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因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

iaku vol.4『目頭を押さえた』

2013-12-13 | 舞台

*横山拓也作(1,2,3,4,5) 上田一軒演出 公式サイトはこちら こまばアゴラ劇場 15日まで
 横山作品との出会いは、第15回劇作家協会新人戯曲賞に選ばれた『エダニク』を「読んだ」ことである。一気読みしてそれから何度読んでも飽きない。実は自分は戯曲を「読む」ことがあまり得意ではない。舞台で展開することを文字で追うこと、目で読みながら人物を立ち上げたり動かしたりということは、いまだに骨が折れる作業なのである。一度でも舞台をみたことがあればすいすい読めるわけで、戯曲を戯曲として読むのは大切なことなのだが、この体たらくである。
 それなのに読むだけで、読むほどにこれほどぐいぐいと引き込まれる戯曲に出会えることは珍しく、これが実際の上演だったらどんなにおもしろいだろうかと想像するだけでうきうきした。
 早くみたい、どうしてもみたい!
 実現したのは2011年の夏である。ずっと願っていた夢がかなったのだが、舞台からの手ごたえは非常に残念ながらいまひとつであった。戯曲に入れ込み過ぎて、自分の脳内で物語を動かしたほうが楽しくなっていたのかもしれない。先に戯曲を読んだことの長短を思い知った。
 その後の横山作品に対しても、どこかスカッとできず、従って今回の『目頭を~』の予約もぎりぎりまで迷うこととなった。

 見逃したら大変な後悔をするところだった。
 1時間45分をほどよい緊張を保ったまま客席で自然に過ごすことができたのだ。決して明るく楽しい話ではないのに、この心地よさはどこからくるのか。できればそれを詳細に書き記したいのだが、何かひとこと書くとこれからご覧になる方々の妨げになるように思えて迷っている。
 何しろこの風変わりな題名である。そこにどんな意味があるかを説明してしまってよいのだろうか。いやだめだ、それだけはぜったいに。

 舞台の何をどのように書けばよいのか、どの程度ならよいのかずっと考えていて、これは悩ましくはあるが、それほど手ごたえのある演劇体験ができたという幸福の証左でもある。

 登場人物は決して多くはないものの、父親の仕事が絡んだ若干複雑な親戚関係であったり、舞台となった村落独特の風習や人々の気質などがそこにかかわってくるので、何気ない会話、台詞のほんのひとことに重要なことが示されていることが少なくない。しかしながらそれらすべてを会話によって、それも説明台詞ではなく、ごく日常的なやりとりのなかで描いていることは瞠目に値する。最初のうちこそ「ちょっややこしいな」と思うけれども、いつのまにか人々の関係やここに来るまでの背景などがちゃんと頭に入っているのである。
 頭で理解し、心で感じとる。この動きが自然にできてしまうこと、客席にいて疲れない、眠気にも襲われず集中し、かといって過度の緊張による消耗もないのは、いったいなぜだろう。
 横山拓也の戯曲、上田一軒の演出いずれも特殊なものは感じられない。非常に堅実な作風であり、丹念に読みこんでじっくりと立体化された舞台だ。自然な会話だが、テンポや間などを自然にみせる聞かせるためにはそうとうに念入りな稽古が必要だったはずだ。

 当日リーフレットには、今日13日が第20回OMS戯曲賞の選考会であり、本作『目頭を押さえた』がノミネートされた横山氏はこの日だけ大阪に戻るという。あくる日以降「どんな顔をしているかは分かりませんが(中略)、結果に応じた表情で返すつもりです」と記されている。
 さきほどネットの情報によれば、戯曲賞大賞は中村賢司の『追伸』に決定した由、横山氏には残念であった。しかし師走のアゴラ劇場でみた今日の舞台のことはずっと心に残るだろう。 すでに決めたつもりの劇評サイトwonderlandの年末回顧2013年の3本が揺らぎかねないほどなのだから。
 戯曲読みからはじまった横山拓也作品とのかかわりが、『目頭を押さえた』でやっと明確な一歩を踏み出せた。自分にとって本作は、因幡屋版の横山拓也大賞なのである。

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