因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団May vol.30『ビリー・ウェスト』

2011-12-23 | 舞台

*May+劇団タルオルム連続公演/Alice Festival参加公演 金哲義作・演出 公式サイトはこちら 新宿タイニイアリス 25日まで』(1,2,3,4,5)
 春先にはじめて出会った劇団Mayの舞台はクリスマスシーズンで6本を数えることになった。
 知り合いから教えてもらうまで、Mayのことをまったく知らなかったのだ。
 知り合いもまた演劇の作り手の方である。考えてみると、作り手自身から同業者の芝居を熱心に勧められることはあまりないのではないか。作り手の方々の心象は想像するしかないのだが、自分とはまったく違う作風の人や、はるかに素晴らしいと認めざるを得ないものに出会ったとき、それを素直に受けとめ、周囲にも勧めるということは、なかなかできないことではないだろうか。
 知り合いは自分がMayを出会って衝撃を受けたことを飾らないことばで語ってくれた。同じ作り手として敬意をはらうと同時に、ひとりの観客として楽しんだことが伝わってきて、自分も観劇を決めたのである。
 おかげで自分はもちろん、家族や友人たちもみごとに嵌りました(笑)。
 Sさん、感謝いたします。

 朝鮮学校の高校生テセンが主人公だ。日本人の高校生に喧嘩を売られては一方的に殴られるばかり。家庭は少し複雑だ。母は再婚で、うちには血のつながらない姉たちがいる。もの静かな父はテセンを心から大切にしている。ある日母が「アボジが自分の姓をおまえに継いでもらいたかっている」と言いだす。幼いころに別れたきりの、血を分けたほんとうのアボジ=父にテセンは会いに行く。

 

 これまで見慣れていた笑いと涙にあふれるエネルギッシュな舞台とは様相が違い、笑える箇所はほとんどない。ほんとうのアボジが、心を通わせていた3人のいとこたちと、互いの思想や事情によって違う場所で生きるために別れたこと、彼らのひとりの出国を手伝ったために逮捕され、愛娘を犯罪人の子にしたくないと籍から抜いたこと。その娘の幻影にいまも悩まされていること。

 3人のいとこたちの思想や主張、事情の違いすら、正直なところよく理解できなかった。
 生きにくい場所で、必死に「朝鮮人になろう」と努力してきた父、しかし息子は「朝鮮人をやめたい」と言う。同胞がいがみ合い、血を流して傷つけあう。「金持ちになるには、どこかにものすごい貧乏人を作ることだ」というある種の経済原理は、机上の経済学などぶっとばす。
 その一方で、「誰かを憎んだり恨んだりするのは煙草と同じで自分が擦り減っていくだけ。赦さないと」と語る母のことばは、似たことはこれまでも聞いたことはあるが、生身の肉声としてこちらに届く。

『ビリー・ウェスト』。このタイトルは象徴的である。チャップリンのものまねをやりつづけた俳優に、テセンは父や自分を重ねる。

 スローモーションの動きやみえない鏡を使って、小さなステージに長い年月と遠く離れた国をみせる手法は鮮やかだ。

 だんだん記述が先細りになってきましたね(苦笑)。
 投げかけられたものがとても重たいためだろう、筆も重くなるのである。
 Mayの舞台をみていつも思うのは、劇世界に対して自分の人生やことばが追いついてゆかないもどかしさである。
 在日朝鮮人である作者の金哲義には朝鮮半島の北に会えないまま亡くなった伯父が、南にはいまだに会えない伯父がいる。伯父たちが歩こうとしてできなかった道を、金哲義は舞台をつくることを通して歩こうとしているのだ。

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