因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団劇作家主催12月公演/平林たい子没後50周年記念 『世界が私を嫌っても』

2022-12-17 | 舞台
*有吉朝子(1,2,3)作 西本由香(文学座)演出 公式サイトはこちら劇団劇作家1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12)下落合/TACCS1179 18日終了
 本作は「日本の劇」戯曲賞2020において佳作に選出、翌年9月、南河内万歳一座の内藤裕敬の演出による成果発表のリーディング公演を経て、このたび「劇団劇作家主催の公演としては、初めての台本を持たずに演じる形式」(当日パンフレット掲載の有吉の挨拶文)で上演の運びとなった。

 舞台には数本のグレーの柱、その前に平台が少し斜めの向きに置かれている。この台を主な演技エリアとして、たい子の故郷である信州諏訪から東京、駅の待合室や書店、座敷等々、屋内外自在にどんどん変わってゆく。大正6年(1917年)、主人公のたい子が12歳の夏にはじまり、戦中戦後を経て昭和30年(1955年)、天皇から園遊会の招待が来るほどの作家になるまでの波乱万丈の日々が展開する。登場人物は13人、休憩をはさんでおよそ2時間20分の「女の一生」である。

 「世界が私を嫌っても」という題名が、本作のイメージ、主人公の人物像をほとんど言い尽くしている。さらに公演チラシには両の眼から涙を流しながらも、強い目で前方を見据える女学生の絵。周囲からどんな目で見られようと、何を言われようと私は自分の道を突き進むのだという決意表明であり、始まった舞台はまさにその通り、いやそれ以上であった。

 娘の女学校進学に反対し、堅実な生き方を説くばかりの母親が、自分への娘の気持ちを知って考えを変える場面がいい。外へ出たいと願う娘には、母親への反発があるが、たい子の思いは単純ではなかった。母がかつて女学校に通い、優秀な成績を収めていたこと、母を尊敬し、何より好きだからこそであると母自身が受け止め、娘を見送る場面の台詞はひと言ひと言が粒立ち、観る者の胸を打つ。

 この複雑な心のありようを演じて、母・かつ美役の久行敬子がみごとであった。先月劇団フライングステージ公演『Four Seasons 四季 2022』で二役を務めたばかりの中嶌聡も、不器用な父・三郎を味わい深い造形でしみじみと見せる。恩師や幼なじみ、恋人や文壇の仲間など、終始ぶっとばし型のたい子(小石川桃子/文学座)に翻弄され、傷つけられながらも彼女との関わりを絶てず、去り行くもの、受け入れるものそれぞれに、自分の持ち場を的確に掴んだ演技であった。共感を得にくい主人公を演じるには、こちらの想像の及ばない苦労があったであろうが、小石川桃子は少女から壮年までのたい子を、その嫌な面も臆さず演じている。食傷してしまう人物であるが、もう天晴れである。

 気になったのはSNSに公開される出演俳優の紹介などの情報量である。実在の人物を描く場合、相手への敬意、場合によっては遺族や関係者にまで配慮が必要な場合があるだろう。神経を使う大変な仕事であり、演じるのも同様である。劇作家と俳優の出会いの経緯、どんな俳優であり、稽古ではどんな様子であるのか、どれほど期待しているか等々、観客にとって楽しみな情報であることも確かだ。しかし、ある程度の予備知識は必要としても、観劇に際しては余白を持ち、事前情報をいったん消してまっさらな気持ちで臨むくらいの心持でいたいのも正直なところだ。今回当日パンフレットには、「作者による、作中人物と俳優の覚書き」と題した文章が2ページにわたって掲載されている。稽古期間中に作者がSNSへ投稿した内容を一部編集したものとのことだ。上演前にできるだけ読んだけれども全てを把握するには時間が足らなかった。「CAST」のページに人物についての但し書き(例:伊藤千代子…たい子の幼なじみ)があれば、観劇前の短い時間で人物相関図をざっと頭に入れることができるし、「俳優の覚書」にはこれまでの出演作など、俳優自身のことをもっと知りたい。

 劇中、たい子を励ます小学校教師・川上茂(桧山征翔)は「夢が無ければ死んだも同じ」と教え子を励まし、その言葉はたい子自身の座右の銘となる。しかしその夢の実現のために、自分自身が何度も傷つき、家族も友人も夫も傷つけてきた。満身創痍である。夫も友人も去った家で鰻を食べながら、たい子は女学生のころから愛唱してきたブラウニングの詩「春の朝」をつぶやく。「すべて世は事も無し」。夢を追いかけ続けた代償は小さくない。しかしたい子は悠然と「すべて世は事も無し」と言ってのける。意地というより達観であろうか。

 と、しんみりしかけたところで、編集者の無粋な電話にうんざりしつつも、今より以上の世界にして次の世代に渡す志を忘れてはいないと言い、「ええ…書いて見せます、世界が私を嫌っても…」と挑むような眼を向ける。創作の才能という賜物を与えられた女性の言葉は、いささか激烈で極端ではあるものの、何かを書く、作ろうとする立場の人にとって励ましになると同時に警告にもなり得るのではないだろうか。
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