*友寄総市浪脚本 谷賢一(DULL-COLORED POP 個人ブログはこちら)演出 公式サイトはこちら サンモールスタジオ 13日まで(1,2)
2008年夏に初演され、シアターグリーン学生芸術祭においてグランプリを受賞した作品。自分のみた回は立ち見も出る盛況。満場の客席の熱気が見守る舞台は沖縄、かつては米軍基地に反対する人々のアジトであり、いまは若者たちのたまり場になっている小屋である。先日の「アリ」と同じく客席が三方から舞台を取り囲む形。服やら段ボール箱やらで散らかり放題の小屋は、無機質な「アリ」に比べると雑多で生々しい印象。公演中「ナシ」と「アリ」を交互上演するのは俳優、スタッフともに大変な労苦があることだろう。頭が下がる思いである。
2008年初夏、オキナワの在日米軍基地内でクーデターが勃発、将校たちが核発射施設を占拠→県内の若者たちが施設をシステムごとハッキング、オキナワの独立を宣言→周囲はこれを無視→しかし核爆弾発射のスイッチだけが彼らの手元にある・・・という設定である。折り込みチラシのなかに本作のあらすじをまとめた用紙があって、「沖縄」は「オキナワ」とカタカナで明記され、あの沖縄が舞台になっているのではあるが、みる方はもう少し違う感じ方をしてもよいと思わせる。「沖縄」という言葉から連想する悲しさや重さ、苦さよりも、軽さやゆるさ、解放感を感じさせる。どんな登場人物がいるのか、どんな話の流れであるのかなど、書くことはたくさんあるはずなのに、先日の「アリ」から混乱、困惑がますます深くなった。千秋楽の今日、昼に「ナシ」があって、その夜の「アリ」が大楽となる。自分が先週みた「アリ」の、『三鷹の男』の終幕、必死で涙を堪えて「女」(ハマカワフミエ)が舞台を降り、客席の通路を踏みしめて退場する場面を思い出して、心がざわざわと落ち着かない。狂騒的な「ナシ」のあと、あの「アリ」で終わるのか。
「異状ナシ」は作者の筆の勢いが強く、演じる俳優たちのテンションがやや高すぎて、呑まれるような、ついていけない感覚があった。台詞がじゅうぶんに聞き取れないところもあり、また暴力的なことをしたり、それを押したら国が滅びるというとてつもなく危険な核爆弾発射スイッチを探すというのにますます散らかしているようにしか見えない動作や、むやみに食べ散らかしたり酒を飲んでは吹いたり吐き出したりのあれこれは、みていて気持ちのよいものではなかった。観劇後上演台本を読んで、この台詞のやりとりに上記のような演技が必要だったのかというのが正直な感想だ。
「ナシ」はありあまるエネルギーが炸裂したままぶっちぎるように終わっており、その後に書かれた「アリ」の緻密で冷徹な筆致を考えると、作者のなかでこちらの想像もできないような変化があったのではないかと思われる。特に『三鷹の女』と『三鷹の男』の連作は、およそ15分の上演時間のなかに演劇の嘘と現実、劇作家の俳優に対する思いなどを、ひとり芝居というよりも「ひとり語り」の形で示したところに、友寄総市浪の非凡な才と同時に、「書き切っていない」感じもあって、もっと言いたいことや描きたいことがあるのではないかと思わせる。「正真正銘の最後の新作」と銘打ってあるということは、健康を回復してももう筆はとらないということだろうか。「訣別」という言葉が思い浮かび、「ナシ」の観劇後地下鉄の駅に向かいながら、劇場に引き返して大楽の「アリ」当日券のことを聞いてみようかという思いがよぎったが、結局帰路についた。
公演チラシや当日リーフレットに掲載の劇作家や演出家(谷賢一)、主宰代行(ハマカワフミエ)の文章にはべたついた感傷や未練はなく、しっかりと顔をあげて前へ歩いていく姿勢が感じられて清々しい。わずか2回の公演をみただけでお別れするのは淋しいが、最後の晴れ舞台に立ち会えたことを大切にしよう。
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