*小山祐士作 高橋清祐演出 公式サイトはこちら 三越劇場 20日まで
前回三越劇場に来たのがいつだったのか思い出せないくらい久しぶりの劇場で、日ごろ通っている芝居とは別世界のような客席の様相に戸惑いも(苦笑)。本作は小山祐士の処女戯曲で初演は昭和8年である。民藝の28年前の上演を同級生がみたと言っていたような記憶があるのだが、これは本人に確認中だ。ここ数年の自分の観劇傾向からは、劇場も劇団もだいぶ隔たりがあって敷居が高かったのだが、江森盛夫さんのブログ「江森盛夫の演劇袋」に本作のことが書かれており、以下の1節に背中を押されて観劇に臨んだ。
「舞台が無人になったときの気配の濃さ。前場の余燼や次の場へも予感などが濃密に感じられる。」
その通りであった。息をのむ思い。背筋が伸びた。
昭和5,6年ころの東京本郷界隈の小さな下宿屋「四丁目ハウス」を経営する夫婦、その弟、親戚の娘、下宿人や女中たち。さまざまな人が出たり入ったり、それぞれに難しい事情や言いにくいことを抱えている。大恐慌に戦争の足音が聞こえ、希望の見出しにくい時代背景を感じさせながら、台詞のひとつひとつが粒だち、登場人物ひとりひとりの心情がこちらに伝わってくる。
28年前の同級生の記憶が曖昧なのは、おそらくはっきりした舞台の印象が持てなかったためであろう。当時自分たちは演劇をみはじめたばかりであり、ともかく知っていそうな劇団や劇作家の芝居から手探りでスタートした。文学座や民藝などの大手(そういう感覚でとらえていた)をみて、それからつかこうへいやシェイクスピアシアター、アングラへも怖々とようよう足を進めようとしていた。もしあのとき自分が『十二月』をみていたとして、「舞台が無人になったときの気配の濃さ」を感じ取ることはできなかったと思う。しかし今回も江森さんのブログを読まないで舞台をみていたらどうだったか、実は自信がないのである。たくさんの舞台をみていたらそれなりに知識は増えるし、自然に身についていくこともあるが、漫然と続けるだけではだめなのだ。戯曲も評論もできるだけたくさん読み、きちんとした意識をもって舞台に臨むことが必要だと思う。
これから10年、20年後も『十二月』が上演されること、それをみる自分がこの世に存在していること、その日までこの作品が次の世代に大切に継承されていくことを願っている。自分も心身の鍛練を怠らないよう。
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