける強靭な精神と作品を的確に理解する知性、声を張り上げることなく、客席に台詞を届ける台詞術、ひたむきな眼差しに釘付けとなる。10年ぶりに富姫を演じた玉三郎と見つめ合う場は一幅の錦絵のよう。
 @阿佐ヶ谷ワークショップ
 浅田次郎の人気シリーズが朗読劇として生まれ変わった。今回特に感じ入ったのは衣裳の効果である。松蔵(藤本至)、おこん姐御(神由紀子)、竹久夢二(髙井康行)は和服、松公(山本祐路)は洋服だが、松蔵と同じ赤いマフラーをして、同一人物であることを示す。婦人警官の役の那由多凜は、紺色の制服を着て登場した。これが出過ぎず引き過ぎずの絶妙な雰囲気を作った。普通の洋装なら効果は半減しただろう。
 朗読公演の衣裳は、こしらえが必要な作品もある。しかし作り過ぎてもよくない。構成・演出の神由紀子は、その手並みが的確、賢明なのである。

☆☆今回も一推し☆☆ 
*演劇ユニット新派の子 
 @代々木上原/ムジカーザ
 川口松太郎作 齋藤雅文構成・演出
『遊女夕霧』第二場「円玉の家」より
「久里子四段返し」と銘打って、波乃久里子の当たり役から4作の一幕を続けて朗読する試み。
『遊女夕霧』は川口松太郎の小説『人情馬鹿話』の第3話で、1954年(昭和29年)4月、花柳章太郎の夕霧で初演された。「花柳十種」に選定されている劇団新派の財産演目のひとつである。
 吉原の遊女夕霧(久里子)は、講談師の悟道軒円玉(田口守)に、夫婦約束をした与之助の罪科の軽減を懇願して拒否される。が、円玉の女房お峯(伊藤みどり)のとりなしや夕霧の情にほだされて円玉は承知し、3人でしみじみと語り合う後半の一幕が読まれた。
 新派の子の朗読公演では俳優は椅子にかけて台本を読み、動作はほとんどつけない。また場の始まりのところを語り手(鴫原桂)が読むほかは、細かいト書きをほとんど読まない形式である。戯曲には、夕霧がお峯から酒を勧められ、最初は「コップの酒を半分ほど一気に飲む」、そして終盤、与之助の人生からは身を退き、夫婦にならなくとも、生きている限りはきっと力になれると語り、「コップを見ないで、一口飲み、むせび泣く」とある。
 人間の実際の日常は、戯曲に書かれているような、はっきりした言葉だけではなく、「ああ」「ううん」「・・・」など、文字に置き換えできないところが少なくない。久里子はこうしたところを息づかいで表現する。また夕霧の口調に、いつのまにか故郷の新潟の訛が混じりはじめるのだが、戯曲の文体はそのままで、ト書きにもその旨記されてはいない。イントネーションやテンポなどに、何とはなしに素朴な響き、味わいがにじむのである。演出家と俳優が戯曲を読み込み、ひそやかな「味付け」を施したのであろうか。久里子の演技のリアリズムは、このあたりにもありそうだ。
 本式の上演で、久里子の夕霧がどのような間合で、「一気に」酒を飲むのか。さらに「コップを見ないで」飲むのは、コップを意識するとなかなか難しい動作でもあり、異なる酒の飲み方の場面に、夕霧の心模様が感じられそうだ。 さらに今回読まれなかった第一場を含めて戯曲を読み直し、あれこれと想像をめぐらせる楽しみ。「久里子推し」はまだまだ続く 

★映画★
*「怪人物!唐十郎の映画―時代と共鳴したアングラの旗手」
 @神保町シアター
 明治大学映画研究サークル「映像集団鵺」の企画が、神保町シアターの協力のもと、唐十郎が関わった7本の映画の連続上映として実現した。作品解説や、足立正生監督インタヴューのリーフレットも誠実な作り。 
 唐が監督・脚本をつとめた1976年の『任侠外伝 玄海灘』は朝鮮戦争を背景とした男と女の破滅的な物語。汗や血の匂い、泥水の重みまで、画面から押し寄せるように凄まじい。
*「映画に生きる―田中絹代」@神保町シアター
 田中絹代が監督をつとめた全6作品一挙上映を目玉に、出演作と合わせて16作が披露された。どの役柄からも、生きている人の息づかいや体温が伝わる。『流れる』(幸田文原作 田中澄江、井出俊郎脚本 成瀬巳喜男監督/1958年)において、田中は住み込みの家政婦お春を演じた。激しくぶつかり合う女たちの中で終始控えめに立ち働く心のうちは?
*『侍タイムスリッパ―』
(安田淳一監督・脚本・撮影・照明・編集他/2024年)
 自主制作の時代劇が旋風を巻き起こした。 
 夏に公開以来称賛の声やまず、さまざまな映画賞を受賞し、今も各地で上映が続く。 主演の山口馬木也はじめ、作り手の溢れんばかりの時代劇愛が観客の心を掴んだのだろう。しかし実は違和感や躓きを覚える箇所もあり(たとえばショートケーキの場など)、いまだ考察中。
 2007年公開のドキュメンタリー映画が、唐十郎追悼として、東中野ポレポレを皮切りに全国各地でリバイバル上映された。この映画は「およそ7割のドキュメンタリー【真実】と、およそ2割の【虚構】で構成され、残りのおよそ1割は虚実不明」とのこと。その残りの1割を知りたい。
 今年も行くぞ、紅テント。

☆劇団文化座
 2月『花と龍』、10月『紙ノ旗』、
 11月『しゃぼん玉』
☆劇団唐組 
 唐十郎作 久保井研+唐十郎演出
 第73回公演『泥人魚』、第74回公演『動物園が消える日』
☆劇団フライングステージ
 第49回公演 関根信一作・演出
『こころ、心、ココロ 日本のゲイシーン をめぐる100年と少しの物語』 
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