因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

六月大歌舞伎 第三部「ふるあめりかに袖はぬらさじ」

2022-06-22 | 舞台
*有吉佐和子作 齋藤雅文演出/坂東玉三郎演出 公式サイトはこちら 歌舞伎座 27日まで
「与話情浮名横櫛」主演の片岡仁左衛門が病気療養となり、本作に代替えとなった。俳優、演出家だけでなく、成瀬芳一(演出補)、織田音也、前田剛(美術)、中村圭佑(照明)、今藤政太郎(劇中歌作曲)、内藤博司(効果)など劇団新派にゆかりの舞台創造の錚々たる方々の実績、知恵、情熱が結集し、初日より絶賛の声が引きも切らない。仁左衛門の病気休演の落胆ゆえ、なかなか気持ちを切り替えられずにいたのだが、絶賛称賛はほんとうであった。これはもう、上半期屈指の観劇体験と言ってよい。

 筋書巻末に掲載された本作の上演記録を改めて読み返す。初めての出会いは1994年秋の文学座公演(戌井市郎演出 東京芸術劇場)であった。1961年発表の短編小説「亀遊の死」を作者の有吉佐和子自身が戯曲化し、1972年文学座の杉村春子のお園で初演以来、杉村の当たり役の一つとして再演を重ねた。松竹・文学座の提携公演、新派に杉村が客演した形態もあり、やがて坂東玉三郎に引き継がれた。ほかにも文学座の後輩である新橋耐子、新派の水谷八重子から藤山直美まで、ほかの配役も多種多彩であることに驚く。

 実は初観劇の際、あまり良き手応えが得られなかったことが遠ざかっていた理由だが、奇しくも歌舞伎と新派の合同公演の様相を呈した今回の舞台に、滅多に無いほど心身覚醒し、強く深く魅入られてしまった。

 玉三郎にとっても既に「当たり役」となっているお園であるが、聞き取れないほど小声だったり、テンポの良い日常会話だったり、遊女亀遊(河合雪之丞)の自害の顛末を語る大芝居まで実に振り幅が大きい。お園は劇中何度も「おいらん」と亀遊に語りかけるが、その一声ですら、場面と流れによって声の大きさや高さ、色合いが異なる。出番も多く、台詞量は膨大だ。しかし玉三郎はそこに「台詞術」を駆使する手つきを見せない。演技派、実力派、名女優、大女優と呼ばれる俳優が時に発してしまうくさみや嫌味がまったく感じられなかったのである。所作も同様で、流れるように美しいのに自然なのだ。
「役が手の内に入る」とはこういうことではないのか。

 坂東玉三郎の舞台を観ていると、不意にこの人は男でも女でも、いや人間でもない芸術の現象なのではないかと陶然としてしまうことがある。インタヴューでの素顔、語る言葉も知的で美しく、近寄りがたい存在であった。

 しかし今回のお園は病の亀遊への思いやりは心底からの温かさ、通辞の藤吉(中村福之助)との仲をからかったり取り持ったり、邪魔をしてみたり(藤吉が亀遊に薬を飲ませようとするところに「ごちそうさまー」と入っているところは抱腹絶倒)、廓の主人(中村鴈治郎)とやりとりは仲の悪い夫婦漫才のごとしである。「攘夷女郎」の顛末を語る名調子から一転、嘘が知れての大混乱から、酒を呷って悪態をつき、うち萎れる終幕には哀れさが漂う。自分は初めて、坂東玉三郎という俳優に、一種の親しみを覚えたのである。

 歌舞伎と新派との親和性がみごとに示された上演だが、考えてみると杉村春子のお園は新劇(文学座)から始まって、新派の水谷八重子(当時良重)や片岡仁左衛門(当時孝夫)とも共演を果たしている。新派、歌舞伎どちらの水にも合わせられる、その至芸をもっと観ておきたかった。

 折り目正しい言葉遣いのみならず、通辞として英語の台詞がある藤吉の中村福之助は、今回は大勉強できたのではないだろうか。心に残ったのは、亀遊の七十五日に暇乞いをする場面である。噂を聞いて店にやってきた浪人たちにお園はついつい話を盛ってしまうのだが、それを舞台上手奥で身じろぎもせず聞いているその後ろ姿であった。何かもの言いたげな微妙な色合いの照明の効果もあり、彼が吹っ切れて去り行くところから、「攘夷女郎亀遊」の物語を最初に信じたのは彼ではないかと思わせる。

 昨年の「十月新派特別公演」がその年の芸術祭大賞を受賞したにもかかわらず、今年は本公演が行われないことが残念であったが、早稲田大学での朗読公演(1,2)を良き助走として、歌舞伎と新派による新しい「ふるあめりかに袖はぬらさじ」に出会えたことに感謝したい。
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