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因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

猫の会番外公演『ありふれた話』

2015-07-25 | 舞台

*北村耕治戯曲・演出 公式サイトはこちら 池袋・スタジオ空洞 26日まで(1,2,3,4
 池袋のスタジオ空洞にはじめて足を運んだ。天井の低いところや壁の色など、北池袋にあったアトリエ・センティオにも似ているし、スペース雑遊がもう少し小ぢんまりしたようでもあり、入ってすぐに親しい感覚の抱ける劇場である。これはあんがい大切なことで、その小屋が演劇を上演するのに適しているか、劇場の持ち主、そこを使う作り手側の方々が情熱を注いでいるかということは、入った瞬間の空気感というか、肌感覚で伝わってくるのである。スタジオ空洞は観客が自然に呼吸ができる空間だ。池袋駅からたどりつくのに四苦八苦したが、まずはひと安心である。

 客席が演技スペースを二方向から緩やかに囲むつくりで、平台のようなものが3つならび、中央奥にもひとつ小さな台がある。木箱のようなものがいくつか、洋服やかばんなども置かれている。

 物語はいたってシンプルだ。冨田(山ノ井史/studio salt)が親類縁者の集まりを終えて帰宅途中、人間と話せる猫(菊池ゆみこ)に出会い、「おまえはこれから大切なものを失う」と妙な予言?をされた上に、風呂敷に包まれたものをお守り代わりに常に携帯するよう命じられる。そして電車に乗ると、高校の(中学だったかもしれない)のクラスメイトだった塩谷(高木充子/劇団桃唄 309)に再会、以前からとくに仲が良かったというわけではなさそうだが、車中で話が弾んだふたりはわりあい自然にホテルへ行く。

 このあたりの流れが意外にあっさりしているのが特徴だ。塩谷は夫に浮気され、冨田も恋人とぎくしゃくしている。互いの傷口を舐めあう暗さはなっく、うまくいっていないにしてもれっきとした相手がいる身で、つまり不倫をしていることになる。しかしおそらく数年も会っていなかったのに、あっというまに打ち解けて、塩谷は夫の浮気の顛末や現状を、冨田は親類が集まった折のもめごとや、不思議な猫との出会いを打ち明ける。このふたりがあまり生ぐさい男女の体温を感じさせず、「相手ともっと話したいから」ホテルへいき、仕事を休んで熱海へ足を伸ばしてレンタカーで犬吠埼まで行くことを、あまり現実的でないという受けとめ方もあるだろう。
 ふたりは手をつないで歩き、軽い膝枕くらいもあるが、さてことに及んだのかどうか、ぜんたいとしてはっきりそうとわかる箇所はない。いい大人がそんなことはあるまいとも思うが、まったく不自然に見えないのは、演じる俳優の資質や、劇作家が下世話な展開を避け、自分の伝えたいことに筆を集中させた結果であろう。

 口をきく猫と、託された妙な包みを軸に物語が進むが、もうひとつの軸は親戚の集まりで父との確執に辛い思いをした一子(環ゆら)と冨田の関係である。ふたりは義理の親戚になるので血のつながりはないが、冨田は彼女を憧れのお姉さんのように思い、一子は小さいころから冨田の亡くなった父親を慕っており、冨田を見つめて「お父さんそっくりになってきたね」という場面では、懐かしさとともに、微妙な危うさも匂わせる。

 前述の猫といい、千葉へ向かう海に強大な蛇のようなものが現れたり、さっきまで話していた相手が不意に消えたり、ややSF風の味つけはしてあるのは、受けとめ方が分かれる点だろう。うっかりすると「何でもあり」の安易であざとい展開になる可能性もあり、しかし映像ではなく、演劇ならではの描写に成功する場合もあって、いちがいに良しあしの判断はできない。

 登場人物たちは、ふとしたはずみに現実の日常生活から少しはみ出た部分に来てしまったのかもしれず、思うに任せないそれぞれの人生に疲れた彼らが、ほんの少し安らぎと方向転換のきっかけを与えられたとも考えられる。冨田と塩谷それぞれが独白のかたちで進行役的な台詞も発する。地味な手法ながら、この構造が意外に独特の「演劇的効果」を挙げており、この物語はもしかするとラジオドラマに向いているのではないかとも考えた。
 メッセージ性の強いもの、主張の明確なものにどうしても惹きつけられるが、今日の物語のようにささやかで、誰も傷つけない、といって、ただべたべたと甘い話では決してない、こういう物語も大切で、必要なのだ。 

 60分がいい意味で長く感じられたのは、戯曲の構築がしっかりしていること、出演俳優がそれを理解し、誠実に演じているからであろう。山ノ井史は素直で柔軟な資質を控えめにみせ、高木充子は芯が強く、聡明で人生を達観しながら、不意に脆さをみせてしまう女性を、環ゆらは人物のなかではもっとも体温や湿り気の多い役ながら、どこか浮遊しているかのような雰囲気を出しており、菊池ゆみこの猫役は、キャラクターの変容を予感させるおもしろみがある。
 
 北村耕治は果報な劇作家であり、『ありふれた話』は幸せな作品だ。こういう上演に出会えたことをとても嬉しく思う。

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